【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第41話「しっとりした石畳と、優しき声と」/「言えんままのありがとう」)

サイドA:「しっとりした石畳と、優しき声と」
——ぶんちゃんの視点より
おれは猫。ぶんちゃん。
今日も、町んにおいば感じながら、歩いとった。
雨上がりのしっとりした空気。
石畳に残る水たまりが、ぽたぽた雫ば受けよる。
アーケード商店街。
市場からは、明るか声の響いとる。
「ほら、新鮮ばい!安かよ!」
おばちゃんの声。
いつも元気で、みんなに声かけとる。
その声に混じって、ひとつだけ重たか音が聞こえた。
おれは、その音ばたよりに歩いた。
少し離れたとこ。
青年がひとり、じっと市場ば見とった。
動かん。
足は止まっとる。
心ん音だけが揺れとる。
おれは、そっと近づいた。
ぬれた足元にふわりと寄り添う。
青年はびっくりして、おれば見下ろした。
ばってん、すぐにその顔は和らいだ。
じっと目ば合わせた。
青年の心ん音は、まだ少し重たか。
――”ありがとう”が言えんとね。
おれにはわかる。
おばちゃんは優しか。
みんなに声かけ、笑顔ばくれる。
でも、青年の胸ん中には何かが詰まっとる。
そいば言葉にするのは、むずかしかとやろう。
おれはしばらく、そのままそばにおった。
ただおるだけ。
そんうちに、青年の顔は少しだけほぐれた。
おれはゆっくり離れた。
濡れた石畳ば歩き出す。
振り返らんでもわかる。
青年は、少しずつ前に進んどる。
おばちゃんの声がまだ響いとる。
「ほら、新鮮ばい!」「甘かよ!」
その声は、町ん空気ばあったこうしとる。
おれはしっぽばふわりと揺らし、また歩き出した。
軒先の雫が、きらきら光りよった。
【了】
サイドB:「言えんままのありがとう」
――青年の視点
雨上がりの風が、アーケードの軒先からひゅうっと吹き抜けた。
その風が、湿った石畳ば撫でていく。
生産者市場。
あの明るいおばちゃんの声が、今日も響いとる。
「ほら、新鮮ばい!甘かよ!」「あんたも持っていかんね?」
笑い声、声かけるたび、みんなが笑顔で応えよる。
おれは、少し離れたところから、その店ば見よった。
あん時も、母はこのおばちゃんから野菜ば買いよった。
「お世話になっとります」
母はそう言うて、いつも笑顔やった。
おばちゃんも「また来んね!」って笑い返す。
けど、もう母はおらん。
おれは、母の代わりに何度もここに来た。
ばってん、「ありがとう」の言えん。
代金ば払い、野菜ば受け取るだけ。
おばちゃんは変わらん。
誰にでも優しゅうて、みんなに声かけよる。
おれにも「今日はキャベツがよかばい!」って。
おれはただ、うなずくだけ。
「ありがとう」が喉に引っかかる。
なんでやろか。
母がおらんけん?
おれが弱かけん?
風がまた、びゅうっと吹き抜けた。
そのとき、足元になんかふわりとした感触。
白と茶のぶち模様の猫。
ぶんちゃん。
この町じゃ知らん人はおらん。
誰にもなつかんばってん、そっと人のそばにおる猫。
ぶんちゃんはおれば見とる。
大きか澄んだ目。
「…なんば見よると?」
もちろん返事はない。
けん、その目は優しかった。
胸ん奥が、ちぃと軽うなった気がした。
「…ありがと」
ぶんちゃんはそっとおれにすり寄り、
またふわりと離れて歩き出した。
しっぽばゆっくり揺らしながら。
おれは生産者市場のおばちゃんば見た。
「今日はキャベツがよかばい!」
おばちゃんの声が、まだ続いとる。
今度はちゃんと言おうかね。
「ありがとう」って。
軒先の雫が陽に照らされて、きらきら光りよった。
【了】
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前話です▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」/「坂の途中で、風がふたつ、重なった気がした」
第41話:「しっとりした石畳と、優しき声と」/「言えんままのありがとう」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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