【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第17話「のれんを上げる理由」/「ぶんちゃん、ここはまだ終わっとらんとよ」)

サイドA:「のれんを上げる理由」
——ぶんちゃんと、アーケードの洋品店のおばあちゃん
おれは猫。ぶんちゃん。
長い長い、佐世保のアーケード商店街。
その端から端まで歩くだけでも、ひと眠りしたくなるくらい長か。
昔は、この通り、もっと賑やかやったと聞いた。
魚屋の威勢のいい声。
店先のラジオ体操。
制服の学生たち。
夕方になると、おかずの買い物で人がすれ違えんくらい混んどったらしい。
今は100均にチェーン店。
看板が似たような色になって、
シャッターの閉まった店も増えた。
ばってん、その中に、ぽつんと変わらん風景がある。
「三河屋洋品店」——戦後まもなくから続いとる、洋品店。
のれんも、木の看板も、ガラス戸も、
すこし古くなっとるけど、毎朝決まった時間に開く。
その店を切り盛りするんが、おばあちゃん。
白い髪、紺の割烹着、
おれが子どものころから、変わらん姿。
今日もおれは、店の前の段ボール箱の上で朝のひなたぼっこ。
おばあちゃんは、ガラガラと戸を開けて、
店の前の床をほうきで掃き始めた。
「ぶんちゃん、今朝は遅かったねぇ。
さっきまで、通学の子たちが手ぇ振ってったよ」
おれはしっぽをゆるくゆらす。
おばあちゃんは、それが「聞いてるよ」の合図って、ちゃんと知っとる。
ふと、おばあちゃんが言った。
「……ほんと、店の減ったねぇ。
右隣も、左隣も、今じゃ空き家ばい」
ほうきの動きが止まった。
言葉の隙間に、風の音がしゅるりと通る。
「でもね、うちはまだ、待っとるお客さんがおるけん。
“あの店ならサイズなおしてくれる”って。
“あそこのおばちゃん、昔の話してくれる”って」
そう言って、おばあちゃんは、ほうきを立てた。
おれは、すっと立ち上がって、すり寄った。
しわの浮いた手が、そっとおれの背を撫でる。
「ぶんちゃんだけは、変わらんねぇ。
あんたがおると、不思議と寂しゅうなかとよ」
アーケードの天井から、薄い陽がこぼれる。
静かやけど、やさしい光。
シャッターの閉まった向こうにも、
今はもういなくなった誰かの声が、かすかに残っとる気がする。
おばあちゃんは、ガラス越しにマネキンのワンピースを直した。
白いレースの、ちょっと懐かしい柄のやつ。
「若か人には古かかもしれんけどね、
誰かひとりが“かわいかね”って思うだけで、
この服も、まだ役目があるとよ」
おれは、しっぽを立てて店の奥へと入っていく。
今日も、おばあちゃんとこの町が、
少しだけ懐かしいままで、続いていくけん。
【了】
サイドB:「ぶんちゃん、ここはまだ終わっとらんとよ」
——三河屋洋品店 おばあちゃんの記録
毎朝、ガラガラと戸を開けるたびに思うと。
この音、昔は隣の玩具屋や布団店と重なって、
商店街ぜんぶがいっせいに「おはよう」って言いよるような、そんな感じやった。
今はもう、右も左も空き店舗。
シャッターに貼られた「テナント募集中」の紙が、風でめくれとる。
100円ショップも増えたねぇ。
若い人には、そっちのほうが便利かっちゃろ。
安くて、早くて、なんでもそろう。
ばってん、うちはまだここにおるとよ。
終戦の翌年から続いとる三河屋洋品店。
ずっと、“どこにでもあるもん”ば売っとるだけやけど、
サイズ直しとか、縫い目の相談とか、
人と人の手間のなかで、うちは残っとる。
今朝もほうきを持って、店の前ば掃いよったら、
ひょこっと現れたとが、ぶんちゃん。
「おはようさん。……今朝は遅かったねぇ」
この子は、不思議な猫よ。
にゃあとも鳴かんけど、ちゃーんとこっちの心ば感じとる。
誰も通らん時間でも、こうしてひとりと一匹、
朝の空気を分け合えるだけで、ようけ救われる。
「ぶんちゃん、見てん。あそこ、また空き店舗になっとる。
お隣の山下布団店も、去年で閉めたもんねぇ」
寂しかけど、恨みごとは言わんと。
みんな、それぞれのやりかたで、よう頑張ったけん。
でも、
「おばちゃん、ここのボタンまだある?」って、
「中学ん時、ここの制服やったとよ」って、
そんなふうに言うてくれる人が、
まだひとりでもおる限り、
うちはこののれんば下ろさん。
ぶんちゃんが、そっと足元にすり寄ってくる。
毛並みのぬくもりが、まるで“その気持ちでよか”って背中押してくれるみたい。
「ありがとね。……ぶんちゃん、
あんたが朝におるだけで、
この町が、まだちょっとだけ“昭和”におる気がするばい」
ぶんちゃんは返事をせん。
ばってん、そのまま店の中に入ってきて、
いつもの陳列台の下に、すっと落ち着いた。
そうやね。今日も、なんか、いい一日になりそうたい。
この町がどう変わっていっても、
この店がひとりぼっちになっても、
ぶんちゃんと、“また来てくれる誰か”のために、
わたしゃ、ガラス戸を開け続けるよ。
ここはまだ、終わっとらんけんね。
【了】
前話です▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第17話:「のれんを上げる理由」/「ぶんちゃん、ここはまだ終わっとらんとよ」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第19話:「鳴かぬ勝者と、笑わぬ道化」/「上から見える距離、下から届く匂い」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第21話:「境界にいる者」/「出発も到着も、においでわかるけん」
第22話:「転んでも、目だけは前を向いとる」/「できたって、言いたかったんだ」
第23話:「音が出ん日も、聴こえとる者はおるけん」/「音の向こうに、心があるばい」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」
第25話:「今日は、箒の音がしなかった」/「あいつが黙っとると、庭が少し広くなる気がした」
第26話:「鈴の音は聞こえんでも、風はまだ吹いとるけん」/「鈴の音はせんでも、ここには想いのにおいが残っとる」
第27話:「ここに、確かに誰かがおったけんね」/「おったけんね」
第28話:「あの手が、やさしかったけん」
第29話:「干した網のにおいと、黙っとるやさしさと」/「なんも言わんでも、通じとるもんがあるとたい」
第30話:「おまわりさんで、よかったばい」/「帽子の影に、やさしか気配があったとよ」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga

略歴:九州の国立大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
🧭 読んだあと、あなたの中に“新しい見方”がひとつ芽生えるような。そんな記事をお届けできたらうれしいです。
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