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《無料公開》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜「71」】二軍監督が引き継いだ背番号71

(写真 中央・今季から建山義紀コーチが71を引き継ぐ、左上から・投手入団から打者転向初代小田喜美雄、歴史二軍監督6代徳武定之、8代醍醐猛夫、左上から・歴史二軍監督9代レンサカタ、10代佐々木信行、11代古賀英彦)


※名前横の【殿堂】は野球殿堂入りしている選手、【サイン】はサインが掲出されています(クリックで拡大)

(73)「71」二軍監督が引き継いだ背番号71

 小田喜美雄が初代として2年背負った後、背番号71は登録選手数が少なかった時代は練習生、打撃投手の背番号として系譜が続いていた。選手登録されずに資料に残っていない選手もいたと思われる。その後はコーチの背番号となり現在も続いているが、徳武定之、木樽正明、醍醐猛夫、レンサカタ、佐々木信行、古賀英彦、山下徳人と7人が二軍監督として背番号71を背負っている。

----- 現在の背番号「71」 -----

 ★《20代》2025(R7)年〜・25年は1年目 建山 義紀(たてやま よしのり) コーチ(25年はコーチ在籍1年目)

  1975(S50)年12月26日生(移籍時49歳)、右投右打
  大阪・東海大仰星高–甲賀総合科学専門学校–松下電器–日本ハム(99~10)–テキサス レンジャーズ(11~12)–米マイナー(13〜14途中)–阪神(14途中)
  千葉ロッテコーチ(25〜)

 【建山 義紀 背番号変遷】71(1)
 前年まで日本ハムで投手コーチを務めていた建山義紀が2025(R7)年に一軍投手コーチとして入団。背番号71を引き継いだ。
 現役時代は米メジャーにも挑戦した右腕。コーチ歴は17(H29)年から21(R3)年まで日本代表、23(R5)年からは日本ハムで投手コーチを務めた。

----- オリオンズ&マリーンズ「71」の系譜 -----

※1950(S25)年〜1951(S26)年 空番


 ★《初代》1952(S27)年〜1953(S28)・2年 小田 喜美雄(おだ きみお) 投手⇒外野手(在籍4年)

 ※1954(S29)年は資料により71で登録されているものもあるが、試合には41で出場しているため、54年は41とした。

  1932(S7)年1月13日生(入団時20歳)、右投右打
  (出身・熊本)長崎・天草農業高‐毎日(52~55)

 【小田 喜美雄 背番号変遷】71(2) ⇒ 41(2)
 1952(S27)年に長崎・天草農業高校から入団した小田喜美雄が、初代背番号71を背負った。
 1メートル80センチの大型右腕として期待されたが、若手軍でも投手として結果が残せず、逆に大型強打の打者として2年目の53(S28)年シーズン途中に打者に転向し、オフには背番号を71から41に変更した。

 ◆在籍時通算投手成績<一軍未登板>
 ◆在籍時通算打撃打撃<4試合、打率.333、3打数1安打、0本塁打、0打点、0盗塁>
 ◇初出場、初打席、初安打<1954(S29)年4月11日・阪急2回戦/H(後楽園)/途中右翼/2打1安>


※1954(S29)年〜1962(S37)年 空番


 ★《2代》1963(S38)年・1年 奥谷 達男(おくたに たつお) 練習補助生(在籍1年)

  1947(S22)年3月27日生(入団時16歳)
  球歴不明–大毎(63/練習補助生)

 【奥谷 達男 背番号変遷】71(1)
 16歳の奥谷達男が1963(S38)年に練習補助生として入団。背番号71を引き継いだ。
 選手登録はされず、1年限りで退団した。

 <一軍未出場>


※1964(S39)年 空番


 ★《3代》1965(S40)年〜・1年 下地 恵清 (練習補助生在籍1年)

  生年月日不明
  沖縄・宮古水産高–宮古製糖–東京(65/練習補助生)

 【下地 恵清 背番号変遷】71(1)
 沖縄の社会人・宮古製糖から1965(S40)年に練習補助生として入団した下地恵清が、背番号71を引き継いだ。
 選手登録はされず、1年限りで退団した。

 <一軍未出場>


※1966(S41)年〜1971(S46)年 空番


 ★《4代》1972(S47)年・1年 寺沢 高栄(てらさわ たかえ) 投手(在籍2年)

  1949(S24)年10月29日生(移籍時21歳)、右投右打
  長野・長野中央高(現長野日大高)–サンケイ(68〜70)–ロッテ(71〜72)

 【寺沢 高栄 背番号変遷】73(1) ⇒ 71(1)
 ヤクルトから移籍し、1972(S47)年に2年目を迎えた寺沢高栄が、背番号を73から71に変更して引き継いだ。
 ケガに苦しみ背番号を変更したが、72(S47)年も二軍で1試合の登板に留まり、オフには退団した。

 <一軍未出場>


※1973(S48)年〜1982(S57)年 空番


 ★《5代》1983(S58)年〜1986(S61)年・4年 山崎 武昭(やまざき たけあき) コーチ、BP(在籍5年、コーチ3年)

  1941(S16)年6月25日生(移籍時33歳)、左投左打
  高知・市立高知商業高−法政大−東映(64〜74)−ロッテ(75〜78、BP/79、84〜90)
  ロッテ/千葉ロッテコーチ(83、91〜93)

 【山崎 武昭 背番号変遷】50(5)、コーチ/71(1) ⇒ 71(1) ⇒ 92(1) ⇒ 72(2)
 背番号50で投手登録されていたものの打撃投手を担っていた山崎武昭が、5年目の1983(S58)年に登録選手数が規定数に達したため、コーチ登録され、背番号を71に変更して引き継いだ。
 翌84(S59)年からはコーチ登録も外れ、打撃投手に専念し打撃陣を支えた。4年間71を背負い、87(S62)年には背番号を71から92に変更した。

 ◆在籍時投手成績<5試合、0勝0敗、防4.50、0先発、0完封、2奪三振>
 ◇ロッテ初登板<1975(S50)年4月12日・近鉄1回戦/R(日生)/2番手0.1回1失>


 ★《6代》1987(S62)年〜1988(S63)年・2年 徳武 定之(とくたけ さだゆき) コーチ(二軍監督5年、コーチ9年)

  1938(S13)年6月9日(移籍時39歳)、右投右打
  東京・早稲田実業学校(甲)–早稲田大–国鉄(61〜67)–中日(68〜70)
  ロッテ二軍監督(84〜88)、コーチ(77〜83、90〜91)

 【徳武 定之 背番号変遷】コーチ/63(10) ⇒ 71(2)、78(1) ⇒ 63(1)
 コーチとして入団し、10年間背番号63だった徳武定之が、1987(S62)年に背番号を63から71に変更して引き継いだ。
 84(S59)年から二軍監督を務めていたが、4位→4位→2位と若手の力を引き上げていた。87(S62)年から背番号を71に変更したが6位、88(S63)年は3位に終わり、オフにはフロントに転身した。


 ★《7代》1989(H1)年〜1990(H2)年・2年 【サイン】木樽 正明(きたる まさあき) 二軍監督(在籍11年、二軍監督2年、コーチ7年)

上・ロッテオリオンズファンブック、下・当館所属サイン色紙(寄書き)

  1947(S22)年6月13日生(入団時18歳)、右投右打
  千葉・銚子商業高(甲)–東京/ロッテ(66〜76)
  ロッテコーチ(83〜88、07)、二軍監督(89〜90)

 【木樽 正明 背番号変遷】20(11)、コーチ/81(4)⇒87(2)⇒二軍監督/71(2)、コーチ/125(1)
 → 木樽正明 背番号 20 へ(有料エリア)
 引退後、一、二軍で投手コーチを務めていた木樽正明が、1989(H1)年に二軍監督に就任し、背番号を71に変更して引き継いだ。
 イースタンでは89(H1)年4位、90(H2)年5位だったが、若手投手を積極的に起用し、投手陣の底上げに一役担った。二軍監督退任後はフロントに転身した。

 ◆在籍時通算投手成績投手<367試合、112勝80敗、防3.05、3S、-H、173先発、11完封、841奪三振>
 ◇初登板、初先発<1966(S41)年6月26日・阪急15回戦/H(東京)/先発
 ◇初勝利、初完投<1966(S41)年7月13日・阪急17回戦/R(西宮)/先発
 ◇初完封<1970(S45)年5月21日・西鉄9回戦/R(平和台)/先発
 ◇初セーブ<1974(S49)年4月29日・太平洋前期6回戦/H(川崎)/2番手完了/1.1回0失>
 ◆在籍時通算打撃成績<383試合、打率.185、439打数81安打、6本塁打、38打点、2盗塁>
 ◇オールスターゲーム出場/5回(69、70、71、73、74)

 ※在籍時に獲得したタイトル
  ◆最優秀防御率(1969年)
  ◆最多勝利(1971年)

 ※在籍時に選出された表彰
  ◆最優秀選手(1970年)
  ◆ベストナイン(1970年)


 ★《8代》1991(H3)年〜1994(H6)年・4年 【サイン】醍醐 猛夫(だいご たけお) 捕手(在籍19年、二軍監督6年、コーチ8年)

左・千葉ロッテマリーンズファンブックから、右・当館所属サインボール

  1938(S13)年11月15日生(入団時18歳)、右投右打
  東京・早稲田実業高(甲)−毎日/大毎/東京/ロッテ(57〜75)
  ロッテ二軍監督(76、91〜94、02)、コーチ(77〜79、84〜86、95、01)

 【醍醐 猛夫 背番号変遷】24(19)、コーチ88(4)⇒74(3)、二軍監督71(4)、コーチ82(1、2)
 → 醍醐猛夫 背番号 24 へ(有料エリア)
 稲尾和久体制でヘッドコーチを務めた後、フロントに転身していた醍醐猛夫が1991(H3)年に二軍監督として復帰。背番号71を引き継いだ。二軍監督は引退翌年に務めた76(S51)年以来。前回就任時は引退直後でコーチ経験がなかったことに加え、選手数が少なく野手が足りず、登板予定のない投手を外野に起用するなど指導面以外で苦労した。
 今回は若手を辛抱強く起用して育成を主眼に置いた。イースタンでは、91(H3)年3位、92(H4)年4位、93(H5)年2位、94(H6)年3位と優勝こそなかったものの、勝利へのこだわりも見せた。94年限りで二軍監督を退任。翌95(H7)年は一軍のバッテリーコーチに就任し、背番号を71から82に変更した。

 ◆打撃成績<1775試合、打率.234、4843打数1132安打、81本塁打、472打点、50盗塁>
 ◇初出場<1957(S32)年3月31日・西鉄3回戦/R(平和台)/途中捕手/0打0安>
 ◇初打席<1957(S32)年4月6日・南海1回戦/H(後楽園)/途中捕手/1打0安>
 ◇初スタメン、初安打、初安打<1957(S32)年4月8日・南海3回戦/H(後楽園)/8番捕手/適時三塁打/4打1安>
 ◇初本塁打<1957(S32)年5月30日・近鉄7回戦/R(大阪)/捕手/吹田俊明から>
 ◇オールスター出場/4回(65、68、69、71)

 ※在籍時に達成した主な記録
  ◆4打席連続本塁打(1971年7月3日~4日、史上4人目、歴代2位タイ)
  ◆4打数連続本塁打(1971年7月3日~4日、史上4人目、歴代2位タイ)
  ◇1000試合出場(1967年4月8日・南海1回戦(大阪)、史上121人目)
  ◇1500試合出場(1970年10月19日・近鉄26回戦(日生)、史上36人目)
  ◇1000安打(1971年6月15日・南海8回戦(東京)、史上77人目)


 ★《9代》1995(H7)年〜1998(H10)・4年 サカタ(レン サカタ、坂田 春樹(さかた はるき)) 二軍監督、コーチ(二軍監督3年、コーチ3年)

  1953(S28)年6月8日生(入団時41歳)、右投右打
  (出身・米ハワイ)–米ゴンザガ大–米マイナー(76)–ミルウォーキー ブルワーズ(77〜79)–ボルチモア オリオールズ(80〜85)–オークランド アスレチックス(86)–ニューヨーク ヤンキース(87)
  ロッテ二軍監督(85、08〜09)、コーチ(96〜98)

 【サカタ 背番号変遷】二軍監督、コーチ/71(4)、二軍監督/80(2)
 新任の広岡達朗GMに請われ、バレンタイン新監督とともに来日。二軍監督二軍監督に就任し、背番号71を引き継いだ。
 95(H7)年はバレンタイン監督の方針で入れ替えも多い中、固定的な育成も出来ず、イースタンでは6位に終わる。バレンタイン監督は1年で退任したがサカタはメジャー仕込みの指導法が買われて残留。96(H8)年、97(H9)年は一軍守備走塁コーチ、98(H10)年は二軍守備走塁コーチを務める。98年限りで退団した。


 ★《10代》1999(H11)年〜2003(H15)年・5年 【サイン】佐々木 信行(ささき のぶゆき) 捕手(在籍11年、二軍監督1年、コーチ12年、BC7年)

ロッテオリオンズファンブックから

  1953(S28)年5月2日生(入団時18歳)、右投右打
  宮城・佐沼高−ロッテ(72〜82)
  千葉ロッテ二軍監督(03)、ロッテ/千葉ロッテコーチ(87〜94、96、99〜02)

 【佐々木 信行 背番号変遷】69(1) ⇒ 59(10)、BC/59(4)、コーチ/75(5) ⇒ 88(1) ⇒ 76(2)、コーチ、BP/92(4)、コーチ、二軍監督/71(5)
 現役引退後、16年間コーチ、ブルペン捕手として一、二軍のブルペンを支えて来た佐々木信行が、1999(H11)年に一軍バッテリーコーチに復帰し、背番号を92から71に変更して引き継いだ。
 99年と00(H12)年は一軍バッテリー、01(H13)年は二軍バッテリー、02(H14)年は再び一軍バッテリーを担当。03(H15)年は二軍監督に就任、イースタンでは5位に終わった。オフには72(S47)年から在籍した球団を退団した。

 ◆在籍時打撃成績<46試合、打率.238、42打数10安打、1本塁打、5打点、0盗塁>
 ◇初出場<1974(S49)年8月22日・日本ハム後期10回戦/R(後楽園)/途中捕手/打席なし>
 ◇初打席<1974(S49)年8月25日・近鉄後期7回戦/R(宮城)/途中捕手/1打0安>
 ◇初スタメン<1976(S51)年9月2日・偵察要員、以降6試合偵察あり>
 ◇初安打、初安打<1978(S53)年5月20日・クラウン前期7回戦(平和台)/途中捕手/3打2安/適時三塁打>
 ◇初スタメン出場<1979(S54)年4月14日・阪急前期1回戦/H(川崎)/8番捕手/1打0安>
 ◇初本塁打<1979(S54)年4月17日・南海前期1回戦/R(大阪)/田村政雄から>


 ★《11代》2004(H16)年〜2008(H20)・5年 古賀 英彦(こが ひでひこ) 二軍監督、コーチ(二軍監督4年、コーチ1年)

  1939(S14)年9月3日生(入団時64歳)、右投両打
  熊本・熊本工業高–近畿大–巨人(62~64)
  ロッテ二軍監督(04〜07)、コーチ(08)

 【古賀 英彦 背番号変遷】二軍監督、コーチ/71(5)
 現役生活は巨人で3年だったものの米国でプレーし、引退後は通訳、コーチとして太平洋、ダイエーに所属していた古賀英彦が2004(H16)年に二軍監督に就任し、背番号71を引き継いだ。
 イースタンでは04年は5位に終わったものの、05(H17)年、06(H18)年とイースタンを連覇。05年はファーム日本選手権に勝利し、球団初のファーム日本一に導く。しかし、07(H19)年はシーズン中に体調不良で入院、チームも7位と最下位に終わる。翌08(H20)年は二軍ヘッドコーチとなり、このシーズン限りで退団した。


 ★《12代》2009(H21)年・1年 代田 建紀(だいた たけのり)(在籍5年、コーチ2年)

  1974(S49)年2月11日生(移籍時31歳)、右投両打
  神奈川・藤嶺藤沢高–城西大–朝日生命–近鉄(98〜00)–ヤクルト(00〜02)–千葉ロッテ(03、05〜08)
  千葉ロッテコーチ(09〜10)

 【代田 建紀 背番号変遷】65(1) 、00(4)、コーチ/71(1)⇒80(1)
 → 代田建紀 背番号 65 へ(有料エリア)
 → 代田建紀 背番号 00 へ(無料公開)
 2009(H21)年に前年限りで現役を引退した代田建紀が二軍守備走塁コーチに就任し、背番号71を引き継いだ。
 若手の走塁技術の向上をテーマに指導。09年オフには背番号を71から80に変更した。

 ◆在籍時通算打撃成績<120試合、打率..161、87打数14安打、0本塁打、4打点、15盗塁>
 ◇ロッテ初出場<2003(H15)年3月29日・ダイエー2回戦/R(福岡D)/代走/打席なし>
 ◇ロッテ初スタメン、初打席<2003(H15)年4月5日オリックス1回戦/R(ヤフー神戸)/2番左翼/4打0安>
 ◇ロッテ初安打<2003(H15)年10月8日・オリックス27回戦/R(ヤフー神戸)/1番中堅/4打1安>
 ◇ロッテ初打点<2003(H15)年10月10日・日本ハム27回戦/H(千葉マリン)/1番中堅/3打1安/適時打>


 ★《13・15代》2010(H22)年・1年、2012(H24)年・1年 西本 聖(にしもと たかし) コーチ(コーチ在籍3年)

  1956(S31)年6月27日(入団時53歳)、右投右打
  愛媛・松山商業高–巨人(75~88)–中日(89~92)–オリックス(93)–巨人(94)
  千葉ロッテコーチ(10〜12)

 【西本 聖 背番号変遷】コーチ/71(1) ⇒ 81(1) ⇒ 71(1)
 現役時は巨人の主力投手として活躍した西本聖が、2010(H22)年に西村徳文新監督に請われ一軍投手兼バッテリーチーフコーチとして入団、背番号71を引き継いだ。
 11(H23)年は二軍投手コーチを担当となり背番号を81に変更したが、オフには再び背番号を71に戻し、12(H24)年は一軍投手を担当。西村監督の退任に伴い、このシーズン限りで退団した。


 ★《14代》2011(H23)年・1年 成本 年秀(なりもと としひで) 投手(在籍8年、コーチ5年)

  1968(S43)年9月11日生(入団時24歳)、右投右打
  兵庫・西宮東高–京都産業大–大阪ガス–千葉ロッテ(93~00)–阪神(01~02)–ヤクルト(03~04)
  千葉ロッテコーチ(08〜12)

 【成本 年秀 背番号変遷】19(8)、コーチ/81(3)⇒71(1)⇒81(1)
 2008(H20)年から一軍ブルペン担当投手コーチとして8年ぶりに復帰し、10(H22)年からは二軍投手担当となっていた成本年秀が、4年目の2011(H23)年に一軍投手コーチとなり、背番号を81から71に変更して引き継いだ。12(H24j年は再び二軍担当となり背番号を71から81に戻した。

 ◆在籍時通算投手成績<187試合、23勝19敗、防3.21、63S、-H、5先発、0完封、287奪三振>
 ◇初登板<1993(H5)年4月14日・近鉄1回戦/H(千葉マリン)/3番手/2.2回0失>
 ◇初先発<1993(H5)年4月21日・ダイエー2回戦/R(福岡D)先発/4.1回2失>
 ◇初勝利<1993(H5)年9月18日・ダイエー25回戦/H(千葉マリン)/2番手/2.2回0失>
 ◇初セーブ<1994(H6)年4月17日・ダイエー3回戦(千葉マリン)/2番手完了/4回0失>

 ※在籍時に獲得したタイトル
  ◆最優秀救援投手(1996年)


※2013(H25)年 空番


 ★《16代》2014(H26)年〜2017(H29)・4年 山下 徳人(やました のりひと)(在籍11年、二軍監督1年、コーチ8年)

  1965年10月11日生(入団時22歳)、右投左打
  和歌山・箕島高/甲–東洋大–ロッテ/千葉ロッテ(88〜98)
  千葉ロッテ二軍監督(16)、コーチ(99〜03、14〜15、17)

 【山下 徳人 背番号変遷】24(11)、コーチ/74(5)、71(4)
 現役引退後、1999(H11)年から03(H15)年にコーチを務め、フロントに転身していた山下徳人が2014(H26)年に二軍打撃コーチとして現場に復帰。背番号71を引き継いだ。
 2年間二軍で打撃を担当し、16(H28)年には二軍監督に就任し

 ◆在籍時通算打撃成績<442試合、打率.255、994打数253安打、19本塁打、109打点、10盗塁>
 ◇初出場、初打席<1988(S63)年8月30日・南海19回戦/H(川崎)/代打/1打0安>
 ◇初安打、初打点<1988(S63)年8月31日・南海20回戦/H(川崎)/代打/サヨナラ2点適時二塁打>
 ◇初スタメン<1989(H1)年8月20日・西武19回戦/R(西武)/8番左翼/4打0安>
 ◇初本塁打<1989(H1)年9月20日・オリックス20回戦/H(川崎)/代打/今井雄太郎から>


 ★《17代》2018(H30)年・1年 金森 栄治(かなもり えいじ) コーチ(コーチ4年)

  1957年1月24日(入団時53歳)、右投左打
  (出身・石川)大阪・PL学園–早稲田大–プリンスホテル–西武
  千葉ロッテコーチ(10〜12、18)

 【金森 栄治 背番号変遷】75(3)、71(1)
 2010(H22)年から12(H24)年まで一軍打撃兼野手チーフコーチ、二軍打撃コーチを務めた金森栄治が18(H30)年に復帰し一軍打撃コーチに就任。背番号71を引き継いだ。
 このシーズン限りで退団した。


 ★《18代》2019(R1)年〜2021(R3)・3年 吉井 理人(よしい まさと) コーチ(在籍1年、コーチ3年、25年は監督3年目)

  1965(S40)年4月20日生(移籍時42歳)、右投右打
  和歌山・箕島高–近鉄(84〜94)–ヤクルト(95〜97)–ニューヨーク メッツ(98〜99)–コロラド ロッキーズ(00)–モントリオール エクスポズ(01〜02)–オリックス(03〜07途中)–千葉ロッテ(07途中)
  千葉ロッテ一軍監督(23〜)、千葉ロッテコーチ(19〜21)

  【吉井 理人 背番号変遷】選手・24(途中7ヶ月)、コーチ/71(3)、監督/21(2)⇒81(1)
 → 吉井理人 背番号 24 へ(有料エリア)
 引退後、日本ハム→ソフトバンク→日本ハムで投手コーチを務めていた吉井理人が2019(R1)年に12年ぶりに復帰し一軍投手コーチに就任。背番号71を引き継いだ。
 1年目の19(R1)年から投手管理を徹底し、特にリリーフ陣は連投の負担も軽減しシーズン通して安定感を増し、チーム防御率は19(R1)年は4位、20(R2)年は2位と底上げに成功、チームも20年、21年と2年連続2位に貢献した。しかし、21(R3)年はチーム防御率が5位と低迷したこともあり投手コーチを辞任した。
 22(R4)年は現場を離れてコーディネーターとして籍を残しながら、日本代表の投手コーチに就任した。
 → 吉井理人 背番号 21 へ(有料エリア)

 ◆在籍時通算投手成績<4試合、0勝3敗、防13.14、0S、0H、4先発、0完封、4奪三振>
 ◇ロッテ初登板、初先発<2007(H19)年7月12日・西武14回戦/R(グッドウィルD)/先発/0.2回3失>

 ◆監督成績(23(R5)年〜24(R6)年終了時)
  <286試合、141勝134敗11分、勝率.513、3位2回>


※2022(R4)年 空番


 ★《19代》2023(R5)年〜2024(R6)・2年 村田 修一(むらた しゅういち) コーチ(コーチ2年)

  1980(S55)年12月28日生(入団時42歳)、右投右打
  福岡・東福岡高–日本大–横浜(03〜11)–巨人(12〜17)–独立L・栃木

 【村田 修一 背番号変遷】71(2)
 現役時代は横浜、巨人で主軸を務め、引退後は巨人でコーチを務めていた村田修一が一軍打撃コーチに就任。背番号71を引き継いだ。


 ★《20代》2025(R7)年〜・25年は1年目 建山 義紀(たてやま よしのり) コーチ(25年は在籍1年目)


※背番号年数は、着用年数のみ。年数1年未満の場合は月数で表示しています。
※在籍年数は現役としての年数。シーズン途中移籍や入団も1年として算出。
※監督歴は他球団の監督歴も表記、コーチ歴はオリオンズ&マリーンズのみ表記。
※通算成績は背番号時に関係なく在籍時の通算成績です。
※記録内の◆はタイトル、表彰、主な記録。◇は節目の記録。
※初出場等の記録のHホーム、Rロードの略。
※タイトル、表彰、記録は在籍時に表彰を受けたものを対象としています。
※イースタン表彰のFA(JA)はフレッシュ(ジュニア)オールスタの略


(次回)→「72」


---- オリオンズ&マリーンズ 背番号の系譜 INDEX ----

《全文無料》「1」巧打好守の好選手の歴史
《有料・冒頭試読》「2」3人の高卒新人開幕スタメン
《有料・冒頭試読》「3」天才打者が歴史を作り、巧打者が続く系譜
《有料・冒頭試読》「4」職人肌野手と助っ人の系譜
《有料・冒頭試読》「5」歴代最少11人、打撃職人の系譜
《有料・冒頭試読》「6」落合が生んだ打線主軸の系譜
《有料・冒頭試読》「7」助っ人強打者と俊足強打の系譜
《有料・冒頭試読》「8」看板打者の系譜
《全文無料》「9」紡いだ歴史を大きく育てた福浦和也
《全文無料》「0」新しい系譜は快足とリリーフエースの系譜に
《全文無料》「00」最も新しい系譜は助っ人、俊足の系譜
《有料・冒頭試読》「10」投手と野手混在の系譜、3000本安打張本勲も背負う
《有料・冒頭試読》「11」左腕の系譜もマリーンズではリリーフの系譜へ
《有料・冒頭試読》「12」球団初戦先発投手から続く投手 時々 打者の系譜
《有料・冒頭試読》「13」準エースの系譜から主力野手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「14」球団創設から続く主力投手の系譜
《有料・冒頭試読》「15」フル回転投手から野手の歴史も荘勝男、美馬学が投手伝統を引き継ぐ
《有料・冒頭試読》「16」トレード移籍投手の系譜】
《有料・冒頭試読》「17」佐々木朗希につながるエースの系譜
《有料・冒頭試読》「18」植村義信で生まれたエースの称号
《有料・冒頭試読》「19」投手系譜の背番号も名捕手から始まった
《有料・冒頭試読》「20」野手の系譜から、杉下、堀本、木樽とタイトル投手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「21」投手と野手が混在の系譜は、監督の顔に
《有料・冒頭試読》「22」捕手の系譜から助っ人の新しい歴史へ
《有料・冒頭試読》「23」主軸野手が紡いだ背番号23
《有料・冒頭試読》「24」息の長い野手の系譜から投手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「25」正統・打撃職人の系譜
《有料・冒頭試読》「26」TEAM26、マリーンズファンの背番号を振り返る
《有料・冒頭試読》「27」主力打者から主力投手、そして捕手エースナンバーへ
《有料・冒頭試読》「28」助っ人、野手から投手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「29」サンデー兆治が育て、サンデー晋吾が継いだエースの称号
《有料・冒頭試読》「30」監督・コーチ・野手の背番号から投手の背番号へ
《有料・冒頭試読》「31」野手の出世番号から投手の背番号へ
《有料・冒頭試読》「32」主力選手から職人野手の背番号、そして捕手の新しい歴史へ
《有料・冒頭試読》「33」2人の殿堂入り胴上げ監督の背番号
《有料・冒頭試読》「34」400勝投手監督から投手の背番号に
《有料・冒頭試読》「35」初代監督から、外野手の出世番号へ
《有料・冒頭試読》「36」36からの飛躍した三井、サブロー
《有料・冒頭試読》「37」投手、野手、助っ人、25代の系譜
《有料・冒頭試読》「38」強心臓投手と大砲候補の系譜
《有料・冒頭試読》「39」投手・野手から捕手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「40」多士済々のメンバーが連なる系譜
《有料・冒頭試読》「41」期待の星から主軸へ、チーム支えた成長の系譜
《有料・冒頭試読》「42」多彩な系譜オリオンズ~マリーンズは助っ人の系譜
《有料・冒頭試読》「43」土肥から捕手の系譜~ウォーレン、ミンチー助っ投の系譜
《有料・冒頭試読》「44」顔に育てた山本功児、井上晴哉の背番号《有料・冒頭試読》「45」得津、横田、堀、田村と並ぶ、出世番号の系譜
《有料・冒頭試読》「46」成田文男から続く、主軸投手の系譜
《有料・冒頭試読》「47」打者のチームから投手のチームへ変貌させた300勝投手の背番号47
《有料・冒頭試読》「48」リリーフ左腕、代打、好守、チームを下支えした系譜
《有料・冒頭試読》「49」職人選手の出世番号
《有料・冒頭試読》「50」2人の殿堂入り監督が背負った背番号50
《有料・冒頭試読》「51」東京球場で舞った51、航輝が育てる
《有料・冒頭試読》「52」大沢親分から立川、塀内、そしてマウンドで躍動する52へ
《有料・冒頭試読》「53」ベテラン、コーチの53から捕手の印象付けた2人の捕手
《有料・冒頭試読》「54」2人の殿堂入りコーチから、マウンドで躍動する54へ
《有料・冒頭試読》「55」初代殿堂入りコーチから、技巧派外野手の系譜
《有料・冒頭試読》「56」短命続いた系譜も隠れた出世番号
《有料・冒頭試読》「57」57のイメージ残した佐藤幸彦
《有料・冒頭試読》「58」2人の「毅」が刻んだ58の系譜
《有料・冒頭試読》「59」捕手の系譜から野手、そして投手の系譜へ
《有料・冒頭試読》「60」首脳陣、裏方の背番号から出世番号へ
《有料・冒頭試読》「61」角中勝也が躍動させた背番号61
《有料・冒頭試読》「62」息の長い野手が継いだ背番号
《有料・冒頭試読》「63」小野晋吾、種市篤暉M投手の出世番号に
《有料・冒頭試読》「64」短命が続いた背番号も二木康太が出世番号に
《有料・冒頭試読》「65」コーチ番号も榊親一、大塚明と出世野手に
《有料・冒頭試読》「66」ユウゴー、岡田幸文と息の長い背番号に
《無料公開》「67」意外な出世番号67
《無料公開》「68」山内監督、猪久保、早坂と多彩な系譜
《無料公開》「69」裏からチーム支えた3捕手から現役の系譜へ
《無料公開》「70」福浦が原点に戻った背番号70
《無料公開》「71」二軍監督が引き継いだ背番号71

※参考文献、参考WEBは『プロローグ』から

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2023年シーズンは千葉ロッテマリーンズ74度目のシーズン。 73年間の歴史を振り返りつつ、今シーズ…

オリオンズ&マリーンズ博物館 メンバーシップ

¥500 / 月

週2本ペースで毎日オリオンズからロッテオリオンズまでの歴史を辿ります。資料の読み込み含め、長い長い時間をかけた連載になりそうなので、3回目からは有料制(定期購読/月300円・単体100円)と致します。 結果や記録は書物やネットで収得出来るので、違った角度(球団運営、インタビュー、新聞記事、思い出、内緒話等)から記していきます。

手元にある世に出ている資料、手元で眠っている表に出ていない資料に加え、関係者から見聞きした情報(オリオンズメモ(笑))を中心に「ロッテオリ…

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