【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第14話「まだ鳴りきらん音の前で」/「ごめん。でも、ありがとう」/「残るって、逃げることですか」)

サイドA:「まだ鳴りきらん音の前で」
——ぶんちゃんと、島瀬の夜の若者たち
おれは猫。ぶんちゃん。
夜の佐世保の島瀬公園は、人の夢とため息が入り混じる場所たい。
とくにこの時間、楽器ケースを抱えた若者がぽつぽつ集まってくる。
今夜もまた、2人の青年が、公園のステージ前のベンチに座っとった。
ギターを持つ痩せた子と、カホンを足元に置いたがっちりした子。
2人は、高校の頃からここで音楽ば奏でてきたらしか。
ばってん今夜は、音が鳴らん。
ギターは袋に入ったまんま。
会話の合間には、風の音ばっかりが鳴っとる。
痩せた方がぽつりと言うた。
「……東京、行こうと思っとる。
もう、ここじゃできんこともあるけん」
もう一人の子は、言葉を飲み込んだまま、うつむいた。
しばらくして、やっと出た声は、
どこか、自分にも言い聞かせるような響きやった。
「母ちゃん、倒れてからバイト増やしたけど、
正社員にならんと、保険も難しかけん……。
……俺は、佐世保に残るかもしれん」
おれは、その間に、そっと彼らの足元に現れた。
猫の足音は軽かけん、彼らは気づかんまま、話し続けとった。
「わかっとるよ、止めんけん。
行きたいなら、行け。……ただ、ちょっとだけ、さみしか」
それを聞いた痩せた方が、黙っていたギターをケースから出した。
そして、ポロロン、とコードをひとつ鳴らした。
島瀬の夜に、その音がすーっと沁みていった。
もう一人も、カホンに手を置いた。
少し迷って、それでも、ぽん、と一拍叩いた。
——音は、まだ一緒に鳴るとよ。
おれは2人の間に、ちょこんと座った。
すると、やっと彼らが気づいた。
「あ、ぶんちゃんやん」
そう呼ばれるのは、今日で何度目やろうか。
でも、その声がちょっと笑顔混じりだったけん、
おれはゆっくりまばたきして返した。
2人は、それから一曲だけ、音を合わせた。
やさしくて、切なくて、未来のどっちにも寄りかからん歌。
おれはその間、動かずにじっと聴いとった。
この瞬間だけは、夢も現実も、誰のことも責めん時間やけん。
曲が終わったあと、2人はぽつぽつ話し出した。
「また、ここで一緒にやろうや。
1人になっても、帰ってこれる場所があるって、大事やけん」
「……そやな。帰ってくるけん、そのときも、まだ歌いよってくれ」
彼らは手を合わせた。
その手の中に、どちらも“未完成の約束”を込めたようやった。
おれは、立ち上がってしっぽをぴんと立てた。
2人は笑って、「またな、ぶんちゃん」と言った。
——夢の音と、家族の声と、町の現実。
その全部のあいだで揺れながら、
それでも、まだ音を鳴らそうとする2人のそばに、
おれは、そっとおった。
たった1曲のために。
1人の夢が、もう1人を置いてゆかんように。
【了】
サイドB:「ごめん。でも、ありがとう」
——島瀬の夜、旅立ち前の僕の記録
島瀬公園のベンチは、あいかわらず冷たかった。
でも、あの場所に座ると、身体の奥が火照るような気がする。
高校んときから、何度ここで音を鳴らしたやろう。
ストリートライブの練習、曲作り、意味のないダベり。
音楽のはじまりも、悩みの終わりも、ぜんぶここにあった。
「東京、行こうと思っとる」
そう言った瞬間、手の中が汗ばむのがわかった。
言葉にしたことで、自分の“背中”が決まってしまった気がして。
相方のマサキは、目を伏せたまま、しばらく何も言わんやった。
でもわかっとった。
あいつがいま、どんなふうに胸の中をぐるぐるさせとるか。
マサキのお母さん、倒れてからずっと調子が悪い。
看病とバイトの掛け持ちで、
「もう、音楽は趣味でええかな」って、ぽつりと言ってたのも聞いた。
「俺は……佐世保に残るかもしれん」
そう言ったマサキの声が、
遠くの波の音みたいやった。
近くにおるのに、届きにくくて。
ふたりとも何も言えんまま、しばらく黙っとった。
そのとき、足元に、ひとつの気配が現れた。
「ぶんちゃんやん」
白と茶のぶち模様の猫。
いつからか、夜の佐世保に“ふっと現れる”って噂になっとる猫。
でもほんとにおったんやなって、
このとき初めて、信じた。
ぶんちゃんは、何も言わん。
でも、俺とマサキの間にすっと座って、
まるで「今のままで、ええよ」って言っとるみたいやった。
ギターのケースを開けた。
マサキも、カホンに手を置いた。
何を話せばいいか分からんとき、
俺らは、音を鳴らすしかできんかった。
一曲だけ弾いた。
ずっと前に作った、でも一度も人前で歌ったことがない曲。
——夢が、どこかに流れていきそうな夜に、
「一緒にいた日々」がちゃんと残るように。
曲が終わって、ふたりとも笑った。
さびしい笑いやったけど、ちゃんと笑えた。
「またここでやろうや。1人になっても、帰ってこれる場所があるけん」
マサキの言葉に、
俺は初めて「旅立つ自分」が許された気がした。
ぶんちゃんは、立ち上がって、しっぽをぴんと立てた。
それだけで、俺は“だいじょうぶ”って言われた気がした。
夢ば追いかけるって、
誰かを置いていくことになるんやね。
でも、その背中を見送ってくれる誰かがいるって、
どれだけ心強いことか。
東京に行く前の夜、
俺はここで、ちゃんと「ごめん」と「ありがとう」が言えた。
だから、たとえ夢がかなわんかったとしても、
この町に、あの夜のぶんちゃんがいたことだけは、
きっと一生、忘れん。
【了】
サイドB’:「残るって、逃げることですか」
——マサキの夜、島瀬公園にて
ギターの音が鳴る前から、俺は答えを出してた気がする。
あいつが「東京、行こうと思っとる」って言ったとき、
正直、驚かなかった。
むしろ、やっぱりなって思った。
高校の頃から一緒に音楽してきた。
アーケードの人通りが減った夜に、何度もここでセッションした。
音楽は、俺たちの言葉で、居場所だった。
でも、最近は、音を鳴らすたびに心が揺れとった。
母ちゃんが倒れてから、バイトを増やして、
家のこともやって、気づいたらギターに触れる時間がなくなっとった。
あいつの夢は、ちゃんと前を向いとる。
でも俺は、同じだけの熱を持ててない気がしてた。
だから、「俺は、佐世保に残るかもしれん」
そう言ったとき、自分の声がどっか遠くで響いてるように聞こえた。
ふたりの間に沈黙が落ちた。
でもその静けさが、なぜか心地よかった。
そのとき、足元にふわっと現れたのが——ぶんちゃん。
あいつがふたりの間にちょこんと座った瞬間、
なんか、力が抜けた。
何も言わんで、ただそこにおるだけの存在。
でも、不思議と「これでいい」と思わせてくれる空気をまとっとった。
俺は、カホンをそっと叩いた。
あいつは、ギターを鳴らした。
あの曲は、まだタイトルもなかった。
でも、たった一曲でわかる気持ちってあるんやな、って思った。
「またここでやろうや」
俺がそう言えたのは、ぶんちゃんがそこにおったからかもしれん。
ほんとは、ちょっとずつずれていく2人がこわかった。
でも、“帰ってくる場所を残す側”って役割もあるのかもしれんと思えた。
夢ば追う人もおれば、夢ば見送る人もおる。
どっちが正しいとか、強いとかじゃなくて、
ただ、そいつの物語のなかで、必要な選択なんやろう。
ぶんちゃんは立ち上がって、しっぽを立てた。
それはまるで、「おまえも、よう言うた」って言ってくれとるみたいやった。
俺は、あいつに「がんばれ」とは言わんやった。
その代わり、「また一緒にやろう」って言った。
それが精一杯のエールやった。
あの夜、島瀬公園に吹いとった風のことは、
たぶん一生忘れん。
ぶんちゃんの目が、静かに肯定してくれた気がするけん。
——残るって、逃げることやろか?
いや、たぶんちがう。
支えることや、待っとくことも、勇気のひとつやけんね。
俺は、まだこの町におる。
そして、たぶんこれからも、ここで音を鳴らし続ける。
誰かが、帰ってきたときのために。
【了】
前話です▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第14話:「まだ鳴りきらん音の前で」/「ごめん。でも、ありがとう」/「残るって、逃げることですか」
第15話:「黙して祈る人の横にて」/「祈る者の祈り」
第16話:「静けさが汗に変わる前に」/「今日もおるね、ぶんちゃん」
第17話:「のれんを上げる理由」/「ぶんちゃん、ここはまだ終わっとらんとよ」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第19話:「鳴かぬ勝者と、笑わぬ道化」/「上から見える距離、下から届く匂い」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第21話:「境界にいる者」/「出発も到着も、においでわかるけん」
第22話:「転んでも、目だけは前を向いとる」/「できたって、言いたかったんだ」
第23話:「音が出ん日も、聴こえとる者はおるけん」/「音の向こうに、心があるばい」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」
第25話:「今日は、箒の音がしなかった」/「あいつが黙っとると、庭が少し広くなる気がした」
第26話:「鈴の音は聞こえんでも、風はまだ吹いとるけん」/「鈴の音はせんでも、ここには想いのにおいが残っとる」
第27話:「ここに、確かに誰かがおったけんね」/「おったけんね」
第28話:「あの手が、やさしかったけん」
第29話:「干した網のにおいと、黙っとるやさしさと」/「なんも言わんでも、通じとるもんがあるとたい」
第30話:「おまわりさんで、よかったばい」/「帽子の影に、やさしか気配があったとよ」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga

略歴:九州の国立大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
🧭 読んだあと、あなたの中に“新しい見方”がひとつ芽生えるような。そんな記事をお届けできたらうれしいです。
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