【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第21話「境界にいる者」/「出発も到着も、においでわかるけん」)

サイドB:「境界にいる者」
——佐世保駅 駅長の手記より
ここは佐世保駅。
JR九州の佐世保線と、第三セクター・松浦鉄道西九州線。
どちらの路線も、ここが終点であり、始発駅でもある。
そしてこの駅は、高架の上に広がる、ふたつの鉄道が交差する乗換ターミナルでもある。
改札を抜け、エスカレーターを上がると、
どちらのホームにも行ける構造。
そのおかげで、毎朝の混雑は、思った以上に“人のリズム”をよく映す。
通勤のサラリーマン、制服の学生、旅行者、そして地元の顔なじみ。
それぞれ違う路線に乗りながらも、一瞬、同じ場所に立つ。
この駅は、そういう“すれ違い”を内包した場所なのだ。
——そして、そんな交差点のような場所に、
“もうひとつの通勤者”がいる。
猫だ。名前は「ぶんちゃん」。
誰が名付けたのかは知らない。
でも、朝の改札の空気が動く頃、
かならず現れる。
今朝も、駅東口からコンコースに入ってきた。
知らんふりしていると、いつものようにJRの改札を潜り抜けてくる。
「おはよう、ぶんちゃん。今日も時刻通りだな」
声をかけても、返事はもちろんない。
でも、わたしの声が届いたのはわかる。
しっぽの先が、ぴんと立つ。
本来なら追い出すべきだが、なぜだろう、
この猫には、そうさせない、
しなくても良いと思わせる雰囲気がある。
前任の駅長からの引継ぎでもある。
「ぶんちゃんは……まあ、招き猫、福猫みたいなもんやけん」
新人の頃に指導を受けた、規律に人一倍厳しい先輩でもあったから驚いた。
ただ実際、利用者から苦情がきたこともない。
そのまま2番線の階段を上っていくのが見えた。
松浦鉄道のホームのほうへ歩いていくのだろう。
そっと見送った。
この駅は、“動線”の多い場所だ。
けれど“目的地”はひとつじゃない。
JRのホームに向かう人、
松浦鉄道で伊万里や平戸へ向かう人、
ショッピングモールやバスセンターに立ち寄る人。
——そして、ただぶんちゃんに会いに来る人も、確かにいる。
この猫は、線路を越えず、駅構内だけで行き来する。
それなのに、人と人の“境目”に寄り添うように立っている。
たとえば、
転勤の朝、重たいキャリーケースを引く背中のそばに。
部活帰り、今日の試合の話に夢中な高校生たちの靴音のそばに。
ホームの端っこに座るぶんちゃんを見て、
乗客が「おっ、今日もおる」と笑う瞬間が好きだ。
私たち駅員が毎朝点検する時刻表のように、
ぶんちゃんの存在は、
町の人の“こころの時刻”を整えているのかもしれない。
列車が発車し、ホームが一瞬だけ静かになる。
そのタイミングで、ぶんちゃんがゆっくりと歩き出す。
エスカレーターの音、アナウンスの声、
発車ベルの余韻。
どれも日常のはずなのに、
ぶんちゃんの動きと重なると、不思議と意味が生まれる。
——この駅は、終点でもあり、出発点でもある。
ぶんちゃんは、その境界にずっといる。
わたしたちが気づかんうちに、
“誰かの今日”が動き出すきっかけになっとるのかもしれん。
次の列車のベルが鳴る。
改札に、また人の流れが戻ってくる。
わたしも、持ち場に戻ろう。
今日も、ぶんちゃんは時刻通り。
それだけで、この駅の朝は、ちゃんと始まる。
【了】
サイドA:「出発も到着も、においでわかるけん」
——ぶんちゃん、佐世保駅にて
おれは猫。ぶんちゃん。
佐世保駅の1階、ちゃんぽん屋が並ぶ、”ろくてん通り”の陰から一日が始まる。
駅舎が建て替わる前は、駅とバスセンターをつなぐ地下通路にあった人気店らしか。
いまは営業前なので、のれんも下ろしている。
この駅は、ちょっと特別たい。
上のホームに上がれば、
JRの列車と松浦鉄道のディーゼル車が、
まるで仲良く肩を並べるように停まっとる。
どっちもここが終点。
ばってん、ここから新しく乗る人もおる。
つまり——終わりと始まりが、毎分、交差しよる場所ってことたい。
おれはその“におい”がわかる。
到着のにおいは、ちょっと湿っとって、
出発のにおいは、少しだけ鋭か。
佐世保バーガー屋の前をすり抜けて、
何食わぬ顔でコンコースに入る。
コンビニの女子店が手を振ってくるのも、いつもんことたい。
ちらっと眼だけ向けておく。
JRの改札をくぐったとき、駅長さんが、
制服の襟をちょいと直しながら言った。
「今日も時刻通りかね、ぶんちゃん」
おれは、軽くしっぽを立てて返す。
ここで“返事せんこと”が、なんとなく合図になっとる。
構内に入ることを黙認する約束でもある。
駅長さんの声は、朝のホームに似合っとる。
たまにちょっと疲れた日もあるけど、
誰よりも早くホームを歩き、
誰よりも遅く発車ベルを見送る。
そんな人の“声の温度”は、おれにもちゃんと伝わってくる。
エスカレーターの横の柱の影に入ると、
登校中の高校生が笑いながら通っていく。
「ぶんちゃん、今日も出勤ね」
「こいつ、いつもおるよな」
「なでたら試験受かるって噂あるけんね」
ふっ……そんなオカルト、知らんばってん、
なでられて困ることもない。
2番線の階段を上り、ホームに出ると、
しれっと松浦鉄道のほうのホームまで歩き、
柱のすみっこに座る。
このあたりは風が通って気持ちよか。
あるとき、若い男がホームに立っとった。
スーツ姿、キャリーケース。
足元が落ち着かん感じが、すぐわかる。
ホームの向こうの港を眺める視線が遠い。
転勤か、あるいは帰省から職場の街へ戻る途中か。
どちらにせよ、この町を離れる覚悟のにおいがしとった。
そのとき、おれはそっとその足元に近づいた。
なにも言わん。ただ、そこに“おるだけ”。
男は一瞬驚いたようやったけど、すぐに笑った。
「……なんか、癒されるな。佐世保って、こがん町やったな」
ディーゼル車が、エンジン音を低く響かせながら入線してくる。
おれは、しっぽをひと振りして、
また構内へと歩き出す。
この駅は、人が“動き出す瞬間”がいちばんにおう。
駅長さんも、それをわかってるけん、
いつも静かにそれを見送る。
おれもまた、ただ見送る。
においと気配と、声にならん想いを感じながら。
佐世保駅。
それは、列車の終点であり、
人の想いの「乗換駅」でもあるとたい。
【了】
※ フィクションです。普通は駅ホームへ勝手に猫は入ってはいけません!
前話です▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第21話:「境界にいる者」/「出発も到着も、においでわかるけん」
第22話:「転んでも、目だけは前を向いとる」/「できたって、言いたかったんだ」
第23話:「音が出ん日も、聴こえとる者はおるけん」/「音の向こうに、心があるばい」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」
第25話:「今日は、箒の音がしなかった」/「あいつが黙っとると、庭が少し広くなる気がした」
第26話:「鈴の音は聞こえんでも、風はまだ吹いとるけん」/「鈴の音はせんでも、ここには想いのにおいが残っとる」
第27話:「ここに、確かに誰かがおったけんね」/「おったけんね」
第28話:「あの手が、やさしかったけん」
第29話:「干した網のにおいと、黙っとるやさしさと」/「なんも言わんでも、通じとるもんがあるとたい」
第30話:「おまわりさんで、よかったばい」/「帽子の影に、やさしか気配があったとよ」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga

略歴:九州の国立大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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