見出し画像

《全文無料》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜「1」(2026)】巧打好守の好選手の歴史

割引あり

(写真 中央・現在は16代藤原恭大、左上から・引退後俳優となった2代橋本力、ミサイル打線の核弾頭5代八田正、日本一支えた助っ人7代ラフィーバー、右上から・捕手として唯一1番の9代高橋博士、投手として初の1番10代愛甲猛、名手13代小坂誠)
(写真は球団ファンブック、ベースボールマガジン社刊「スポーツ昭和史シリーズ」)


 ※名前横の【殿堂】は野球殿堂入りしている選手、【サイン】はサインが掲出されています(クリックで拡大)

(1)「1」巧打好守の好選手の歴史

 現在、藤原恭大が背負う1番は、初代の伊藤庄七から始まったが、その伊藤をはじめ、大毎時代の八田正、東京球場時代の広瀬宰、川崎時代の愛甲猛、マリーンズとなってからは小坂誠、清田育宏と、金田正一監督時代に助っ人と捕手、投手として愛甲と大嶺祐太の例外はあるものの、概ね巧打好守の選手が背負っている。まさしく、藤原のイメージにつながる背番号の系譜であると感じている。

----- 現在の背番号「1」 -----

 ★《16代》2022(R4)年~・2026年は5年目 藤原 恭大(ふじわら きょうた)  外野手(26年は在籍8年目)

  2000年5月6日生(入団時18歳)、左投左打
  大阪桐蔭高(甲)–千葉ロッテ(19~)

 【藤原 恭大 背番号変遷】2(3) ⇒ 1(5)
 → 藤原恭大 背番号2へ
 2018(H30)年ドラフトで3球団から1位指名を受けた大阪桐蔭高校春夏連覇の主軸だった藤原恭大外野手が16代となる背番号1を背負っている。
 入団時は2だったが、21(R3)年限りで引退した清田育宏に代わり22(R4)年から1に変更した。高卒新人として開幕戦に名前を連ねたが、2年間はじっくり実力を積み、3年目は終盤に打撃力の高さの片鱗を見せた。
 1に代わった22(R4)年は開幕一軍スタートも状態が上がらない。加えて体調不良もあり、シーズンを通して一、二軍を往復。49試合の出場に留まり、打率も.209に終わる。
 翌23(R5)年は2年ぶりに開幕スタメンに名前を連ねる。スタートから好調な打撃を見せ、打率も2割台後半を維持する。しかし、後半は状態を落とし、最終的に自身最多の103試合に出場したものの、打率は.238、3本塁打21打点と課題も残した。
 24(R6)年はオープン戦で自打球が右膝に直撃し右ヒザを骨折して出遅れる。5月末に二軍で復帰し6月下旬に一軍登録される。好調な打撃を見せ、規定打席には届かなかったものの、最終的に自己最高となる打率.290(74試合出場)、2本塁打21打点を記録した。
 25(R7)年は2年ぶりに3番右翼で開幕スタメン。開幕戦こそノーヒットだったものの2戦目から好調をキープ。4月は.327と好スタートを切る。5月のセ・パ交流戦からは1番に定着。7月には補充要員として自身初となるオールスターに出場。新庄監督のガラポンスタメンで第1戦(京セラD)に1番右翼で出場しタイムリーとなる初安打を記録する。8月には自身初となるシーズン100安打に到達するが9月3日に右背部痛で登録を抹消。30日に復帰し最終的に107試合に出場。打率.271で自身初の規定打席に到達しリーグ10位に名を連ね、4本塁打24打点15盗塁を記録してシーズンを終えた。

 (2025(R7)年 シーズン終了時)
 ◆在籍時通算打撃成績<443試合、打率.250、1415打数354安打、18本塁打、105打点、44盗塁>
 ◇初出場、初先発、初安打<2019(R1)年3月29日/開幕戦・楽天1回戦/H(ZOZOマリン)/1番中堅/4打1安>
 ◇初打点<2019(R1)年4月6日・ソフトバンク2回戦/R(ヤフオク!D)/1番中堅/適時打>
 ◇初本塁打<2020(R2)年10月14日・楽天20回戦/H(ZOZOマリン)/1番左翼/涌井秀章から>
 ◇オールスター出場/1回(25)

 ※所属時に選出された表彰
  ◆月間MVP(野手/2021年7・8月)

 ※所属時に達成した記録
  ◆高卒新人開幕戦1番打者としてプロ初先発出場(2019年、史上2人目)
  ◆高卒新人開幕戦に先発プロ初安打(2019年、史上6人目)
  ◆プロ1、2号が初回先頭打者本塁打(2020年、史上3人目)

----- オリオンズ&マリーンズ「1」の系譜 -----

 ★《初代》1950(S25)年~1953(S28)年途中・4年 伊藤 庄七(いとう しょうしち) 外野手(在籍4年)

  1918(T7)年3月20日生(入団時32歳)、右投右打
  愛知・中京商業(甲)–明治大–大連満鉄倶楽部–愛知産業–毎日(50~53)–東急(53~54)–中日(55)

 【伊藤 庄七 背番号変遷】1(3+途中)
 入団創設時の背番号1は社会人・愛知産業から入団した巧打の伊藤庄七外野手が着けた。
 ルーキーイヤーの50(S25)年は開幕3戦目にスタメンで初出場を果たす。以降、スタメン、外野の控えとしてチームの快進撃を支える。最終的に68試合に出場、規定打席には届かなかったものの打率.287、4本塁打26打点の数字を残す。初開催となった日本シリーズでは第1戦で途中出場すると延長12回に決勝適時打を放ちチームを勢いに乗せ、第3戦では4番に座った。打撃の状態は今一つだったが、全6戦に出場した。
 2年目の51(S26)年にはレギュラーに定着し、初開催されたオールスターゲームに出場し、規定打席に到達。打率も.303を記録してリーグ6位に入った。
 翌52(S27)年には4番にも座ったが山内和弘の台頭もあり控えに回ることも増え、53(S28)年のシーズン途中に東急(現日本ハム)に移籍した。

 ◆在籍時通算打撃成績<284試合、911打数257安打.282、19本塁打、125打点、36盗塁>
 ◇初出場、初スタメン<1950(S25)年3月15日・南海1回戦/H(大須)/2番左翼/3打0安>
 ◇初安打<1950(S25)年4月2日・近鉄5回戦/H(後楽園)/2番左翼/4打1安>
 ◇初打点<1950(S25)年4月15日・東急5回戦/R(後楽園)/2番左翼/適時打>
 ◇初本塁打<1950(S25)年8月17日・大映18回戦/R(後楽園)/途中右翼/小川善治から>
 ◇オールスター出場/1回(51)


 ★《2代》1954(S29)年~1956(S31)年・3年 橋本 力(はしもと ちから) 外野手(在籍6年)

  1933年(S8)10月20日生(入団時19歳)、右投右打
  北海道・函館西高(甲)–毎日(53~59)

 【橋本 力 背番号変遷】48(1) ⇒ 1(3) ⇒ 21(3)
 → 橋本力 背番号 48 へ(有料エリア)
 伊藤の移籍を受け、1953(S28)年に函館西高校から入団し背番号48だった2年目の橋本力外野手が54(S29)年から1を引き継いだ。
 前年1年目の53(S28)年は12試合の出場に留まっていた。背番号変更をした3年目の54(S29)年は17試合、54(S29)年は3試合と、ケガもあり出場試合数も少なかった。
 しかし4年目の56(S31)年にはシーズン中盤からレギュラーに定着し73試合に出場し打率.223、4本塁打15打点を記録した。オフには背番号を21に変更した。
 58(S33)年には二軍で調整中に親会社大映の映画『一刀斎は背番号6』に選手役で出演したが撮影中に鎖骨骨折し現役を引退。そのまま大映所属の俳優となった(詳細は「21」で紹介)。
 → 橋本力 背番号 21 へ(有料エリア)

 ◆在籍時通算打撃成績<299試合、541打数121安打.224、12本塁打、125打点、45盗塁>
 ◇初出場<1953(S28)年4月18日・西鉄4回戦/H(後楽園)/途中左翼>
 ◇初安打<1953(S28)年4月29日第2・近鉄2回戦/R(藤井寺)/代打/1打1安>
 ◇初本塁打、初打点<1954(S29)年10月16日第1・近鉄18回戦/R(甲府緑が丘)/1番中堅/関根潤三から>


 ★《3代》1957(S32)年~1959(S34)年・3年 平井 嘉明(ひらい よしあき) 内野手(在籍3年)

  1934(S9)年5月6日生(入団時22歳)、右投左打
  京都・立命館高(–)–関西大学–毎日(57~59)–国鉄(60~64)

 【平井 嘉明 背番号変遷】1(3)
 1957(S32)年に関西大学から入団した平井嘉明が背番号1を引き継いだ。
 1年目から遊撃手として抜擢され、3月30日の開幕戦・西鉄1回戦(平和台)に途中出場。翌日の2回戦(平和台)に1番遊撃で初スタメン出場し、初安打を記録する。以降、シーズン通じて一軍に帯同し、規定打席には到達しなかったものの83試合に出場した。しかし、打率は.191と低迷した。
 2年目の58(S33)年にチームは大映と合併したが、大映から加わった八田正が遊撃の中心となり、60試合で打率は.222、3年目の59(S34)年からは八田がレギュラーに定着し、70試合に出場、打率は.148と打撃がウィークポイントだった。59(S34)年オフに国鉄(現ヤクルト)へ移籍した。

 ◆在籍時通算打撃成績<197試合、306打数58安打.190、0本塁打、18打点、41盗塁>
 ◇初出場<1957年3月30日開幕戦・西鉄1回戦/R(平和台)/途中遊撃>
 ◇初スタメン、初安打<1957年3月31日第1・西鉄2回戦/R(平和台)/1番遊撃/3打1安>
 ◇初打点<1957年4月11日・東映3回戦/H(後楽園)/1番遊撃/4打0安>


 ★《4代》1960(S35)年~1961(S36)年・2年 山田 潔(やまだ きよし) コーチ(在籍コーチ5年)

  1921(T10)年1月16日生(就任時37歳)、右投右打
  愛媛・旧制松山商業学校(甲)–イーグルス(38~42)–巨人(46)–国民野球・大塚(47)‐金星・大映(48~57)
  大毎コーチ(58~62)

 【山田 潔 背番号変遷】63(2) ⇒ 1(2) ⇒ 51(1)
 戦前・戦中・戦後と黒鷲軍や大映で内野手として活躍し、引退後、前年59(S34)年から二軍のコーチとして入団した山田潔が、60(S35)年に一軍コーチと配置転換されるのに伴い、63から空番だった1に変更された。なぜコーチが1を着けたのか確たる証言はないが「現役復帰を模索したのではないか」とも言われている。
 コーチが背番号1を着けたのは、球団史上山田潔だけである(その他1ケタは兼任は除き、監督としてバレンタインの2、井口資仁の6があるだけ)。
 → 山田潔 背番号 51 へ(有料エリア)

【現役時、在籍なし】


 ★《5代》1962(S37)年途中~1968(S43)年・6年 【サイン】八田 正(はった ただし) 内野手(在籍11年)

左)「激動の昭和スポーツ史1(ベースボールマガジン社)、右)当館所蔵サインボール

  1936(S11)年10月5日生(移籍時21歳)、右投左打
  徳島・鳴門高(甲)–大映(55〜57)–大毎/東京(58~68)–阪急(69~71)

ここから先は

16,607字 / 4画像
この記事のみ ¥ 0〜
Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

2023年シーズンは千葉ロッテマリーンズ74度目のシーズン。 73年間の歴史を振り返りつつ、今シーズ…

オリオンズ&マリーンズ博物館 メンバーシップ

¥500 / 月

週2本ペースで毎日オリオンズからロッテオリオンズまでの歴史を辿ります。資料の読み込み含め、長い長い時間をかけた連載になりそうなので、3回目からは有料制(定期購読/月300円・単体100円)と致します。 結果や記録は書物やネットで収得出来るので、違った角度(球団運営、インタビュー、新聞記事、思い出、内緒話等)から記していきます。

手元にある世に出ている資料、手元で眠っている表に出ていない資料に加え、関係者から見聞きした情報(オリオンズメモ(笑))を中心に「ロッテオリ…

Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?