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【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第62話「射の場の静寂に、ただおるだけ」/「的より遠くを見ていた」)


ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色

サイドA「射の場の静寂に、ただおるだけ」
――ぶんちゃんの視点

おれは、風の匂いばたどりながら歩きよった。
今日は、潮のにおいに混じって、かすかに乾いた草と木の香りがする。

足を止めたのは、名切にある県立弓道場。
杉の木立に囲まれ、午後の陽が斜めに射し込む、静かで張りつめた場所。
草のにおい、道着の布の擦れる音、そして心ば打つ、ちいさな揺れの気配。

そこに、おった。
ひとりの少年が、黙って立ち、長い弓ば手にしとる。
背筋ばまっすぐに伸ばして、目の奥が強か表情しとるばってん、どこか、遠くを見とる。

おれは、静かに草の上に座った。
そこに“おる”こと、それだけでよか時もあるけん。

少年の足が、地面ばしっかりととらえる。
背を伸ばし、弓ば手にして、深く息ば吸い込む。
その動き一つひとつが丁寧で、力強か。けど、その奥に、わずかにざらつく音がした。

過去のなにかに縛られとる音。
手放せずに、胸の奥でひっかかっとるものの気配。

弓ば高く持ち上げ、じわりと両腕ば開いていく。
風が止まり、空気が固まる。時間も動かん。

矢が、放たれた。

静かな音やった。ばってん、そのあとに残った沈黙のほうが、ずっと強か音を立てとった。

おれは、立ち上がる。
その矢のあとに、何かがほどけた気がしたけん。

ただ“おる”ことで、伝わるものもある。
言葉はなかばってん、そいでよか。

おれは、ゆっくりと射場ば離れた。
振り返らん。少年の目が、おれの背ば追ってくるのを感じながら。

ここに、おったけん。
それだけで、十分たい。

【了】


サイドB「的より遠くを見ていた」
――中原翔太の視点

乾いた音が、耳に残る。
また一本、矢が的を外れた。

佐世保の県立弓道場。午後の光が正面から差し込み、射場の床に長い影ば描いていた。
翔太は、黙って弓を握りしめる。

高校総体県大会まで、あと一週間。
去年、最後の一射で外した記憶が、何度も頭ばよぎる。あの一瞬の震えが、今も腕の奥に残っとる。

「また外したらどうする?」
誰の声でもなか、自分の声。——それが、弦の張りをゆがめる。

足踏み。
肩幅より少し広めに立ち、重心を落とす。地面の感触が、足裏に伝わる。

胴造り。
背筋をすっと伸ばし、肩の力ば抜く。肩甲骨がゆっくりと沈み、呼吸が静まる。
——けど、心だけが、まだ落ち着かん。

弓構え。
左手に弓を、右手に矢を。滑らせるように弦にかけ、肩を開く。

打起こし。
弓ば高く持ち上げ、目線を的へ向ける。——そのとき、視界の端に、小さな影が見えた。

ぶんちゃん。
射場の端、草の上に、白と茶のぶち猫が、ただ座っとった。

何も言わん。ただ、じっと見とる。
まるで、自分の奥の奥まで見透かされとるような、そがん目やった。

引分け。
その視線に追われるように、翔太は両腕をゆっくりと左右に引いた。矢が、胸の奥のものまで引っ張り出すような感覚。

会。
弓が完全に引き絞られ、時間が止まる。
心が、見透かされた気がして苦しくなる。

“当てなければ”。
その思いが、離れをためらわせた。

けれど、ぶんちゃんは動かん。まるで、「放て」と言いよるごたる。
言葉はない。ばってん、伝わってくる。——放せ。おまえはもう、十分引いたとたい。

翔太は、離した。
――いや、自然と離れた。

離れ。
矢が空を裂き、風を切る音が一瞬走る。
その瞬間、胸の奥に絡みついとったものが、ふっとほどけた気がした。

残心。
そのままの姿勢で、呼吸だけが静かに流れる。矢がどこへ飛んだかは、もう見らんやった。

ぶんちゃんは、立ち上がって射場を離れていく。
振り返りもせず、ただ、静かに。

翔太は思った。
「そうか。矢は、放ったらもう、どがんもならんとやな」
結果を握りしめようとする手を、離せばよかったと。

的より、遠くを見ていた。
ほんとはずっと、自分の中ば見とらんやった。

ここに、おったけん。
それだけで、心の重さが、すうっと軽うなった。

【了】


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シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)



あとがき

この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。

私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
 主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
 町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者


プロフィール|Kazuomi Matsunaga

🧭思考の案内人|Thinking Navigator

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒愛知の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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Kazuomi Matsunaga🍀 「クリエイティブの世界へようこそ!」 創造・表現することが好きで、日々新しいものを生み出しています。応援が次の創作の力になります!