【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第67話「”tsumu_toco” は、今お休み中。」/「バイパスの風の中、そっと」)

サイドB:「”tsumu_toco” は、今お休み中。」
カン、コーン。
空に吸い込まれるような金属音が、ぽつぽつと響いとった。
風が吹き抜けるたびに、その音は遠くまで届く。
まるで誰かが「今は、自分だけの時間ちゃんね」って教えとる気のする。
わたしは、歩きながらスマホば見よった。
アプリの画面には、朝に投稿したモーニングルーティンの動画。
フィルム風の色味で、ベッドメイキング、音楽、小さな朝ごはん。
「癒される」「中学生とは思えん」ってコメントが並んどる。
母は看護師で忙しかけん、自然に覚えた家事が役にたった。
フォロワーは、もう8万人を超えた。
嬉しかったはずとに、最近は数字がどこか重たか。
「次は何ば投稿しよう」「これは“映え”ると?」
——誰かの“癒し”にならんばって、ずっと思い詰めとった。
でも今日は、
なぜかその画面を閉じて、ポケットにスマホをしまった。
そして、歩いて坂をのぼった。
バイパスの上の高台にある、スポーツセンターへ。
名前は朧げに覚えとった。
それが今日の昼休み、
席替えで隣になった野球部の男の子とだべっとったら
「気分ば変えたかときはバッセンに行くとさ」って
笑いながら言いよったので思い出したのだ。
まだ小さか頃——両親が離婚する前——に、
父が卓球ばしに連れて行ってくれた記憶がある。
バッティングセンターの方には行ったことはなかった。
グローブもバットも、持ったこともなか。
そもそもスポーツは苦手で、
卓球も全然できずに泣いて父を困らせたはずだ。
でも今日は、ただ、いつもと違うとこに行きたかった。
打席には、小学生が父親と並んで練習しとった。
コインの音、打球の音。汗のにおい。
わたしは、それば横目に見ながら、
2つ離れたゲージに立って、コインを入れる。
20球。
1回も、かすりもせんやった。
ため息をついて、一度ゲージから出てベンチに座り、目を閉じる。
カン、コーン。
小学生が快音鳴らしてボールを跳ね返す音が響く。
わたしが全部空振りしたことなど、親子とも気にもしとらん様子。
――当たり前か。
「そがんいつも、わたしのことなんか見とらんもんね」
そう思えた瞬間、肩の力がふっと抜けた。
その時、ベンチの下、足元に、小さな気配。
目を向けると、白と茶のぶち模様の猫がおった。
片耳に、ちいさな切れ目。
「なんで…あんた、こがんとこにおると?」
猫は何も言わん。ただおる。
打球の音のなかで、風に吹かれながら、静かに隣に“おる”。
わたしはスマホば出さんかった。
動画にもせんかった。
今日は、何も記録に残さんでもいい気がした。
ぶんちゃんは、しっぽば一度揺らして、また静かに立ち去った。
「また、来てもいいかな」
声には出さんかったけど、そんな気持ちが胸の奥に浮かんだ。
もう一度、バットを握り、コインを入れる。
——ここに、おったけん。
それだけで、今のわたしには、十分やった。
【了】
サイドA:「バイパスの風の中、そっと」
坂ばのぼる風が、やわらかくおれの毛を揺らしよった。
日宇の町ば見渡せる高台。
その端っこに、固い音ば響かせる場所があるとよ。
ゴン、カン。
人の音と違う、まっすぐな響き。
おれは、その音の向こうに、少しばかり心の揺れを感じた。
歩いて近づくと、あった。
バッティングセンター。
コインの音、打球の音、時々笑い声。
ばってん——その隅っこには、ひとりでベンチに座る女の子。
制服のスカート。風に揺れとるスマホのストラップ。
目は空のほうば見とった。
音も画面も閉じて、ただそこに“おった”。
おれは、コンクリの上を歩いて、そっとその子のそばへ行った。
女の子は、すこしだけ目を見開いた。
けど、すぐにふっと表情がゆるんだ。
「……なんで、あんた、こがんとこに」
おれは何も言わん。ただ、静かに座る。
風が、カラン、とベンチの下ば通り抜けていく。
その子の“音”は、ちいさか音やった。
見えんところでずっと動き続けて、
いま、少しだけ止まりたがっとった。
おれは、それば知っとった。
だから、声もかけず、ただそばに“おる”ことにしたと。
しばらくして、その子はポケットに手ば入れた。
スマホば出すかと思ったけど、やめた。
その仕草に、ほんの少しだけ、やさしか風が吹いた。
おれは、しっぽばふわりと揺らして立ち上がる。
今はもう、十分やった。
背中で、その子の視線ば感じながら、
風の中へ、また歩き出した。
——ここに、おったけん。
その子の“音”が、少しやさしかごとなった気がした。
【了】
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前話です ▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」/「坂の途中で、風がふたつ、重なった気がした」
第45話:「木くずとため息」/「木くずの遊び相手」
第67話:「”tsumu_toco” は、今お休み中。」/「バイパスの風の中、そっと」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga
🧭思考の案内人|Thinking Navigator

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒愛知の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
🧭 読んだあと、あなたの中に“新しい見方”がひとつ芽生えるような。そんな記事をお届けできたらうれしいです。
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