【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第1話「坂ん上の猫」/「配達係のミッション」)

サイドB:坂ん上の猫(前編)
「……おるな、今日も」
西山さんは、坂の途中でトラックを停めて、ハンドルの上に肘をついた。
いつもどおり、あの猫が家ん前にちょこんと座っとる。ぬかるんだ石畳の上で、しれーっと毛づくろいばしよる姿が、なんともまぁ、堂々としとってよか。
「おまえ、誰ん猫や?」
ぶつぶつと独り言をつぶやきながら、トラックのドアを開けた。
四十も半ばになって、未だに独り身の西山さん。佐世保港近くで小さな運送屋をやっとる。家と職場の往復に、週一のスナック通いがルーティンのような毎日。
けんど、この猫とは、もう二週間ばっかいの付き合いになる。最初は配達の帰りに偶然見かけただけやったが、それから毎朝、同じ時間、同じ場所におる。
「なーんでん、あんた……待っとるとや?」
猫は返事せんばってん、しっぽだけゆらーんと揺らしてこっちを見上げた。
白と茶のぶち模様に、ちいさな傷跡のある耳。よう人慣れしとって、近寄っても逃げもせんし、むしろすり寄ってくる。
「……おい、こげんかわいかのに、なんで野良んごたるとやろか」
気になって、坂の上の家を見上げた。
木造二階建て、瓦はところどころ剥がれとる。雨戸も半分壊れとって、人が住んどる気配はなか。けんど、猫は毎朝そこにおる。しかも、決まって家の前ん石段に。
西山さんは猫を抱っこしながら、ふと思った。
「……まさか、なんか知らせとるとか、そがん怪談話みたいなことなかよな?」
思わず笑い飛ばしたが、心のどこかで、ちいさな好奇心が芽ぇ吹いとった。
そして次の日。
西山さんは、配達のあと、猫が座っとる石段の横を通って、家の裏手にまわった。
そこは、小さな庭になっとった。荒れとるばってん、よく見ると、昔は花壇やったらしか。
草の間に埋もれた、錆びたブリキ缶が一つ、ぽつんとあるのを見つけた。猫が、その前でぴたりと止まる。
「なんね、これ……?」
缶のふたは、まるで誰かが開けて欲しゅうて置いとったみたいやった。
中には、封筒が一通。筆ペンで書かれた文字は、年月のせいでにじんどった。
『西山くんへ——未来のあんたに』
びっくりして息が止まった。
差出人の名前は、山崎文夫——高校時代の恩師やった。もう十年以上前に亡くなったはずの。
坂ん上の猫(後編)
西山さんは、封筒を両手でそっと持った。
風ん音が耳の奥でぼんやり鳴りよる。猫は、さっきから動かん。まるで「読め」と言わんばかりに、じーっと見とる。
中から出てきたのは、丁寧な文字で書かれた一枚の便箋やった。
西山くんへ
これを読んどるということは、あんたは、ちいとはオトナになったとやろう。
いや、なっとらんかもしれんけど、そこは期待しとくばい。笑
わしがこの手紙を書いとるのは、あんたが高校三年生の春やった。
授業中に居眠りして、「社会の真ん中で寝る気か、お前は」って怒ったの、覚えとるか?
でも、ほんとは、わしはあの時ちょっぴり嬉しかったとよ。
あんたが居眠りするくらい、「安心して座っとれる教室」になっとったってことやけん。
あんたは、いつも「何にも取り柄がなか」と言いよった。
でもな、西山くん、人はみんな何かを見つける力を持っとるとよ。
そいは、すごか発明でも、でっかい夢でもなかかもしれん。
日常の中で「おっ、なんかよかね」って思える、そんな発見ばい。
もし、あんたが今「何もなか人生やな」って思うとったら、この手紙を思い出してほしか。
わしの予想が当たっとったら、この手紙は——坂の上で、猫が案内してくれたはずばい。
そいじゃ、元気にしとってね。
——文夫
西山さんは、気づかんうちに、ちょっぴり涙目になっとった。
「……せんせい、こがんと、反則やろ……」
気恥ずかしか声が、ひとりごとのように漏れた。
猫はいつのまにか膝の上に乗ってきて、ごろごろ喉ば鳴らしよる。
「……おまえが、配達係やったとね?」
そう言って、西山さんは猫の頭を軽う撫でた。
坂の上には、春の風。遠くで汽笛が鳴る音が聞こえてきた。
その日から、西山さんは毎朝、ちょっと早起きして猫に会いに行くようになった。
誰も住んどらんと思っとったその家も、実は市の持ち物で、空き家再利用の話が進んどるらしか。
「カフェにでもしたらよかかもなぁ。『坂ん上の猫』っちゅう名前で」
そう言うと、猫は「にゃー」と、まるで賛成するように鳴いた。
西山さんは、ふっと笑った。
なんもなかと思っとった毎日の中にも、
——気づかんかっただけで、ちゃんと「なんか」は、あったとやね。
【了】
サイドA:「配達係のミッション」——猫の目線から見た、坂ん上の物語
おれは猫。名前はまだない。
いや、たぶん昔はあったっちゃろうけど、そんなもん、坂の風といっしょにどっか飛んでいったばい。
この町ん坂の上に、一軒の古か家がある。
誰も住んどらんくせに、庭の梅は春になるとちゃんと咲く。
そして、そこの裏庭には、大事なもんが隠されとるとばい。
——手紙。
でも、ただの手紙じゃなか。
未来に届くはずやった、ちょっとだけ遅れてしまった約束の手紙。
おれは、それば「届けんば」と思うた。
なぜかって? ……そいは、猫にも使命っちゅうもんがあるけんたい。
最初に見つけたとが、「でかいトラック乗っとる、ちょっと疲れた顔のオジサン」やった。
港から坂を上がってくる、毎朝同じ時間、同じコース。
そのリズムの中に、ふわっと“隙”のようなもんが見えたとさ。
人間ち、忙しか顔して歩いとっても、心ん中に「なにかを待っとる」空白がある時がある。
——このオジサンには、それがあった。
だから、おれは決めた。
この人に届けてもらおう、と。
毎朝、同じ時間に、家の前で座ってみた。
最初は怪しか目で見よったばってん、ちょっとずつ、気にしてくれるようになった。
撫でてくれるようになった。
話しかけてくれるようになった。
「なーんでん、あんた……待っとるとや?」
そうそう、待っとるとたい。オジサン、あんたのことば、やっと届いたばい。
ある日、ようやく裏庭に来てくれた。
錆びた缶の前で、おれはじーっと待った。あとは開けてもらうだけ。
そう、おれの役目は“ここまで”。
あとは、言葉と記憶と、あんたの心の中にあるものたちが、手紙の続きを書いてくれるけん。
それからというもん、おれは“坂ん上の猫”として、町でちょっと有名になった。
カフェになるかもしれん、って話も耳にしたばい。
——まったく、オジサンはすぐ調子に乗るとばってん、そういうとこ、きらいじゃなかよ。
ああ、そうそう。
名前、つけてくれたとよ。「ぶんちゃん」って。
——あの手紙の先生の名前から、取ったっち。
まったく、人間ってのは、じわじわと、心を染めてくる生きもんやね。
ま、よかさ。
おれはこれからも、坂の上で、風の匂いを嗅ぎながら、次の配達を待つばい。
人間にも、猫にも、またきっと、届けんばならんもんが、あるけんね。
ごろごろ。
今日も風が気持ちよか。坂の上は、やっぱり最高ばい。
【了】
次話です▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」/「坂の途中で、風がふたつ、重なった気がした」
第45話:「木くずとため息」/「木くずの遊び相手」
第70話:「手紙の咲く庭で」/「そっと、おったけん」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga
🧭思考の案内人|Thinking Navigator

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒愛知の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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