温故知新(83)三毛入野命 神門古墳群 彦五瀬命(天足彦国押人命 天押帯日子命 天照皇大神) 纒向石塚古墳 天岩戸神社 高千穂神社 出雲大神宮 スカラ・ブレイ 須須神社奥宮 白羽神社(白羽大明神) ヴェストラホルン山 庄内式土器 能満寺古墳群 神護寺 雨の宮古墳群 ドンゴラ 粟鹿神社 土肥金山 佐渡金山 アヌンナキ
千葉県市原市惣社にある神門古墳群(ごうどこふんぐん)からは、前方部が小さく帆立貝のような形状をしている纏向型前方後円墳が見つかっています。古墳の築造年代は3世紀中葉から後葉とする説が有力で、3世紀前半まで遡ると見る見解もあり、邪馬台国の時代の古墳と目されています。纏向型前方後円墳には、3世紀初頭~中頃の築造と推定されている、天足彦国押人命(天押帯日子命 彦五瀬命 天照皇大神)の墓と推定される纒向石塚古墳(奈良県桜井市)があります。
神門古墳群と天照皇大神を祀る天岩戸神社 東本宮(宮崎県西臼杵郡高千穂町)を結ぶラインは、皇大神宮(伊勢神宮 内宮)の近くを通ります(図1)。このラインは、纒向石塚古墳の近くを通る、海恵寺(三重県熊野市)とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図1)。海恵寺とスカラ・ブレイを結ぶラインの近くには、他に、天ケ瀬八阪神社(奈良県吉野郡上北山村)、天一神社(奈良県桜井市)、出雲大神宮(京都府亀岡市)があります(図1)。天岩戸神社 東本宮の近くにある高千穂神社(高千穂町)の祭神の一柱は、三毛入野命(御毛沼命)です。

神門古墳群と纒向石塚古墳を結ぶラインは、須佐之男命を祀っていると推定される須須神社 奥宮(石川県珠洲市)の近くを通る、静岡県御前崎市白羽にある白羽神社(白羽大明神)と旧石器時代からレイラインの指標となっているアイスランドのヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2、3)。白羽神社と神門古墳群を結ぶラインの近くには、土肥金山(静岡県伊豆市)があり、神門古墳群と纏向石塚古墳を結ぶラインの近くには、川勾神社(神奈川県中郡二宮町)、飛龍神社(三重県伊賀市)があります(図2)。また、纏向石塚古墳と白羽神社(白羽大明神)を結ぶラインの近くには、愛知県田原市にある日出の石門(岸の石門)があります(図2)。このラインから、神門古墳群の被葬者は、纒向石塚古墳の被葬者と推定される天足彦国押人命(彦五瀬命、天照皇大神と推定)と関係があると推定されます。


能満寺古墳群(福岡県築上郡上毛町)は、纒向石塚古墳、神門古墳群と同様に、庄内式土器が出土しています1)。神門古墳群と能満寺古墳群を結ぶラインは、纒向石塚古墳の近くを通り、神護寺(京都市右京区)の近くを通る纒向石塚古墳とヴェストラホルン山(Vestrahorn)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図4)。このラインからも、これらの古墳は関係があると推定されます。

彦五瀬命の弟の三毛入野命(御毛沼命)は、『古事記』に「波頭を踏んで常世の国に渡った」と記されています。また、『宋書』倭国伝の倭王武の上表文には「東に毛人を征すること五十五国」という記述があり、この「毛人」と「毛野」の関係が指摘されています(Wikipedia:毛野)。神門古墳群のある地域も毛野国だったとすると、神門古墳群には三毛入野命の墓があると推定されます。
和珥氏の墓と推定される雨の宮古墳群と天照皇大神社(石川県加賀市山中温泉真砂町)を結ぶラインは、神門古墳群と、神武天皇社とつながるドンゴラを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。神門古墳群とドンゴラを結ぶラインの近くには、白山神社(岐阜県飛騨市)や越中一宮 高瀬神社(富山県南砺市)があります(図5)。神門古墳群と雨の宮古墳群を結ぶラインの近くには、埼玉県飯能市にある飯能丹生神社(正一位丹生大明神)があり、天照皇大神社と神門古墳群を結ぶラインの近くには位山や軍刀利神社元社(山梨県上野原市)があります(図5)。

纒向石塚古墳とレイラインでつながっている粟鹿神社(兵庫県朝来市)と三戸大神宮(青森県三戸郡三戸町)を結ぶラインは、素盞雄神社(東京都荒川区)の近くを通る、神門古墳群とオリンポス山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図6)。神門古墳群と粟鹿神社を結ぶラインは滋賀県高島市の日吉神社(朽木雲洞谷)の近くを通り 、粟鹿神社と三戸大神宮を結ぶラインは、雨の宮古墳群、佐渡金山の近くを通り、三戸大神宮と神門古墳群を結ぶラインは、霊山神社(福島県伊達市)、常陸国総社宮(茨城県石岡市)の近くを通ります(図6)。

レイライン上に、土肥金山(図2)や佐渡金山(図6)があるので、縄文人がシュメール人と関係があるとすると、ゼカリア・シッチンの説の「シュメールの神のアヌンナキは金鉱山を探していた」という点については整合します。
纒向石塚古墳と彦五瀬命を祀る竈山神社(和歌山市)結ぶラインは、粟鹿神社の近くを通る、三重県熊野市の丹倉神社(あかぐらじんじゃ)と安房神社やおのころ島神社や棚畑遺跡とレイラインでつながっているジェベル・イルード遺跡(Grotte ighoud)を結ぶラインともほぼ直角に交差します(図7)。このラインは、彦五瀬命が、天足彦国押人命(天押帯日子命 天照皇大神)で、纒向石塚古墳の被葬者と推定されることと整合します。

文献
1)宮本一夫(編) 2025 「論争 邪馬台国」 日本考古学協会/企画 雄山閣文献
