【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第60話「海のむこうの記憶に触れて」/「あの猫が、覚えとったごと」/「おぼえとるけん、そっとおる」)

サイドB:「海のむこうの記憶に触れて」
——地域ミニコミ紙記者・伊藤 陸の視点より
展海峰の見晴らし台。
春の風が、九十九島の青にそっと揺れていた。
原稿の締切が迫っていた。
「昔話を聞いて、風景とあわせて一記事にしてこい」と言われ、僕はこの高台に来た。
取材相手は、語り部ボランティアの宮崎セツさん。白髪まじりのパーマと、花柄のスカーフが印象的なおばあちゃんだった。
「今日は、珍しか話ばしてあげようかね」
そう言って、セツさんが語りはじめたのは、
今は無人島となった「鏡ノ島」にかつてあったという別荘「潮映館」のことだった。
「明治ん終わりごろね、海軍さんの取引先の呉服問屋が建てた別荘があったとよ。
潮ば映す館やけん、潮映館。まー、えらかお客さんがようけ来とった。
皇族様ん名の刻まれた石碑も、まだ残っとるけんね」
僕は、メモをとる手を止めて、ふとセツさんの横を見た。
そこには、白と茶のぶち模様の猫が一匹。
石の影から、静かに顔を出していた。
「ぶんちゃん。あん子も、なんか思い出しとるとやろかね」
セツさんの声に、猫がゆっくりまばたきした。
セツさんの話は続いた。
「昔はね、館ん屋根の上に、猫が毎朝座っとったって話もあったとよ。
白と茶の猫。海ば見守っとったて、島の人らが言いよった。
今思えば、この子みたいやね」
僕は、足元でふわりとしっぽを揺らすその猫を見ながら、
胸の奥で、何かがほどけていく気がした。
——風景って、景色だけじゃないんだな。
そこに生きた人がいて、話があって、想いが残っている。
そういう時間の層を、僕は、たった今、ぶんちゃんと一緒に感じていた。
「取材って、こういうもんなんだな」
気がつけば、小さく声に出していた。
ぶんちゃんは僕をちらりと見上げ、にゃあとも鳴かず、ただしっぽを揺らした。
セツさんが優しく笑った。
「ほら、ぶんちゃんも言いよるよ。“そっと、おるけん”て」
遠く、九十九島の海に光が差していた。
【了】
サイドB':「あの猫が、覚えとったごと」
——語り部ボランティア・宮崎セツの視点より
展海峰の見晴らし台は、春の風が心地よか。
九十九島の島々が、今日も変わらず、海の青に浮かんどる。
若か新聞記者さんが取材に来るちゅうけん、朝から少しだけ髪ば巻いてきた。
しわしわのノートば膝にのせて、懐かしか話ば探しよったら、
白と茶のぶち模様の猫が、ぴょんと石のかげから顔ば出した。
「ぶんちゃん、あんたも聞きに来たとね」
あの子は、たまに展海峰に現れる。
風ば嗅いで、空ば見上げて、時々あたしのそばに座る。
まるで、昔ば思い出す手助けでもしとるごたる目しとるけん、不思議な子よ。
若か記者の兄ちゃんが、ちょっと硬か顔ばしとったけん、
あたしは、あえて少し珍しか話ばすることにしたと。
「鏡ノ島」のこと。「潮映館」のこと。
あたしが小さかころ、島の向こうから船が見えたら、
「あんたたち、あれは偉か人の来よっとばい」って、大人たちがよう言いよった。
その館には、白と茶の猫がいつも屋根の上におって、朝な夕な、海ば見守っとったげな。
「まるで、この子やね」ってあたしが言うたとき、
ぶんちゃんは、ほんとに分かっとるごたる目ばして、
しっぽばひとふりした。
若か記者さんは、ふっと笑った。
取材って、ただ聞くだけじゃなかとが分かったごたる顔やった。
そうやろうね。
話って、思い出すことと、聞いてくれる誰かがいて、はじめて生きるけんね。
ぶんちゃんは、そっと足元ば離れて、見晴らしの縁に立った。
——まるで、あのころの猫が、今もおるって言うごたる。
風が吹いた。
記憶と一緒に、どこか遠くの海の匂いば運んできた。
【了】
サイドA:「おぼえとるけん、そっとおる」
——ぶんちゃんの視点より
おれは、風のある朝が好きやけん。
ちょっと今日は遠出してみた。
展海峰の見晴らし台。
ここは潮のにおいと草のにおいがまざって、空気がうすい青色に光っとる。
九十九島の海は、今日も静かにきらめいとる。
白い雲の下で、ひとりのばあちゃんがベンチに座っとった。
背中はちょっと丸かばってん、目の奥には昔の光が宿っとる。
おれは知っとる。この人は、ようここで話しよる。
島のこと。船のこと。忘れられた景色のこと。
その日は、若か男も一緒やった。
筆記用具とカメラば持って、ばあちゃんの話ば聞きながら、時々空ば見とった。
——この人、ちょっと迷っとるね。
おれはそっと、石の影から顔ば出した。
ばあちゃんの目が、おれに気づく。
「ぶんちゃん、あんたも来とったとね」
おれはしっぽばひとふりして、ばあちゃんの足元に丸まった。
風の中、ばあちゃんが語る話の中に、「潮映館」ち呼ばれる場所が出てきた。
島にあった別荘。将校たちの休み場所。
その屋根の上には、昔、猫がいつもおったげな。
——ああ、それは、たぶんおれの昔かもしれん。
そう思ったけん、目ば細めて、風ば感じた。
若か男は、だんだんと顔がやわうなっていった。
最初は「情報」を探しとった顔が、
今は「記憶」に耳ばすましとる。
——それでよかとよ。聞いてもろうて、思い出されて、それで話は生きとるけん。
おれはそっと立ち上がって、展望台のふちまで歩いた。
潮風が強う吹いたけん、少しだけ体がふらついたばってん、
下を見たら、若か男とばあちゃんが、空ば見上げとった。
それでよか。
おれは、また歩き出す。
この島の記憶が、誰かの心に、ちゃんと届くように。
——おぼえとるけん、そっとおる。
【了】
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前話です ▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」/「坂の途中で、風がふたつ、重なった気がした」
第45話:「木くずとため息」/「木くずの遊び相手」
第60話:「海のむこうの記憶に触れて」/「あの猫が、覚えとったごと」/「おぼえとるけん、そっとおる」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga
🧭思考の案内人|Thinking Navigator

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒愛知の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
🧭 読んだあと、あなたの中に“新しい見方”がひとつ芽生えるような。そんな記事をお届けできたらうれしいです。
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