見出し画像

《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜「28」(2026)】助っ人、野手から投手の系譜へ

(写真 中央・投手の系譜を受け継ぐ18代菊地吏玖、左上から・ベストナインの助っ人正捕手2代ルイス、スピードボールが武器だった4代ディサ、日本一支えた正捕手9代村上公康、右上から・最長14年背負った12代園川一美、ルーキーながら先発陣支えた加藤康介、11年28を背負った中継ぎ17代松永昴大)


「28」 助っ人、野手から投手の系譜へ

 毎日時代はルイス、大毎時代はディサと所属は短年ながら助っ人のイメージの強い背番号だった。一躍、背番号28を印象強くしたのは日本一の正捕手・村上公康。リーグ優勝、日本シリーズ制覇を決め、村田兆治と抱き合ったのは背番号28だった。
 一転して川崎時代には投手が継ぐ背番号となる。マウンド上の背番号28を印象づけたのは園川一美。オリオンズからマリーンズへと28番史上最長となる14年間背負った。その系譜は加藤康介、松永昂大、そして、菊地吏玖へと受け継がれている

----- 現在の背番号「28」 -----

 ★《18代》2023(R5)年~・26年は4年目 菊地 吏玖(きくち りく)(26年は在籍4年目)

  2000(H12)年6月13日生(入団時22歳)、右投左打
  北海道・札幌大谷高(–)–専修大–千葉ロッテ(23〜)

 【菊地 吏玖 背番号変遷】28(3)
 2022(R4)年のドラフト1位で専修大学から入団した菊地吏玖が背番号28を引き継いだ。
 即戦力と期待されたが、ルーキーイヤーの23(R5)年は二軍でスタート。その二軍で4月に左内腹斜筋損傷で離脱する。二軍復帰後は8月に一軍登録され、11日の西武15回戦(ZOZOマリンス)で初登板初先発。4回4失点(自責は1)で初黒星を喫する。一軍での登板は、この1試合に終わった。オフには台湾で行われた「2023アジアウインターベースボールリーグ」に出場。9試合に登板して4ホールド、防御率0.00と好成績で終えた。
 2年目の24(R6)年も開幕は二軍スタート。シーズン序盤に一軍登録されるものの、序盤は一、二軍を往復する。二軍でリリーフとして安定感を見せると8月に再登録され、初ホールド、初セーブを記録。9月30日の楽天24回戦(楽天モバイル)ではリリーフとして待望の初勝利も記録した。最終的に20試合に登板し、1勝0敗1セーブ2ホールド、防御率2.25で終えた。
 25(R7)年は自身初の開幕一軍入り。リリーフとしてマウンドに上がる。しかし、安定したマウンドを見せるも失点するマウンドも見せるなど安定感を欠き5月5日に抹消される。以降は一、二軍を往復する。二軍で好投も一軍に上がると失点するなど安定感を見せられずシーズンを終えた。最終的に21試合に登板、防御率5.32、0勝1敗で終えた。

 (2025(R7)年 シーズン終了時)
 ◆在籍時通算投手成績<42試合、1勝2敗、防3.66、1S、2H、1先発、0完封、46奪三振>
 ◇初登板、初先発登板<2023(R5)年8月11日・西武15回戦/H(ZOZOマリン)/先発/4回4失(1自)⚫︎>
 ◇初ホールド<2024(R6)年8月7日・ソフトバンク17回戦/H(ZOZOマリン)/3番手/1回0失>
 ◇初セーブ<2024(R6)年9月11日・オリックス24回戦/R(京セラD)/2番手完了/3回0失>
 ◇初勝利<2024(R6)年9月30日・楽天24回戦/R(楽天モバイル)/4番手/1回1失>

----- オリオンズ&マリーンズ「28」の系譜 -----

 ★《初代》1950(S25)年~1952(S27)年・3年 白川 一(しらかわ はじめ) 外野手(在籍3年/コーチ在籍3年)

  1922(T11)年5月25日生(入団時31歳、再入団時32歳)、右投右打
  鹿児島・(旧制)鹿児島商業学校(–)−星野組−毎日(50〜53)
  毎日/大毎コーチ(55途中〜58)

 【白川 一 背番号変遷】28(3)、コーチ/51(1) ⇒ 62(2)
 球団創設時に西本幸雄、荒巻淳らとともに社会人・星野組から入団した白川一が初代背番号28を背負った。入団時は31歳、コーチ役含みの入団だった。
 1年目の1950(S25)年はシーズン終盤になってようやく初出場。10月1日の大映19回戦(後楽園)に代走として初出場。以降も代走と守備固めとして登場。1年目は5試合に出場して3打席無安打だった。日本シリーズでもベンチ入りし3試合に出場、第1戦では盗塁を決めた。
 2年目の51(S26)年はハワイ遠征に加わらず、留守軍として開幕戦の4月5日の東急1回戦(後楽園)に1番左翼で自身初スタメン出場。無安打に終わったものの、翌6日の大映1回戦(後楽園)では初安打を記録した。ハワイ遠征組のレギュラーメンバー合流後も一軍に帯同し、メンバーの状態が上がるまで1番でスタメン出場する。その間に好調な打撃を見せる。しかし、徐々に状態を下げ、2割5分を超えていた打率も2割台前半まで下降する。一時は一軍を外れたものの、夏場には状態を取り戻し、代打としても出場した。最終的に2年目は52試合に出場し、打率.230、盗塁も10個を決めて終えた。
 52(S27)年も開幕からベンチ入りし、守備固め、代打、代走で出場、打撃が好調でスタメン出場も果たす。このシーズンは前年を上回る57試合に出場し、打率.348を記録したが、オフにはこのシーズン限りで引退し、翌53(S28)年から若手軍のコーチに専念した。
 → コーチ/白川一 背番号 51
 → コーチ/白川一 背番号 62

 ◆在籍時通算打撃成績 <114試合、打率.271、129打数35安打、0本塁打、10打点、16盗塁>
 ◇初出場<1950(S25)年10月1日・大映19回戦/R(後楽園)/代走/打席なし>
 ◇初打席<1950(S25)年10月29日・東急19回戦/R(後楽園)/途中左翼/1打0安>
 ◇初スタメン<1950(S25)年11月3日・南海20回戦/R(大阪)/2番右翼/1打0安>
 ◇初安打<1951(S26)年4月6日・大映1回戦/R(後楽園)/1番左翼/4打1安>
 ◇初打点<1951(S26)年4月8日・大映2回戦/R(後楽園)/1番左翼/適時二塁打/4打2安>


※1953(S28)年 空番


 ★《2代》1954(S29)年~1955(S30)年・2年 チャーリー ルイス 捕手(在籍2年)

  1925(T14)年5月30日生(入団時28歳)、右投右打
  米ハワイ・セントルイス高–ハワイ朝日–毎日(54〜55)

 【ルイス 背番号変遷】28(2)
 ハワイのハワイ朝日でプレーしていたルイスが入団し、空番だった背番号28を継いだ。
 1954(S29)年、前年まで正捕手だった土井垣武が移籍し、開幕からルイスがレギュラーマスクを被る。開幕戦の3月27日の南海1回戦(大阪)に6番捕手でスタメン初出場。この試合は無安打だったものの、翌28日の2回戦で2安打を放ち、初安打を記録する。ところが、投手との呼吸も合わずチームは開幕5連敗、バットでも2割を切るスタートとなった。4月に入ると一転、3日の高橋戦(浜松)で初本塁打を放ち4打点をマークすると打撃は一気に上昇気配、リードも安定感を見せる。最終的に130試合でマスクを被り、打率.293、15本塁打90打点で別当薫、頭角を現した山内和弘とクリーンアップを形成した。オフにはベストナインに選出された。日系人以外の外国人捕手として初の受賞となった。
 2年目の55(S30)年もガッチリと正捕手としてチームを支える。このシーズンは135試合に出場し、打率は.261、9本塁打73打点と前年よりも数字は落としたものの、2年連続ベストナインに選出された。しかし、このシーズン限りで退団を決意し、ハワイに帰国した。

 ◆在籍時通算打撃成績<265試合、打率.277、980打数271安打、24本塁打、163打点、16盗塁>
 ◇初出場、初スタメン、初打席<1954(S29)年3月27日開幕戦・南海1回戦/R(大阪)/6番捕手/3打0安>
 ◇初安打<1954(S29)年3月28日・南海2回戦/R(大阪)/5番捕手/4打2安>
 ◇初本塁打、初打点<1954(S29)年4月3日・高橋1回戦/H(浜松)/5番捕手/スタルヒンから>
 ◇オールスター出場/2回(54、55)

 ※在籍時に受賞した表彰
  ◆ベストナイン・捕手/2回(54、55)


 ★《3代》1956(S31)年~1960(S35)年・5年 鈴木 秀幸(正)(すずき ひでゆき(ただし)) 外野手(在籍5年)

  ※1957(S32)年まで正、58年から秀幸
  1933(S8)年8月1日生(入団時22歳)、
  栃木・矢板高(–)–神奈川大–毎日/大毎(56〜60)–国鉄(61〜62)

 【鈴木 秀幸 背番号変遷】28(5)
 1956(S31)年に神奈川大学から入団した鈴木正が背番号28を引き継いだ。大学時代は投手として活躍したが、入団と同時に外野手に転向した。
 1年目の56(S31)年は、いきなり3月21日の東映1回戦(駒沢)に5番中堅で開幕スタメンに抜擢され、ダブルヘッダーの第2試合の2回戦で初安打を記録する。以降、打率は2割前後で低迷するも、堅実な守備と走力を買われてスタメンの他、代打、守備固めで起用され、1年目は114試合に出場し、打率.207、5本塁打29打点でルーキーイヤーを終える。
 翌57(S32)年も開幕ベンチ入りを果たすも、橋本力、ルーキーの衆樹資宏に出番を奪われ、打率.294ながら11試合の出場に留まる。
 58(S33)年は正から秀幸に改名。しかし、大映との合併で加入した矢頭高雄も加わり外野手争いも激しさを増し、このシーズンは17試合の出場に留まり、打率も.176に終わる。59(S34)年はさらに出場を減らし、7試合の出場の留まった。
 60(S35)年は打撃好調で開幕一軍入り。当初は代走での出場だったが、代打で好調な打撃を見せ、4月は3割を超える打率を記録するも、徐々に調子を落とす。それでも代打としてチームを支える。後半は二軍落ちしたものの、50試合に出場し打率.222だった。日本シリーズにも第2戦で代打で登場も無安打に終わった。オフには国鉄に移籍した。

 ◆在籍時通算打撃成績<199試合、打率.212.、387打数82安打、7本塁打、36打点、6盗塁>
 ◇初出場、初スタメン、初打席<1956(S31)年3月21日第1開幕戦・東映1回戦/R(駒沢)/5番中堅/4打0安>
 ◇初安打、初打点<1956(S31)年3月21日第2・東映2回戦/R(駒沢)/5番中堅/4打2安/初打点適時三塁打>
 ◇初本塁打<1956(S31)年5月8日・高橋7回戦/H(駒沢)/1番中堅/相沢進から>


 ★《4代》1961(S36)年~1964(S39)年・3年5ヶ月 ディック ディサ 投手(在籍4年)

  1941(S16)年12月3日生(入団時19歳)、右投右打
  米ハワイ・ヒロ高–ハワイ朝日–大毎/東京(61〜64途中)–近鉄(64途中〜66)

ここから先は

16,519字 / 1画像
この記事のみ ¥ 300
Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

2023年シーズンは千葉ロッテマリーンズ74度目のシーズン。 73年間の歴史を振り返りつつ、今シーズ…

オリオンズ&マリーンズ博物館 メンバーシップ

¥500 / 月

週2本ペースで毎日オリオンズからロッテオリオンズまでの歴史を辿ります。資料の読み込み含め、長い長い時間をかけた連載になりそうなので、3回目からは有料制(定期購読/月300円・単体100円)と致します。 結果や記録は書物やネットで収得出来るので、違った角度(球団運営、インタビュー、新聞記事、思い出、内緒話等)から記していきます。

手元にある世に出ている資料、手元で眠っている表に出ていない資料に加え、関係者から見聞きした情報(オリオンズメモ(笑))を中心に「ロッテオリ…

Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?