【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第29話「干した網のにおいと、黙っとるやさしさと」/「なんも言わんでも、通じとるもんがあるとたい」)

サイドA:「干した網のにおいと、黙っとるやさしさと」
——ぶんちゃん、漁港で出会った寡黙なおっちゃんとの話
おれは猫。ぶんちゃん。
まだ若かったころ。
町と町の間の、空気の薄い場所を、
自分の居場所を探して歩いとった。
その日、おれが着いたのは、佐世保の少し郊外にある漁港やった。
海のにおいが強くて、魚のにおいに混じって、
干した網の繊維のにおいが風に乗ってきた。
人の姿はまばらで、
波の音だけが規則正しく岸壁に打ちつけられとる。
おれは堤防沿いに歩いて、
木箱の影に腰を下ろした。
朝からなにも食べとらんかったけん、
ちょっとだけ期待して港に来てみたんや。
そこに、ひとりの漁師のおっちゃんがおった。
背中がごつごつして、
帽子の下から見える目が、海の色みたいに深かった。
おれと目が合ったけど、なにも言わん。
ばってん、しばらくすると、
そっと足元の氷の箱の中から、小さな魚を一尾取り出して、
地面にぽとりと落とした。
——無言の合図やった。
おれは一歩、また一歩と近づいて、
その魚をくわえた。
うまかった。冷たくて、脂がのっとった。
お礼を言うかわりに、
おれはおっちゃんの横に座った。
それから数日、
おれは毎朝、漁港に行くようになった。
おっちゃんは、いつも何も言わん。
たまに魚を一尾、落としてくれる。
おれは食べ終わったあと、いつも近くで日向ぼっこしとった。
言葉のない時間。
ばってん、そこには、音よりも深い“あいさつ”があった。
ある日、おっちゃんが急に港に来らんようになった。
船も止まったままで、
他の漁師が「風邪ひいたらしか」と話しとるのが聞こえた。
おれは、それでも港に通った。
木箱のかげに座って、波の音を聞いた。
なんだか、落ち着かん気がしてな。
数日後、おっちゃんは戻ってきた。
少しやせたけど、元気そうやった。
おれが顔を見せたとき、
おっちゃんは初めて、小さく笑った。
「おまえ、ほんとに来とったとね……」
そのひと言だけやった。
ばってん、それで十分やった。
その日、おっちゃんはいつもより大きな魚を、
わざわざ切ってからくれた。
味は、忘れられん味やった。
おれが“町の猫”として知られるより前、
おれはただの猫やった。
でも、おっちゃんのそばにおることで、
「誰かの毎日を見守る」ってことが、どれだけ大事か知った。
それからおれは、町のいろんな人のそばに行くようになった。
港だけやなく、店先、公園、坂の途中……
どこでも、おれはただ、そこに“おる”ことにした。
だって、おれも、誰かの静かな日常の中に、
あの港みたいな陽だまりを、置いていけるかもしれんけんね。
【了】
サイドB:「なんも言わんでも、通じとるもんがあるとたい」
——漁師のおっちゃんの回想より
朝の港は、潮のにおいと機械の音、
そして冷たい海風で目が覚める。
もう何十年も、同じ時間に起きて、
同じ船で、同じ海に出て、
同じような魚ば獲ってきた。
そいが当たり前。
そいが、おいの仕事で、人生やった。
あいつに初めて出会ったとは、
秋の終わり頃やった。
まだ若か猫で、毛並みはつやつや。
でも目の、妙に落ち着いとって、
どこか、「じっと誰かを見とる目」ばしとった。
魚のにおいにひかれて来たとかもしれん。
ばってん、普通の猫みたいに鳴いたりせず、
ただ黙って、ちょこんとこっちば見とる。
気まぐれに、
氷の箱から小魚をひとつ落としてやった。
そしたら、ゆっくりと近づいてきて、
くわえて、ぺたんと座り、
そのまま、おいの横におった。
——なんも言わん、おいと同じやった。
それから、毎日んごと、港に来るようになった。
とくに何ばするわけでもなか。
ばってん、そばにおると、どこか気持ちの落ち着く不思議なやつやった。
風邪ばこじらせて、
何日か港に行けん日があった。
久しぶりに顔ば出したら、
あいつは、いつもの場所におった。
毛に葉っぱつけたまま、
まるで「どこ行っとったと?」とでも言いたげに見上げてきた。
そのとき、
なんかわしの胸の奥が、きゅうっとなったとさ。
「おまえ、ほんとに来とったとね……」
あのとき出た言葉は、
誰かに向けて言うなんて、何年ぶりやったかいな。
あの猫は、今じゃ「ぶんちゃん」と呼ばれとるらしか。
町のあちこちで、いろんな人のそばにおるらしい。
わしがあいつに教えたことなんか、なんもなかばってん——
静かに寄り添うことの大事さは、
あいつの中にちゃんと残っとる気がするとたい。
今朝もまた、網を干しながら空を見上げる。
風は冷とうなったけど、
港のどこかに、あのしっぽがふわっと揺れとる姿のある気がする。
そう思うだけで、
なんやろうね、今日もちゃんと仕事ばしようって思えるとさ。
【了】
前話です▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」/「坂の途中で、風がふたつ、重なった気がした」
第29話:「干した網のにおいと、黙っとるやさしさと」/「なんも言わんでも、通じとるもんがあるとたい」
第30話:「おまわりさんで、よかったばい」/「帽子の影に、やさしか気配があったとよ」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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