【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第47話「止まった時計と、動く風景」/「風と飴の甘か香り」)

サイドB:「止まった時計と、動く風景」
——元サラリーマンの視点より
佐世保公園のベンチ。
風が、木の葉ばゆらしていく。
いつもの時間、いつもの場所。
ばってん、俺はなんもしとらん。
定年退職して、その後の雇用延長も勤め上げて、もう半年。
毎日、朝は決まった時間に目ば覚ます。
ばってん、行く場所はなか。
カレンダーも、ただの紙切れに見える。
妻はまだ働いとる。
孫も、たまに顔ば見せるばってん、それは休日だけ。
俺は、何をしとるんか。
——役に立たん人間になったか。
定年で役ば下りた後の数年、
雇用延長で働いとったけど、
何かしっくりこんやった。
公園の木々は、ただ揺れよる。
子どもたちは遊び、カップルは笑っとる。
ベンチに座る俺は、その中におらんみたいや。
ため息ばついた。
実は、先週、昔の取引先の知り合いから連絡があった。
仕事で商品ば納入しよった農業法人の副代表。
「うちで営業サポートやってくれんか?」
そう言われたばってん、返事はまだしとらん。
営業サポート。
新規開拓や交渉のフォロー、書類整理。
——俺は、そんな器用か人間やなか。
そもそも、今さら新しいことなんてできるか?
農業なんて何んも知らん。
ばってん、このまま何もせんのも…
もやもやと考えよるうちに、またため息ばついた。
「…まったく、どうしたらよかね」
そのとき、視線ば感じた。
見ると、白と茶のぶち模様の猫が、じっとこっちば見よる。
「…なんや、お前」
猫はゆっくりと近づき、ベンチの隣に座った。
黙って座っとる。
人の声も、風の音も、関係なさそうに。
——お前も、暇か。
俺は思わず笑うた。
猫はじっと俺ば見つめとる。
その目は静かで、何も言わんばってん、しっかりしとる。
「…どう思うね?」
冗談半分に聞いてみた。
ばってん、猫はただしっぽばゆっくり揺らしとる。
俺は思わずまたため息。
「…昔は、自分に自信あったんやけどな」
若い頃は、飛び込み営業もした。
商品説明を何度も繰り返し、納期ば守るために走り回った。
でも、それも昔の話。
今はその気力が…いや、気力じゃなか。
——怖いとね。失敗するのが。
知らんことば覚えるのも、若い奴らに置いてかれるのも。
そんな思いが胸に渦巻く。
猫はじっと、俺の顔ば見とる。
「…お前は、失敗とか怖くなかやろ?」
猫はしっぽばふわりと揺らし、目ば細めた。
なんか笑われとるごたるね。
その目ば見て、少しだけ笑いがこぼれた。
——猫は失敗なんか気にせんもんね。
ただ、そこにおる。
歩きたい場所に歩き、座りたい場所に座る。
俺はもう一度、空ば見上げた。
——俺も、ただ一歩踏み出せばよかとかもしれん。
営業サポート? それがどうした。
うまくできんかもしれん。
農業?
おい自身が野菜ば作るっちゃなく、
そいば売る仕事のサポートたい。
できることば探すのも悪くなかろう。
「…そうやね」
猫はふわりとしっぽば揺らし、そっと立ち上がった。
「…ありがとな」
俺はポケットから飴ば取り出し、口に放り込んだ。
甘さが広がり、風が頬ば撫でる。
猫はゆっくり歩き出し、公園の緑ん中に消えていった。
俺はその背中ば見送りながら、小さくうなずいた。
——やってみるか。
ベンチから立ち上がり、空を見上げた。
風が、木の葉ばまた揺らしとる。
【了】
サイドA:「風と飴の甘か香り」
——ぶんちゃんの視点より
佐世保公園。
木ん葉が、風にさらさらと揺れよる。
おれは土の上ばぽてぽて歩きながら、風ん匂いば感じとった。
草の匂い。木の香り。
ばってん、その中に一つだけ、少し重たか“音”が混じっとる。
ふと見上げたら、ベンチに座っとる男が一人。
灰色の髪、深く腰をかけて、じっと前ば見つめとる。
その目はどこかぼんやりしとって、ため息が一つ、空に消えた。
——なんか、考えよるね。
おれはそっと近づいた。
男は気づかん。
「…どうしたらよかね」
ぽつりと漏れた声。
おれはベンチの横に座り込んだ。
じっと男ば見上げる。
その顔には、何かしら悩みが刻まれとる。
男はふと視線ば下ろして、おれと目が合うた。
「…なんや、お前」
おれは目ばゆっくりと細めた。
男は少し笑うたばってん、またため息。
「昔は、自分に自信あったんやけどな…」
その声は、風にさらわれそうにかすかやった。
——自信ば、無くしたと?
おれはしっぽばふわりと揺らし、もう一歩だけ近づいた。
「…営業サポートやれって言われたばってん…」
「もう俺に、そんなことできるんか…?」
男は空ば見上げとる。
眉が少しだけ歪んで、目がどこか寂しか。
——やったことないこと、怖かとね。
おれはそっと男ん足元に座った。
じっと、その顔ば見つめる。
「…お前は、失敗とか怖くなかやろ?」
おれはしっぽばふわりと揺らした。
——怖かときも、あるばってん…やってみんと分からんやろ?
男はふっと笑った。
その笑いが少しだけ軽うなった気がした。
おれはゆっくり前に歩き、ベンチの下の葉っぱばころりと転がした。
男はその葉ば見て、小さく笑うた。
「…お前は、気楽でよかね」
おれはそのままベンチの横に座り、しっぽば揺らし続けた。
男はまた空ば見上げとる。
ばってん、さっきより少しだけ顔が明るい。
「…やってみるか」
小さくつぶやいたその声が、風ん中に溶けていった。
男はポケットから飴ば取り出し、口に放り込んだ。
甘か香りがふわりと漂う。
おれはゆっくり立ち上がり、しっぽばふわりと揺らしながら、歩き出した。
——きっと、大丈夫。
木ん葉がまた揺れ、男は小さく笑いよった。
【了】
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前話です ▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」/「坂の途中で、風がふたつ、重なった気がした」
第45話:「木くずとため息」/「木くずの遊び相手」
第47話:「止まった時計と、動く風景」/「風と飴の甘か香り」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga
🧭思考の案内人|Thinking Navigator

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
🧭 読んだあと、あなたの中に“新しい見方”がひとつ芽生えるような。そんな記事をお届けできたらうれしいです。
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