【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第53話「潮のにおいと、小さな決心」/「波ばころがす音と、白か貝殻」)

サイドB:「潮のにおいと、小さな決心」
——澄江の視点より
浜辺をかすめる潮風が、加工場ん窓からひゅるりと入り込む。
朝の光はまだ淡うて、作業台の上の真珠ば、ぼんやりと照らしとった。
ピンセットでひと粒ずつ珠ば拾い上げ、ルーペで光沢ば確認する。
ばってん、手の動きはどこか鈍か。
——今季も、あんまり採れんやった。
ここ数年、海が変わってきた。
水温の上下、赤潮、貝の病気。
昔はもっと、よう光った。
夫と並んで作業ばしとったころは、もっと海が信頼できる存在やった。
夫が亡うなってから、もう三十年。
一人でもやってこれた。
ばってん、もう体がきつうなってきた。
——潮の加減に振り回されて、
夜も眠れん日が続いて、
それでも誰も責めんことしかできん。
昨日、ひとつ思い切って言葉に出してみた。
「……もう、やめようか」
それば言った瞬間、部屋の中が一層静かになった気がした。
珠たちも、黙って見とるごた。
浜辺の小道ば掃こうと思い立ち、朝の潮風ば受けながら裏口ば開けた。
そしたら、目に入ってきたとが、おった。
猫やった。
白と茶のぶち模様、片耳にちょんと傷。
ちょうどええ石ば見つけたのか、貝殻ば前足でコロコロ転がしとる。
砂ん上を転がって、波打ち際まで行ったかと思うと、またちょいと引き寄せて。
——なんちゅう遊びよると。
そのしぐさに、思わず笑いそうになった。
おいが近づいても、逃げもせん。
ばってん、じっとこちらば見とるその目は、どこか深うて優しか。
何気なく言葉が漏れた。
「…そがん、面白かとね?」
猫は貝殻ばもう一回転がして、しっぽばふわりと揺らした。
海の風が、背中ば押してきた。
潮のにおいと一緒に、かつて夫が言いよった言葉が思い出された。
——「自然はな、向こうが心ば開いたときだけ、応えてくれるもんたい」
わたしは小さくうなずいた。
——あと、もう一度だけ。
もう一度だけ、今の海と向き合ってみよう。
この猫が、今日ここにおった。
それだけで、そんな気になった。
加工場に戻る前、猫に声ばかけた。
「ありがとね。……そっと、背中ば押してくれて」
猫は何も言わん。
ばってん、ただそこにおった。
【了】
サイドA:「波ばころがす音と、白か貝殻」
——ぶんちゃんの視点より
ちょっと遠出をしてやってきた朝の浜辺は、
ひやりとして静かやった。
おれは、小道の先にある砂地んそばで、ひとり貝殻ば転がしとった。
白うて、ちょっと光っとる殻。
朝の光に照らされて、きらりと小さく瞬く。
前足でちょいと押すと、ころんと転がって砂ばけずる。
寄せては返す波のそばで、それば何度も繰り返した。
——なんのため? べつに。
ただ、その音が心地よかったけん。
風が吹いた。
潮ん匂いにまじって、ほのかに木と油の香り。
おれは顔ば上げた。
浜辺に面した古か建物。
白いペンキで塗られた木ん壁が潮で色あせ、
入り口は小道に面しとる。
その向こうで、ギギィと古い扉が開いた音がした。
ゆっくりと現れたのは、年配の女の人。
エプロンの紐が腰にきゅっと巻かれとって、
片手にはほうき、もう片手は風ばよけるように額ば押さえとった。
その人が、おれに気づいた。
しばらくじっと見とったあと、少しだけ口角が上がった。
——ほっとしたごたる顔。
「…そがん、面白かとね?」
おれは貝殻ば、もう一回だけころんと転がした。
そいで、しっぽばふわりと揺らした。
女の人はそれば見て、小さくうなずいた。
——おれには、あんたん心の音が聞こえとった。
潮といっしょに、迷いと疲れと、ちょっとだけ希望ん音。
人はみんな、時々うずくまる。
ばってん、そんなときこそ、潮は動いとる。
おれはそこに、おった。
ただ、風ん中に、そっとおった。
女の人は、建物ん中に戻っていった。
戸ば閉める音が、さっきより軽う聞こえた気がした。
おれはもう一度、貝殻ばつついて、
それが波にさらわれるのば見送った。
——また、だれかのために。
おれは、そっとおるけん。
【了】
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前話です ▼
シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)
第11話:「陸(おか)に戻った日」/「帰港する心」
第18話:「I didn’t say it out loud, but you heard me.」/「声のない声、ちゃんと聞こえとるけんね」
第20話:「ふたりの間に光が灯る」/「来ると思った。根拠なんてないけど」/「別に、会いに行ったわけじゃない——とか言っても信じんやろな」
第24話:「ほどける音は、声の中じゃなく目の奥にあるとたい」/「おかあさんと、ねこさんと、知らないおじさん」/「坂の途中で、風がふたつ、重なった気がした」
第45話:「木くずとため息」/「木くずの遊び相手」
第53話:「潮のにおいと、小さな決心」/「波ばころがす音と、白か貝殻」
あとがき
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。
私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者
プロフィール|Kazuomi Matsunaga
🧭思考の案内人|Thinking Navigator

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
🧭 読んだあと、あなたの中に“新しい見方”がひとつ芽生えるような。そんな記事をお届けできたらうれしいです。
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