【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第40話「解かれる音と、ぶんちゃんと」/「風ばくぐる音と、海のにおいと」)

サイドB:「解かれる音と、ぶんちゃんと」
——元・造船所勤務の男性の視点
潮ば含んだ風が、
フェンスの向こうから吹いてきた。
SSKバイパス。
ここから見下ろすと、
昔、汗ば流した造船ヤードの跡が見える。
今はもう、
クレーンも、建物も、
解体されて、ずいぶん景色が変わった。
船をつくる街だった。
佐世保は。
まだ、日本が「世界一の造船国」って呼ばれとったころ。
この町も、あの海も、
活気で満ちとった。
昼夜も分かたず、馬車馬みたいに働いた。
金も、そこそこ稼いだ。
夜勤明けに、同僚と一緒に飲んだ帰り道、
海のにおいにまみれながら、笑い合った夜もあった。
ばってん、
今は、もう静かたい。
ヤードの建物が、
ひとつ、またひとつ、
ゆっくりと姿ば消していく。
その様子を、
フェンス越しに、
ただぼんやり眺めよった。
——国破れて山河あり。
ふと思い出した。
高校生のころ、
国語の新任教師が教えてくれた言葉。
勉強は苦手やったけど、
なぜか、あの一節だけは心に残っとった。
国も、町も、時代も、
変わってしまう。
ばってん、山も海も、
人の暮らしも、
どこかにちゃんと残るもんやって。
きっと、
ここもそうなんやろう。
たとえ、造船の活気が消えたとしても。
たとえ、自分たちの汗の跡が、
もう見えんようになっても。
潮のにおいも、
この町の人の暮らしも、
確かに、ここに息づいとる。
そんなふうに、
思っとった。
そのとき。
ふわりと、足元に気配。
振り向くと、
白と茶のぶち模様の猫。
片耳に、ちいさな傷。
——ぶんちゃん。
町で知られとる、不思議な猫。
誰にもなつかんばってん、
誰かの思いのそばに、
そっとおる存在。
ぶんちゃんは、
何も言わず、
おれのそばに座った。
ただ、それだけ。
それだけで、
胸の奥が、すこしだけあたたこうなった。
潮ば含んだ風が、また吹いた。
ヤードの鉄骨の向こうに、
夕焼けに染まり始めた海の光が照り返す。
おれは、
フェンスの向こうに、
静かに頭ば下げた。
ありがとう、
あの時代。
ありがとう、
一緒に働いた仲間たち。
ぶんちゃんは、
ゆっくりとしっぽを揺らした。
ここには、
まだちゃんと、
山も海も、
人の声も、
生きとるけん。
そう言っとる気がした。
【了】
サイドA:「風ばくぐる音と、海のにおいと」
——ぶんちゃんの視点より
おれは猫。ぶんちゃん。
今日も、町のにおいに耳ば澄ませながら、歩いとった。
潮と鉄のにおいが混じる、
佐世保の海沿い。
ばってん、
今日はいつもと、においが違っとった。
鉄のにおいが、
すこしだけ錆びとる。
遠くから、
がしゃん、がしゃんと、
重たか音が風に乗って聞こえてきた。
おれは、
その音ばたよりに歩いた。
SSKバイパス。
高架沿いの歩道の先、
フェンス越しに広がる、
造船ヤードの跡。
そこに、
ぽつりと、男の人がひとり。
帽子ば目深にかぶって、
フェンスの向こうば、
じっと見とった。
胸の奥から、
しずかな音が流れてきた。
——終わってしまった、という音。
ばってん、
それだけやなかった。
——確かにあった、という音も、
ちゃんと、そこに混じっとった。
おれは、
そっと男のそばに座った。
にゃあとも鳴かん。
ただ、静かに、潮のにおいば嗅ぎながら、
彼と同じ景色ば見とった。
男の人は、
昔、このヤードで働いとったらしか。
汗と油にまみれて、
船ばつくっとった。
夜も昼もなかごたる忙しかった時代。
町ん景色も、
人ん笑い声も、
海のにおいも、
きっと今とは違ったやろう。
ばってん、
すべてが消えたわけじゃなか。
潮はまだ、ここにある。
人ん暮らしも、
この町ん声も、
ちゃんと残っとる。
男の人の胸の奥に、
それば知っとる音が、
小さく、でも確かに響いとった。
おれは、
しっぽを、ふわりと揺らした。
風が、
フェンスの向こうから吹いてきた。
鉄骨の向こう、
春の夕日に照り返す海。
男の人は、
ゆっくりと、帽子ば取り、
フェンス越しに、
そっと頭ば下げた。
その姿ば見ながら、
おれは、
静かに目ば細めた。
町も、海も、
人も、
きっと、大丈夫やけん。
今日もまた、
おれはここに、おったけん。
【了】
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前話です▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」/「坂の途中で、風がふたつ、重なった気がした」
第40話:「解かれる音と、ぶんちゃんと」/「風ばくぐる音と、海のにおいと」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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