《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜「29」(2026)】サンデー兆治が育て、サンデー晋吾が継いだエースの称号
(写真 中央・17年目を迎えた13代西野勇士、左上から・控え捕手としてブルペン支えた2代鵜飼昭雪、球団史上唯一生え抜き200勝マサカリ7代村田兆治、マリーンズ初代29はギャオス内藤尚行、エースを継いだサンデー晋吾12代小野晋吾)
「29」 サンデー兆治が育て、サンデー晋吾が継いだエースの称号
背番号29と言えば、やはり村田兆治が育てた背番号と言えるだろう。球団史上唯一の生え抜き200勝を達成した絶対的エースは、先発、リリーフとフル回転した。そして、ヒジにメスを入れ復活した「サンデー兆治」の姿が印象に残っているオールドファンも多いだろう。
時を超えて2000年、小野晋吾が「サンデー晋吾」としてブレイク、村田のお墨付きを得て背番号29を引き継いだ。ケガに悩まされながらも村田の23年には及ばなかったものの、20年という息の長い投手生活を過ごした。
そして、今シーズン29を継いだ西野勇士が16年目を迎える。村田と同じトミー・ジョン手術を受け、見事に復活を果たした。西野には小野の20年、村田の23年を超える投手生活を期待したい。
----- 現在の背番号「29」 -----
★《13代》2014(H26)年~・2025(R7)年は12年目 西野 勇士(にしの ゆうじ) 投手(25年は在籍17年目)
1991(H3)年3月6日生(入団時22歳)、右投右打
富山・新湊高(–)–千葉ロッテ(09〜)
【西野 勇士 背番号変遷】131(4) ⇒ 67(1) ⇒ 29(11)
→ 西野勇士 背番号 67 へ(有料エリア)
育成選手として入団し、5年目の前年13(H25)年に支配下登録され、ローテーションを守った西野勇士が、14(H26)年に引退した小野の背番号29を引き継いだ。
前年は22試合に先発(24登板)し、防御率3.80と安定したピッチングを見せた西野だったが、6年目の14(H26)年は、前年最多セーブの益田直也が右ヒジの違和感で離脱したため、守護神に指名され開幕を迎えた。チームは開幕から5連敗を喫したため開幕6戦目・4月5日の日本ハム2回戦(QVCマリン)で4番手としてシーズン初登板。翌6日の3回戦で最後を締めて自身初セーブを記録する。以降、14試合連続無失点を記録するなど安定した守護神ぶりを見せる。益田復帰後も守護神としてマウンドに上がりシーズン終了まで務める。最終的に57試合に登板し、1勝1敗31セーブ9ホールドを記録。防御率は1.86だった。
15(H27)年も守護神として開幕一軍入り。安定したピッチングで守護神を務めたが、シーズン終盤の9月下旬に打球が左足を直撃して亀裂骨折で離脱。シーズンをそのまま終える。54試合に登板し1勝2敗34セーブ4ホールド、防御率1.83だった。セーブ機会での失敗は0と安定した内容だった。翌16(H28)年も開幕から守護神を務めるも、6月頃から右ヒジに違和感を抱え、失敗も続き登録を抹消される。最終盤の9月に復帰したものの、42試合に登板し3勝6敗21セーブ5ホールド、防御率3.35で終えた。
17(H29)年は先発に転向し、開幕2戦目・ソフトバンク2回戦で4年ぶりに一軍先発。6回4失点(自責は3)で黒星を喫したものの、2度目の先発となった4月13日のオリックス戦では6回6安打1失点と好投し、4年ぶりに先発勝利を挙げた。しかし、右ヒジ痛が再発し抹消。リハビリ後、9月末に一軍復帰し先発勝利を飾ったが、最終的に5試合に先発し2勝3敗、防御率4.73で終えた。翌18(H30)年は中継ぎとして開幕一軍入り。しかし、結果を出せずに抹消される。その後、状態が上がらず一軍と二軍を往復。最終的に14試合に登板し防御率6.19に終わった。
19(R1)年はフォーム修正に取り組み状態を取り戻し、中継ぎとして開幕一軍入りを果たす。4月23日の西武戦でホールド、5月9日の西武戦でセーブと3年ぶりに記録する。後半にはチーム事情から先発復帰。一度二軍で先発の調整を行い、5月5日の楽天戦で5回を3安打無失点に抑え、674日ぶりの一軍先発登板を白星でる。さらに好投を続け、このシーズンは37試合(6先発)の登板で2勝3敗2セーブ5ホールド、防御率2.96と西野らしさを見せたシーズンとなった。
しかし、20(R2)年は開幕前に右ヒジに違和感を覚え、右ヒジ内側側副靱帯損傷と診断されトミー・ジョン手術を受ける。このシーズンと翌21年はリハビリに徹し、2年間一軍未登板に終わる。
22(R4)年は3年ぶりに開幕一軍入り。退団や離脱で投手陣を再編する中で、リリーフ要員としてのベンチ入りだった。当初は登板間隔を空けながらマウンドに上がったが、コロナ陽性で一時離脱。復帰後はリリーフ陣が整備されたこともあり登板数も減少する。7月に再びコロナ罹患し離脱。復帰後はシーズン最後まで安定したピッチングを見せた。最終的に37試合に登板し3勝3敗15ホールド、防御率1.73だった。
23(R5)年は先発復帰して開幕からローテーション入り。開幕4戦目・日本ハム戦で約3年ぶりに先発マウンドに上がる。5回4失点と今一つながら、打線の援護もあり4年ぶりに先発白星を挙げる。以降、一時離脱はあったものの、間隔を空けながら先発に立つ。最終的に18試合に先発し8勝5敗、防御率2.69でシーズンを終えた。ポストシーズンでもソフトバンクとのCSの第1S第2戦に7年ぶりに先発。黒星を喫したが、復活を印象づけるシーズンとなった。
24(R6)年も開幕ローテーション入り。間隔を空けての登板もあったが、シーズン終盤までローテーションを守った。ただ、15試合に先発したものの5回までに5失点以上した試合も5試合あり、防御率は3.36ながら安定感を欠いた時期もあった。8勝6敗だった。また、シーズン中に国内FA権を取得したが、行使せずに残留した。
25(R7)年も開幕から先発ローテーション入り。6月まで8試合に先発。白星には恵まれず4敗だったが防御率3.43と試合を作っていた。しかし6月14日に右前腕屈筋群の筋損傷と診断され離脱。8月17日に復帰し5回無失点と好投も再び抹消され、そのままシーズンを終えた。
(2025(R7)年 シーズン終了時)
◆在籍時通算投手成績<317試合、38勝41敗88S38H、防3.06、79先発、1完封、609奪三振>
◇初登板<2013(H25)年3月30日・オリックス2回戦/H(QVCマリン)/2番手/2.2回1失>
◇初先発、初勝利<2013(H25)年4月8日・楽天3回戦/R(Kスタ)/先発/7回0失>※育成出身初の初先発初勝利
◇初セーブ<2014(H6)年4月5日/日本ハム2回戦/H(QVCマリン)/4番手完了/1回0失>
◇初ホールド<2014(H6)年4月18日・ソフトバンク4回戦/H(QVCマリン)/4番手/1回0失>
◇初完投、初完封<2019(R1)年9月7日・ソフトバンク23回戦/R(ヤフオク!D)/先発/9回0失>
◇オールスターゲーム出場/2回(13、16)
※在籍時に達成した育成出身記録
◆初先発初勝利(2013(H25)年4月8日・楽天3回戦(Kスタ))
◆初の1試合2桁奪三振(2013年5月20日・広島2回戦(QVCマリン)8回1/3で12奪三振)
◆初のシーズン30セーブ(2014年)
----- オリオンズ&マリーンズ「29」の系譜 -----
★《初代》1950(S25)年・1年 増山 博(ますやま ひろし) 外野手(在籍1年)
生年月日不明(入団時23歳)、右投右打
出身・高校不明 大塚産業–毎日(50)
【増山 博 背番号変遷】29(1)
球団創設に社会人・大塚産業から入団した増山博が、初代背番号29を背負った。
前年都市対抗に出場して俊足巧打の外野手と期待されたが、一軍に出場することなく、1年限りで退団した。
<一軍未出場>
★《2代》1954(S29)年~1957(S32)年・4年 鵜飼 昭雪(うかい あきゆき) 捕手(在籍5年)
1934(S9)年4月25日生(入団時18歳)、右投右打
愛知・享栄商業高(–)–毎日(53〜57)
【鵜飼 昭雪 背番号変遷】44(1) ⇒ 29(4)
前年1953(S28)年に享栄商業高校から入団し、背番号44だった鵜飼昭雪が2年目の54(S29)年に背番号を29に変更した。
1年目は一軍未出場に終わったが、2年目の54(S29)年はシーズン最終盤に一軍に合流し、10月21日の阪急18回戦(明石)に代打で登場して初出場を果たす。シーズン最終戦の29日の高橋戦(川崎)では途中出場でマスクも被った。しかし、翌55(S30)年は再び一軍未出場に終わる。
1年目は土井垣武、2、3年目はルイスと確固たる正捕手がいたが、ルイスが退団して4年目の56(S31)年は鵜飼にもチャンスが訪れる。佃明忠、沼沢康一郎の正捕手争いに加わる。開幕当初は打撃好調だった佃の2番手としてベンチに控えるが、4月5日の近鉄3回戦(駒沢)で自身初のスタメンマスクを被り、山根俊英-荒巻淳の投手リレーを好リードで支える。しかし、打撃の状態が上がらず一、二軍を往復。後半は一軍に定着し、控え中心ながらスタメンでもマスクを被り、最終的に53試合に出場(52試合で捕手)したが、打率は.135と低迷した。
翌57(S32)年は醍醐猛夫が入団し正捕手に座り、再び一軍出場なく終わる。オフには引退した。
◆在籍時通算打撃成績<55試合、打率.133、98打数13安打、0本塁打、1打点、0盗塁>
◇初出場、初打席<1954(S29)年10月21日・阪急18回戦/R(明石)/代打/1打0安>
◇初スタメン<1956(S31)年4月5日・近鉄3回戦/H(駒沢)/8番捕手/2打0安>
◇初安打<1956(S31)年4月22日・南海3回戦/R(大阪)/8番捕手/2打1安>
◇初打点<1956(S31)年8月4日・阪急12回戦/R(西宮)/8番捕手/4打2安/適時打>
★《3代》1958(S33)年~1959(S34)年・2年 太田 正男(おおた まさお) 投手(在籍2年)
1933(S8)年8月9日生(移籍時24歳)、右投右打
長崎・長崎商業高(甲)–西鉄(53~55途中)–大映(55途中~57)–大毎(58~59)
【太田 正男 背番号変遷】29(2)
1958(S33)年に大映との合併で大映から加わった太田正男が投手として初めて背番号29を引き継いだ。前年大映では60試合(29先発)のマウンドに上がり、防御率3.36で初めて規定投球回に到達していた。
58(S33)年は開幕からリリーフとしてベンチ入り。開幕3戦目の4月14日の西鉄2回戦(後楽園)に3番手として移籍後初登板、5月31日の近鉄9回戦(後楽園)では大量リードの中、4回からマウンドに上がり、4回を2失点で切り抜け、移籍後初勝利をマーク。以降はローテーションの谷間には先発マウンドにも上がり、移籍1年目は32試合に登板(8先発)し、5勝3敗、防御率3.36だった。
59(S34)年は強固な投手陣が形成されつつあり、太田の出番が減少する。最終的に試合の登板(1先発)に留まり、このシーズン限りで引退した。
◆在籍時通算投手成績<36試合、5勝3敗、防3.21、9先発、0完封、34奪三振>
◇大毎初登板<1958(S33)年4月14日・西鉄2回戦/H(後楽園)/3番手完了/2回1失>
◇大毎初先発<1958(S33)年5月18日・阪急10回戦/R(西宮)/先発/0.1回3失(1自)>
◇大毎初勝利<1958(S33)年5月31日・近鉄9回戦/H(後楽園)/2番手/4回3失(2自)>
★《4代》1960(S35)年~1961(S36)年・2年 福塚 勝哉 捕手(在籍5年)
1939(S14)年1月5日生(入団時18歳)、右投右打
和歌山・和歌山商業高(–)−毎日/大毎(57〜61)−阪神(62〜64)−阪急(65〜66)
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