温故知新(104)大國魂神社 倭建命(大国主命 孝元天皇) 佐波波地祇神社 吉田神社 栗栖神社 シラクサ 大串貝塚 船窪遺跡群 三峰神社 三峯神社 奥宮 寳登山神社 奥宮 大国玉神社 雨引観音 六地蔵寺 姫塚古墳 備前車塚古墳
福島県いわき市の大國魂神社(写真トップ、1)と備前車塚古墳を結ぶラインは、國魂神社(いわき市遠野町)や、諏訪大社 下社 春宮(長野県諏訪郡下諏訪町)の近くを通り、このラインは、茨城県桜川市の大国玉神社と聖ミカエルの山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図1)。


大国玉神社(桜川市)と孝元天皇の陵墓と推定される備前車塚古墳を結ぶラインは、東京都府中市にある大國魂神社とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差し、仁徳天皇の宮があったと推定される若宮八幡神社(岐阜県本巣郡北方町若宮)の近くを通ります(図2)。備前車塚古墳と大國魂神社(府中市)を結ぶラインの近くには、近江神宮(滋賀県大津市)があります(図2)。これらのラインは、備前車塚古墳が大国主命(孝元天皇と推定)の墓と推定されることと整合します。

大国玉神社(桜川市)と日本武尊(倭建命)を祭神とする三峰神社(ひたちなか市平磯町)を結ぶラインの近くには、雨引山 楽法寺(雨引観音)や、水戸大師 六地蔵寺(水戸市)があります(図3)。福島県いわき市の大國魂神社と桜川市の大国玉神社を結ぶラインは、三峰神社(平磯町)とオリンポス山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図3)。このラインは、三峰神社(平磯町)に祀られている倭建命は、大国主命(孝元天皇と推定)であることを示していると推定されます。

那珂湊(なかみなと)は、茨城県ひたちなか市東部の地区(旧那珂湊市)で、古代は仲国(なかのくに)でした。北茨城市大津町の佐波波地祇神社(写真2-4)には、沖合で日本武尊の船が難航しているのを佐波波神が助けたので、日本武尊によって祀られたという伝承があります1)。佐波波地祇神社は、天日方奇日方命(鴨王)を主祭神とし、大己貴命、事代主命、大物主命、姫蹈鞴五十鈴姫命、五十鈴依姫命を配祀しています。5年に1度「常陸大津の御船祭」と呼ばれる大祭が催行されています。



常陸第三宮 吉田神社(水戸市宮内町)は、日本武尊を祭神とし、常陸国において鹿嶋市の鹿島神宮(一宮)、那珂市の静神社(二宮)に次ぎ三宮に位置づけられています。福島県いわき市の大己貴命、事代主命、少彦名命、須世理比売命を祀る大國魂神社と吉田神社を結ぶラインの近くに佐波波地祇神社があります(図4)。

笠間市来栖には、日本武尊を祭神とする栗栖神社があり、日本武尊に栗を献上した彦一を祖先とする家が代々宮司を務めているようです。佐波波地祇神社と栗栖神社を結ぶラインは、常陸第三宮 吉田神社とシラクサを結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは、天香山命(大国主命、第8代孝元天皇と推定)を祀る彌彦神社(新潟県西蒲原郡弥彦村)の近くを通ります(図5)。

来栖神社と常陸第三宮 吉田神社を結ぶラインの延長線付近に三峰神社(ひたちなか市平磯町)があります(図6)。

三峰神社(平磯町)は、大国主命と少彦名命を祀る大洗磯前神社(東茨城郡大洗町磯浜町)と酒列磯前神社(ひたちなか市磯崎町)を結ぶラインの近くにあります(図7)。那珂川河口周辺には、大串貝塚(水戸市塩崎町)や橿原神宮(ひたちなか市富士ノ上)(図7)の近くにある船窪遺跡群(ひたちなか市字狢谷津・船窪)などの遺跡が数多く存在し、古代から港町としての機能を持っていたと考えられています。酒列磯前神社と吉田神社を結ぶラインと大洗磯前神社とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインの交点付近に虎塚古墳(ひたちなか市中根)があり、吉田神社と大洗磯前神社を結ぶラインの近くに大串貝塚があります(図7)。

三峰神社(平磯町)は、秩父の三峯神社から勧請したものと推定され、社殿前には狼型の狛犬が鎮座しています。三峰神社(平磯町)と三峯神社 奥宮を結ぶラインは、妙見本宮 千葉神社(千葉市中央区)とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインの近くには日光東照宮(栃木県日光市)があります(図8)。また、三峰神社(平磯町)と狼型の狛犬が鎮座する寳登山神社 奥宮(埼玉県秩父郡長瀞町)を結ぶラインは、妙見本宮 千葉神社とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインの近くには、岩戸別神社(栃木県塩谷郡塩谷町)があります(図8)。寳登山神社は天香山命(孝元天皇と推定)を祀る彌彦神社とレイラインで結ばれています。

岩戸別神社に祀られている天手力雄命(天手力男神)は、『斎部氏家牒』によると、天八意思兼命(加具土命と推定)の子とされていますが、豊玉姫命(卑弥呼)と推定される 建葉槌命を祀る静神社(那珂市)でも祀られ、天岩戸神話は卑弥呼と関係があると推定されるので、天手力男神は大国主命(孝元天皇と推定)ではないかと思われます。
三峰神社(平磯町)と磯浜古墳群(茨城県東茨城郡大洗町)にある孝元天皇の皇子の少名日子建猪心命(少彦男心命、少彦名命と推定)の墓と推定される姫塚古墳を結ぶラインは、大洗磯前神社とアルテミス神殿を結ぶラインとほぼ直角に交差し、アルテミス神殿と姫塚古墳を結ぶラインの近くに大串貝塚があります(図9)。

三峰神社(平磯町)に祀られている倭建命が孝元天皇とすると、姫塚古墳(大洗町)の被葬者が、孝元天皇の皇子の少名日子建猪心命(少彦男心命、少彦名命と推定)と推定されることと整合します。佐波波地祇神社に「常陸大津の御船祭」があり、鹿島神宮にも御船祭があることから、第8代孝元天皇(倭建命、大国主命と推定)と少名日子建猪心命(少彦男心命、少彦名命と推定)は、吉備国から日高見国に船で来たのではないかと思われます。
姫塚古墳(大洗町)と備前車塚古墳を結ぶラインの近くには、飯名神社(つくば市)、廣峯神社(姫路市)があり、このラインは、高倉下命(孝元天皇と推定)を祀っていると推定される高倉神社(和歌山県新宮市熊野川町鎌塚)とフェロー諸島を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図10)。高倉神社と姫塚古墳を結ぶラインの近くには、山宮浅間神社(浅間大社元宮)があり、高倉神社とフェロー諸島を結ぶラインの近くに、仁徳天皇陵があります(図10)。このラインは、孝元天皇(大国主命)と皇子の少名日子建猪心命(少彦名命)を関係付けていると推定されます。

文献
1)新古代史の会(編) 2025 「歩いて学ぶ日本古代史1 邪馬台国から大化の改新まで」 吉川弘文館
