【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第6話「わたしをほどく音」/「がんばりすぎた音がする」)

サイドB:「わたしをほどく音」——ぶんちゃんと、放課後の坂道で
部活終わりの帰り道は、夕日がにじんでまぶしかった。
ラケットの重さが肩に食い込む。
制服のシャツは汗で背中に張りついて、風が吹くと少しだけ気持ちよかった。
わたしは、佐世保にある県内有数の坂の上の進学校に通っとる。
テストは、学年順位が毎回張り出される。
部活も、表彰ばかりが評価される。
「がんばるのが当たり前」って、空気の中で生きとる。
でも、たまに思う。
——がんばるの、ちょっと疲れたな。
自宅に続く、長い長い階段坂。
途中で、見覚えのある猫が石垣の上に、ちょこんと座っとった。
白と茶色のぶち。
ふわふわの毛。
堂々としとるくせに、やさしか目。
「……ぶんちゃん?」
うちの学校の子たちの間では、ちょっとした都市伝説になっとる。
「ぶんちゃんに出会ったら、何かが変わる」とか、
「ぶんちゃんは、人の疲れを見抜くらしか」とか。
わたしは、なんとなくその前にしゃがみ込んだ。
ぶんちゃんは、にゃーとも鳴かん。
でも、しっぽをふわっと揺らして、こっちを見た。
わたしは思わず言ってしまった。
「今日ね、部活でミスしたとよ。
試合前やけん、みんなピリピリしとって……
ちょっと怒られたけど、ほんとは……わたし、そんなに強くなかと。」
ぶんちゃんは、石垣を飛び降り、ゆっくり近づいて、わたしの足元に体を預けてきた。
びっくりした。
でも、あったかくて、やわらかくて、なんか泣きそうになった。
「……がんばらんで、よか日もあるとかな」
風が吹いた。
蝉の声が少しずつ遠のいていく。
制服のすそがふわっと揺れて、心のなかも、すこしほどけた気がした。
そのまましばらく、ぶんちゃんと階段の途中に座っとった。
時間が、ゆっくりになった気がした。
やがて、ぶんちゃんが立ち上がった。
しっぽをピンと立てて、スタスタと夕暮れの階段を下っていった。
わたしは立ち上がって、ラケットを背中に背負い直した。
「よし、今日はアイス買って帰ろ」
帰り道。
心がちょっと軽くなった気がした。
がんばるわたしも、がんばれないわたしも——
どっちも「わたし」って、ぶんちゃんが言ってくれた気がするけん。
登り切った階段坂の上から振り返ったとき、
ぶんちゃんはもう、どこにもおらんやった。
——でも、いいとよ。
また疲れたら、きっと、あの子は現れてくれるけんね。
【了】
サイドA:「がんばりすぎた音がする」——ぶんちゃんの放課後記
おれは猫。ぶんちゃん。
坂の町を、気の向くままに歩いとる。
今日は、学校の近くの坂道階段をふらっと通った。
遠くから、すこしだけぎこちない足音が聞こえてきたとよ。
トン、トン……シュッ、トン。肩に重かカバン、息もちょっと浅か。
——がんばりすぎた音がする。
しばらくして、坂の下に人影が見えた。
高校の制服。ラケットバッグ。汗ばんだ額。
——あの子やね。
おれは、石垣の上に座って待っとった。
彼女は、おれを見つけて目を丸くした。
「ぶんちゃん……」って、小さくつぶやいたとが聞こえた。
おれのこと、知っとるらしか。
しゃがみ込んで、目線ば合わせてきた。
しばらくの間、なんも言わんかったばってん、
その沈黙は、なんかあったかかった。
それからぽつりぽつりと話し始めた。
「今日ね、部活でミスしたとよ……
強くなかのに、強く見せんといかんのが、きつかと。」
そういう声は、風にまぎれることが多かとよ。
でも、おれにはちゃんと聞こえる。
だから、そっと足元に寄って、体をあずけてみた。
びっくりしとったばってん、すぐに、手がふわっとおれの背中ば撫でた。
——やっと、ほどけたね。
がんばるのはえらかこと。
でも、ときどき、がんばりすぎて“自分”のことを忘れてしまう人がおる。
そんとき、おれは、そっと思い出させに来るとよ。
「そのまんまで、よかとよ」って。
しばらくいっしょに座っとった。
夕日が、坂のアスファルトをオレンジに染めて、
風が、制服のすそを揺らしとった。
やがて、おれは立ち上がった。
しっぽばぴーんと立てて、ふたたび坂を下り始めた。
彼女は、背中で言った。
「……よし、今日はアイス買って帰ろ」
それで、よかとよ。
夕暮れの中、おれはときどき振り返りながら歩いた。
がんばるあの子の背中が、ちょっとだけ軽くなっとるのを見届けながら。
——おれは猫。
でも、ときどき、誰かの“素の顔”を思い出させる、
そがん役目も持っとるとやろね。
また誰かが疲れたら、おれは現れるけん。
音のしない足音で、そっと、寄り添いに行くけん。
【了】
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シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第9話:「ただいま、を言えない夜」/「ちゃんと“父親”になれるだろうか」
第10話:「魚の声、親父の背中、猫の足あと」/「親父の店に、立つ。」
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第12話:「あたたかいしっぽのとなりで」/「においの奥にある、遠い山の気配」
第13話:「夜の出口で待っとった」/「わたしに戻る数分間」
第14話:「まだ鳴りきらん音の前で」/「ごめん。でも、ありがとう」/「残るって、逃げることですか」
第15話:「黙して祈る人の横にて」/「祈る者の祈り」
第16話:「静けさが汗に変わる前に」/「今日もおるね、ぶんちゃん」
第17話:「のれんを上げる理由」/「ぶんちゃん、ここはまだ終わっとらんとよ」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第19話:「鳴かぬ勝者と、笑わぬ道化」/「上から見える距離、下から届く匂い」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第21話:「境界にいる者」/「出発も到着も、においでわかるけん」
第22話:「転んでも、目だけは前を向いとる」/「できたって、言いたかったんだ」
第23話:「音が出ん日も、聴こえとる者はおるけん」/「音の向こうに、心があるばい」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」
第25話:「今日は、箒の音がしなかった」/「あいつが黙っとると、庭が少し広くなる気がした」
第26話:「鈴の音は聞こえんでも、風はまだ吹いとるけん」/「鈴の音はせんでも、ここには想いのにおいが残っとる」
第27話:「ここに、確かに誰かがおったけんね」/「おったけんね」
第28話:「あの手が、やさしかったけん」
第29話:「干した網のにおいと、黙っとるやさしさと」/「なんも言わんでも、通じとるもんがあるとたい」
第30話:「おまわりさんで、よかったばい」/「帽子の影に、やさしか気配があったとよ」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga

略歴:九州の国立大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
🧭 読んだあと、あなたの中に“新しい見方”がひとつ芽生えるような。そんな記事をお届けできたらうれしいです。
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