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【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第63話「香りが、わたしを連れ戻す」/「湯気のなかに、心があった」)

ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色

サイドB:「香りが、わたしを連れ戻す」
――川原 咲良の視点


春の風は、どこかざわついとる。
港の方から届く風は冷たく、カウンターに置いた紙ナプキンばふわりと舞い上げた。

「今日も誰も来んやったら、少し早めに閉めようかね」
口に出したその言葉に、自分でも驚く。
咲良はそういうことを言わない人間やった。——ずっと、そうやった。

「風待ち珈琲」を始めて、もうすぐ二年になる。
実家の倉庫を改装して、カウンターと小窓だけの小さなスタンド。
誰かがふと立ち寄るのを、ただ待つような店。

最初はそれでよかった。
“地元とつながる小さな窓”——それが咲良の願いやった。

けど、思ったより「つながる」は難しかった。
続けることと、意味を見失わんことは、同じじゃなかった。

そんな朝やった。
ガラス越しに光が差し込み、咲良は一杯ぶんの豆を挽いた。
手回しのミルが奏でる音とともに、深く澄んだ香りが立ちのぼる。
ほのかに甘く、すこし焦げたような——子どもの頃、和菓子屋の台所から漂ってきた黒糖の湯気にも似とる。

蒸らした湯が、細く落ちる。
立ちのぼる湯気は、空気の冷たさと混じりあいながら、小さな小窓の向こうへ流れていった。

そのときやった。
ふわりと揺れる影。窓の外に、白と茶のぶち模様。

——ぶんちゃん。

片耳にちいさな傷のあるその猫は、何も言わず、ただそこに“おる”。

咲良は小窓を少し開けて、春の風に香りばまかせた。
ぶんちゃんは目を細め、風に揺れながら、しっぽを一度だけ、ゆっくりと揺らした。

「寒いね」
そのひと言を、咲良は自分のために呟いた。

客は来なかった。ばってん、ぶんちゃんはしばらくそこにおって、やがて静かに立ち上がり、港の方へ歩いていった。

その背中を見送りながら、咲良は小さく笑った。

「うん。今日も、ここにおろう」

誰かが来るとか来んとかじゃなか。
“ここに、おる”ことに、意味はある。

——ぶんちゃんが教えてくれたとさ。

【了】



サイドA:「湯気のなかに、心があった」
――ぶんちゃんの視点


港から風が吹いてきよった。
花の匂いはまだ遠か。けど、潮と木のすき間ば抜けてくる風には、春の音が混じっとった。

おれは、湊町のほうへ足ば向けた。
朝の光はまだやわうて、道ば照らすよりも、ひとの影ばそっと引き出すごたる。

その小さな店の前に来たとき、ふと鼻先が動いた。
苦うて、あまか——それでいて、どこか懐かしか匂い。
まるで、焚いたばかりの陽だまりのような香りが、窓の奥から流れてきよった。

おれは、そこに座った。

中には、女のひとがひとり。
静かにカップば並べて、手元でお湯ば注ぎよる。
その仕草は落ち着いとるばってん、胸の奥には小さかざわめきが見えた。

——ひとの心には、音がある。
おれには、それが聞こえることがあるとたい。

そのひとの音は、風の音とよう似とった。
「これでよかったとやろか」
「誰かに、届いとるとやろか」

そんな小さか揺れが、湯気といっしょに揺れていた。

おれは、動かんかった。
ただ、そこに“おる”だけ。

女のひとは窓を少し開けた。
その隙間から、香りがもういっぺん流れてきた。
風と、想いと、そしてコーヒーのあまか苦か香り。

おれは目ば細めて、しっぽばひとふりだけ揺らした。
そいが、なんか伝わればよかと思って。

少しして、おれは立ち上がった。
今日のおれの“おる”役目は、もう終わった気がしたけん。

店の中の女のひとが、ちょっとだけ笑った。

その笑みが、春の光より、ぬっかかった。

ここに、おったけん。
ただそれだけで、風も心も、すこしだけ優しかなるとたい。

【了】


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シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)



あとがき

この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。

私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
 主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
 町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者


プロフィール|Kazuomi Matsunaga

🧭思考の案内人|Thinking Navigator

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒愛知の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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Kazuomi Matsunaga🍀 「クリエイティブの世界へようこそ!」 創造・表現することが好きで、日々新しいものを生み出しています。応援が次の創作の力になります!