《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜「60」(2026)】首脳陣、裏方の背番号から出世番号へ
(写真 中央・今季から60を背負う大聖、5年目を迎えた15代横山陸人、左上から・二軍監督監督時代は60を背負った2代西本幸雄、一軍監督として60を背負った3代本堂安弥、右・60を出世番号にした、上から33に変更して活躍10代橋本将、入団時は60から13代成瀬善久、今季から15に変更した15代横山陸人)
※名前横の【殿堂】は野球殿堂入りしている選手、【サイン】はサインが掲出されています(クリックで拡大)
(62)「60」首脳陣、裏方の背番号から出世番号へ
選手数が少なかったオリオンズ初期の時代は首脳陣の背番号だったが、打撃投手が専属として配置されると、裏方の背番号として定着した。しかし、選手数が増えるとドラフト下位の選手が背負い、マリーンズとなってからは橋本将、成瀬善久と出世番号へと変わっていった、球団の歴史が垣間見える背番号である。2026年からは15へと変更した横山陸人から大聖に引き継がれる。
----- 現在の背番号「60」 -----
★《16代》2026(R8)年・26年は1年目 大聖 (田中 大聖(たなか やまと)投手 (在籍1年目)
2002(H14)年1月29日生(入団時24歳)、右投左打
(出身・大阪)山形・鶴岡東高(甲)–太成学院大–ホンダ鈴鹿−千葉ロッテ(26〜)
【大聖 背番号変遷】60(1)
2025(R7)年のドラフト7位で社会人・ホンダ鈴鹿から入団した大聖が、背番号60を引き継いだ。
----- オリオンズ&マリーンズ「60」の系譜 -----
1950(S25)年〜1954(S29)年 空番
★《初代》1055(S30)年〜1956(S31)・2年 片岡 博国(かたおか ひろくに) コーチ(在籍5年/二軍監督・コーチ4年)
1916(T5)年11月24日生(入団時35歳)、右投右打
愛知・東邦商業学校(甲)−早稲田大−昭和製鋼−名古屋鉄道管理局−函館オーシャン−毎日(50〜54)
毎日/大毎コーチ(55〜57、59)
【片岡 博国 背番号変遷】20(5)、コーチ/60(2) ⇒ 61(1)、54(1)
→ 片岡博国 背番号 20 へ(有料エリア)
前年限りで引退した片岡博国が二軍監督に転身。1055(S30)年に背番号を60に変更し、初代背番号60を背負った。
このシーズンから発足したイースタンリーグ参戦のために若手軍を正式に二軍チームとして再編成し、初代監督に就任。巧みな采配でイースタン初代王者に輝いた。イースタンは1シーズンで休止したが、二軍はそのまま継続。翌56(S31)年は西本幸雄が監督となり、片岡はコーチに回った。オフには背番号を60から61に変更した。
→ 片岡博国 背番号 61 へ(有料エリア)
→ 片岡博国 背番号 54 へ(有料エリア)
◆打撃成績<243試合、打率.239、393打数94安打、6本塁打、68打点、2盗塁>
◇初出場、初スタメン、初打席、初安打<1950(S25)年3月15日・南海1回戦/H(大須)/7番一塁/4打1安>
◇初本塁打、初打点<1950(S25)年3月16日・阪急1回戦/H(大須)/7番一塁/4打1安/天保義夫から>
◇オールスター出場/1回(51)
★《2代》1957(S32)年〜1958(S33)・2年 【殿堂、サイン】西本 幸雄(にしもと ゆきお) コーチ(在籍6年/コーチ4年/監督1年)
【野球殿堂入り】◆野球殿堂競技者表彰(1988年)

1920(T9)年4月25日(入団時29歳)、左投左打
和歌山・旧制和歌山中(–)‐旧制立教大‐東洋金属‐八幡製鐵‐全京都‐星野組‐毎日(50~55)
毎日/大毎監督コーチ(56〜60)、他球団監督/阪急(62〜73)−近鉄(74〜81)
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手元にある世に出ている資料、手元で眠っている表に出ていない資料に加え、関係者から見聞きした情報(オリオンズメモ(笑))を中心に「ロッテオリ…
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