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【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第10話「魚の声、親父の背中、猫の足あと」/「親父の店に、立つ。」)




サイドA:「魚の声、親父の背中、猫の足あと」
——ぶんちゃんと、朝の市場で

 朝の市場は早い。
 まだ空が薄暗かうちから、店のシャッターがガラガラと開き始める。
 魚の匂いと氷の音。遠くでセリの声がする。
 今日も、この町の朝が始まっとる。

 

 おれは猫。ぶんちゃん。
 市場の裏手にある段ボールの上が、最近のおれの朝の定位置。
 今日も、ちょっと変わった空気を感じたけん、そっと耳ばすませてみた。

 

 そこにおったのは、まだぎこちない手つきで魚を並べよる男。
 30代くらい。エプロンも白衣も新品。
 後ろ姿は、背伸びしとるような、どこか落ち着かん感じ。

 

 名札に書かれとったのは「魚久商店 二代目 魚住 誠」。

 ——“誠”くんか。

 

 おれは、前の店主のことも知っとる。
 無口でがんこで、でも魚にはうるさかった。
 毎朝4時半に店を開けるのが日課で、
 息子には「この仕事だけは継がんでいい」って、よう言いよった。

 

 ばってん、去年倒れて入院してから、誠くんがぽつんと店を継いだ。
 元は東京で広告の仕事をしよったらしか。

 

 「親父の背中、追いたかったわけじゃなかとさ」

 そう言いながら、ぎこちない手でアジを並べていく。
 氷がうまく敷けず、トレイが傾いて魚が落ちる。

 

 「……あーもう!なんでこがん難しかとね!」

 

 苛立ちの声が、小さく市場に響いた。
 周りのベテランたちは、何も言わずに黙々と作業を続けとる。

 

 おれは、ゆっくり近づいて、氷箱の横でちょこんと座った。
 誠くんは気づいて、ちょっと驚いた顔。

 

 「……猫? こんなとこに?」

 

 「おまえ、親父がよう可愛がっとった猫やろ?」
 そうつぶやいた声に、ちょっとだけ笑みが混じっとった。

 

 彼は、ため息をつきながら座り込んで、
 「……正直、まだ逃げたか気持ちもあっとさ」
 ぽつりと本音をこぼした。

 

 「親父は、ぜんぶ一人でできとったけん。
  俺は、まだ、刺身の切り方ひとつも覚えられんし、
  常連さんには“若いだけで頼りない”って思われとる気もするし……」

 

 ——それでよかとたい。

 

 おれは、誠くんの足元に体ば預けた。
 あたたかくて、やわらかくて、言葉よりも深いとこに届くもんを、
 伝えたか気がしたけん。

 

 彼は少しだけ笑って言った。

 「……親父、おまえには弱音もこぼしとったんかな」

 

 おれは答えん。
 けど、その代わり、しっぽばゆるく揺らした。

 ——「そうかもしれんよ」、って。

 

 少しして、近くの店の大将が声をかけてきた。

 「おい誠、氷の敷き方なっとらんぞ。
  よかけん、一回見とれ。こうやるったい」

 その言い方は、ぶっきらぼうで、でもあったかかった。

 

 誠くんは立ち上がって、頭を下げた。
 「はい、お願いします!」

 

 おれは、そっと段ボールの上に戻った。
 まだ、誠くんの朝は始まったばかり。

 

 でももう、“逃げたか気持ち”には、背中が向いとる。

 

 ——おれは、今日も市場の朝に座っとる。
 父と子の間にある、魚と手と、汗のにおいのなかで。

 何も言わず、ただ、見守るだけ。
 それが、おれの朝のしごとやけんね。


【了】


サイドB:「親父の店に、立つ。」
——魚住誠のひとりごと

 氷が、思ったよりも重たい。
 手が冷たくなるより先に、腕がつりそうになる。
 それでも、朝の市場はそんなこと気にしてる暇もないくらい、忙しくて、慌ただしい。

 

 「魚久商店 二代目 魚住 誠」

 自分の名札を見ても、まだどこかピンとこない。
 3ヶ月前まで、東京で広告代理店にいた俺が、
 まさか親父の魚屋を継ぐなんて。

 

 あの日、親父が倒れて、意識が戻った病室でぽつりとつぶやいた。

 「……もう、店は閉めんといかんかもな」

 それが、あの人にとってどれだけ重い言葉だったか、
 顔を見なくても伝わった。

 

 気づいたら俺は、「俺がやる」と言ってた。
 ほんとは、覚悟なんてなかったくせに。

 

 今朝も、うまく魚が並ばなかった。
 氷が敷けずに、アジがひっくり返って落ちた。
 「ちっ……」って、思わず舌打ちが出た。

 

 情けなかった。
 親父は一人で、何十年もこの仕事をしてたのに。
 俺は、トレイ一つまともに扱えない。

 

 思わず裏に出て、しゃがみこんだ。
 エプロンにしみついた魚の匂いが、まだ好きになれない。

 「……俺、ほんとにここでやっていけるんかな」

 

 そのとき、足元にふわっと影が差した。

 猫だった。
 白と茶のぶち。
 堂々としてるくせに、なんだかやわらかい目をしてた。

 

 「……おまえ、親父がよく可愛がってた猫か?」

 どこかで聞いた名前が浮かぶ。
 「ぶんちゃん」——そう呼ばれてたはず。

 

 気まぐれに近づいてきて、俺の足元に体をすり寄せてきた。
 驚いたけど、すぐに、その温もりがじわっと心にしみた。

 

 「……なんだよ、おまえまで励ましに来たんか」

 苦笑しながら、ぶんちゃんの背を撫でた。

 手触りは、やわらかくて、あたたかくて、
 不思議なことに、誰にも言えなかった本音が、ぽろっとこぼれた。

 

 「……逃げたかって思うこともある。
  でも、逃げたら、親父が見えんくなる気がしてさ」

 

 ぶんちゃんは何も言わない。
 でも、そこにいてくれた。

 言葉じゃない安心感って、あるんだなって思った。

 

 気づけば、近くの大将が声をかけてきた。

 「おい誠、氷の敷き方なっとらんぞ。
  よかけん、一回見とれ。こうやるったい」

 俺は立ち上がって、頭を下げた。
 「はい、お願いします!」

 

 まだまだ全然だ。
 でも、この町には、ぶんちゃんがいて、大将がいて、
 そして、あの店の看板を残したいって思う俺がいる。

 

 いつか、この魚の匂いが好きになれる日が来るのかはわからない。
 でも、親父が立ってた場所に、今、自分が立っているという事実だけは——
 きっと意味があるはずだ。

 

 あの日、足元にいた猫のあたたかさが、
 “それでいい”って教えてくれた気がしてる。

【了】



前話です▼



シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)


あとがき

この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。

私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
 主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
 町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者


プロフィール|Kazuomi Matsunaga

略歴:九州の国立大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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Kazuomi Matsunaga🍀 「クリエイティブの世界へようこそ!」 創造・表現することが好きで、日々新しいものを生み出しています。応援が次の創作の力になります!

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