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【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第51話「遠くなる家族、近づく街」/「そばにおりたかけん」)


ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色



サイドB:「遠くなる家族、近づく街」
——銀行員の視点より


 車ば降りた途端、冷たい風がスーツの袖ば揺らした。
 銀行の裏手、夕暮れん駐車場。
 オレンジ色の空が、静かにビルの窓ば染めとる。

 ポケットから鍵ば取り出し、ぼんやりと握りしめた。

 ——東京か…

 内示が出たのは、三日前。
 東京支店への転勤。
 周りは「おめでとう」「出世コースたい」って笑うてくれた。

 上司は肩ば叩いて、「期待しとるぞ」っち。
 同期も「すごかねぇ」と拍手してくれた。

 俺自身も、経験のある先輩から聞いて、
 東京勤務ば希望もしとった。

 ばってん、俺の胸ん中は重たかまんま。

 理由はひとつ。
 妻が、佐世保に残ること。

 「…一緒には行けんよね。」

 家に帰って、俺が転勤ば伝えたら、
 妻は少し驚いた顔しとったばってん、すぐに微笑んだ。

 「東京、すごかねぇ。
  夢のかなったし、出世たい。
  良かったね。」

 明るく言いながらも、その笑顔は少しだけ揺れとった。

 妻のお腹は、まだ目立たん。
 でも来年には出産。

 新しい街、新しい環境で、身重の妻を一人にするわけにはいかん。
 「やっぱり俺は残る」…そう言いかけたばってん、妻は首ば振った。

 「大丈夫よ。わたしは実家も近かし、母も手伝ってくれるけん。」

 その言葉が、どこか刺さった。
 本当は、俺にそばにいてほしかったはずやろうに。

 ——それでも、行くべきか。

 出世のチャンス。逃せば、もう二度とは来んかもしれん。
 けど、家族を置いてまで追うもんやろうか。

 鍵ば握りしめたまんま、深いため息ばついた。

 「…どうすりゃいいんだろ…」

 ふと、足元に動く気配。

 白と茶のぶち模様。
 片耳に小さな傷。

 ——猫?

 じっと俺の足元に座り、見上げとる。

 「…なんだ、お前…」

 俺はしゃがみ込んだ。
 スーツが少しシワになるのも気にせず、その目ば見つめた。

 猫はなんも言わんばってん、ただじっとしとる。

 ふわりとしっぽが揺れた。

 「…俺、どうしたら…」

 声が自然に漏れた。

 猫はゆっくりと俺の足元に身体ば寄せてきた。

 柔らかい毛の感触。
 暖かさが、冷えた手に伝わる。

 「…そばにおりたいんよ、本当は。」

 小さくつぶやいた。

 けど、あの妻の笑顔が浮かんだ。
 無理して笑ったあの顔。

 ——俺が、迷っとるとば感じ取ったとやろう。

 「…ごめん。俺、弱かね。」

 猫はじっと俺ば見上げた。
 その瞳は、なんか全部見透かしとるごた。

 ——本当は、妻の言葉は強がりやったかもしれん。
 でも、俺を応援しようとしてくれた。

 それば無駄にしたくない。

 猫はふわりとしっぽば揺らし、俺の膝に顔ばすり寄せた。

 その温かさが、胸の奥ば溶かしていく。

 「…ありがとう、なんか…」

 猫は何も言わんばってん、またしっぽば揺らした。

 俺はゆっくり立ち上がり、スーツばはたきながら鍵を回した。

 エンジンの音が響き、ライトが夕暮れん中ば照らした。

 車ん中でエンジン音ば聞きながら、もう一度つぶやく。

 「…大丈夫。俺が頑張るけん。」

 妻は強がりでも、俺を信じてくれた。
 なら、俺は俺で、その期待ば裏切らん。

 進む道は、きっと間違いじゃなか。
 家族のために、未来のために。

 猫はゆっくり歩き出す。
 その背中は、どこか優しか光ばまとっとった。

 ——ありがとう。

 小さくつぶやきながら、俺は車ば発進させた。

【了】



サイドA:「そばにおりたかけん」
——ぶんちゃんの視点より


 夕暮れの風が、駐車場のアスファルトばひんやりと冷やしとった。
 おれは銀行の裏手ば、ゆっくり歩いとった。

 車の並んどる中で、ひとりの男がポツンと立っとった。
 スーツ姿、手には車の鍵ば握りしめとる。

 眉は少し下がっとって、唇はきゅっと引き締められとる。
 重たか“音”が、その男んまわりば漂っとった。

 おれはそっとその横に近づいた。
 男はため息ばついて、ぽつりとつぶやいた。

 「…どうすりゃいいんだろ…」

 ——どがんしたとね。

 おれは足元に座り込み、じっと見上げた。

 男はおれに気づき、しゃがみ込んだ。
 目ん奥は暗かばってん、どこか優しか目。

 「…なんだ、お前…」

 その声は、少しだけ震えとった。

 おれは何も言わんばってん、ゆっくりと身体ば寄せた。
 男ん手のひらが、そっとおれん毛ば感じ取る。

 冷たか風ん中、その手は少し冷えとった。

 「…そばにおりたいんよ、本当は。」

 男は小さくつぶやいた。

 ——そばにおりたかとね。

 おれはそっとその足ば軽う頭で押した。

 「…ごめん。俺、弱かね。」

 男はまたため息ばついた。
 けど、その顔はさっきより少しだけ和らいどる。

 おれはゆっくりしっぽば揺らし、男ん膝に頬ばすり寄せた。

 男は目ん奥で、何か考えとるごたった。
 ばってん、その“音”は少しずつ優しさに変わっとる。

 「…ありがとう、なんか…」

 おれはしっぽばふわりと揺らしながら、男ば見上げた。

 そばにおりたかけん。
 その気持ちが、おれにはわかる。

 男はゆっくり立ち上がり、鍵ば回してエンジンばかけた。
 車のライトが夕焼けん中ば照らし、男の顔ば少しだけ明るうした。

 ——行くとね。

 おれはゆっくり歩き出した。
 男は車ん中で、少し微笑んどった。

 風は少し冷たかばってん、空はオレンジ色に染まっとる。

 そばにおりたかけん、あんたは進めたとね。

 おれはその駐車場ば後にしながら、また次の風ば感じた。


【了】



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シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)


あとがき

この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。

私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
 主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
 町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者


プロフィール|Kazuomi Matsunaga

🧭思考の案内人|Thinking Navigator

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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Kazuomi Matsunaga🍀 「クリエイティブの世界へようこそ!」 創造・表現することが好きで、日々新しいものを生み出しています。応援が次の創作の力になります!