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【つの版】日本刀備忘録・インデックス02

 ドーモ、三宅つのです。新たにインデックスを作りました。つのは何の専門家でもないため、詳しく知りたい方は専門書を読んで下さい。


◆室町後期編

51.関派七流

 室町時代から戦国時代にかけて、西は備前の長船、東は美濃の関が刀剣の大量生産を行う拠点となりました。

52.兼定兼元

 関の刀工として名高いのが、和泉守兼定と孫六兼元です。

53.千子村正

 美濃の南、伊勢国の桑名では、千子村正とその弟子たちが活動しました。

54.妖刀伝説

 江戸時代には、村正の刀は「徳川家に仇なすもの」「人を狂わす妖刀」との伝説が生じ、広く信じられました。

55.東海刀工

 戦国時代の東海道諸国には有力な戦国大名が割拠し、各地の刀工集団は彼らに仕えて刀や槍を大量生産していました。

56.奥羽北陸

 奥羽には舞草鍛冶の末裔が活動していましたが、北陸諸国には来派や相州伝、大和伝など諸国の刀工が移住し、技術を伝えています。

57.畿内山陰

 戦国時代の畿内では京都の平安城派、大和の金房派などが栄え、山陰では但馬の法城寺国光(相州伝)、因幡の景長(山城伝粟田口派)、伯耆の広賀(相州伝)、出雲の道永(備前伝吉井派)、石見の直綱(相州伝)らが活動していました。

58.山陽刀工

 戦国時代の山陽では、備前の長船祐定、備中の水田国重、備後の三原鍛冶や辰房派、周防の二王清綱らが活動していました。

59.西海刀工

 戦国時代の北部九州では、豊後・豊前の大名である大友氏の庇護を受けた刀工たちが刀剣を大量生産し、各地へ輸出していました。肥後では菊池氏が延寿派を抱え、加藤清正は延寿派の傍流・同田貫派を抱えていました。

60.日薩刀工

 日向国出身の刀工・国広は、主家の伊東氏が島津氏に追放された後は各地を放浪し、最終的に京都堀川に住まって堀川派を開きました。

◆初期剣豪編

61.兵法源流

 剣術の諸流派が「兵法」のひとつとして現れ始めるのは、南北朝時代から室町時代頃のようです。

62.塚原卜伝

 戦国時代の関東では、香取神宮で神道流、鹿島神宮で新當流が起こり、塚原卜伝らの武者修行と宣伝により全国各地に普及しました。

63.愛洲移香

 陰流の祖・愛洲移香斎については謎が多く、出身地も伊勢説が有力ですが諸説が入り乱れています。

64.倭寇影流

 戦国時代、愛洲氏は後北条氏に雇われて水軍・海賊を率い三浦半島の海防に当たっていました。同時代の倭寇は刀を振るって明軍と戦っており、影流(陰流)の目録を明国にもたらしています。

65.猿飛陰流

 移香斎の子・小七郎宗通は日向から常陸へ移り、佐竹義重に仕えました。

◆新陰流編

66.上泉信綱

 上州の兵法家・上泉信綱は陰流を発展させて新陰流を興し、大和や京都へ赴いて普及につとめました。

67.柳生宗厳

 上泉信綱の弟子・柳生宗厳は大和北部の国人として松永久秀らに仕えましたが、久秀が信長に背いて敗死すると逼塞し、秀吉の時には先祖伝来の所領までも失ってしまいます。

68.柳生再興

 柳生宗厳(石舟斎)の子・宗矩は徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いの時に活躍し、その功績により柳生庄2000石を再び授かります。

69.柳生宗矩

 柳生宗矩は徳川秀忠・家光より重用され、ついに1万石の所領を授かり大名に列せられます。その兵法は治国平天下のための術となりました。

70.新陰諸流

 上泉信綱の高弟・疋田景兼や丸目長恵らは、柳生家には及ばぬながら各地に兵法を伝えました。長恵が新たに興した流派がタイ捨流です。

◆宮本武蔵編

71.新免無二

 剣豪・宮本武蔵の出身地については播磨とも美作とも言われますが、彼自身は『五輪書』自序で生国を播磨と記しています。

72.吉岡憲法

 若き武蔵は播磨や但馬で武芸者と戦った後、京都で吉岡一門と戦ったと『小倉碑文』に伝えられますが、このことは『五輪書』にありません。

73.吉岡重堅

 京都の兵法家・吉岡流は実在しており、大坂の役の直前に京都で騒動を起こしていたことが記録されています。

74.巌流決闘

 同じく『小倉碑文』には、宮本武蔵が豊前と長門の境の舟島で巌流(岩流)なる兵法者と戦って勝ち、以後その島は巌流島と呼ばれたとあります。

75.巌流伝説

 時代が下るにつれて、巌流島の決闘の話には尾ひれがついていきます。

76.武公遅参

 現代に伝わる「佐々木小次郎」の話は、近世・近代の創作に基づきます。

77.三木之助

 大坂の陣の後、宮本武蔵は播州に戻り、養子をとります。

78.宮本伊織

 養子の一人・伊織は播州明石藩主の小笠原忠政に仕えて出世し、主君が豊前小倉に転封されるとこれに付き従いました。

79.原城石礫

 島原の乱に際し、宮本武蔵と伊織は小笠原氏に従って参戦しました。

80.五輪之書

 肥後に招かれて赴いた後、60歳の宮本武蔵は『五輪書』を著します。

◆一刀流編

81.瓶割一刀

 一刀流の始祖・伊東一刀斎の経歴は謎に包まれています。

◆居合術編

82.林崎甚助

 抜刀術/居合術の始祖・林崎甚助の経歴も謎に包まれています。

◆刀狩編

83.発刀狩令

 天正16年7月8日(西暦1588年8月29日)、秀吉は「刀狩令」を全国に布告します。

84.兵農分離

 秀吉は武家奉公人が百姓や町人になることを禁止し、職業別の人別帳を作らせて、朝鮮出兵のための戦力の把握につとめました。

◆新刀・新々刀編

85.慶長新刀

 豊臣秀吉による天下統一は、日本刀の歴史にとっても画期となりました。

86.大坂新刀

 京都・大坂・紀州など上方には各地の刀工が集い、技術を競いました。

87.江戸新刀

 将軍のお膝元である江戸には人口が集中し、各地から刀工が集いました。

88.水心子刀

 江戸時代後期、水心子正秀は古来の刀への復古を唱え、新々刀を創始しました。

◆刀剣鑑定編

89.本阿弥家

 本阿弥家は刀剣の手入れや研磨、鑑定を職務として室町幕府に仕え、のち信長・秀吉・家康にも仕えて栄えました。

90.試刀剣術

 刀剣の切れ味を試すために行われたのが試し斬りで、過去には罪人の処刑を兼ねて人体での試し斬りも行われました。

◆幕末編

91.剣術道場

 江戸時代後期には剣術ブームが起き、町人や百姓も道場での竹刀稽古で免許皆伝を授かれば道場を開き、剣術指南役になれるようになります。

92.練兵士学

 剣術道場は幕末には一種の政治組織とも化し、彼らの人脈は幕末維新期の政治状況にも深く関わってきます。

93.幕末動乱

 黒船来航の後、日本では尊王攘夷運動が盛んになり、刀剣による異国人や政治家へのテロが横行し始めます。

94.壬生浪士

 将軍の上洛警護のためと称して清河八郎が集めた浪士組は、壬生浪士組/新選組と新徴組の母体となりました。

95.天然理心

 壬生浪士組は、芹沢鴨一派の粛清後は近藤勇を局長とする新選組となり、会津藩のもとで京都の尊王攘夷派を取り締まって名を挙げました。

96.御陵衛士

 勤王派の伊東甲子太郎は同志を率いて新選組から離脱し、御陵衛士という新たな組織を立ち上げます。

97.土方歳三

 明治新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争・箱館戦争において、新選組副長の土方歳三は最期まで新政府軍と戦い抜いて戦死しました。

◆明治以後

98.帯刀禁令

 明治政府は一般人の帯刀を禁止し、基本的には軍人と警察官のみが帯刀するようになりました。

99.日本軍刀

 日本軍はサーベルを制式装備としましたが、将校や士官の中には刀身を日本刀に差し替える者もおり、日本刀風の軍刀が流行しました。

100.銃刀取締

 第二次世界大戦後、GHQと日本政府は徹底した銃器・刀剣の取り締まりを行いました。

【以上です】

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