温故知新(157)法隆寺 シュメール 亀ヶ岡石器時代遺跡 出雲大社 香取神宮 亀甲紋 亀石 ブッダガヤの大菩提寺 蓬莱山 武当山
メンフィス テル・エル・ファハリヤ遺跡 アララト山 藻岩山 庭田神社 櫛田神社 長命寺 賀茂別雷神社 上賀茂神社 城南宮 矢田の大石 津峯神社 大原野神社 オリンポス山 テルロー遺跡 ウル ウルク 大阪城 廣田神社 岩嶺山石峯寺 モアン山 グヌン・パダン 恵比須田遺跡 摩耶山天上寺 八上城跡 ローマ 香取神宮 鹿島大神宮 御上神社 大樹寺 皇居 赤城神社 古代亀石(笠石山) 亀石(倉敷市水江) 龍眼寺 今城塚古墳 天橋立神社 聖ミカエルの山 白龍神社 サギノー湾 彦崎貝塚 水神(龍神) ポセイドン 水主神社 玉比咩神社 百枝八幡宮 スカラ・ブレイ 倭迹迹日百襲姫命 豊玉姫命 岩上神社 中山神社 岩屋城跡
法隆寺とメンフィス、テル・エル・ファハリヤ遺跡、アララト山、藻岩山
法隆寺とメンフィス博物館を結ぶラインは、孝霊天皇と関係があると推定される庭田神社(兵庫県宍粟市)の近くを通り、孝霊天皇と関係付けられているメンフィスにあるメンフィス博物館と藻岩山を結ぶラインは、フルリ人のミタンニ(Mitanni)王国の首都ではないかとされるテル・エル・ファハリヤ遺跡(Tell Fecheriye)や、アララト山の近くを通ります(図1、2)。藻岩山と法隆寺を結ぶラインの近くには、素盞嗚尊(孝霊天皇と推定)と櫛稲田姫命を祀る櫛田神社(富山県射水市)や、聖徳太子(崇神天皇と推定)の開基とされる長命寺(滋賀県近江八幡市)があります(図2)。


法隆寺は、孝霊天皇を祀っていると推定される大鳥大社ともつながっていることから、法隆寺を崇神天皇が創建したとすると、孝霊天皇を祀ったのではないかと思われます。そうすると、法隆寺が孝元天皇や倭迹迹日百襲姫命と関係付けられている理由がわかります。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)と法隆寺
京都市北区にある賀茂別雷神社(上賀茂神社)には、賀茂別雷大神(崇神天皇と推定)が祀られています。賀茂別雷神社(上賀茂神社)と第10代崇神天皇(聖徳太子と推定)と関係があると推定される法隆寺を結ぶラインの近くには、神功皇后ゆかりの城南宮(伏見区)や富雄丸山古墳とつながる矢田の大石(大和郡山市)があります(図3)。賀茂別雷神社(上賀茂神社)と法隆寺は、レイラインで結ばれていることから、いずれも崇神天皇と関係があると推定されることと整合します。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)とスサとつながる津峯神社(徳島県阿南市)を結ぶラインは、法隆寺と鯉喰神社遺跡とつながるオリンポス山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、前者のラインの近くには、大原野神社(京都市西京区)があります(図4)。

法隆寺とシュメール
釈迦の涅槃像の周囲にある塑像群の中に、シュメール人の代表的な都市国家であるウルで発見された、遮光器土偶と共通する特徴がある像(子供をあやすトカゲ頭の裸婦)とよく似た像(侍者像)があります。品陀真若王の城と推定される鬼ノ城もウルとレイラインで結ばれています。
テル・エル・ファハリヤ遺跡(Tell Fecheriye)とウルク(Uruk)の近くにあるテルロー遺跡(Girsu Tello Archaeological Site)を結ぶラインは、ウル(Ur)の近くを通ります(図5)。

下記には、法隆寺の相輪(そうりん)が、古代シュメールのレリーフの中にもある「生命の樹」を象徴しているのではないかという説が紹介されています。これは、「七枝刀」とシュメールの「七枝樹」の関係とも似ています。
法隆寺とシュメールのテルロー遺跡(Girsu Tello Archaeological Site)を結ぶラインは、五十瓊敷入彦命の城があったと推定される大阪城を通り、天照大御神の荒魂を祀る廣田神社(兵庫県西宮市)、岩嶺山 石峯寺(神戸市)の近くを通ります(図6)。このレイラインは、法隆寺とシュメールのつながりを示していると推定されます。

法隆寺と亀ヶ岡石器時代遺跡、出雲大社
モアン山とグヌン・パダンを結ぶレイラインの比較的近くに、遮光器土偶が発見されている亀ヶ岡石器時代遺跡や恵比須田遺跡(宮城県大崎市)があり、このラインは法隆寺の近くも通ります(図7)。法隆寺は、縄文人やスンダランドとも関係付けられていると推定され、グヌン・パダンはメンフィスやマラケシュとつながっています。これは、天太玉命(伊弉諾尊、第6代孝安天皇と推定)を祖神とする忌部氏が、縄文人やシュメール人と関係があると推定されることとも整合します。これらのことから、法隆寺の侍者像の頭は、「トカゲ頭の裸婦」や遮光器土偶と同様に亀を表していると推定されます。

法隆寺の異形の塑像は、当初、よろいが亀の甲羅に似ていることから亀を表しているのではないかという話があったようなので、GoogleAIに聞いてみました。
「亀の甲羅」から始まった解釈
明治時代などにこれらの風変わりな塑像が本格的に調査・記録され始めた当初、その奇妙な姿をどう解釈するかで様々な議論がありました。
当初の推測:頭が小さく、体にまとっている鎧(鱗状の胸当てや背当て)のパターンが亀の甲羅の模様(六角形の連続)に似ていたため、この異形の像は「亀」を擬人化・神格化したキャラクター(意匠)ではないかと考える説がありました。
仏教美術における実際の正体
その後の仏教考証や東アジアの美術史研究により、この像は亀ではなく「蛇」や「龍」を神格化した「摩睺羅伽(まごらか)」や「那伽(なーが/龍)」、あるいは「阿修羅(あしゅら)」などの八部衆(仏教を守護する異形の神々)を表現したものというのが定説となっています。
まとう鎧の正体:亀の甲羅に見えた模様は、古代中国や朝鮮半島から伝わった「挂甲(けいこう)」や「鱗甲(りんこう)」と呼ばれる、小さな板を紐で編み込んだ実在の鎧の表現です。これが蛇や龍の「鱗(うろこ)」の表現とも重なり、異形の頭部と相まって独自の姿を作り出しました。
法隆寺と出雲大社
第8代孝元天皇を祀っていると推定される出雲大社の神紋は、亀の甲羅の形を図案化した「亀甲紋」なので、出雲大社と法隆寺や遮光器土偶が見つかっている亀ヶ岡石器時代遺跡の関係を調べてみました。
亀ヶ岡石器時代遺跡と出雲大社を結ぶラインは、法隆寺と「アトランティス」と関係があると推定されるローマを結ぶラインとほぼ直角に交差し、これらを結ぶラインの近くには、杉原神社(富山県富山市)、摩耶山天上寺(兵庫県神戸市)、八上城跡(兵庫県丹波篠山市)があります(図8)。

下記のブログによると、法隆寺献納宝物の染織品に亀甲紋が使われているようです。
法隆寺と亀ヶ岡石器時代遺跡、香取神宮
「亀甲紋」は、香取神宮ゆかりの紋としても知られ、神社が鎮座する一帯は古くから「亀甲山」と呼ばれており、神様の使いとして亀と深いゆかりがあります。亀ヶ岡石器時代遺跡と出雲大社を結ぶラインは、香取神宮とメンフィス博物館を結ぶラインとほぼ直角に交差し、これらを結ぶラインの近くには、鹿島大神宮(福島県郡山市)、御上神社(滋賀県野洲市)、大樹寺(愛知県岡崎市)、第13代成務天皇の行宮があったと推定される皇居、赤城神社(群馬県前橋市)があります(図9)。これらのラインから、法隆寺は、亀甲紋や遮光器土偶と関係付けられていると推定されます。

法隆寺と亀石
倉敷市水江にある亀石は、倭迹迹日百襲姫命と関係があると推定されるので、法隆寺との関係を調べてみました。古代亀石(笠石山)(福島県田村市)と亀石石切り場跡(倉敷市水江)を結ぶラインは、法隆寺と聖ミカエルの山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは、生駒山 龍眼寺(大阪府大東市)、継体天皇の陵墓と推定される今城塚古墳(大阪府高槻市)、八大龍王を祀る天橋立神社(京都府宮津市)の近くを通ります(図10、11)。


法隆寺と、倭迹迹日百襲姫命と推定される八大龍王と関係付けられているサギノー湾を結ぶラインは、図8、9の法隆寺と亀ヶ岡石器時代遺跡を結ぶラインとほぼ一致し、白龍神社(福井県大野市)の近くを通ります(図12)。これらのラインから、法隆寺は、倭迹迹日百襲姫命と関係付けられていると推定されます。

法隆寺と彦崎貝塚、武当山、ブッダガヤの大菩提寺
法隆寺とブッダガヤの大菩提寺(Mahabodhi Temple)を結ぶラインの近くには、彦崎貝塚(岡山市南区)や、倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼と推定)と関係があると推定される武当山(Wundang Mountain)があります(図13)。このレイラインから、古代天皇と関係があると推定される法隆寺は、釈迦と関係付けられていると推定されます。景行天皇の後裔と推定される空海が、釈迦と関係があると推定されることと整合します。

ブッダガヤの大菩提寺は、テル・エル・ファハリヤ遺跡(Tell Fecheriye)や、アトランティスと関係があると推定され、高天原だったと推定されるクサール・ヌアイラとレイラインでつながっています。
テル・エル・ファハリヤ遺跡は、日子刺肩別命(穂高見命)の墓と推定される西求女塚古墳、チブサン古墳、虎塚古墳、河姆渡遺跡、シヌグ堂遺跡、熊野速玉大社、アナトリア半島の古代天皇と関係があると推定される古代都市セリヌス(Selinus Ancient City)や倭国香媛(天照大神と推定)の陵墓と推定される楯築遺跡と似ているクノッソス宮殿とレイラインでつながっています。
フルリ人は、シュメール人と同じく民族の系統が不明とされていますが、シュメール文化の影響を強く受けています。古代天皇がシュメールと関係付けられているのは、血縁関係のある縄文人がシュメール人と関係があるためと推定されます。
釈迦と須佐之男命(孝霊天皇)、水神(龍神)、ポセイドン
法隆寺の釈迦の涅槃像の近くに、なぜ亀の侍者像が置かれているのか考えてみました。水神(龍神)とも結び付けられる須佐之男命(孝霊天皇と推定)は、ポセイドンとみなされたと推定されますが、ポセイドンは龍宮の王(龍神)でもあったと推定されます。日本の伽話(おとぎばなし)の浦島太郎では、龍王(龍神)は、亀を使者として龍宮城に案内しています。釈迦も水神(龍神)と同一視されるので、神使が亀だったのではないかと思われます。
亀を神使とする神社には、元は賀茂氏の神社だったと推定される松尾大社があります。「浦島太郎」の原話とされる浦島子伝説では、亀は乙姫(蓬莱の女性)の化身とされています。このことから、亀石(倉敷市水江)が豊玉姫命(倭迹迹日百襲姫命と推定)を祀る玉比咩神社(玉野市)とつながり、亀石神社(岡山市東区水門町)が宇志比古尊(山幸彦、孝元天皇、菟道彦 莵道彦 宇摩志麻遅命と推定)を祀る宇志比古神社(徳島県鳴門市)とつながっている理由がわかります。
倭迹迹日百襲姫命と蓬莱山、武当山
滋賀県大津市の蓬莱山は、乙姫のモデルと推定される倭迹迹日百襲姫命(豊玉姫命と推定)と関係があるのではないかと推定されたので、レイラインを調べてみました。蓬莱山と豊玉姫命を祀る玉比咩神社(岡山県玉野市)を結ぶラインは、倭迹迹日百襲姫命を祀る水主神社(香川県東かがわ市)と大國魂神社とつながるスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のライン付近に、倭迹迹日百襲姫命を祀っていると推定される百枝八幡宮(岡山県瀬戸内市邑久町尾張)があります(図14)。これらのラインから、倭迹迹日百襲姫命(豊玉姫命と推定)と蓬莱山(大津市)は関係付けられていると推定されます。

倭迹迹日百襲姫命(豊玉姫命と推定)は、中国の武当山(図8)と関係付けられているので、武当山と蓬莱山は関係があるのではないかと推定されたため、GoogleAIに聞いてみました。
中国の武当山と、日本の文化・信仰に深く根づいている蓬莱山には、「道教の神仙思想」という共通の背景を通じて密接な関係があります。武当山は実在する聖地、蓬莱山は神話上の仙境という違いはありますが、どちらも「仙人が住む不老不死の霊地」として地続きの信仰で結ばれています。
蓬莱山と武当山をつないでみると、これらを結ぶラインの近くには、岩上神社(兵庫県宍粟市山崎町上ノ)、美作國一之宮 中山神社(岡山県津山市)、岩屋城跡(岡山県津山市)があります(図15)。武当山は、蓬莱山とみなされていたのかもしれません。

中宮寺の天寿国曼荼羅繍帳にある兎は孝元天皇を象徴し、ミツバウツギは倭迹迹日百襲姫命を象徴していると推定されますが、亀も倭迹迹日百襲姫命を象徴していると推定されます。
龍宮城の龍王(須佐之男命、孝霊天皇と推定)の化身は牛(牛頭天王)と推定され、山幸彦(莵道彦、孝元天皇と推定)の化身は兎と推定されます。莵道彦は『古事記』では宇豆比古(うずひこ)と記されるので、元は「兎頭彦」だったのかもしれません。
クサール・ヌアイラとレイラインでつながる幣立神宮には、水神様が祀られていますが、この水神(龍神)は、釈迦如来と同一視されることもあります。「水玉の池」には豊玉姫命(倭迹迹日百襲姫命、多岐都比売命)と推定される八大龍王が鎮まり、不老不死の霊水ともいわれる御神水が湧き出ています。仏教の伝承において八大龍王が釈迦の誕生を甘露の雨で祝福したという縁起があります。豊玉姫命(倭迹迹日百襲姫命)と関係付けられている武当山が、図8でブッダガヤの大菩提寺とつながっているのは、倭迹迹日百襲姫命と釈迦を関係付けているのかもしれません。
ブッダガヤの大菩提寺は、クサール・ヌアイラやテル・エル・ファハリヤ遺跡とレイラインでつながっていますが、河姆渡遺跡もクサール・ヌアイラやテル・エル・ファハリヤ遺跡とレイラインでつながっています。釈迦が存命していた時代については、紀元前7世紀、紀元前6世紀、紀元前5世紀など複数の説があります。一方、河姆渡遺跡は、紀元前5000年頃~3300年頃の新石器時代中期の遺跡です。
丹生川上神社には、水を司る丹生都比売命(市杵島姫命)と推定される罔象女神が祀られています。和珥氏は、河姆渡遺跡と関係があると推定されるので、釈迦も河姆渡遺跡と関係があるとすると、宗像三女神が水神(龍神)と結びついたことが理解できます。一般的には、仏教の伝来は6世紀頃で、朝鮮半島の百済を経由して伝わったとされていますが、仏教は、稲作文化と同様に、河姆渡遺跡のある長江流域から日本に伝わっていたのではないかと思われます。
