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【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第9話「ただいま、を言えない夜」/「ちゃんと“父親”になれるだろうか」)


ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色

サイドA:「ただいま、を言えない夜」
——ぶんちゃんと、仕事帰りのお父さん

 夜の町は、よう冷えとった。
コンクリのにおいも、車のタイヤの音も、風でちいさう聞こえるけん、耳ばすませながら歩くとよ。

 

おれは猫。ぶんちゃん。

 

この町をよう歩くけん、いろんなにおいを知っとる。
甘いパンのにおい、酒と涙のにおい、誰かが泣いたあとみたいな風のにおい。
中でも、おれが立ち止まってしまうのは——
「帰ってきとるのに、心が帰っとらん」そがんにおいのとこ。

 

その夜もそうやった。

コンビニの前、冷えた缶コーヒーを持った男がひとり。
ネクタイゆるめて、スマホをじーっと見とるけど、目ぇは、見てなかった。

眉がちょっと下がってて、目の下には黒いくま。
スーツのしわと一緒に、いろんな“つかれ”がにじんどった。

 

おれは、そっと足元に座った。

最初は気づかれんやったけど、しばらくして、彼がふっと息をついて顔を上げた。

 

「……猫?」

 

やさしか声やった。
気持ちが凍っとった人が、すこしだけぬくもりを思い出した時の声。

 

おれを見ながら、彼はちょっとだけ笑った。
ばってん、すぐに目を落として、ぽつりとつぶやいたと。

 

「今日も、帰ったらもう寝とるかな……息子」

 

その言葉の奥に、知っとるにおいがあった。
——“あの子の父ちゃん”のにおい。

 

あの日、彼は家族と出かける約束をしてたとに、急な仕事で艦艇の公開に行けんやった。
楽しみにしとった息子さんは、お母さんと行った。
おれもそばにおって、彼がひとり迷子になっとるのを見とったけん、すぐにわかった。

 

その日から、彼の心は、
どこか“うち”に戻りきれてなかったっちゃなかろうか。

 

家族のために働いてる。
その思いに嘘はなか。ばってん、“家族の時間”には、おらんかった
それが静かに、胸をしめつけとるように見えた。

 

「いつか、ちゃんと父親になれるんかな……」

 

誰にも届かんような、その言葉。
ばってん、おれにはちゃんと、聞こえとった。

 

だから、おれはそっと、
彼の膝の上に前足を置いた。

びっくりした顔。けど次の瞬間、
彼はゆっくり目を閉じて、深く、深く息ば吐いた。

 

おれの役目は、そんだけたい。
“父親”でも“働き手”でもない、
ただの“ひとりの人”に戻る時間ば、ひとときだけ、届けられればよか。

 

男は立ち上がって、缶コーヒーばゴミ箱に投げ入れた。
空ば見上げて、ぽつりとつぶやいた。

 

「……今日は帰ったら、寝顔に“ただいま”だけでも、言おうかな」

 

おれはしっぽを、ゆるりと揺らした。
それが「おかえり」とも、「それでよかよ」とも、伝わったらいい。

 

家族のそばにおるつもりで、
いちばん遠か場所におった人。

でも、気づいた人は、もう迷子やなか

 

おれはまた、静かな夜の町へと歩き出した。
風の向こうにおる、次の“見えん迷子”のにおいを探しに。

 

【了】



サイドB:「ちゃんと“父親”になれるだろうか」
——ある夜の記録


仕事が終わったのは、今日も22時をまわっていた。
メールをすべて返し終えたとき、思わず深いため息がもれた。
「あと1本だけ電話しておくか……」
そう思ってスマホを手に取ったとき、ふと目に入ったのは、ロック画面の写真だった。

 

——去年、家族で地元の水族館に行ったときのもの。
クラゲを見て無邪気に笑う息子。
……最近、あんな顔をちゃんと見た覚えがない。

 

仕事は、家族のため。
そう信じてきた。
でも気づけば、“家族の時間”の中に自分の姿がない日が増えている。
そのことに、ようやく気づき始めていた。

 

「……せめて、アイスでも買って帰るか」
帰り道にあるコンビニに寄り、缶コーヒーを手に外に出る。
ネクタイをゆるめ、夜風に吹かれながら、ぼんやりと立ち尽くした。

 

「今日、もう寝とるよな……息子」

 

そんなふうに独りごちた瞬間、ある出来事が脳裏をよぎった。
あの日のことだ。

 

海や船が好きな息子。
前々から楽しみにしていた、自衛隊の艦艇公開。
家族みんなで行くはずだった。

 

けれど、出発の直前。
スマホに届いた通知がすべてを変えた。

 

――先輩すみません。出先のネットワークトラブル、自分ひとりじゃ対処が難しそうです……

 

頭に浮かんだのは、休日出勤を代わってくれた後輩の顔。
同時に、新しいスニーカーを履いてワクワクしていた息子の姿。

 

「ごめん……」
そう言った瞬間、息子はすべてを察したようだった。

 

「——いいよ。おとうさん、おしごと、がんばって」

 

その日の午後、システム障害が発生した取引先で、
後輩と汗をかきながら原因切り分けに追われた。
少しだけ落ち着いたタイミングで、缶コーヒーを買いに外に出たとき、
スマホに妻からの通知が届いていることに気づいた。

 

――パパ、ごめん。ユウトいなくなった……

 

血の気が引いた。
慌てて妻に電話をかける。
通知からすでに1時間が経っていた。

 

「もう大丈夫よ、見つかったけん。猫が連れてきてくれたと」

 

電話越しの妻の声に、安堵と同時に、
「自分は何もできなかった」という無力感が重くのしかかった。

 

——あの日の“迷子”は、本当は自分だったんじゃないか。

 

そんなことを考えていたら、足元にふわりと気配がした。

 

目をやると、一匹の猫。
白と茶のぶち模様。耳に小さな傷跡。
夜の冷たい空気の中で、ただ静かにそこにいた。

 

「……猫か。こんな時間に」

 

思わず口に出したが、猫はなにも言わず、動きもしなかった。
まるで、「話したくなったら、話せばいい」とでも言うように、
夜風のような沈黙で寄り添っていた。

 

気がつけば、心の底に沈めていた言葉が、ふっとこぼれた。

 

「……家族のために、って思っとるんやけどな。
でも、なんか……気づいたら、自分だけ置いてけぼりみたいや」

 

そのとき、猫がすっと近づいてきた。
そして、小さな前脚を、わたしの膝の上にそっと置いた。

 

その重みは、驚くほどやわらかくて、あたたかかった。

 

張りつめていたものが、すっと緩むのがわかった。

 

「……ちゃんと父親になれるっちゃろうか」

 

誰に向けたわけでもない、ふと漏れた問い。
けれど猫は、ただそこにいてくれた。
黙って、否定も肯定もせず、
それでも、わたしの中のなにかに届くように。

 

やがて猫は、静かに方向を変えて歩き出した。
しっぽをゆるりと揺らしながら。
まるで、「もう大丈夫」とでも言いたげに。

 

その背中に向かって、小さく、でも確かな声でつぶやいた。

 

「……今日は、“ただいま”だけ言うて帰ろう」

 

あの子が起きていなくてもいい。
なにもできなかった夜でも、
ちゃんと“帰る”ってことが、大事な気がした。

 

——そして、いつかちゃんと向き合える日が来たら、
そのときこそ、「ただいま」の続きを話そう。

 

猫の姿は、もう見えなかった。
でも、夜風の中に、少しだけあたたかさが残っていた。

 

【了】



前話です▼


シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)

  • 第1話:「坂ん上の猫」/「配達係のミッション」

  • 第2話:「坂ん下の手紙屋さん」/「ことばの花屋さん」

  • 第3話:「しっぽの地図」/「しっぽの矢印」

  • 第4話:「まっとるけんね」/「風のかおり、カレーの音」

  • 第5話:「しっぽのガイドさん」/「A Cat in Sasebo」

  • 第6話:「わたしをほどく音」/「がんばりすぎた音がする」

  • 第7話:「その手を、ほどく日」/「わからんままのわたし」

  • 第8話:「あのとき、わたしが泣いた理由」/「母の心、子の手のぬくもり」

  • 第9話:「ただいま、を言えない夜」/「ちゃんと“父親”になれるだろうか」

  • 第10話:「魚の声、親父の背中、猫の足あと」/「親父の店に、立つ。」

  • 第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」

  • 第12話:「あたたかいしっぽのとなりで」/「においの奥にある、遠い山の気配」

  • 第13話:「夜の出口で待っとった」/「わたしに戻る数分間」

  • 第14話:「まだ鳴りきらん音の前で」/「ごめん。でも、ありがとう」/「残るって、逃げることですか」

  • 第15話:「黙して祈る人の横にて」/「祈る者の祈り」

  • 第16話:「静けさが汗に変わる前に」/「今日もおるね、ぶんちゃん」

  • 第17話:「のれんを上げる理由」/「ぶんちゃん、ここはまだ終わっとらんとよ」

  • 第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」

  • 第19話:「鳴かぬ勝者と、笑わぬ道化」/「上から見える距離、下から届く匂い」

  • 第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」

  • 第21話:「境界にいる者」/「出発も到着も、においでわかるけん」

  • 第22話:「転んでも、目だけは前を向いとる」/「できたって、言いたかったんだ」

  • 第23話:「音が出ん日も、聴こえとる者はおるけん」/「音の向こうに、心があるばい」

  • 第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」

  • 第25話:「今日は、箒の音がしなかった」/「あいつが黙っとると、庭が少し広くなる気がした」

  • 第26話:「鈴の音は聞こえんでも、風はまだ吹いとるけん」/「鈴の音はせんでも、ここには想いのにおいが残っとる」

  • 第27話:「ここに、確かに誰かがおったけんね」/「おったけんね」

  • 第28話:「あの手が、やさしかったけん」

  • 第29話:「干した網のにおいと、黙っとるやさしさと」/「なんも言わんでも、通じとるもんがあるとたい」

  • 第30話:「おまわりさんで、よかったばい」/「帽子の影に、やさしか気配があったとよ」


あとがき

この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。

私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
 主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
 町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者


プロフィール|Kazuomi Matsunaga

略歴:九州の国立大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
🧭 読んだあと、あなたの中に“新しい見方”がひとつ芽生えるような。そんな記事をお届けできたらうれしいです。
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Kazuomi Matsunaga🍀 「クリエイティブの世界へようこそ!」 創造・表現することが好きで、日々新しいものを生み出しています。応援が次の創作の力になります!