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【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第69話「雨あがり、海沿い、ただ走っていた」/「雨の匂いが残るレンガの上で」)


ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色

サイドB:「雨あがり、海沿い、ただ走っていた」
――高原 篤志の視点


シューズの裏が、濡れたレンガをふわりと蹴る。
ペースはゆっくり、でも確実に呼吸が整っていく。
五番街のガラス壁には、水滴がまだ張りついていて、
街灯の残り香が空にかすかに残っとる。

港の向こうには、自衛艦のシルエット。
遠くでカモメが鳴きよる。

——三ヶ月前、なんの気なしに通販でランニングシューズば買うた。
SNSでよく見るやつやけん、ちょっと試してみようくらいの気持ちで。
最初の数日は、走るっちゅうより、早歩きやった。
でも、ある朝、港沿いの空がきれいすぎて、
「また明日も走ってみようか」と思った。それが始まりやった。

体が軽うなった気がしてきたのは、最近のこと。
でも、ほんとに軽くなったと感じるのは、心のほうや。

管理職になってもう何年になるやろか。
数字の責任も、人の気持ちの調整も、肩に乗っかることばっかり。
口には出さんばってん、会議のたびに胃の重くなる。

家に帰っても、灯りは一つだけ。
——妻とは、二年前から別々に暮らしよる。
理由は、どっちかが悪かって話でもなか。
気づかんうちに、心の距離ができとっただけや。

そがん毎日の中で、この時間だけが、
何にも追われんでよか、大事な呼吸の時間になっとった。

篤志は、駅のみなと口から横断歩道を渡り、
五番街の裏手へ抜けるあたりで、
いつものように立ち止まった。
ベンチに腰を下ろすでもなく、海ば見ながら深呼吸する時間。

そのときやった。
足元に、白と茶のぶち模様。片耳にちいさな切れ目の猫が、
いつの間にか座っとった。

「……おまえ、どっから来たとね?」

猫はじっと、篤志を見つめとった。
声も出さん、鳴きもせん。ただ、そこに“おる”。

誰にも見られんでよか時間。誰にも気づかれんでよか場所。
でも、何かに見守られとる気のして、ふっと肩の力が抜けた。

「来年はハーフマラソン、出てみようかって思っとるとさ」

猫はしっぽば一度だけ揺らして、また静かになった。
言葉が届いたかどうかも、もうどがんでもよかった。
朝の風が、胸の奥まで届いた気がしたけん。

猫はいつのまにか立ち上がり、フェリーターミナルの方へゆっくり歩いていった。
その背中に、「それで、よかよ」とでも言うようなぬくもりを感じた。

——ここに、おったけん。

ただそれだけで、今朝の空気が、すこし優しく思えた。

【了】



サイドA:「雨の匂いが残るレンガの上で」
――ぶんちゃんの視点


夜中に降った雨の名残が、レンガの隙間にまだ残っとった。
朝の港は静かで、風が潮の匂いを運んできよった。
おれは、五番街の裏手に伸びる歩道ば、海の音に耳をすませながら歩きよった。

タイルに映る空は、まだ雲の向こう。
けれどその向こうに、ゆっくりと朝が来とるのがわかる。
その匂いも、風の色も、おれのひげの先が感じとる。

とん、と足音。
その音が、潮の静けさに重なる。
いつもより軽やかやけど、心の奥には、まだちいさか石の転がっとる音がしとった。

おれはその音の方へ、ふわりとしっぽを揺らして、
——そして、ほんの少しだけ、小走りになった。

濡れたタイルの上を、軽く跳ねる足音。
おれも、ちょっとだけ心が弾んだ。
彼の心が、ゆるやかにほどけていくのが伝わってきたけん。

港沿いで立ち止まったその人の前で、おれはぴたりと足ば止めた。
白い息を吐きながら、彼は海を見よった。

「……おまえ、どっから来たとね?」

彼の声は低くて、でもどこか、やわらかかった。
おれはただ、見つめ返した。言葉はいらん。

「来年はハーフマラソン、出てみようかって思っとるとさ」

その言葉には、もう“前に進む人”の音が乗っとった。
心は、もうだいぶ軽うなっとる。
おれはしっぽばひと振りして、港の方へ向かって歩き出した。

走ることで、軽うなった心は、
これからもっと自由になれる。そう思えたけん。

——ここに、おったけん。
おれも、いっしょに、朝の風の中を走っとったけん。


【了】



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シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)


あとがき

この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。

私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
 主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
 町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者


プロフィール|Kazuomi Matsunaga

🧭思考の案内人|Thinking Navigator

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒愛知の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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Kazuomi Matsunaga🍀 「クリエイティブの世界へようこそ!」 創造・表現することが好きで、日々新しいものを生み出しています。応援が次の創作の力になります!