温故知新(47)アトランティス 高天原 エデン マラケシュ クサール・ヌアイラ アルメンドレスのクロムレック タルシーン神殿 ジェベル・イルード遺跡 テル・アブ・フレイラ ミタンニ王国 テル・エル・ファハリヤ遺跡 グヌン・パダン 備前車塚古墳 吉備津神社 熊山遺跡
アポロ・アテナ・ラインとマラケシュ
アポロ・アテナ・ライン(Apollo Athena Line)は、メルカトル図法では、アイルランドから始まり、モン・サン・ミシェル(Mont Saint-Michel)やモンテ・サンタンジェロ(Monte Sant'Angelo)など、聖ミカエルゆかりの土地を通り、ギリシャに至るとデルフィ(Delphi、デルポイ)などアポロ神とアテナ神にちなんだ神殿を通る直線になるといわれています(図1)。Googleマップ(距離の測定)で、ナクソス島のアパリロス城(Apaliros Castle)とフランスのベルトーム砦(Bertheaume Fort)を結ぶラインを描くとデルフィ(デルポイ)、モンテ・サンタンジェロ、サクラ・ディ・サン・ミケーレ(Sacra of Saint Michele)の近くを通ります(図1)。ナクソス島の守護者はディオニュソスで、ナクソス島は出雲大社や鬼ノ城跡とレイラインでつながっています。このラインの近くには、キクラデス諸島北西部に位置するケオス島のカルタイア(Karthaia)や、イタリアのブリンディジ(Brindisi)があります(図1)。ブリンディジは、幣立神宮、瀧原宮、仁徳天皇の宮があったと推定される岐阜県本巣郡北方町若宮の若宮八幡神社とレイラインでつながっています。

Googleマップで、アポロ・アテナ・ライン上にあるイタリアのアッシジ(Assisi)とサクラ・ディ・サン・ミケーレを結ぶラインを1辺とし、シチリア島のパレルモ(Palermo)を対頂点とする三角形を描くと、アッシジとモロッコのマラケシュ(Marrakech)を結ぶラインは、サクラ・ディ・サン・ミケーレとパレルモを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2)。アッシジ周辺の高台には、紀元前1000年頃、ウンブリア人が集落を築いたようです。このラインは、マラケシュがアポロ・アテナ・ラインやフェニキア人によって基礎が築かれたパレルモと関係があることを示していると推定されます。

スケリッグ・マイケル(Skellig Michael)とロンドン(London)を結ぶラインは、カラニッシュ(Callanish)とマラケシュを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図3)。カラニッシュとスケリッグ・マイケルを結ぶラインの近くにモイン修道院(Moyne Abbey)があり、ロンドンとカラニッシュを結ぶラインの近くには、オールド・ジョン・タワー(Old John Tower)、グルーネポイント(Grune Point)があります。また、カラニッシュとマラケシュを結ぶラインの近くには、ポルトガルのサン・ペドロ礼拝堂(オデミラ)(Ermidas de São Pedro)があります(図3)。

モロッコのアラビア語での正式国名は、アル=マムラカ・アル=マグリビーヤで、「日の没する地の王国」を意味しているのだそうです。聖徳太子が遣隋使に託して中国の隋の煬帝に宛てた国書に記された「日出處天子致書日沒處天子 無恙云云(日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや)」が連想されます。オリエントは、ラテン語で「日が昇る方角」を意味します。
マラケシュ、アンコールワット、サントリーニ島、おのころ島神社
マラケシュは、ベルベル語で「神の国」を意味します。マラケシュとアンコール・ワットを結ぶラインの近くに、フェニキア人の植民都市の一つとして建設されたカルタゴ遺跡や、デルフィ(デルポイ)や、八咫烏と関係があると推定されるメネシスが崇拝されたイズミルがあります(図4)。

マラケシュとロドス島を結ぶライン上には、マルタ島のタルシーン神殿(Tarxien Temple)やサントリーニ島の古代ティラ遺跡(Archaia Thira)があります(図5)。タルシーン神殿は、紀元前3,600~2,500年に築かれた世界遺産指定の巨石神殿群にあり、バレッタにある国立考古学博物館には、渦巻き模様のある石材が展示されています。

おのころ島神社とマラケシュを結ぶラインは、元伊勢外宮 豊受大神社と大山祇神社を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図6)。おのころ島神社と元伊勢外宮 豊受大神社を結ぶラインの近くに住吉神社(魚住住吉神社)があり、元伊勢外宮 豊受大神社と大山祇神社を結ぶラインの近くに造山古墳、大山祇神社とおのころ島神社を結ぶラインの近くに田村神社、おのころ島神社とマラケシュ結ぶラインの近くにコウナイの石(頂上石)、千手観音堂、サムハラ神社 奥の宮、笏賀神社(鳥取県東伯郡三朝町)があります(図6)。このラインは、マラケシュが古代の日本と関係があることを示していると推定されます。

「アトランティス」とアルメンドレスのクロムレック、ジェベル・イルード遺跡
ポルトガルには、卵型の岩のストーンサークル(アルメンドレスのクロムレック(Cromeleque dos Almendres))があり、古代ティラ遺跡と結ぶラインの近くには、フェニキア人によって基礎が築かれたシチリア島のパレルモがあります(図7)。紀元前6000年(初期新石器時代)に遡るアルメンドレスのクロムレックは、ストーンヘンジより2000年以上古く、ヨーロッパで最大で、もっとも古い先史時代のモニュメントの1つとされています。アルメンドレスのクロムレックの石の中には装飾的なマークや螺旋や円の刻まれた石があるようです。

パレルモとエルサレムの近くにある紀元前1万年前から人類が暮らしていたテル・アッスルターン遺跡(古代エリコ)を結ぶラインは、クレタ島のクノッソス宮殿や古代都市ラト(Ancient City of Lato)の近くを通ります(図8)。

スコットランド北西岸のルイス島にはカラニッシュの巨石遺跡があり、また、フランス南部のブルニケルの洞窟(Bruniquel Cave)では、約17万6000年前のストーンサークルが見つかっています。マラケシュとカラニッシュを結ぶラインの近くにアルメンドレスのクロムレックがあり、カラニッシュとブルニケルを結ぶラインの近くにストーンヘンジがあります(図9)。ストーンヘンジは、パレルモとハドソン湾を結ぶライン上にあります。

マラケシュの近くに、31万5000年前のホモ・サピエンスと見られる人骨が見つかったジェベル・イルード遺跡(Jebel Irhoud、Grotte ighoud, P2327, モロッコ)があります。オークニー諸島のスカラ・ブレイ(Skara Brae)とジェベル・イルード遺跡を結ぶラインは、聖ミカエルの山(St Michael's Mount)を通ります(図10)。

オークニー諸島にいる唯一のハタネズミはユーラシアハタネズミで、スコットランド本土やイングランドには見つからず、ハタネズミは泳げないので、南フランスやスペインから船乗りの持ち込んだ干し草などにまぎれ込んでいた可能性が高いと推定されています1)。
ジェベル・イルード遺跡とギョベクリ・テペを結ぶラインは、シチリア島のシラクサの近くを通ります(図11)。シラクサは、紀元前734年頃、ギリシアのコリントスの植民者たちがこの場所を発見し、低湿地帯を意味するシラコ(Sirako) と名づけたのが起源とされます。土地が肥沃で、原住民たちは彼らに好意的であったといわれています。ギョベクリ・テペと古代都市ラト(Ancient City of Lato)を結ぶラインの近くに古代都市セリヌス(Selinus Ancient City)があります(図11)。

ジェベル・イルード遺跡と13,000年以上前の穀物を栽培した跡が見つかっているテル・アブ・フレイラ(Tell Abu Hureyra)を結ぶラインの近くにタルシーン神殿(Tarxien Temples)やキプロス島のキレニア(ケリネイア)(Kyrenia)があります(図12)。

カスピ海沿岸にあるゴブスタン(Qobustan)という遺跡には、旧石器時代から新石器時代にかけて人々が住んでいたという岩窟があります。岩絵には、漕ぎ手が十数人もいるような船が描かれていて、船の先には明らかに太陽と見える印があり、田中英道氏は、そのころ生きていた人々は、太陽の昇る東へと歩いて向かっただけではなく、船も使っていたと推定しています2)。ジェベル・イルード遺跡とゴブスタン国立保護区を結ぶラインはオリンポス山を通ります(図13)。

モロッコは大西洋に面していて、研究者、化学者、コンピューター科学者のアントニオ・ザモラ氏が主張しているように、12,800年前にヤンガードリアス彗星の破片が北アメリカのミシガン州にあるサギノー湾に衝突したとすると、巨大な津波の被害を受けたと思われます。プラトンの『ティマイオス』および『クリティアス』には、ジブラルタル海峡のすぐ外側、大西洋に巨大なアトランティス(Atlantis)島があったと記されています。ドイツのコンピューター専門家のミカエル・ヒュープナー氏は、プラトンが記述したアトランティスは、モロッコ中部のスース・マサ平原にあり、大津波で破壊されたとする説を主張しています(カラパイア)。アトランティスは約12,000年前の洪水で海に沈んだとされていますが、地震などにより海底が隆起したのかもしれません。アテネとサギノー湾を結ぶラインは、ストーンヘンジを通りますが、サギノー湾がレイラインの指標となっているのは、彗星の衝突による大災害を記録するためではないかと思われます。これらのレイラインを遺した人々は、12,800年前の彗星の衝突位置を特定できるレベルの知識があったと推定されることから、アンティキティラ島の機械を設計し、6,000年以上前の氷に覆われていない南極大陸の地図を最初に作成したのも、かれらかもしれません。
プラトンが『クリティアス』の中で記述した、アトランティスに存在したという幻の金属「オリハルコン」は、銅系の合金と考えられています。アルメンドレスのクロムレックから東へ15kmの場所に、青銅器時代の銅山サン・ドミンゴスがあります1)。アルメンドレスのクロムレックは、銅山の位置を知るための目印だったのかもしれません。アトランティスが、スス・マサ・エコミュゼ国立公園の近くにあったとすると、銅山に近いアルメンドレスのクロムレックとレイラインでつながっていることと関係がありそうです。アルメンドレスのクロムレックの場所の緯度(北緯38度33分)では、ストーンヘンジのある緯度(北緯51度10分)と同様に、月が子午線を最高の高さで通過するときの位置がちょうど真上になることから、ストーンヘンジとアルメンドレスのクロムレックは、同じ天文の知識をもっていた人が造ったと考えられています1)。
聖ミカエルの山とスス・マサ・エコミュゼ国立公園を結ぶラインは、アルメンドレスのクロムレックを通り、ジェベル・イルード遺跡の近くを通ります(図14)。ヒュープナー氏が見つけたスース・マサ平原の環状の構造(カラパイヤ)は、マラケシュから南に160km、海から11kmの地点とされ、スス・マサ・エコミュゼ国立公園(海岸から2.7km)より8kmほど東にあると推定されます。これは、アトラス山脈を造ったプレートの衝突が関係しているかもしれません。

スケリッグ・マイケルとマラケシュを結ぶライン上に、ポルトガルのテージョ川河口にあるビラ・ノバ・デ・サン・ペドロがあります(図15)。ビラ・ノバ・デ・サン・ペドロは青銅器時代(紀元前2,500年頃)の要塞で、考古学者は同心円状の建築だったと推定しています1)。アトランティスと推定されているサントリーニ島に同心円状の港湾都市があったとすると、青銅器時代には、同心円状の港湾都市は複数あったのではないかと思われます。アテネの語源はギリシア語ではなく、アッティカ地方にギリシア語が入り込む以前に存在した言語に遡ると考えられています。アトランティスが、アテネを侵略したというのはギリシャ人の創作と思われます。モン・サン・ミシェルとスス・マサ・エコミュゼ国立公園を結ぶラインの近くに、新石器時代の地下構造物であるドルメン・デ・ソト(Dolmen de Soto)やジェベル・イルード遺跡があります(図15)。ジェベル・イルード遺跡のホモ・サピエンスは、アトランティスと関係があるかもしれません。

高天原とエデン
ギョベクリ・テペ(図11)の近くに、タカマガハラ(高天原)の名前の由来ともいわれる古代都市ハッラーン(ハラン)があり、メソポタミア神話の「月の神」シンの祭儀の中心の街だったようです。オオナムヂ(大国主命)はシュメル神話のドゥムジという説があります(天の王朝)。シュメール語のmulu-edin(ドゥムジの別名)は「エデンの主」と訳され、エデンの女主人イナンナ(nin-edin)とは夫婦神です(高天原とエデンの園、天照大御神とシュメールの神ドゥムジ)。「エデンの園」のエデンは、シュメル語のエディンから来ているのではないかとする説が有力ともいわれ、「エディン」は、空き地、草原、原っぱという意味だそうです(天の王朝)。吉備の高天原がエデンだったとすると、孝元天皇(大国主命)の后と推定される倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼)はイナンナと見なされたと推定されます。イナンナは、孝霊天皇(須佐之男命)が例えられたと推定される古代エジプトのメンフィスで信仰されたプタハの娘アスタルトと起源を同じくする女神です。
スース・マサ平原が最初の「高天原」(エデン)だったとすると、「高天原」が「海を臨むすばらしい平原」という意味と推定されることと適合します。ジェベル・イルード遺跡で見つかったホモ・サピエンスの後裔が、12,800年前のヤンガードリアス彗星の衝突以前にスース・マサ平原(高天原)にアトランティスを造ったのかもしれません。『アトランティス―大洪水前の世界』(1882年)を出版したイグネイシャス・ロヨーラ・ドネリーは、アトランティスの最初の植民地はおそらくエジプトであり、エジプト文明はアトランティス島の文明の再現であるとし、フェニキアのアルファベットはアトランティスのアルファベットから派生したものであると主張しています。
「アトランティス」とクサール・ヌアイラ
スス・マサ・エコミュゼ国立公園と聖ミカエルの山を結ぶライン上にアルメンドレスのクロムレックがあり、スケリッグ・マイケルとアルメンドレスのクロムレックを結ぶラインの延長線と神津島と権現岩(トトロ岩)を結ぶラインの延長線の交点付近には、クサール・ヌアイラ(Ksar Nkheila, モロッコ)があります(図16、17)。


神津島とクサール・ヌアイラを結ぶラインは、三保松原、乗鞍大権現、剱地権現岩(トトロ岩)の近くを通り、日前神宮・國懸神宮と八ヶ岳連峰の南部にある権現岳(山梨県北杜市)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図18)。日前神宮・國懸神宮と権現岳を結ぶラインの近くには、唐古・鍵遺跡 史跡公園や、名古屋市の大須観音(北野山真福寺寶生院)があり、神津島と日前神宮・國懸神宮を結ぶラインの近くには、高野山奥之院があります(図18)。

アポロ・アテナ・ラインにあるサクラ・ディ・サン・ミケーレ(Sacra of Saint Michele)とモンテ・サンタンジェロを結ぶラインとパレルモを対頂点とする三角形を描くとサクラ・ディ・サン・ミケーレとパレルモを結ぶラインはモンテ・サンタンジェロとクサール・ヌアイラを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図19)。

スカラ・ブレイ、ストーンヘンジ、スケリッグ・マイケルを頂点とする三角形を描くと、スケリッグ・マイケルとストーンヘンジを結ぶラインは、スカラ・ブレイとクサール・ヌアイラを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図20)。スカラ・ブレイとスケリッグ・マイケルを結ぶラインの近くには、モハータワー(Moher Tower)があり、ストーンヘンジとスカラ・ブレイを結ぶラインの近くには、マンチェスター、ヒル・オ・メニー・ステーンズ(Hill o' Many Stanes)があり、スカラ・ブレイとクサール・ヌアイラを結ぶラインの近くにはスペインのサラマンカがあります(図20)。

クサール・ヌアイラの近くには、ベルベル人によって建築されたとされるクサール(集落)で、ユネスコの世界遺産に登録されている「アイット=ベン=ハドゥ」の集落やザゴラがあります。この地は、隊商交易の中継地として栄え、建物の建設時期は不明ですが、マグレブ地方に伝わる先イスラム期の古代建築技法で築かれています。ベルベル人のY染色体はハプログループE1b1b系統が75-93%みられ、フェニキア人のY染色体DNAハプログループもE1b1b1a3とされています。しかし、フェニキアは、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名で、フェニキア人は系統的には様々な民族と混交しました。先祖はセム系のアモリ人(アムル人)の一派が小アジアから北シリアに移住したことに始まるといわれていますが、メソポタミア各地でアムル系の王朝が成立したのは紀元前2千年紀に入ってからです。
フェニキアの先住民とも推定されているフルリ人は冶金について高い評価を得ていて、シュメール人はフルリ語の中から銅を意味する単語を借用したようです。フルリ人の王国は紀元前3千年紀の終わりにウルケシュ市の周辺に登場し、ウルケシュ王国は、紀元前2千年紀初頭には南のマリに成立したアムル人王国に征服されました。フルリ人の国ミタンニ王国の首都・ワシュカンニ(Washukanni)ではないかとする説があるテル・エル・ファハリヤ遺跡(Tell el Fakhariya、Tell el Fecheriyeh)とクサール・ヌアイラを結ぶラインの近くに高天原の由来ともいわれるハッラーン(ハラン)があります(図21)。

Y染色体ハプログループE系統は約7.3万年前に東アフリカまたは西アジアで誕生したとされ、E系統に近く日本人とチベット人に比較的多いD系統は、出アフリカ間もない時期のDNAが、他のDNAからの変化を受けずにそのまま移動して来たと考えられています。フルリ人のY染色体ハプログループはD系統だったのではないかと思われます。
バールベックは、「ベッカー高原の主神」を意味し、ここにフェニキアの神ハダド(バアル)が祀られていた事に由来するといわれ、本来はフェニキア系の神々の聖地だったと考えられています。クサール・ヌアイラとスサを結ぶラインは、バールベックの近くを通ります(図22)。これらのことから、クサール・ヌアイラには、初期のフェニキア人(フルリ人)のアトランティスの都市があったと推定されます。

「アトランティス」、グヌン・パダン、亀ヶ岡石器時代遺跡、藻岩山
さびない鉄柱として知られる「デリーの鉄柱」は、鉄柱に刻まれたサンスクリット語の碑文からグプタ朝(320年~550年頃)に建造されたものと推定され、もともとはインド南東部のウダヤギリ石窟群の前にあったようです3)。ウダヤギリは、スサとグヌン・パダンを結ぶライン上にあります(図23)。さびない鉄の技術は、スサから伝わったのかもしれません。志村史夫氏は「飛鳥の釘」との共通性を述べています3)。ウダヤギリは北緯23度31分にあり、夏至には太陽が鉄柱の真上に昇って影がなくなったということから、ストーンヘンジに似ており、暦として使われていたと推定しています3)。

アルメンドレスのクロムレックとグヌン・パダンを結ぶラインの近くに、アルテミス神殿、スサ、ムンバイがあり、グヌン・パダンと亀ヶ岡石器時代遺跡を結ぶラインの近くに沖縄市、元伊勢籠神社があります(図24)。このラインは、シュメール語とタミル語と日本語の類似性と関係があるかもしれません。

スペインのエル・シドロン洞窟で暮らしていたネアンデルタール人とされる古代人は、治療に植物を使っていた可能性があるとされ、スペイン北部のエル・ミロン洞窟では、真っ赤に塗られて埋葬された30代後半の女性が発見されています。アルメンドレスのクロムレックとモン・サン・ミシェルを結ぶラインの近くにエル・シドロン洞窟があり、モン・サン・ミシェルとクサール・ヌアイラを結ぶラインの近くにエル・ミロン洞窟があります(図25)。クサール・ヌアイラと、ハドソン湾ともつながりレイラインの指標となっている藻岩山を結ぶラインの近くにブルニケルの洞窟があります(図25、26)。エル・ミロン洞窟で見つかった古代人の骨は、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの混血人種のものかもしれません。


クサール・ヌアイラと「高天原」
クサール・ヌアイラと孝元天皇(大国主命と推定)の陵墓と推定される備前車塚古墳を結ぶラインは、大国主命の「再生神話」の地である赤猪岩神社(鳥取県西伯郡南部町)や諏訪宮(岡山市北区)の近くを通り、備前車塚古墳とマラケシュを結ぶラインは、天計神社(岡山県加賀郡吉備中央町)や神奈川神社(鳥取県日野郡江府町)の近くを通ります(図27)。『古事記』の大国主命の「再生神話」では、八十神たちに殺された大国主神は、高天原の神産巣日神が遣わした豊受姫命と推定される𧏛貝比売・蛤貝比売によって蘇生されていることから、クサール・ヌアイラは高天原にあったと思われます。

備前車塚古墳、亀山八幡宮(広島県神石郡神石高原町阿下)、宇倍神社(鳥取県鳥取市国府町)をラインで結ぶと、亀山八幡宮と宇倍神社を結ぶラインは、備前車塚古墳とクサール・ヌアイラを結ぶラインとほぼ直角に交差し、ラインの近くには温宇井神社(ぬくういじんじゃ)(鳥取県八頭郡智頭町)、瀧神社(奥の院)(岡山県勝田郡奈義町)、善光寺(岡山県真庭市)があります(図28)。亀山八幡宮は品陀和気命(応神天皇)を祀っていますが、鬼の城跡と同緯度にあり(図28)、品陀真若王(出雲建)を祀っていると推定されます。このラインは、品陀真若王と宇倍神社の創建に関わっていると思われる伊福部氏との関係を示していると推定されます。

高天原にあったと推定される瑜伽山(由加山)とクサール・ヌアイラを結ぶラインの近くには、樂樂福神社(鳥取県日野郡日南町)、須我神社(島根県雲南市)、正一位稲荷神社(松江市)があり、マラケシュと瑜伽山(由加山)を結ぶラインの近くには、須賀神社(松江市)、熊野大社(松江市)、石造物群(鳥取県日野郡日南町)などがあります(図29)。

クサール・ヌアイラと吉備津神社を結ぶラインの近くには、宗像三女神を祀る御津神社(島根県松江市)、平濱八幡宮・武内神社(松江市)、比婆山久米神社 奥の宮(安来市)があり、吉備津神社とマラケシュを結ぶラインの近くには、高岡神社(真庭市)、十二所神社(松江市)があります(図30)。

クサール・ヌアイラと熊山遺跡を結ぶラインの近くには、孝霊天皇(須佐之男命)と関係があると推定される妻木晩田遺跡や大山があり、熊山遺跡の近くには古代文字のある大内神社があります(図31)。

高天原伝説のある蒜山(ひるぜん)高原には、古くは天磐座、十二所権現社ともいわれた茅部神社(岡山県真庭市)があります。クサール・ヌアイラと宗形神社(赤磐市北佐古田)を結ぶラインの近くに、伯耆古代の丘公園(鳥取県米子市)、徳山神社(真庭市)、茅部神社があります(図32)。

これらのラインは、クサール・ヌアイラが高天原と関係があると推定されることと整合します。
文献
1)ギャヴィン・メンジーズ、松本剛史(訳) 2024 「失われたアトランティス」 扶桑社
2)田中英道 2022 「日本国史・上 世界最古の国の新しい物語」 育鵬社
3)志村史夫 2023 「古代世界の超技術」 改訂新版 講談社
