《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜「31」(2026)】野手の出世番号から投手の背番号へ
(写真 中央・2年目で一軍定着へ22代大谷輝龍、左上から・元祖二刀流投手で代打もこなした2代稲垣定雄、高卒1年目から活躍した4代須藤豊、右上から・首位打者獲得した11代&13代高沢秀昭、歴代31最長は13年の19代渡辺俊介)
「31」 野手の出世番号から投手の背番号へ
オリオンズ時代は野手の背番号だった。ミサイル打線の中核となる葛城隆雄、堅実な守備と打撃の須藤豊、太平洋に移籍して首位打者となった吉岡悟と野手の出世番号だったと言える背番号だった。そして、背番号31を顔としたのが高沢秀昭だった。広島からUターン復帰した際も31にこだわり背負った。
マリーンズとなってからは投手、野手が交互に背負ったが、マウンド上の顔として定着させたのが渡辺俊介だった。31の歴代最長となる13年間背負ってマウンドに上がった。
----- 現在の背番号「31」 -----
★《22代》2024(R6)年・1年目 大谷 輝龍(おおたに ひかる) 投手(在籍1年目)
2000(H12)年7月11日生(入団時23歳)、右投右打
石川・小松大谷高(–)–JFE東日本–伏木海陸運送–独立L・富山–千葉ロッテ(24〜)
【大谷 輝龍 背番号変遷】31(1)
2023(R7)年のドラフト2位で入団した剛腕大谷輝龍が背番号31を引き継いだ。23年は独立L(日本海L)・富山に所属し抑え役として活躍。最速159キロを計測した。
ルーキーイヤーの24(R6)年はシーズンの大半を二軍で過ごし、最終盤の10月に初登録され、3日の日本ハム15回戦で初登板。1回を投げ3奪三振を奪うデビューだった。
一軍定着が期待された25(R7)年だったが右ヒジ痛を発症し、開幕前の3月に右肘内側側副靱帯再建術を受け、最終的に二軍でも復帰登板はならなかった。
◆在籍時通算投手成績<1試合、0勝0敗、防0.00、0S0H、0先発、0完封、3奪三振>
◇初登板<2024(R6)年10月3日・日本ハム15回戦/H(ZOZOマリン)/4番手/1回0失>
----- オリオンズ&マリーンズ「31」の系譜 -----
★《初代》1950(S25)年~1952(S27)年途中・2年5ヶ月 東口 清美(ひがしぐち きよみ) 捕手(在籍3年)
1923(T12)年10月26日生(入団時26歳)、右投右打
三重・(旧制)津中(–)–津公民館–別府星野組–毎日(50~52途中)–近鉄(52途中~54)
【東口 清美 背番号変遷】31(2+途中)
1950(S25)年の球団創設に西本幸雄、荒巻淳らと社会人・別府星野組から入団した東口清美が、初代背番号31を背負った。
正捕手には土井垣武がおり、1年目の50(S25)年は一軍出場なく終わる。2年目の51(S26)年は7月に初の一軍合流。28日の東急14回戦(後楽園)に途中出場して初マスクを被る。打席にも立ち、ヒットは出なかったものの打点を挙げる。その後2試合にマスクを被ったが以降は出番なく終わり、3試合の出場に終わった。
52(S27)年は一軍での出番なく、5月3日に今久留主功とともに近鉄へのトレードが成立して移籍した。
◆在籍時通算打撃成績<3試合、打率.000、1打数0安打、0本塁打、1打点、0盗塁>
◇初出場、初打席、初打点<1951(S26)年7月28日・東急14回戦/H(後楽園)/途中捕手/1打0安/内野ゴロ>
★《2代》1952(S27)年途中~1954(S29)年・2年8ヶ月 稲垣 定雄 投手(内野手)(在籍3年)
1923(T12)年4月18日生(入団時28歳)、右投右打
香川・(旧制)高松中(–)–中央大–琴平電鉄–毎日(52途中~54)
【稲垣 定雄 背番号変遷】31(途中+2)
1952(S27)年に社会人・琴平電鉄からシーズン途中に入団した稲垣定雄が、移籍した東口の背番号31を引き継いだ。
5月9日の東急8回戦(後楽園)に2番手として6回からプロ初登板。4回4失点と失点して一軍を離れる。その後再合流し、8月30日の大映15回戦(後楽園)では初先発する。しかし、打者3人に1安打2四球で一死も取れずに降板し初黒星を喫する。1年目は6試合に登板し0勝1敗、防御率5.63に終わる。
2年目の53(S28)年は打撃が良かったため、マウンドに上がりながら打者として8月に一軍に合流する。8月26日の西鉄13回戦(平和台)では途中から三塁に入り回った打席で初安打を記録。28日の近鉄11回戦(大阪)では7番三塁で初スタメンも果たす。9月にはマウンドにも上がり、最終的に3試合に登板し防御率2.25、打者として22試合に出場し53打席に立ち打率.216、0本塁打5打点を記録した。
54(S29)年は登録は投手のまま内野手として出場する。二塁20、三塁9、一塁2、外野でも1試合とユーティリティーさを発揮し65試合に出場し、打率.254、0本塁打8打点を記録した。しかし、オフには引退した。
◆在籍時通算投手成績<9試合、0勝1敗、防4.56、1先発、0完封、6奪三振>
◇初登板、初打席<1952(S27)年5月9日・東急8回戦/H(後楽園)/2番手/4回4失>
◇初先発<1952(S27)年8月30日・大映15回戦/R(後楽園)/先発/0.0回2失>
◆在籍時通算打撃成績<71試合、打率.228、114打数26安打、0本塁打、13打点、1盗塁>
◇初安打<1953(S28)年8月26日・西鉄13回戦/R(平和台)/途中三塁/3打1安>
◇初スタメン<1953(S28)年8月28日第1・近鉄11回戦/R(大阪)/7番三塁/4打0安>
◇初打点<1953(S28)年8月28日第2・近鉄12回戦/R(大阪)/6番三塁/4打3安/適時二塁打>
★《3代》1955(S30)年・1年 【サイン】葛城 隆雄(かつらぎ たかお) 内野手・外野手(在籍9年)

1936(S11)年12月21日生(入団時18歳)、右投右打
大分・大分上野丘高(–)‐毎日(55~63)‐中日(64~69)‐阪神(70)
【葛城 隆雄 背番号変遷】31(1) ⇒ 5(8)
1955(S30)年に大分上野丘高校から入団した葛城隆雄が、背番号31を引き継いだ。
高卒ルーキーながら5月に一軍合流。11日の大映5回戦(後楽園)に三塁の守備固めで初出場、翌6回戦で守備固めで入り初打席、17日の東映6回戦(駒沢)で代打で登場して初安打を記録する。以降守備固めで出場し、25日の大映8回戦(駒沢)には9番三塁で初スタメン出場を果たす。6月16日のトンボ8回戦(後楽園)では途中出場し初本塁打を記録する。夏場に調子を落として離脱したものの、最終的に打率.169、2本塁打5打点で1年目を終えた。オフには背番号を5に変更した。
→ 葛城隆雄 背番号 5 へ(有料エリア)
◆在籍時通算打撃成績<1072試合、打率.283、3954打数1118安打、116本塁打、585打点、86盗塁>
◇初出場<1955(S30)年5月11日・大映5回戦/H(後楽園)/途中三塁>
◇初打席<1955(S30)年5月12日・大映6回戦/H(後楽園)/途中三塁/1打0安>
◇初安打<1955(S30)年5月17日・東映6回戦/R(駒沢)/代打/1打1安>
◇初スタメン<1955(S30)年5月25日・大映8回戦/H(駒沢)/9番三塁/3打1安>
◇初本塁打、初打点<1955(S30)年6月16日・トンボ8回戦/H(後楽園)/途中遊撃/相沢進から>
※在籍時に獲得したタイトル
◆打点王/2度(1958年、59年)
◆最多安打/2度(1958年、59年)当時連盟表彰なし
※在籍時に選出された表彰
◆ベストナイン/2度 (1958年、59年)
※在籍時に達成した主な記録記録
◇1000試合出場(1963年6月23日、史上81人目)
◆サイクル安打(1957年8月27日、史上15人目)史上最年少達成
★《4代》1956(S31)年~1961(S36)年・6年 須藤 豊(すどう ゆたか) 内野手(在籍6年)
1937(S21)年4月21日生(入団時18歳)、右投右打
高知・高知商業高(甲)–毎日/大毎(56~61)–巨人(62~68)
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手元にある世に出ている資料、手元で眠っている表に出ていない資料に加え、関係者から見聞きした情報(オリオンズメモ(笑))を中心に「ロッテオリ…
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