《無料公開》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜「80」(2026)】金田政権参謀からスタート、マリーンズ初代監督八木沢荘六、第一次バレンタイン監督も背負った系譜
(写真 中央・8年ぶりに復帰した松山秀明が11代背番号80を引き継ぐ、左上・初代は金田政権下の参謀吉田勝豊、左下・マリーンズ初代監督八木沢荘六が4代、右上・第一次バレンタイン監督も5代として引き継ぐ、右下・コーチとして15年背負った10代大塚明)
※名前横の【殿堂】は野球殿堂入りしている選手、【サイン】はサインが掲出されています(クリックで拡大)
「80」金田政権参謀からスタート、マリーンズ初代監督八木沢荘六、第一次バレンタイン監督も背負った系譜
背番号80の系譜は金田正一監督の参謀として入団した吉田豊勝から始まった。以降、コーチが引き継ぎ、千葉移転してスタートしたマリーンズ初代監督の八木沢荘六が監督として初めて背負う。八木沢監督退任後は続いてバレンタイン監督が引き継いだ。近年は大塚明がコーチとして15年背負った。
----- 現在の背番号「80」 -----
★《11代》2026(R8)年〜・2026年は1年目 松山 秀明(まつやま ひであき) コーチ(コーチ在籍6年目)
1967(S42)年4月18日生(コーチ就任時45歳)、右投右打
(出身・和歌山)大阪・PL学園高(甲)–青山学院大–オリックス(90~98)
千葉ロッテコーチ(13〜17、26)
【松山 秀明 背番号変遷】72(5)、80(1)
2013(H25)年から17(H29)年の5年間、一軍と二軍で内野守備走塁コーチを務めていた松山秀明がサブロー新監督に請われ、26(R8)年に8年ぶりに復帰。一軍チーフ内野守備走塁コーチとして背番号80を引き継いだ。
【現役時在籍なし】
----- オリオンズ&マリーンズ「80」の系譜 -----
※1950(S25)年〜1979(S54)年 空番
★《初代》1973(S48)年〜1978(S53)年・6年 吉田 勝豊(よしだ かつとよ) コーチ(コーチ在籍6年)
1935(S10)年3月21日(就任時38歳)、右投右打
佐賀・武雄高(–)–日鉄二瀬–東映(57〜64)–巨人(65〜67)–西鉄(68〜69)
ロッテコーチ(73〜78)
【吉田 勝豊 背番号変遷】コーチ/80
背番号80の始まりは、1973(S48)年の金田正一政権でヘッドコーチとして招請された吉田勝豊が背負ってスタートした。
本拠地東京球場を失い、金田監督が就任してチームが一変した中、金田監督の意を汲んでチームを支えた。
2年目の74(S49)年はヘッドを外れ外野守備兼打撃コーチとしてチームの快進撃を引き出し、後期優勝、リーグ優勝、日本一とチームを導いた。
3年間一軍を担当し、5年目の77(S52)年は若手打撃陣の底上げを任され二軍打撃担当。78(S53)年は再び一軍打撃兼外野守備を担当した。金田監督の退任に伴い、78年限りで退団した。
【現役時在籍なし】
※1979(S54)年〜1980(S55)年 空番
★《2代》1981(S56)年〜1986(S61)年・6年 飯塚 佳寛(いいづか よしひろ) 内野手(在籍10年、コーチ)
1945(S20)年1月26日生(入団時24歳、移籍時28歳)、右投左打
栃木・宇都宮学園高(–)−鷺宮製作所−ロッテ(69〜70)−大洋(71〜72)−広島(73)−ロッテ(73〜80)
ロッテコーチ(81〜86)
【飯塚 佳寛 背番号変遷】28(2) 、13(8)、コーチ/80(6)
→ 飯塚佳寛 背番号 28 へ(有料エリア)
→ 飯塚佳寛 背番号 13 へ(有料エリア)
現役時代は堅実な守備で遊撃手として活躍した飯塚佳寛が1980(S55)年限りで現役を引退。81(S56)年に二軍守備走塁コーチに就任。吉田勝豊退団後空番だった背番号80を引き継いだ。
若手内野陣の守備力向上に尽力し佐藤健一、西村徳文らを一軍に送り出した。6年間担当し、86(S61)年限りで退任しスカウトに転身した。
【現役在籍時成績】
◆在籍時通算打撃成績<979試合、打率.260、2188打数568安打、12本塁打、136打点、167盗塁>
◇初出場、初打席<1969(S44)年4月15日・東映1回戦/R(後楽園)/途中二塁/1打0安>
◇初安打<1969(S44)年5月3日・近鉄4回戦/H(東京)/代打/1打1安>
◇初打点<1969(S44)年8月12日・近鉄16回戦/H(東京)/代打遊撃/1打0安/内野ゴロ>
◇初スタメン<1969(S44)年8月27日・阪急17回戦/H(東京)/9番遊撃/1打0安>
◇初本塁打<1973(S48)年5月18日・阪急7回戦/H(川崎)/9番遊撃/山田久志から>
※在籍時に達成した主な記録
◇1000試合出場(1979年10月12日、史上213人目)
※1987(S62)年~1988(S63)年 空番
★《3代》1989(H1)年〜1991(H3)年・3年 【サイン】植村 義信(うえむら よしのぶ) (在籍9年/コーチ19年)

1935(S10)年1月5日(入団時18歳)、右投右打
兵庫・芦屋高(甲)−毎日/大毎(53〜61)
大毎/東京/ロッテコーチ(62〜73、89〜91、97〜00)
他球団監督/日本ハム(84途中)
【植村 義信 背番号変遷】18(9)、コーチ62(1) ⇒ 63(3) ⇒ 53(7) ⇒ 83(1)、80(3)、83(3)
→ 植村義信 背番号 18 へ(有料エリア)
→ コーチ/植村義信 背番号 62 へ(有料エリア)
→ コーチ/植村義信 背番号 63 へ(有料エリア)
→ コーチ/植村義信 背番号 53 へ(有料エリア)
現役時代は主軸投手として活躍し、引退後はコーチを務めて退団。日本ハムでは監督を務め、前年までは阪急のコーチだった植村義信が1989(H1)年に16年ぶりにオリオンズに復帰。背番号80を引き継いだ。
有藤道世監督3年目、投手陣の立て直し役として期待されての復帰だったが投手成績はリーグ最下位に終わる。有藤監督退任後も金田正一監督下で若手を中心とした投手陣の底上げを任されたが、90(H2)年は5位、91(H3)年は再び最下位と投手陣の底上げならず、金田監督の退任に伴い退団。97(H9)年に二軍投手コーチとして復帰する。
【現役在籍時成績】
◆在籍時投手成績<322試合、74勝69敗、防2.69、131先発、6完封、832奪三振>
◇初登板、初先発<1953(S28)年3月30日・東急2回戦/H(川崎)/先発/5回0失勝敗なし>
◇初勝利<1953(S28)年9月17日・近鉄19回戦/H(後楽園)/先発/5回2失>
◇初完投<1954(S29)年4月24日・高橋5回戦/R(川崎)/先発/9回1失>
◇初完封<1954(S29)年9月13日・阪急17回戦/R(西宮)/先発/9回0失>
◆打撃成績<326試合、打率.135、347打数47安打、0本塁打、17打点、2盗塁>
◇オールスター出場/2回(55、59)
※在籍時に獲得したタイトル
◆最高勝率(1956年)
※在籍時に達成した主な記録
◆最少投球数完投勝利(71球)史上タイ記録
★《4代》1992(H4)年〜1994(H6)年・3年 八木沢 荘六(やぎさわ そうろく)一軍監督(在籍13年/コーチ1年/監督3年)
1944(S19)年12月1日生(入団時22歳)、右投右打
栃木・作新学院高–早稲田大–ロッテ(66〜79)
千葉ロッテ監督(92〜94途中)、ロッテコーチ(80)
【八木沢 荘六 背番号変遷】27(13)、コーチ/72(1)、監督/80(2+途中)
千葉ロッテマリーンズとなった1992(H4)年にマリーンズ初代監督として八木沢荘六が就任し、背番号80を引き継いだ。
現役時代はオリオンズの主軸投手として13年活躍し球団史上初の完全試合を達成。引退後の80(S55)年に1シーズンのみコーチを務め、以降前年まで西武でコーチを務めていた。12年ぶりの復帰となった。
初年度の92(H4)年は開幕ダッシュに成功。4月は首位と飛び出した「ピンク旋風」と話題となったがが、5月以降は失速。最終的に最下位に終わる。
93(H5)年は伸び悩んでいた伊良部秀輝を指導し中盤から先発で覚醒させる。伊良部を中心にリーグ屈指の投手陣を要しながら課題の打撃力を克服出来ず、最下位は逃れたものの5位に終わる。
94(H6)年は課題の打撃力打開のために中西太をヘッドコーチに招請する。しかし5月に7連敗を喫する。その後借金1まで盛り返すも、7月には9連敗、2勝後6連敗と一気に首位と15.5ゲーム差の5位に沈む。8月1日には球団から休養を要請され休養に入り、そのまま退団した。
◆監督成績(92(H4)年〜94(H6)年途中)
<345試合、139勝202敗4分、勝率.408、5位2回・6位1回)>
◆在籍時通算投手成績<394試合、71勝66敗、防3.32、8S、-H、119先発、6完封、567奪三振>
◇初登板<1967(S42)年8月11日・南海17回戦/R(大阪)/5番手完了/1回2失(0自)>
◇初先発<1968(S43)年10月3日・南海25回戦/R(大阪)/先発/5.2回4失>
◇初勝利<1969(S44)年10月4日・東映24回戦/R(後楽園)/3番手完了/2回1失>
◇初完投<1970(S45)年9月17日・東映22回戦/R(後楽園)/先発/9回3失>
◇初完封<1973(S48)年10月10日・太平洋後期12回戦/H(宮城)/先発/史上13人目の完全試合>
◇初セーブ<1974年5月24日・阪急前期6回戦/R(西宮)/2番手完了/2.1回0失>
◆在籍時通算打撃成績<461試合(偵察登録含む)、打率.134、127打数17安打、1本塁打、11打点、0盗塁>
※在籍時に獲得したタイトル
◆最高勝率(1973年)
※在籍時に達成した主な記録
◆完全試合(1973年10月10日・太平洋後期12回戦(宮城)、史上13人目)
◇1000投球回(1977年9月30日・近鉄後期10回戦(宮城)、史上186人目)
★《5代》1995(H7)年・1年 【サイン】ボビー・バレンタイン 一軍監督(監督在籍7年)

1950(S25)年5月13日生(1995年入団時44歳、04年入団時53歳)
監督歴/テキサス・レンジャーズ(85年途中~92年途中)‐米3A/ノーフォーク・タイズ(94)‐千葉ロッテ(95)‐ノーフォーク・タイズ(96途中)‐ニューヨーク・メッツ(96途中~02)‐千葉ロッテ(04~09)‐ボストン・レッドソックス(12)
【バレンタイン 背番号変遷】70(1)、2(6)
八木沢体制に変わり、球団は広岡達朗をGMに起用。その広岡GMが監督として招聘した米メジャーで監督経験のあるバレンタインが監督に就任。背番号80を引き継いだ。
メジャー流が当初は浸透せず、加えて風疹がチーム内に蔓延するなど序盤は借金生活と苦しいスタート、6月も7連敗を喫して最下位に転落した。しかしその6月下旬から白星を重ね、7月は勝ち越して借金返済。8、9月も勝ち越してマリーンズ初のAクラス(球団として10年ぶり)にチームを引き上げた。しかしチーム内では監督とコーチ陣の間で確執が発生して、広岡GMは1シーズン限りでの解雇を決断した。
94(H6)年に監督として復帰する。
※1996(H8)年 空番
★《6代》1997(H9)年〜1998(H10)年・2年 中村 稔(なかむら みのる) コーチ(コーチ在籍2年)
1938(S13)年9月28日生(就任時68歳)、右投右打
三重・宇治山田商業高–巨人(57〜69)
千葉ロッテコーチ(97〜98)
【中村 稔 背番号変遷】コーチ/80(2)
現役時代は巨人の主力投手として活躍し、引退後は長らくコーチを務めていた中村稔が、新任の近藤昭仁監督の要請を受けて一軍投手コーチに就任。背番号80を引き継いだ。
強固な投手陣を誇っていたマリーンズだったが、主力の移籍とケガで前年96(H8)年投手成績はリーグ5位に終わり、立て直しを期待されての就任だった。黒木知宏を抜擢するなど若手投手の起用に力を入れたが97(H9)年は投手成績はリーグ最下位に終わる。翌98(H10)年は5月から6月にかけてチームは18連敗を喫し、責任を取る形で6月30日で退団した。
※1999(H11)年 空番
★《7代》2000(H12)年〜2002(H14)年・3年 高橋 眞裕(たかはし まさひろ) コーチ(コーチ在籍3年)
※雅裕での登録時もあったが千葉ロッテ在籍時は眞裕
1964(S39)年7月10日生(移籍時27歳)、右投右打
愛知・名古屋電気高(甲)–横浜(83〜96)–千葉ロッテ(97〜99)
千葉ロッテコーチ(00〜02)
【高橋 眞裕 背番号変遷】35(3)、コーチ/80(3)
1999(H11)年限りで現役を引退した高橋眞裕が現役を引退。00(H12)年に一軍外野守備走塁コーチに就任。背番号80を引き継いだ。
翌01(H13)年は二軍で外野守備走塁を担当、02(H14)年は再び一軍で外野守備走塁を担当した。このシーズン限りで退団した。
※2003(H15)年~2007(H19) 空番
★《8代》2008年〜2009年・2年 レン サカタ(坂田 春樹(さかた はるき)) 二軍監督(二軍監督5年、コーチ3年)
1953(S28)年6月8日生(入団時41歳)、右投右打
(出身・米ハワイ)–米ゴンザガ大–米マイナー(76)–ミルウォーキー ブルワーズ(77〜79)–ボルチモア オリオールズ(80〜85)–オークランド アスレチックス(86)–ニューヨーク ヤンキース(87)
ロッテ二軍監督(95、08〜09)、コーチ(96〜98)
【サカタ 背番号変遷】二軍監督、コーチ/71(4)、二軍監督/80(2)
第一次バレンタイン政権下で来日。95(H7)年から二軍監督を1年、一二軍でコーチを3年間務め帰国していたレンサカタがバレンタイン監督に請われて08(H20)年に再来日。二軍監督に就任し背番号80を引き継いだ。
前年はイースタン最下位だったが08(H20)年は最下位を脱出して5位。翌09(H21)年は若手の成長もあり2位に躍進した。しかしバレンタイン監督の退任に伴い、レンサカタも退団した。
★《9代》2010年・1年 代田 建紀(だいた たけのり)(在籍5年、コーチ2年)
1974(S49)年2月11日生(移籍時31歳)、右投両打
神奈川・藤嶺藤沢高(–)–城西大–朝日生命–近鉄(98〜00)–ヤクルト(00〜02)–千葉ロッテ(03、05〜08)
千葉ロッテコーチ(09〜10)
【代田 建紀 背番号変遷】65(1) 、00(4)、コーチ/71(1)⇒80(1)
→ 代田建紀 背番号 65 へ(有料エリア)
→ 代田建紀 背番号 00 へ(無料公開)
→ 代田建紀 背番号 71 へ(無料公開)
現役引退後、前年に二軍守備走塁コーチに就任し背番号71を背負っていた代田建紀が2年目の10(H22)年に背番号を80に変更して引き継いだ。
前年に引き続き若手の走塁技術の向上をテーマに指導したが。このシーズン限りで退団した。
◆在籍時通算打撃成績<120試合、打率..161、87打数14安打、0本塁打、4打点、15盗塁>
◇ロッテ初出場<2003(H15)年3月29日・ダイエー2回戦/R(福岡D)/代走/打席なし>
◇ロッテ初スタメン、初打席<2003(H15)年4月5日オリックス1回戦/R(ヤフー神戸)/2番左翼/4打0安>
◇ロッテ初安打<2003(H15)年10月8日・オリックス27回戦/R(ヤフー神戸)/1番中堅/4打1安>
◇ロッテ初打点<2003(H15)年10月10日・日本ハム27回戦/H(千葉マリン)/1番中堅/3打1安/適時打>
★《10代》2011(H23)年〜・2025(R7)年・15年 大塚 明(おおつか あきら) コーチ(現役在籍17年/コーチ在籍15年)
1975(S50)年4月28日生(入団時18歳)、右投右打
大分・別府羽室台高(–)–千葉ロッテ(94〜10)
千葉ロッテコーチ(11〜25)
【大塚 明 背番号変遷】65(5) ⇒ 23(12)、コーチ/80(15)
→ 大塚明 背番号 23 へ(有料エリア)
17年の現役生活を2010(H22)年限りで終えた大塚明が、11(H23)年からニ軍外野守備走塁コーチに就任。背番号を23から80に変更して引き継いだ。
翌12(H24)年は一軍外野守備走塁、13(H25)年からは再び二軍外野守備走塁を17(H29)年まで担当。打撃指導も積極的に行い、後に主力となる外野手を一軍に送り出した。
18(H30)年は5年ぶりに一軍外野守備走塁を担当し、三塁コーチにも立つ。25(R7)年はチーフ打撃コーチ兼走塁担当となり打撃も正式に統括した。しかしチーム、打撃成績とも最下位に低迷。球団から慰留されたものの「けじめをつける」との思いから32年のマリーンズ生活にピリウドを打った。
【在籍時現役成績】
◆在籍時通算打撃成績<737試合、打率.241、1541打数371安打、35本塁打、172打点、53盗塁>
◇初出場、初打席<1997(H9)年6月24日・近鉄12回戦/H(千葉マリン)/途中中堅/1打0安>
◇初安打<1997(H9)年6月29日・日本ハム11回戦/R(東京D)/代打中堅/1打1安>
◇初スタメン<1997(H9)年8月26日・ダイエー21回戦/R(福岡D)/8番中堅/2打0安>
◇初本塁打、初打点<1997(H9)年8月30日・日本ハム20回戦/H(千葉マリン)/8番中堅/3打3安/下柳剛から>
※背番号年数は、着用年数のみ。年数1年未満の場合は月数で表示しています。
※在籍年数は現役としての年数。シーズン途中移籍や入団も1年として算出。
※監督歴は他球団の監督歴も表記、コーチ歴はオリオンズ&マリーンズのみ表記。
※出身高校横の(甲)は甲子園出場、(–)は出場なし。
※通算成績は背番号時に関係なく在籍時の通算成績です。
※記録内の◆はタイトル、表彰、主な記録。◇は節目の記録。
※初出場等の記録のHホーム、Rロードの略。
※タイトル、表彰、記録は在籍時に表彰を受けたものを対象としています。
※イースタン表彰のFA(JA)はフレッシュ(ジュニア)オールスタの略
---- オリオンズ&マリーンズ 背番号の系譜 INDEX ----
《全文無料》「1」巧打好守の好選手の歴史
《有料・冒頭試読》「2」3人の高卒新人開幕スタメン
《有料・冒頭試読》「3」天才打者が歴史を作り、巧打者が続く系譜
《有料・冒頭試読》「4」職人肌野手と助っ人の系譜
《有料・冒頭試読》「5」歴代最少11人、打撃職人の系譜
《有料・冒頭試読》「6」落合が生んだ打線主軸の系譜
《有料・冒頭試読》「7」助っ人強打者と俊足強打の系譜
《有料・冒頭試読》「8」看板打者の系譜
《全文無料》「9」紡いだ歴史を大きく育てた福浦和也
《全文無料》「0」新しい系譜は快足とリリーフエースの系譜に
《全文無料》「00」最も新しい系譜は助っ人、俊足の系譜
《有料・冒頭試読》「10」投手と野手混在の系譜、3000本安打張本勲も背負う
《有料・冒頭試読》「11」左腕の系譜もマリーンズではリリーフの系譜へ
《有料・冒頭試読》「12」球団初戦先発投手から続く投手 時々 打者の系譜
《有料・冒頭試読》「13」準エースの系譜から主力野手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「14」球団創設から続く主力投手の系譜
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《有料・冒頭試読》「16」トレード移籍投手の系譜】
《有料・冒頭試読》「17」佐々木朗希につながるエースの系譜
《有料・冒頭試読》「18」植村義信で生まれたエースの称号
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《有料・冒頭試読》「21」投手と野手が混在の系譜は、監督の顔に
《有料・冒頭試読》「22」捕手の系譜から助っ人の新しい歴史へ
《有料・冒頭試読》「23」主軸野手が紡いだ背番号23
《有料・冒頭試読》「24」息の長い野手の系譜から投手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「25」正統・打撃職人の系譜
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《無料公開》「69」裏からチーム支えた3捕手から現役の系譜へ
《無料公開》「70」福浦が原点に戻った背番号70
《無料公開》「71」二軍監督が引き継いだ背番号71
《無料公開》「72」稲尾監督が背負った72はコーチの系譜
《無料公開》「73」OBコーチが引き継いだ背番号73
《無料公開》「74」初代現役以外はコーチが細かく継いだ背番号
《無料公開》「75」コーチの顔、高沢秀昭、堀幸一が13年背負った背番号
《無料公開》「76」コーチの系譜もフローレスが唯一の現役
《無料公開》「77」監督から始まった背番号77の系譜
《無料公開》「78」系譜最長の西村徳文が宙に舞った背番号78
《無料公開》「79」若生、井上祐、小林雅、松永昴と投手コーチが継いでいる背番号
《無料公開》「80」金田政権参謀からスタート、マリーンズ初代監督八木沢荘六、第一次バレンタイン監督も背負った系譜
※参考文献、参考WEBは『プロローグ』から
