【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第50話「迷いの夕暮れ」/「ひとつの道、ふたつの影」)

サイドB:「迷いの夕暮れ」
——男子学生の視点より
体育文化館のガラス扉から、ひんやりした風が流れ込んできた。
俺はパンフレットばリュックに押し込みながら、歩き出す。
合同就職説明会。
保育園、幼稚園、たくさんのブース。
笑顔で対応してくれた先生たち。
——でも、なんか…自分だけ浮いとる気がして。
周りはほとんどが女子学生。
明るく話しよる姿ば見とったら、俺はどこか場違いに感じた。
「男の保育士さんも増えよるけどね。」
「力仕事は助かるばい。」
そう言ってくれる人もおった。
ばってん、その笑顔の奥に「本当に大丈夫?」っちゅう視線も感じた。
実習でも、子どもたちは俺ば見て笑ってくれた。
「先生、遊ぼう!」っち。
けど、同じ先生たちの間では…
「男性はちょっと…」「どうして保育士?」
そんな視線も、時々感じとった。
——やっぱり、俺に向いとらんのやろか。
足が自然にゆっくりになった。
夕日が体育文化館の壁ば染めていく。
「…保育士…無理かな…」
思わず口から漏れた言葉。
そのとき。
「おい、よう頑張っとるね。元気しとるか?」
優しか声が耳に届いた。
——え?
顔ば上げたら、そこには見覚えのある顔。
少し白髪が増えたけど、優しさは変わらん笑顔。
「…園長先生…」
かつて中学生の頃、ボランティア実習でお世話になった、
あの園の園長先生やった。
「ああ、終わっとると思ったけど、間に合ったかね。」
俺は思わず涙が出そうになった。
あのとき、俺を見守ってくれた先生。
子どもたちの輪の中で、いつも笑顔で話しよった人。
「…保育士…やっぱり無理かなって…」
俺の声は自然に小さうなった。
園長先生は笑うた。
「無理やなかよ。誰でも最初は不安たい。」
「…でも、自信なくて…」
「おれも最初は自信なかったとさ。」
——え? 園長先生が?
「大事かとはな、子どもたちん笑顔ば見逃さんことたい。」
「そん笑顔が、お前の力になるけん。」
その言葉が、胸にじわっと染みた。
先生は昔と変わらんかった。
あの優しさも、温かさも。
「…でも、俺なんか…」
「お前やからできることもあるばい。」
俺は黙って地面ば見とった。
その時、ふわりと俺の足元に何かが触れた。
——猫?
白と茶のぶち模様。
片耳に小さな傷。
園長先生は笑うた。
「こいつ、ようこの辺におるとよ。優しか猫やけん。」
猫は俺ばじっと見つめとる。
なんも言わんばってん、ただそこにおる。
俺はふっと笑うた。
なんか、少しだけ軽うなった気がした。
「…ありがとう、先生。」
「うん、またいつでも顔見せに来い。」
園長先生は猫の頭ばぽんぽんと撫でて、そのまま歩き出した。
夕日がオレンジ色に輝き、二人と一匹の影ば長う伸ばしとった。
猫はゆっくりしっぽば揺らしながら、先生の後ろに続いて歩いていく。
——俺も…ちゃんと、歩いていこう。
そう思いながら、夕日の中をじっと見つめた。
【了】
サイドA:「ひとつの道、ふたつの影」
——ぶんちゃんの視点より
体育文化館の前は、夕方ん風がひんやりと流れよった。
空はオレンジ色に染まり、建物の影が長う伸びとる。
おれは、その影ん中をゆっくり歩きよった。
隣には、しわの深か男ん人。
おれと一緒に歩きながら、小さく口ん中でつぶやきよった。
「…もう終わっとるかもしれんねぇ、説明会。」
男ん人は歩く速度ば少し速めた。
その後ろから、おれは小走りでついていく。
体育文化館ん前には、学生たちが三々五々集まっとって、
それぞれの顔にいろんな表情が浮かんどった。
その中に、一人の若か男ん子。
白いシャツ、リュックを背負って、頭ばかり下げとる。
おれはふと立ち止まった。
男ん人も、その男ん子ば見つけたらしか。
「…ああ、やっぱり…」
そうつぶやいて、男ん人はその男ん子に近づいた。
おれは少し離れたとこから、じっとその様子ば見よった。
男ん人は笑顔で声ばかけた。
「おい、よう頑張っとるね。元気しとるか?」
男ん子は驚いた顔ばしとった。
ばってん、その顔はすぐに安堵ん表情に変わった。
「…園長先生…」
おれは、その言葉ん響きば聞いて、しっぽばゆっくり揺らした。
男ん子は少し俯いて、足元ば見つめとる。
「…保育士…やっぱり無理かなって…」
園長は優しか目で男ん子ば見よる。
「無理やなかよ。誰でも最初は不安たい。」
おれはその言葉ん響きに、少しだけ耳ばピクリと動かした。
「…でも、自信なくて…」
男ん子の声は小さうなった。
園長は笑うた。
「おれも最初は自信なかったとさ。」
男ん子は驚いた顔で見上げた。
「大事んはな、子どもたちん笑顔ば見逃さんことたい。」
「そん笑顔が、お前の力になるけん。」
その言葉に、男ん子の肩が少しだけ軽うなったように見えた。
おれは静かにその二人ん横を通り抜け、
園長の足にそっと身体ばすり寄せた。
園長はふっと笑うて、おれの頭ばぽんと撫でてくれた。
「お前も励ましてくれよるんやろ?」
おれは何も言わんばってん、しっぽばふわりと揺らした。
その後ろで、男ん子は少しだけ笑うとった。
夕焼けん中、おれは園長と男ん子ば残しながら、
またゆっくり歩き出した。
風は少しだけ冷たかばってん、どこか優しか香りば運んどった。
【了】
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前話です ▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」/「坂の途中で、風がふたつ、重なった気がした」
第45話:「木くずとため息」/「木くずの遊び相手」
第50話:
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga
🧭思考の案内人|Thinking Navigator

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
🧭 読んだあと、あなたの中に“新しい見方”がひとつ芽生えるような。そんな記事をお届けできたらうれしいです。
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