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【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第7話「その手を、ほどく日」/「わからんままのわたし」)

ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色

サイドA:「その手を、ほどく日」——ぶんちゃんと、新人介護福祉士の物語

 おれは猫。ぶんちゃん。
 この町に住んどる人間の、誰にも気づかれん声ば拾いながら歩いとる。

 今日、おれがふらりと入ったのは、町外れにある介護施設。
 コンクリートの外壁、花壇にはマリーゴールド。
 中から聞こえてきたのは、笑い声と、少しのため息。

 

 おれが中庭に入ると、ちょうどひとりの若者が裏口から出てきた。
 名札には、「田中 美咲(たなか みさき)」と書いてある。
 まだ若い。制服がちょっとぶかぶかで、エプロンのひもも固結びになっとらん。

 

 ベンチに腰を下ろして、大きく息をついた。

 「……疲れたぁ……」

 その声には、体よりも心の方が疲れとる気配があった。

 

 おれは、静かに近づいて、美咲の足元に座った。

 

 「ん……? 猫?」

 最初はちょっと驚いたけど、すぐに目がやさしくなった。

 「こがんとこにも猫、来っとね……」

 

 美咲は、就職して三ヶ月目の新人介護福祉士。
 介護の仕事は「やりがいがある」「誰かのためになる」って思って選んだ道。
 けれど、現場は、想像以上に大変だった。

 言葉が通じない入居者さん、突然の夜勤、
 そして、笑顔で接しても返ってくるのは無表情なままの人。

 

 「ねえ、ぶんちゃんって知っとる?」

 おれのことをそう呼んだ。

 「近くの小学生が教えてくれたんだ。
  “ぶんちゃんはね、困ってる人んとこに、なんも言わんでに来てくれるとよー”って。
  ……それ、今日のわたしのこと?」

 

 おれは、何も言わずに、ぺたりと横になった。
 彼女の足の甲に、そっと頭をのせる。

 そう。今日のあなたのことたい。

 

 美咲はぽつりぽつりと話し始めた。

 「昨日ね、認知症の利用者さんが、わたしの手ばぎゅって握ったと。
  なんか苦しそうで……。
  でも、わたし、どがんしたらよかったかわからんで……」

 

 ——その“わからん”が、いちばん大事たい。

 

 おれはただそこにおった。
 彼女の声に、にゃーとも返さず、ただ、時間を共有した。

 

 沈黙のあと、美咲がふっと笑った。

 「ありがとね。……誰かに“わからんままでいてよかよ”って言ってもらいたかったとかも」

 

 そう。それで、よかとよ。

 介護も、人も、猫も、すぐにはわからんもんばかりたい。

 

 その日の夕方、美咲はもう一度、あの入居者さんの部屋に入った。
 また手を握られたけど、今度は自分から、もう一方の手を添えた。

 

 「だいじょうぶです。ここにいますよ」

 

 その声が、前より少しだけ、自分自身にも届いとった。

 

 おれは、施設の裏の花壇に座って、その姿を見送った。

 

 ——おれの出番は、ここまでたい。

 だれかが、「わからんままでも歩いていい」と思えたら、
 それだけで、じゅうぶん届いた証やけんね。

 

 今日もまた、誰かの手のひもが、少しゆるまった気がした。

【了】



サイドB:「わからんままのわたし」——新人介護福祉士・美咲の記録より

 風が吹き抜ける中庭に出た瞬間、なんだか涙が出そうになった。

 大きく深呼吸しても、胸の中は晴れんままで。
 名札の裏が汗で湿ってるのが、いやに気になった。
 ああ、今日もやってしまったな……って。

 

 わたしは、介護施設で働き始めて三ヶ月目の新人。
 地元の短大の福祉コースを出て、夢だった現場に立ってる。

 “人を支える仕事”
 “ありがとうって言われる仕事”
 そんな言葉に憧れて、ずっと目指してきた。

 

 ——なのに、現実は、ちがった。

 

 今日は、認知症の入居者さんが突然怒り出して、
 わたしの名前を間違えて叫んだ。

 「帰らんばい!あんた、わたしば閉じ込める気ね!」

 

 わたしは、怖かった。どうしていいかわからんかった。
 とっさに手を差し出したら、ぎゅうって握り返されて——
 その手が、冷たくて、でもすごく、力がこもっとって。

 

 ……あのとき、わたし、なんもできんかった。

 

 そんなことを考えながら、ベンチに腰かけた。
 ぐったりした心が、体まで重くしとる気がした。

 

 「……はあ、疲れた……」

 思わずこぼれた言葉が、風に消えていったそのとき。

 

 足元に、ふわっと影が差した。

 見ると、猫が一匹。
 茶色と白のぶち模様。堂々とした姿。
 でも、目がやさしかった。

 

 「……猫……?」

 その子は、わたしの顔をまっすぐ見たあと、
 まるで「よかとよ、ここにおってよかとよ」とでも言うように、足元に体を預けてきた。

 

 びっくりして、でも、うれしくて。
 そっと頭をなでたら、ぬくもりが手に伝わってきて——

 なんか、その瞬間、心の奥のかたまりがすこし、ほぐれた気がした。

 

 「ねえ、ぶんちゃんって知っとる?」

 わたしは話しかける。

 「近くの小学生が教えてくれたんだ。
  “ぶんちゃんはね、困ってる人んとこに、なんも言わんでに来てくれるとよー”って。
  ……それ、今日のわたしのこと?」

 

 わたしは、ぽつぽつと話しはじめた。

 「わたし、まだ“介護”がようわからんとよ。
  人と向き合うって、どがんすればよかとやろって。
  毎日が“正解のなかテスト”ば受けよるみたいで」

 

 猫は何も言わんかった。
 ただ、そばにおってくれた。
 わたしの言葉が風に乗って消えていっても、ちゃんとそこにいてくれた。

 

 ……わからんままでも、よかと?

 

 それを許してくれる時間が、ただただ、うれしかった。

 

 その日の夕方、わたしはもう一度、あの入居者さんの部屋に入った。
 また、手を握られた。ぎゅっと。

 でも、今度は、怖くなかった。

 そっと、もう一方の手を重ねて、笑って言えた。

 「だいじょうぶです。ここにいますよ」

 

 返事はなかったけど、表情が、すこしだけやわらいだ気がした。

 

 ——あれが、ぶんちゃんがくれた“ヒント”だったのかもしれない。

 

 わたしは今も、まだ毎日迷いながら働いとる。
 けど、ときどき、ベンチに腰かけて、そっと思い出す。

 

 足元にあった、あったかい毛並みと、静かな気配。

 

 あのときのぶんちゃんが、「それでよか」って言ってくれた気がしたから。
 わたしは、また明日も、わたしなりのやり方で向き合っていこうと思う。


【了】



前話です▼


シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)

  • 第1話:「坂ん上の猫」/「配達係のミッション」

  • 第2話:「坂ん下の手紙屋さん」/「ことばの花屋さん」

  • 第3話:「しっぽの地図」/「しっぽの矢印」

  • 第4話:「まっとるけんね」/「風のかおり、カレーの音」

  • 第5話:「しっぽのガイドさん」/「A Cat in Sasebo」

  • 第6話:「わたしをほどく音」/「がんばりすぎた音がする」

  • 第7話:「その手を、ほどく日」/「わからんままのわたし」

  • 第8話:「あのとき、わたしが泣いた理由」/「母の心、子の手のぬくもり」

  • 第9話:「ただいま、を言えない夜」/「ちゃんと“父親”になれるだろうか」

  • 第10話:「魚の声、親父の背中、猫の足あと」/「親父の店に、立つ。」

  • 第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」

  • 第12話:「あたたかいしっぽのとなりで」/「においの奥にある、遠い山の気配」

  • 第13話:「夜の出口で待っとった」/「わたしに戻る数分間」

  • 第14話:「まだ鳴りきらん音の前で」/「ごめん。でも、ありがとう」/「残るって、逃げることですか」

  • 第15話:「黙して祈る人の横にて」/「祈る者の祈り」

  • 第16話:「静けさが汗に変わる前に」/「今日もおるね、ぶんちゃん」

  • 第17話:「のれんを上げる理由」/「ぶんちゃん、ここはまだ終わっとらんとよ」

  • 第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」

  • 第19話:「鳴かぬ勝者と、笑わぬ道化」/「上から見える距離、下から届く匂い」

  • 第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」

  • 第21話:「境界にいる者」/「出発も到着も、においでわかるけん」

  • 第22話:「転んでも、目だけは前を向いとる」/「できたって、言いたかったんだ」

  • 第23話:「音が出ん日も、聴こえとる者はおるけん」/「音の向こうに、心があるばい」

  • 第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」

  • 第25話:「今日は、箒の音がしなかった」/「あいつが黙っとると、庭が少し広くなる気がした」

  • 第26話:「鈴の音は聞こえんでも、風はまだ吹いとるけん」/「鈴の音はせんでも、ここには想いのにおいが残っとる」

  • 第27話:「ここに、確かに誰かがおったけんね」/「おったけんね」

  • 第28話:「あの手が、やさしかったけん」

  • 第29話:「干した網のにおいと、黙っとるやさしさと」/「なんも言わんでも、通じとるもんがあるとたい」

  • 第30話:「おまわりさんで、よかったばい」/「帽子の影に、やさしか気配があったとよ」


あとがき

この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。

私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
 主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
 町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者


プロフィール|Kazuomi Matsunaga

略歴:九州の国立大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
🧭 読んだあと、あなたの中に“新しい見方”がひとつ芽生えるような。そんな記事をお届けできたらうれしいです。
📮 感想や応援メッセージ、いつでも大歓迎です!


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Kazuomi Matsunaga🍀 「クリエイティブの世界へようこそ!」 創造・表現することが好きで、日々新しいものを生み出しています。応援が次の創作の力になります!

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