【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第42話「はじめての魚、はじめての敵」/「黒い影、若い尻尾」)

サイドA:「はじめての魚、はじめての敵」
——ぶんちゃんの視点より
朝ん空気はひんやりしとった。
おれはまだ、この町のことばよく知らん。
佐世保ん港は、いつも潮の匂いがしとる。
ばってん、今朝は魚ん匂いが強か。
魚屋ん路地。
おれは何度も後ろば見ながら、そろり、そろりと歩いた。
まだ暗かけん、人の気配は少なか。
——あった。
石畳に、魚ん切れ端がいくつか転がっとる。
ほら、朝ごはんやん。
おれの心ん中は、ちぃと弾んだ。
——けど、すぐに緊張した。
「カァー!」
上から、しゃがれた声。
びくりと振り向く。
電線の上で黒い影が羽ばたいとる。
クロスケ。カラスんクロスケ。
おれは知っとる。
あいつはこの町の厄介者や。
よその猫から食べ物ば横取りし、声ばはりあげる。
「う、うるさか!」
おれは、魚ばくわえたまま鳴き返した。
でもクロスケは舞い降りてきた。
黒い羽ば広げ、じりじり近づく。
おれは背中ば丸めた。
けど、心臓はどきどきしとった。
おれは強か猫じゃなか。
ひとりになったばかりやけん。
「カァー!」クロスケが鳴く。
おれはぐっと魚ばくわえ、じっとにらみ返す。
沈黙。
おれのひげがぴくりと揺れる。
クロスケのくちばしが、かすかに動いた。
どっちが先に動く?
おれは、わからん。
でも、引きたくなかった。
そのとき、路地の奥から足音。
「こら!いたずらばすんな!」
魚屋んおじさんが大声ば出した。
おれはびくりと跳ねた。
慌てて魚ばくわえたまま駆けた。
ばってん、途中で魚は落ちた。
うしろで「カァカァ!」とクロスケの声。
振り返らんで走った。
しばらくして、ようやく止まった。
はあはあ、息ばつきながら振り返る。
電線の上、クロスケが見下ろしとる。
くちばしは空っぽ。
おれも、口ん中は空っぽ。
お互い、魚は取れんやった。
「…ばかたれ」
クロスケは「カァ」と短く鳴いた。
おれも「ニャー」と短く返す。
おれはまだ若か。
クロスケには敵わんかもしれん。
ばってん、逃げたくはなか。
しっぽばふわりと揺らし、路地ば後にした。
朝の風が、ほんの少しだけぬくかった。
【了】
サイドB:「黒い影、若い尻尾」
——クロスケの視点より
朝ん空はまだ薄暗か。
佐世保ん港はいつもの潮ん匂い。
風がひゅうっと吹き抜ける。
おれは電線の上。
下を見下ろすと、魚屋ん路地がある。
まだ準備中の魚屋のおじさんが箱ば運びよる。
その足元。魚の切れ端がぽつんと転がっとる。
——ほら、朝飯ばい。
おれは羽ば揺らしながら狙いばつけとった。
ばってん、そいつは狙っとるやつがもうひとり。
白地に茶ぶちの若い猫。
ぴょこぴょこ、後ろば気にしながら歩きよる。
——ぶんちゃんやったかね。
あいつはこの町に来たばかりやろう。
まだ小さくて、へたくそ。
そろり、そろり。
魚ばくわえた瞬間、おれは鳴いた。
「カァー!」
びくりと跳ねる若い尻尾。
見上げたぶんちゃんの目が、怯えとる。
おれはゆっくり舞い降りた。
片足ば路地に置き、黒い羽ば広げたままじりじり近づく。
「う、うるさか!」
ぶんちゃんが小さく唸った。
——うるさいはこっちの台詞ばい。
魚はおれんもんやと思っとる。
この路地で誰が強かか、そいば教えんば。
おれのくちばしが魚に近づく。
ばってん、ぶんちゃんも引かん。
背中ば丸め、ひげばぴくりと揺らしとる。
あの目、ちぃとは怖かかろうに。
しばらく無言でにらみ合う。
朝ん風がひゅうっと路地を抜けた。
そのとき。
「こら!いたずらばすんな!」
魚屋んおじさんの声。
ぶんちゃんはびくりと跳ねた。
魚ばくわえたまま駆け出す。
おれも慌てて空ば蹴った。
ばってん、あいつは途中で魚ば落とした。
おれも拾えん。
電線に戻り、見下ろすと、
ぶんちゃんが息ばつきながらこっちば見よる。
——ふん、まだまだやね。
おれは「カァ」と一声鳴いた。
ぶんちゃんは「ニャー」と短く返す。
あいつは弱か。
ばってん、逃げんかった。
おれはしばらく電線に止まりながら、
ぶんちゃんの小さな背中ば見送った。
潮風がまた吹いて、羽ん先ばひゅうと撫でていく。
【了】
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前話です▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」/「坂の途中で、風がふたつ、重なった気がした」
第42話:「はじめての魚、はじめての敵」/「黒い影、若い尻尾」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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