【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第27話「ここに、確かに誰かがおったけんね」/「おったけんね」)

サイドA:「ここに、確かに誰かがおったけんね」
——ぶんちゃん、解体される家の前で
おれは猫。ぶんちゃん。
今日は港のにおいが強くて、坂の上まで潮風が届いとった。
ときどき通る、高台の空き家。
昔は洗濯物が揺れて、ごはんのにおいもしていたけれど、
ここ十年は、ずっと静かやった。
でも、今日は違った。
重機の音と、壁が崩れる鈍い音。
粉じんと一緒に、古い記憶のにおいも舞いあがる。
おれが塀の上から覗くと、
一人の女の人が、遠くからじっとそれを見とった。
髪に少し白いものが混じってて、
目の奥には、なにかをこらえる色があった。
でも、おれはすぐに気づいた。
——この人、この家のにおいをまとっとる。
きっと、ここで育った人間。
都会に出て、帰ってこんようになったとしても、
風が吹いたときだけ、思い出すような場所がある。
ユンボのアームが、ゆっくりと壁を押し崩す。
昔はそこに窓があったはずや。
おれは、音も立てず近づいて、
女の人のそばの段差に腰をおろした。
彼女は、おれに気づいた。
目が合うと、ふっと笑った。
「……猫さん、どこから来たの?」
声は標準語。東京で聞く話し方。
でも、ちょっとだけ、懐かしさを探すような響きがあった。
「ここ、私の実家なんです。
両親が亡くなって……もう十年。
誰も住まなくなって、とうとう壊すことになって」
おれは目を細めて、その声を聴いた。
風の音と重なるように、ゆっくり、言葉がこぼれていく。
「……東京にいると、忘れたふりできるけど。
やっぱり、ここに来ると……ダメですね」
声がかすかに震えた。
ユンボが止まり、しばらくの静けさが降りる。
「誰もいないけど、ここには……確かに、誰かが生きてた。
笑って、ごはん食べて、ケンカして、泣いたりもして……」
彼女は、ふとおれを見て、
優しくつぶやいた。
「……ここに、確かに誰かがおったけんね」
——そのひとことは、
東京の空じゃ、出てこん言葉やった。
おれは、そっとまぶたを閉じた。
それが、返事の代わりやった。
風がまたひと吹きして、
家の残り香を、町へ連れていった。
おれは、静かに立ち上がる。
この記憶を、ちゃんと風のなかに置いていけるように。
【了】
サイドB:「おったけんね」
——実家の前で、私がこぼしたことば
ユンボのアームが、ガシャンと音を立てて、
実家の壁のひとつが崩れた。
乾いた音だった。
粉じんが陽に透けて、ふわりと空に舞い上がる。
港を見下ろす高台の、この家で、
私は18まで暮らしていた。
両親が亡くなって、もう十年。
空き家になってからも、私はなかなかこの土地に足が向かなかった。
東京に出て、言葉も、暮らしのリズムも、
すっかり向こうのものになった。
気がつけば、「ただいま」と言える場所も、
どこかに置いてきた気がしていた。
でも今、こうして立っている。
重機の音を聞きながら、
昔の私がいた部屋の壁が崩れていくのを、じっと見つめている。
胸がざわつく。
でも、涙は出ない。
代わりに、息がしづらくて、喉の奥がつまるようだった。
「……あれが、子ども部屋の窓だったのよね」
誰に言うでもなく、口に出した瞬間、
隣にふっと気配がした。
猫がいた。
白と茶色のぶち模様。
陽の当たる段差にちょこんと座って、
こちらをじっと見ていた。
なんだろう。
どこかで見たような気がする。
でも、はじめて会った気もする。不思議な猫。
「猫さん、こんなとこまで来るの?」
声をかけると、猫はしっぽだけ、少し動かした。
それだけだった。
でも、それがなぜだか、少し心強かった。
私のとなりに、誰かがいる。
たったそれだけで、
胸のなかのざわつきが、ゆっくりと落ち着いていくのがわかった。
「……東京にいると、
あの頃のこと、うまく思い出せないのよね。
なんだか、遠い誰かの話みたいで」
ユンボの音が一度止まり、現場が静かになった。
私は小さく息を吐いて、
猫に向かってぽつりとつぶやいた。
「でもね……ここに、確かに誰かがおったけんね」
あの瞬間、ふと、自分が佐世保の言葉で話したことに気づいた。
東京ではもう、ずっと出なかった言葉。
懐かしい響き。
たった一言なのに、心の奥があたたかくなる。
猫は、何も言わない。
ただ、静かに風と陽のなかに身を置いていた。
私は、その背中に、
「ありがとう」と声に出さずに伝えた。
きっとこの町では、こういうふうに、
忘れられそうなものを、誰かが静かに見守ってくれているのかもしれない。
私は、背筋を少し伸ばして、
また崩れていく家を、もう一度見つめなおした。
【了】
前話です▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」/「坂の途中で、風がふたつ、重なった気がした」
第27話:「ここに、確かに誰かがおったけんね」/「おったけんね」
第28話:「あの手が、やさしかったけん」
第29話:「干した網のにおいと、黙っとるやさしさと」/「なんも言わんでも、通じとるもんがあるとたい」
第30話:「おまわりさんで、よかったばい」/「帽子の影に、やさしか気配があったとよ」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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