【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第52話「ひやりとした風と、温かい匂い」/「夕暮れん裏口で」)

サイドB:「ひやりとした風と、温かい匂い」
——ぶんちゃんの視点より
アーケード商店街ん通りは、
夕方ん光でうっすらとオレンジ色ん染まりよった。
おれはいつも通り、ゆっくり歩きながら風ん匂いば感じとった。
通りは賑やかやったばってん、一本路地に入ると静かになった。
古びた木製ん引き戸。
「まるは」って、かすれた筆文字の暖簾が揺れとる。
定食・ごはん処「まるは」。
ちいさな店ばってん、どっしりと落ち着いた空気。
外のガラス窓には昭和んポスターが色褪せて貼られ、
引き戸の向こうからは、いつも香ばしか匂いが漂っとる。
昼はサラリーマンやお年寄りでにぎわい、
夜は仕事帰りの常連さんがぽつりぽつり。
焼き魚ん香り、揚げ物ん甘か匂い。
どんなに忙しか日も、店の中はどこか優しか。
おれはその匂いば頼りに、そっと裏口んそばに近づいた。
そのとき、裏口のドアがギギッと開いた。
古びた鉄の蝶番が、少しきしんだ音ば立てる。
出てきたのは、白いエプロンをつけた若い女ん子。
肩までの黒髪、少しうつむき加減で、どこか疲れた顔。
その手にはお盆。
焼き魚に小鉢、味噌汁、ほかほかのご飯。
——これが「まるは」の賄い。
女ん子はお盆ば裏口ん階段に置いて、ひとり腰掛けた。
ため息がふわりとこぼれる。
おれはその足元にそっと座った。
「…はぁ、また失敗しちゃった。」
小さくつぶやくその声は、どこかしょんぼりしとった。
女ん子はご飯ば口に運ぶばってん、なんか味がせんごたる。
視線はお盆ば見とるけど、心は遠くば漂っとる。
——なんかあったとね。
おれはそっと近づいて、その横にちょこんと座り込んだ。
「…ん?」
女ん子がふと視線ば落とす。
おれと目が合った。
最初はびっくりしとったばってん、すぐにふっと笑った。
「…あんたもご飯ほしかと?」
おれはじっと見つめたまま、しっぽばふわりと揺らした。
「…まぁ、よかよ。太るし、残しちゃうし。」
そう言いながら、少しご飯ば茶碗から箸で分けてくれた。
おれはゆっくり近づいて、そのご飯ばちょんちょんと食べた。
ふわりと優しか匂いが鼻ばくすぐった。
女ん子はおれが食べよる姿ばじっと見とった。
その顔は少しだけ和らいどる。
「…また失敗しちゃったけど…まあ、いっか。」
おれはご飯ば食べ終わり、しっぽばふわりと揺らして立ち上がった。
「…また、来なさいよ。」
女ん子の声が優しゅう響いた。
おれは少し振り返って、ゆっくりまばたきした。
——おれはここに、おったけん。
夕焼けん光が裏路地ばオレンジに染めながら、
おれはまた次の風ば感じながら歩き出した。
【了】
サイドB:「夕暮れん裏口で」
——千夏の視点より
「まるは」の裏口ば開けると、ひんやりした風が頬ばかすめた。
賄いはいつもと同じ、焼き魚に小鉢、味噌汁。
店主の奥さんは「いっぱい食べんと元気でんよ」っち笑いながら、いつも多めに盛ってくれる。
ばってん、今日はなんか、味がせん気がする。
昼の忙しか時間。
またやらかした。
オーダー間違えた上に、お客さんの茶碗ば落として割ってしもうた。
奥さんは「気にせんでよかよ」って笑うてくれたばってん、
わたしん胸ん中は重たかまんま。
——いつも迷惑かけてばっかりやん。
箸を持つ手が自然と止まった。
ため息が、気づかんうちに何度も出とる。
いつからやろか。
「どうせわたしなんか…」って思うようになったんは。
高校卒業して、福岡の服飾専門学校に進んだ。
昔から絵ば描くのは好きやったし、デザインに憧れとった。
ばってん、教室はみんな才能の塊やった。
アイデアも、色彩のセンスも、スケッチの速さも。
わたしは何ばしても「ふつう」やった。
先生は「もう少し工夫がほしいね」って笑うばっかり。
——自分には無理。
そう思うたら、教室に行くのが怖くなった。
授業ば欠席して、アパートでひとり、ただ時間ばつぶしよった。
両親には「勉強は順調よ」って嘘ばついて。
けど、そんな嘘も長うは続かん。
退学ば決めたとき、母に電話で伝えたら、しばらく沈黙。
「…千夏の好きにしたらよかよ。」
その言葉は優しかったばってん、
がっかりしとる顔が浮かんだ。
福岡に残ってバイトもした。カフェ、居酒屋、コンビニ。
どこも長続きせんかった。
——わたしは、どこにおっても中途半端。
結局、実家に戻った。
親は何も言わんかったばってん、視線の温度は変わった気がした。
そんなとき、ふと目に入った「まるは」。
小さい頃、雑貨屋ば営んどる母が忙しかときに、
よく昼食を食べにいった定食屋。
変わらん店構え、優しか店主と奥さん。
「千夏ちゃん、よかったらバイトしてみる?」
その一言で、気がつけば三年。
ここも、いつか辞めるつもりやった。
ばってん、逃げる場所ももうどこにもない。
——本当は逃げたいばってん、どこにも行けん。
箸ば握ったまんま、ため息ばひとつ。
そのとき、視線ば感じた。
「…ん?」
足元を見ると、白と茶のぶち模様の猫。
じっと、こっちば見とる。
「…あんたもご飯ほしかと?」
思わず声が出た。
猫はなんも言わんばってん、しっぽばふわりと揺らしとる。
「…まぁ、よかよ。太るし、残しちゃうし。」
箸でご飯ば少し分ける。
猫はゆっくり近づいて、ちょんちょんと食べ始めた。
——なんか、よか食べっぷりね。
じっと見よると、不思議と胸ん重たさが少し和らいでいく。
猫はただ黙って食べよるだけ。
それば見とるだけで、なんか安心する。
「…また失敗しちゃったけど…まあ、いっか。」
自分でも驚いた。
さっきまであんなに落ち込んどったのに。
猫はご飯ば食べ終わると、しっぽばふわりと揺らして立ち上がった。
「…また、来なさいよ。」
その言葉は、無意識に出た。
猫は振り返り、ゆっくりまばたきしながら歩き出す。
——ありがとう。
小さくつぶやいて、わたしは箸ばもう一度手に取った。
ご飯は、まだちゃんと温かかった。
【了】
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前話です ▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」/「坂の途中で、風がふたつ、重なった気がした」
第45話:「木くずとため息」/「木くずの遊び相手」
第52話:「ひやりとした風と、温かい匂い」/「夕暮れん裏口で」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga
🧭思考の案内人|Thinking Navigator

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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