【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第30話「おまわりさんで、よかったばい」/「帽子の影に、やさしか気配があったとよ」)

サイドB:「おまわりさんで、よかったばい」
——定年1週間前、最後の交番にて
制服の背筋に、春先の風がすーっと抜ける。
あと1週間で、わたしは警察官を辞める。
いや、「辞める」というより、「役目を終える」と言った方が、気持ちが近い。
昇進の話は、何度かあった。
でも、そのたびに断ってきた。
署の机より、町の角に立つほうが性に合っとったけん。
わたしが今いるこの交番は、若い頃の初任地。
まさかここが定年を迎える場所になるなんて、思いもせんかった。
……ただ、それと同時に、
この交番も閉めることが決まったらしい。
「人員の合理化の一環で」とかなんとか、
上の人は淡々と説明してくれたけど、
町の人がぽつりと「さみしくなるね」と言った言葉のほうが、
ずっと重たく胸に残った。
そんなある日、
交番の前のベンチに座っていたときやった。
茶と白のぶち模様の猫が、ふらりとやってきた。
こっちを見て、まるで昔から知っているような顔で、
ゆっくりと足元まで来て、ひなたのところにごろんと寝転んだ。
「……ぶんちゃんか。おまえ、有名やけんな」
町の人がよく話してた。
どこにでもふらっと現れて、誰かのそばにおる猫。
まさか、交番にまで来るとは。
わたしは笑って、缶コーヒーのプルタブを開けた。
昼の見回りのあとで、ちょうどひと息入れようと思っとったところ。
ぶんちゃんは何も言わん。
ただ目を細めて、じっとこっちを見とる。
不思議と、胸の奥がすうっとする。
「あと1週間で、ここも終わりたい」
わたしがそうつぶやくと、
ぶんちゃんは小さくしっぽを動かした。
「いろんなことがあったよ。
落とし物、家出騒動、ケンカの仲裁……
でも、子どもたちに“おまわりさん”て呼ばれるのが、
一番うれしかったばい」
缶コーヒーがぬるくなった頃、
ぶんちゃんは立ち上がって、
交番の前にある電柱の方へと歩いていった。
そのしっぽの揺れが、
まるで「ちゃんと見とったよ」と言ってくれているように見えた。
わたしは、立ち上がって敬礼をした。
ぶんちゃんの背中にじゃなか。
この交番と、この町に。
「おまわりさんで、よかったばい」
それは、定年まであと1週間の今日、
胸の奥から、静かに浮かんできた言葉やった。
【了】
サイドA:「帽子の影に、やさしか気配があったとよ」
——ぶんちゃん、交番の前にて
おれは猫。ぶんちゃん。
町の中を、においと音で歩きよる。
今日の風はちょっとだけ違った。
なんか、こう……
「誰かが、なにかを終えようとしとる」感じの風やった。
鼻先を動かしながら、角を曲がっていくと、
交番の前に、ひとりのおじさんがベンチに座っとった。
制服の肩に日が差して、
帽子の影から見える目は、遠くを見とる。
——ああ、この人か。
前から町の人たちが言っとった。
「交番のおまわりさんは、昔ながらの人でね」って。
「子どもにもお年寄りにも、きちんと向き合ってくれる」って。
おれは、そっとベンチのそばに近づいた。
その日は、なんとなく“そばにおるべき日”やったけん。
おじさんは、おれに気づいても怒らんかった。
目の奥が、すこしだけやさしうなった気がした。
「……ぶんちゃんか。おまえ、有名やけんな」
そう言って、手元の缶コーヒーのプルタブを、かしゅっと開けた。
おれは、ただじっとそばにおることにした。
鳴かん。こびん。まとわりつかん。
けど、風といっしょに、その人の気持ちを感じとる。
おじさんは、ぽつりぽつりと、
何かを語り始めた。
「子どもたちに“おまわりさん”て呼ばれるのが、一番うれしかったばい」
その声は、潮風みたいにしょっぱくて、
でも、どこか温かかった。
——ああ、この人はずっと、町のなかに“おった人”やね。
おれは、しっぽをひと振りして立ち上がる。
もう言葉はいらん。
ちゃんと、聞こえたけん。
足元から離れ、ゆっくり交番の前の道を歩き出す。
後ろで、敬礼の気配がした。
ふりかえらんでも、ちゃんと伝わっとる。
今日という日が、
この人の“おまわりさん”としての一区切りやったこと。
風のにおいが、やさしうなった。
それで十分やった。
【了】
前話です▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」/「坂の途中で、風がふたつ、重なった気がした」
第30話:「おまわりさんで、よかったばい」/「帽子の影に、やさしか気配があったとよ」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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