見出し画像

《無料公開》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜「73」】OBコーチが引き継いだ背番号73

(写真 中央・若手捕手を育てる13代金澤岳、左上から・オリオンズで主力として活躍し引退後はコーチとして73を背負った4代榊親一、3・5代得津高宏、6代仁科時成、右上から・10代諸積兼司、9・12代福澤洋一)


「73」OBコーチが引き継いだ背番号73

 背番号73はロッテオリオンズとなってから系譜がスタート。初代は1年在籍した荻原勝が練習生ながら唯一現役として背負った。その後、11年空番だったが、稲尾和久監督が招請した広野功がコーチとして引き継ぎ、コーチとしての系譜がスタートする。以降、コーチとして系譜が続いたが、榊親一、得津高宏、仁科時成、諸積兼司、福澤洋一、そして現在の金澤岳と長年活躍したOBが多く引き継いだ背番号となっている。その中でも、榊、福澤、金澤と一軍の控え捕手としてチームを支えたコーチが引き継いでいる。

----- 現在の背番号「73」 -----

 ★《13代》2019(R1)年〜・25年は7年目 金澤 岳(かなざわ たけし) コーチ(在籍16年/25年はコーチ7年目)

  1984(S59)年5月5日生(入団時18歳)、右投左打
  栃木・矢板中央高–千葉ロッテ(03〜18)
  千葉ロッテコーチ(19〜)

 【金澤 岳 背番号変遷】62(11) ⇒ 25(5)、コーチ/73(6)
 → 金澤岳 背番号 62 へ(有料エリア)
 → 金澤岳 背番号 25 へ(有料エリア)
 前年2018(H30)年限りで16年の現役生活を終えた金澤岳が、19(R1)年からコーチに就任。背番号73を引き継いだ。
 すでに二軍ではコーチの役割も果たしており、そのまま二軍バッテリーコーチに就任した。22(R4)年まで4シーズン担当し、23(R5)年から2シーズンは一軍バッテリーを担当。25(R7)年からは再び二軍バッテリーを担当している。

【現役在籍時成績】
 ◆在籍時通算打撃成績<177試合、打率.230、330打数76安打、1本塁打、27打点、1盗塁>
 ◇初出場、初打席、初安打、初打点<2008(H20)年5月9日・楽天7回戦/H(千葉マリン)/途中捕手/4打1安/初打点適時打>
 ◇初スタメン<2008(H20)年5月11日・楽天8回戦/H(千葉マリン)/9番捕手/4打1安>
 ◇初本塁打<2014(H26)年7月27日・西武14回戦/R(西武D)/9番捕手/岸孝之から>

----- オリオンズ&マリーンズ「73」の系譜 -----

※1950(S25)年〜1971(S46)年 空番


 ★《初代》1972(S47)年・1年 荻原 勝(おぎはら まさる) 投手(在籍1年)

  1950(S25)年5月7日生(入団時21歳)、右投右打
  埼玉・越生高–三村印刷–ロッテ(72)

 【荻原 勝 背番号変遷】73(1)
 1972年のドラフト外で社会人・三村印刷から入団した荻原勝が、球団史上初めて背番号73を背負った。
 しかし、二軍での登板もなく、1シーズン限りで退団した。

 <在籍時一軍未登板>


※1973(S48)年〜1983(S58)年 空番


 ★《2代》1984(S59)年〜1986(S61)年・3年 広野 功(ひろの いさお) コーチ(コーチ在籍3年)

  1943(S18)年10月16日生(就任時40歳)、右投左打
  徳島・徳島商業高/甲–慶應大–中日(66〜67)–西鉄(68〜70)–巨人(71〜73)–中日(74)
  ロッテ/千葉ロッテコーチ(84〜86、97〜00)

 【広野 功 背番号変遷】73(3)、77(4)
 11年空番だった73を新任コーチとして1984(S59)年に就任した広野功が引き継いだ。稲尾和久新監督が就任にあたり、打撃コーチとして投手コーチの佐藤道郎とともに招請した。
 落合博満を中心とした新ミサイル打線を放任主義で活かし、チーム打率は84年は.275、85(S60)年は.287、86(S61)年は.281と3年連続リーグ1位を記録したが、稲尾監督の退任とともに退団した。
 97(H9)年に二軍打撃コーチとして復帰する。
 → コーチ/広野功 背番号 77 へ(全文無料公開)


 ★《3・5代》1987(S62)年〜1991(H3)年、1993(H5)年・6年 得津 高宏(とくつ たかひろ) 外野手(在籍16年)

  1947(S22)年4月12日生、(入団時19歳)、左投左打
  (出身・和歌山)大阪・PL学園高/甲−クラレ岡山−東京/ロッテ(67〜82)
  ロッテ/千葉ロッテコーチ(87〜93、96)

 【得津 高宏 背番号変遷】45(5) ⇒ 25(11)、コーチ/73(5)⇒81(1)⇒73(1)、93(1)
 → 得津高宏 背番号 45 へ(有料エリア)
 → 得津高宏 背番号 25 へ(有料エリア)
 引退後、フロント入りしスカウトに転身していた得津高宏がコーチとして現場復帰。背番号73を引き継いだ。
 スカウトとして自ら発掘した若手を中心に二軍打撃コーチを任され、打撃理論を継承させた。
 91(H3)年からは一軍の打撃を担当。マリーンズとなった92(H4)年は引き続き一軍打撃を担当したが、背番号を81に変更した。
 93(H5)年は二軍打撃担当となり、背番号を73に戻した。このシーズン限りで現場を離れ、再びスカウトに転身した。

【現役在籍時成績】
 ◆在籍時通算打撃成績<1305試合、打率.288、3222打数927安打、41本塁打、368打点、24盗塁>
 ◇初出場、初スタメン<1967(S42)年4月13日・東映3回戦/R(後楽園)/8番右翼/1打0安>
 ◇初安打<1967(S42)年6月11日・南海9回戦/R(大阪)/6番右翼/3打1安>
 ◇初打点<1967(S42)年6月21日・東映13回戦/R(後楽園)/6番右翼/適時打/4打0安>
 ◇初本塁打<1967(S42)年10月13日第2・阪急26回戦/R(西宮)/5番左翼/水谷孝から>
 ◇オールスター出場/1回(77)

 ※在籍時に選出された表彰
  ◆プレーオフ首位打者賞(1974年)
 ※在籍時に達成した主な記録
  ◆サイクル安打(1976年4月17日、太平洋前期4回戦(宮城) 史上27人目、三塁打2本は史上初)
  ◆176打席連続無三振(1978年7月7日~9月30日、史上5番目)
  ◇1000試合出場(1978年5月9日、近鉄前期8回戦(日生) 、史上199人目)


 ★《4代》1992(H4)年・4年 榊 親一(さかき しんいち) コーチ(在籍14年、コーチ12年)

  1945(S20)年9月18日生(入団時22歳)、右投右打
  埼玉・大宮高/甲–日通浦和–東京/ロッテ(68~79、80兼任)
  ロッテ/千葉ロッテコーチ(80兼任、81〜85、87〜92)

 【榊 親一 背番号変遷】65(1) ⇒ 22(12)、コーチ/78(4) ⇒ 88(5) ⇒ 73(1)
 → 榊親一 背番号 65 へ(有料エリア)
 → 榊親一 背番号 22 へ(有料エリア)
 現役引退後、一軍と二軍で、前年は一軍バッテリーコーチだった榊親一が、マリーンズ発足元年の1992(H4)年に二軍バッテリーコーチに配置転換され、背番号73を引き継いだ。
 若手捕手育成を任されたが、このシーズン限りで現場を離れ、フロント入りした。

【現役在籍時成績】
 ◆在籍時通算打撃成績<455試合、打率.237、767打数182安打、9本塁打、58打点、5盗塁>
 ◇初出場<1969(S44)年8月17日・阪急15回戦/R(西宮)/途中捕手/打席なし>
 ◇初打席、初安打<1969(S44)年8月19日・南海17回戦/R(大阪)/代打/1打1安>
 ◇初スタメン<1970年10月10日第1・東映25回戦/R(後楽園)/7番捕手/2打0安>
 ◇初打点<1972(S47)年7月9日・近鉄12回戦/H(東京)/7番捕手/適時二塁打>
 ◇初本塁打<1972(S47)年7月28日・阪急15回戦/R(西宮)/8番捕手/米田哲也から>


 ★《6代》1994(H6)年〜1995(H7)年・2年 仁科 時成(にしな ときなり)コーチ(在籍12年)

  1951(S26)年6月2日生(入団時25歳)、右投右打
  岡山・山陽高–大倉工業–ロッテ(77〜88)
  ロッテ/千葉ロッテコーチ(89〜95、01〜02)

 【仁科 時成 背番号変遷】20(12)、コーチ/74(3)⇒82(2)⇒73(2)、84(2)
 → 仁科時成 背番号 20 へ(有料エリア)
 現役引退後、1989(H1)年から90(H2)は二軍、91(H3)年から93(H5)年は一軍で投手コーチを5シーズン務めていた仁科時成が、1994(H6)年に再び二軍投手担当となり、背番号を82から73に変更して引き継いだ。
 94(H6)年、95(H7)年と2シーズン二軍を担当。95(H7)年限りで退団した。01(H13)年に二軍投手コーチとして背番号84で復帰する。

【現役在籍時成績】
 ◆在籍時通算投手成績<334試合、110勝108敗、防4.10、1S、-H、259先発、15完封、890奪三振>
 ◇初登板、初先発、初勝利<1977(S52)年4月7日・クラウン前期2回戦/R(平和台)/先発/8.1回2失>
 ◇初セーブ<1977(S52)年4月22日・阪急前期1回戦/R(西宮)/2番手完了/1.2回1失>
 ◇初完投<1978(S53)年6月17日・阪急前期8回戦/H(川崎)9回9失●>
 ◇初完封勝利<1979(S54)年9月11日・日本ハム後期9回戦/H(川崎)
 ◇オールスターゲーム出場/1回(80)


 ★《7代》1996(H8)年・1年 西岡 良洋(にしおか よしひろ) コーチ(在籍1年、コーチ1年)

  1961(S36)年6月28日生(移籍時33歳)、右投右打
  (出身地・大阪)和歌山・田辺高–西武(80~89)–巨人(90~94)–千葉ロッテ(95)
  千葉ロッテコーチ(96)

 【西岡 良洋 背番号変遷】23(1)、コーチ/72(1)
 → 西岡良洋 背番号 23 へ(有料エリア)
 前年1995(H7)年に移籍し引退した西岡良洋が二軍育成コーチに就任し、背番号73を引き継いだ。
 1シーズン限りで退団し、古巣西武のコーチに就任した。

【現役在籍時成績】
 ◆在籍時通算打撃成績<25試合、打率.091、22打数2安打、0本塁打、2打点、1盗塁>
 ◇ロッテ初出場、ロッテ初打席<1995(H7)年4月2日・オリックス2回戦/R(GS神戸)/途中右翼/1打0安>
 ◇ロッテ初安打、ロッテ初打点<1995(H7)年4月6日・ダイエー3回戦/H(千葉マリン)/代打右翼/1打1安/初打点適時打>


 ★《8代》1997(H9)年〜2002(H14)年・6年 山中 潔(やまなか きよし) 捕手(在籍1年、コーチ13年)

  1961(S36)年10月29日生(移籍時34歳)、右投左打
  大阪・P L学園高/甲−広島(80〜88)−ダイエー(89〜90)−中日(90〜91)−日本ハム(92〜94)−千葉ロッテ(95〜96)
 千葉ロッテコーチ(97〜02、10〜13)

 【山中 潔 背番号変遷】64(1) ⇒ 45(1)、コーチ/73(6)、74(4)
 → 山中潔 背番号 64 へ(有料エリア)
 → 山中潔 背番号 45 へ(有料エリア)
 2シーズン千葉ロッテで現役生活を過ごした山中潔が1996(H8)年限りで引退。97(H7)年から二軍バッテリーコーチ補佐に就任し背番号73を引き継いだ。
 98(H8)年から01(H13)年の4シーズンは二軍バッテリーを担当、02(H14)年は一軍バッテリーを担当し、02(H14)年限りで退団し日本ハムのコーチに就任した。

【現役在籍時成績】
 ◆在籍時通算打撃成績<73試合、打率.173、98打数17安打、0本塁打、3打点、1盗塁>
 ◇ロッテ初出場、初打席、初安打、初打点<1995(H7)年4月2日・オリックス2回戦/R(神戸)/途中捕手/1打1安/適時打>


2003(H15)年 空番


 ★《9代》2004(H16)年・1年 福澤 洋一(ふくざわ よういち) コーチ、二軍監督(在籍13年、二軍監督1年、コーチ6年)

  ※1999年~2000年は福沢で登録

  1967(S42)年5月26日生(入団時21歳)、右投右打
  福岡・直方学園高‐九州産業大学(中退)‐ロッテ(89~03)
  千葉ロッテコーチ/(04、14〜18、23)

 【福澤 洋一 背番号変遷】66(2) ⇒ 39(13)、コーチ/73(1、4)、89(1)、二軍監督/73(1)
 → 福澤洋一 背番号 66
 → 福澤洋一 背番号 39
 前年2003(H15)年限りで13年の現役を終えた福澤洋一が、04(H16)年から二軍バッテリーコーチに就任し、背番号73を引き継いだ。
 しかし、1シーズン限りで退団。横浜のコーチに就任した。

【現役在籍時成績】
 ◆在籍時通算打撃成績<440試合、打率.202、614打数124安打、6本塁打、37打点、7盗塁>
 ◇初出場、初打点<1989(H1)年4月11日・オリックス1回戦/H(川崎)/途中捕手/打席なし>
 ◇初スタメン、初打点<1989(H1)年4月14日・近鉄1回戦/H(川崎)/8番捕手/1打0安/内野ゴロ>
 ◇初安打<1989(H1)年4月15日・近鉄2回戦/H(川崎)/8番捕手/3打2安>
 ◇初本塁打<1990(H2)年7月3日・日本ハム12回戦/R(東京D)/酒井光次郎から>


2005(H17)年〜2006(H18)年 空番


 ★《10代》2007(H19)年〜2010(H22)年・4年 【サイン】諸積 兼司(もろづみ けんじ)(在籍13年、コーチ25年は12年目)

左・週刊ベースボール誌から、右・当館所蔵サイン色紙

  1969(S44)年5月29日生(入団時24歳)、右投左打
  福島・学法石川高/甲–法政大–日立製作所–千葉ロッテ(94〜06)
  千葉ロッテコーチ(07〜10、18〜)

 【諸積 兼司 背番号変遷】00(3) ⇒ 0(10)、コーチ/73(4)、83(8)
 → 諸積兼司 背番号 00 へ(無料公開)
 → 諸積兼司 背番号0 へ(無料公開)
 前年限りで13年の現役生活を終えた諸積兼司が2007(H19)年に二軍バント兼外野守備走塁コーチに就任。背番号73を引き継いだ。
 2年目の08(H20)年からは一軍を担当。08年から2シーズンはバント兼一塁ベースコーチ、10(H22)年は外野守備走塁を担当し下克上日本一を支えたが、このシーズン限りで現場を離れフロント入り。スカウトに転身した。18(H30)年に背番号83で現場に復帰する。

【現役在籍時成績】
 ◆在籍時通算打撃成績<1110試合、打率.263、2628打数691安打、7本塁打、153打点、103盗塁>
 ◇初出場、初スタメン、初打席、初安打<1994(H6)年4月13日・近鉄1回戦/R(藤井寺)/1番中堅/3打1安>
 ◇初打点<1995(H7)年5月30日・近鉄9回戦/H(千葉マリン)/9番中堅/3打1安/適時打>
 ◇初本塁打<1995(H7)年7月7日・ダイエー14回戦/H(千葉マリン)/1番中堅/下柳剛から>

 ※在籍時に達成した主な記録
  ◆24連続試合安打(2002年5月25日~7月17日)球団史上2番目、NPB23位タイ
  ◇1000試合出場(2004年9月14日、史上399人目)


 ★《11代》2011(H23)年〜2012(H24)年・2年 山森 雅文(やまもり まさふみ) コーチ(コーチ在籍2年)

  1960(S35)年11月26日生(就任時50歳)、右投右打
  熊本・熊本工業高/甲–オリックス(79〜94)
  千葉ロッテコーチ(11〜12)

 【山森 雅文 背番号変遷】73(2)
 現役時代にロッテ戦(西宮)でラッキーゾーンのフェンスによじ登って捕球し、米メジャー野球博物館にも展示された好プレーを演出した山森雅文がコーチとして招請され、2011(H23)年に一軍外野守備走塁コーチに就任し背番号73を引き継いだ。07(H19)年からスカウトを務めていた。
 11年は一軍、12(H24)年は二軍外野守備走塁を担当。12年限りで現場を離れ、13(H25)年から再びスカウトに戻った。


2013(H25)年 空番


 ★《12代》2014(H26)年〜2018(H30)・6年 福澤 洋一(ふくざわ よういち) コーチ、二軍監督(在籍13年、二軍監督1年、コーチ6年)

  ※1999年~2000年は福沢で登録
   球歴、記録は上段9代参照

 【福澤 洋一 背番号変遷】66(2) ⇒ 39(13)、コーチ/73(1、4)、89(1)、二軍監督/73(1)
 引退後の2004(H16)年に1シーズン二軍バッテリーコーチを務め、横浜に移籍した福澤洋一が二軍バッテリーコーチとして10年ぶりに復帰。再び背番号73を引き継いだ。
 14(H26)年から16(H28)年まで二軍バッテリーを3シーズン担当。17(H29)年には二軍監督に就任。18(H30)年には二軍総合コーチを務めた。19(R1)年からはスカウトに転身した。23(R5)年に1シーズン限り背番号89で現場に復帰する。


 ★《13代》2019(R1)年〜・25年は7年目 金澤 岳(かなざわ たけし) コーチ(在籍16年/25年はコーチ7年目)


※背番号年数は、着用年数のみ。年数1年未満の場合は月数で表示しています。
※在籍年数は現役としての年数。シーズン途中移籍や入団も1年として算出。
※監督歴は他球団の監督歴も表記、コーチ歴はオリオンズ&マリーンズのみ表記。
※通算成績は背番号時に関係なく在籍時の通算成績です。
※記録内の◆はタイトル、表彰、主な記録。◇は節目の記録。
※初出場等の記録のHホーム、Rロードの略。
※タイトル、表彰、記録は在籍時に表彰を受けたものを対象としています。
※イースタン表彰のFA(JA)はフレッシュ(ジュニア)オールスタの略


(次回)⇒「74」


---- オリオンズ&マリーンズ 背番号の系譜 INDEX ----

《全文無料》「1」巧打好守の好選手の歴史
《有料・冒頭試読》「2」3人の高卒新人開幕スタメン
《有料・冒頭試読》「3」天才打者が歴史を作り、巧打者が続く系譜
《有料・冒頭試読》「4」職人肌野手と助っ人の系譜
《有料・冒頭試読》「5」歴代最少11人、打撃職人の系譜
《有料・冒頭試読》「6」落合が生んだ打線主軸の系譜
《有料・冒頭試読》「7」助っ人強打者と俊足強打の系譜
《有料・冒頭試読》「8」看板打者の系譜
《全文無料》「9」紡いだ歴史を大きく育てた福浦和也
《全文無料》「0」新しい系譜は快足とリリーフエースの系譜に
《全文無料》「00」最も新しい系譜は助っ人、俊足の系譜
《有料・冒頭試読》「10」投手と野手混在の系譜、3000本安打張本勲も背負う
《有料・冒頭試読》「11」左腕の系譜もマリーンズではリリーフの系譜へ
《有料・冒頭試読》「12」球団初戦先発投手から続く投手 時々 打者の系譜
《有料・冒頭試読》「13」準エースの系譜から主力野手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「14」球団創設から続く主力投手の系譜
《有料・冒頭試読》「15」フル回転投手から野手の歴史も荘勝男、美馬学が投手伝統を引き継ぐ
《有料・冒頭試読》「16」トレード移籍投手の系譜】
《有料・冒頭試読》「17」佐々木朗希につながるエースの系譜
《有料・冒頭試読》「18」植村義信で生まれたエースの称号
《有料・冒頭試読》「19」投手系譜の背番号も名捕手から始まった
《有料・冒頭試読》「20」野手の系譜から、杉下、堀本、木樽とタイトル投手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「21」投手と野手が混在の系譜は、監督の顔に
《有料・冒頭試読》「22」捕手の系譜から助っ人の新しい歴史へ
《有料・冒頭試読》「23」主軸野手が紡いだ背番号23
《有料・冒頭試読》「24」息の長い野手の系譜から投手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「25」正統・打撃職人の系譜
《有料・冒頭試読》「26」TEAM26、マリーンズファンの背番号を振り返る
《有料・冒頭試読》「27」主力打者から主力投手、そして捕手エースナンバーへ
《有料・冒頭試読》「28」助っ人、野手から投手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「29」サンデー兆治が育て、サンデー晋吾が継いだエースの称号
《有料・冒頭試読》「30」監督・コーチ・野手の背番号から投手の背番号へ
《有料・冒頭試読》「31」野手の出世番号から投手の背番号へ
《有料・冒頭試読》「32」主力選手から職人野手の背番号、そして捕手の新しい歴史へ
《有料・冒頭試読》「33」2人の殿堂入り胴上げ監督の背番号
《有料・冒頭試読》「34」400勝投手監督から投手の背番号に
《有料・冒頭試読》「35」初代監督から、外野手の出世番号へ
《有料・冒頭試読》「36」36からの飛躍した三井、サブロー
《有料・冒頭試読》「37」投手、野手、助っ人、25代の系譜
《有料・冒頭試読》「38」強心臓投手と大砲候補の系譜
《有料・冒頭試読》「39」投手・野手から捕手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「40」多士済々のメンバーが連なる系譜
《有料・冒頭試読》「41」期待の星から主軸へ、チーム支えた成長の系譜
《有料・冒頭試読》「42」多彩な系譜オリオンズ~マリーンズは助っ人の系譜
《有料・冒頭試読》「43」土肥から捕手の系譜~ウォーレン、ミンチー助っ投の系譜
《有料・冒頭試読》「44」顔に育てた山本功児、井上晴哉の背番号《有料・冒頭試読》「45」得津、横田、堀、田村と並ぶ、出世番号の系譜
《有料・冒頭試読》「46」成田文男から続く、主軸投手の系譜
《有料・冒頭試読》「47」打者のチームから投手のチームへ変貌させた300勝投手の背番号47
《有料・冒頭試読》「48」リリーフ左腕、代打、好守、チームを下支えした系譜
《有料・冒頭試読》「49」職人選手の出世番号
《有料・冒頭試読》「50」2人の殿堂入り監督が背負った背番号50
《有料・冒頭試読》「51」東京球場で舞った51、航輝が育てる
《有料・冒頭試読》「52」大沢親分から立川、塀内、そしてマウンドで躍動する52へ
《有料・冒頭試読》「53」ベテラン、コーチの53から捕手の印象付けた2人の捕手
《有料・冒頭試読》「54」2人の殿堂入りコーチから、マウンドで躍動する54へ
《有料・冒頭試読》「55」初代殿堂入りコーチから、技巧派外野手の系譜
《有料・冒頭試読》「56」短命続いた系譜も隠れた出世番号
《有料・冒頭試読》「57」57のイメージ残した佐藤幸彦
《有料・冒頭試読》「58」2人の「毅」が刻んだ58の系譜
《有料・冒頭試読》「59」捕手の系譜から野手、そして投手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「60」首脳陣、裏方の背番号から出世番号へ
《有料・冒頭試読》「61」角中勝也が躍動させた背番号61
《有料・冒頭試読》「62」息の長い野手が継いだ背番号
《有料・冒頭試読》「63」小野晋吾、種市篤暉M投手の出世番号に
《有料・冒頭試読》「64」短命が続いた背番号も二木康太が出世番号に
《有料・冒頭試読》「65」コーチ番号も榊親一、大塚明と出世野手に
《有料・冒頭試読》「66」ユウゴー、岡田幸文と息の長い背番号に
《無料公開》「67」意外な出世番号67
《無料公開》「68」山内監督、猪久保、早坂と多彩な系譜
《無料公開》「69」裏からチーム支えた3捕手から現役の系譜へ
《無料公開》「70」福浦が原点に戻った背番号70
《無料公開》「71」二軍監督が引き継いだ背番号71
《無料公開》「72」稲尾監督が背負った72はコーチの系譜
《無料公開》「73」OBコーチが引き継いだ背番号73

※参考文献、参考WEBは『プロローグ』から

いいなと思ったら応援しよう!