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温故知新(13)高天原 オリンポス山 孝霊天皇(須佐之男命) 鯉喰神社遺跡 倭国香媛(意富夜麻登玖邇阿礼比売命 神大市比売 天照大神 大日孁貴 賀志波比売命) 楯築遺跡 クノッソス宮殿 豊受姫命(豊受大神 宇迦之御魂神 倉稲魂命 保食神) 宮山墳墓群 由加神社本宮 吉備津神社 王墓山 サーペント・マウンド 賀志波比売神社 天石門別八倉比売神社 上一宮大粟神社

宇迦の山 由加山(瑜伽山) 加茂岩倉遺跡 荒神谷遺跡 ギョベクリ・テペ 豊葦原中国 根之堅洲国 熊山遺跡 石上布都魂神社 日前神宮・國懸神宮 立岩 元伊勢外宮豊受大神社 ホケノ山古墳 大仙陵古墳(仁徳天皇陵) 備前車塚古墳 高良大社 大山祇神社 元伊勢籠神社 箸墓古墳 大麻比古神社 加茂岩倉遺跡 荒神谷遺跡 オリンポス山 賣沼神社 岩戸神社 長浜神社 津峯神社 剣山 浦嶋神社 ハドソン湾 岩上神社

「宇迦の山」と由加山(瑜伽山)
 『古事記』の大国主神の根の国訪問のところで、須佐之男命が大穴牟遅神(大国主命)に「おれ大國主神となり、また、宇都志國玉神となりて、その我が女(むすめ)須世理毘賣を嫡妻(むかひめ)として、宇迦(うか)の山の山本に、底つ石根(いはね)に宮柱ふとしり、高天の原に氷椽(ひぎ)たかしりて居れ」と言ったことが記されています。このことから、「高天の原」には「宇迦の山」があったと推定されます。

 出雲大社の末社である釜社(かまのやしろ)に、食物を守る神の宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)が祀られています。宇迦之御魂神(倉稲魂命)は、『古事記』では、須佐之男命が櫛名田比売の次に娶った神大市比売との間に生まれ、同母の兄に大年神(おおとしのかみ)がいます。宇迦之魂神は、『延喜式』(大殿祭祝詞)には、豊受大神の別名ともされています。

加茂岩倉遺跡、荒神谷遺跡、ギョベクリ・テペ
 加茂岩倉遺跡ギョベクリ・テペを結ぶラインは荒神谷遺跡の近くを通り、オリンポス山と加茂岩倉遺跡を結ぶラインは、『出雲風土記』と関係がある奥宇賀神社(出雲市奥宇賀町)の近くを通ります(図1)。「宇迦の山」は、出雲大社(杵築(きずき)大社)の北東部の、出雲郡宇賀郷(うかごう)の山とされ、出雲市の国富町北端・口宇賀町(くちうがちょう)南部・奥宇賀町南部・別所町東部付近にあるとされています。口宇賀町には、大己貴命・綾門姫命を祀る宇賀神社があります。

図1 加茂岩倉遺跡とギョベクリ・テペを結ぶラインと荒神谷遺跡、オリンポス山と加茂岩倉遺跡を結ぶラインと奥宇賀神社、口宇賀町、奥宇賀町、別所町

高天原と豊葦原中国、根之堅洲国
 新井白石は、『古史通』で「天」は「海」に通じるとしています。「」は、古代語では実際の高さを示す意が薄らいで、ほめことばとして用いられる場合もあるようです。「高天原」は、「海を臨むすばらしい平原」という意味かもしれません。豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)は、高天原と根之堅洲国の中間にあるとされる場所で、根之堅洲国は、山陰地方の伯耆国(鳥取県西部)と考えられ、「根」は「子(ね)」で北の方角を意味すると推定されることから、高天原は伯耆国の南にあり、山陽地方の吉備国(岡山県)の瀬戸内海沿岸にあったと推定されます(図2)。

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図2 鳥取県の紹介        
https://withdragon.rec.seta.ryukoku.ac.jp/tottori/about/

吉備津神社と出雲大社
 岡山県の足守川流域(写真トップ)は、古代吉備の中心地で、岡山市北区吉備津に三備一宮吉備津神社(写真1)、北区一宮に吉備津彦神社があります。吉備の中山にある中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすやまこふん)は、3世紀後半~4世紀)の前方後円墳で、大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)の墓に治定されています。大吉備津彦命は、孝霊天皇(須佐之男命)の皇子の彦五十狭芹彦命で、桃太郎のモデルの吉備津彦命(きびつひこのみこと)です。

写真1 三備一宮 吉備津神社

 出雲大社の本殿の高さは、社伝によると最古は32丈(約96m)あり、その後16丈(約48m)になったといわれ、『口遊』に登場する平安時代の出雲大社は、16丈の壮大な建物であったといわれています。2000~2001年に「金輪御造営差図」のとおりに、鎌倉時代の出雲大社の巨大柱「心御柱」「宇豆柱」が発掘され、出雲大社が高層神殿であった可能性が高まりました。古代メソポタミアでは、ジッグラトと呼ばれる日干しレンガを用いて建築された神殿がありました。高さは90メートルに達するものもあったようで、バベルの塔のモデルではないかともいわれています。頂上には神殿が備えられていたと考えられ、神がいる天上界に近づけるためできる限り高く作ろうとしたと考えられています。日本は雨が多いので、かつての出雲大社のような木造の高層建築としたのかもしれません。神社の朱塗りの柱などに用いられる水銀朱は、硫黄と水銀の化合した赤土(辰砂)で、防腐剤としての効果もあったと思われます。

 吉備津神社の本殿は出雲大社の約2倍以上の広さがあり、亀腹(白漆喰の檀)の高さは、中世神社建築の中で最も高いとされ、床を支える構造は、軒を支えるための肘木と巻斗からなる組手と同じ構造をしています(写真2)。また、本来なら縁の下で縁側を支えるはずの縁束が無く、代わりに、「挿肘木(さしひじき)」という耐震性にすぐれた組物が縁側を支えています。このことから、かつての本殿は、床下が見える高い位置にあったのではないかと思われます。拝殿の横には、一直線に伸びる長さが360メートルある回廊があります(図3)。これが階段だったとすると、吉備津神社の本殿は、かつての出雲大社のような高層神殿だったのかもしれません。

写真2 吉備津神社の本殿の亀腹と床を支える構造 出典:国宝建造物 吉備津神社本殿及び拝殿
図3 吉備津神社と宇賀神社

 吉備津神社の近くの神池にある島に、備中一の古社稲荷である宇賀神社があります(図3、写真3)。宇賀神社の祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、豊受大神と同神と考えられます。

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写真3 宇賀神社

由加神社本宮
 倉敷市児島にある由加山(瑜伽山(ゆがさん))の由加神社本宮(写真4)には磐座(写真5)があり、境内社の稲荷宮に倉稲魂命が祀られています。

写真4 由加神社本宮(右)と稲荷宮(左)
写真5 稲荷宮の磐座と菅原道真像

吉備国と高天原
 和気郡和気町にある由加神社(ゆがじんじゃ)は、和気氏所縁の神社で、豊受媛神/豊宇気毘売神(とようけびめ)が祀られ、宇迦之御魂神/倉稲魂命と同義としています。「瑜伽山」の「瑜伽」は「結びつくこと」「結びつけること」の意で、菊理媛(くくりひめ)と関係があり、「宇迦」は「穀物・食物の意味」なので、保食神(うけもちのかみ)と関係があると推定されます。倉敷市児島にある「瑜伽山(由加山)」は「宇迦の山」と推定されます。瑜伽山(由加山)は、大麻比古神社とギョベクリ・テペを結ぶラインの近くにあり、豊受姫命(豊受大神)と伊弉諾尊との関係を示していると推定されます。

 岡山県南部は、津島遺跡の堆積した沖積層などの調査から、弥生時代中期から後期にかけて急速に沖積化が進んだと考えられています。宇都志國玉神は大国主命(孝元天皇)で、須世理毘賣は卑弥呼と推定され、倭国(やまとのくに)の宮は、岡山神社付近にあったと推定されるので、吉備国の中心地(岡山県南部)に広がっていた平原が高天原だったのかもしれません。

宮山墳墓群、鯉喰神社遺跡
 岡山県倉敷市西尾にある王墓山の南の端に建速須佐之男命を祀る真宮神社が鎮座しています。真宮神社の近くに、方形の弥生墳丘墓としては全国最大級の規模の鯉喰神社遺跡(鯉喰神社弥生墳丘墓)があります(図4)。鯉喰神社遺跡でみつかった三世紀前半の特殊器台は、宮山型より古いとされる向木見型で、墳丘は方形で出雲との関連があると思われます。総社市三輪の「三輪山」の近くにある百射山(ももいやま)神社に合祀されている三輪神社には大物主が祀られていますが、三輪山には、宮山墳墓群があります(図4)。宮山墳墓群は、弥生時代後期から古墳時代初頭の墳墓群で、この墳丘墓に立てられていたと思われる特殊器台と同様の文様をもつ特殊器台が、箸墓古墳などからも出土しています。

 オリンポス山と鯉喰神社遺跡とを結ぶラインは、諏訪神社(出雲社)(島根県出雲市)、布須神社(島根県雲南市木次町)、稲田神社、備中松山城(岡山県高梁市)の近くを通ります(図4)。宮山墳墓群とパレルモを結ぶラインは、稲田姫命、素盞鳴尊を祀る稲田神社(島根県仁多郡奥出雲町)、布須神社(島根県雲南市加茂町延野)、奥宇賀神社の近くを通ります(図4)。和気町にある由加神社は、初め宮山にあり、由加大明神といって須佐之男命と豊受大神を祀っていたようです。

図4 宮山墳墓群(総社市三輪)とパレルモを結ぶラインと稲田神社、布須神社(延野)、奥宇賀神社、オリンポス山と鯉喰神社遺跡を結ぶラインと、諏訪神社(出雲社)、布須神社、稲田神社、備中松山城

鯉喰神社遺跡と熊山遺跡、石上布都魂神社
 須佐之男命と関係があると推定される熊山遺跡は、チャタル・ヒュユクとレイラインで結ばれていますが、このラインは、石上布都魂神社と鯉喰神社遺跡を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。これらのラインは、鯉喰神社遺跡が須佐之男命(孝霊天皇と推定)の墓であることを示していると推定されます。

図5 チャタル・ヒュユクと熊山遺跡を結ぶライン、熊山遺跡、鯉喰神社遺跡、石上布都魂神社を頂点とする三角形のライン

鯉喰神社遺跡と日前神宮・國懸神宮、立岩
 日前神宮・國懸神宮(和歌山市)とパレルモを結ぶラインは、鯉喰神社遺跡と立岩(京都府京丹後市)を結ぶラインとほぼ直角に交差し、前者のラインは、須佐之男命(孝霊天皇)を祀っていると推定されるサムハラ神社 奥の宮や素戔嗚尊を祀る神﨑神社(鳥取県東伯郡琴浦町)の近くを通ります(図6)。

図6 日前神宮・國懸神宮、鯉喰神社遺跡、立岩を結ぶ三角形のライン、日前神宮・國懸神宮とパレルモを結ぶラインとサムハラ神社 奥の宮、神﨑神社

鯉喰神社遺跡と日前神宮・國懸神宮、元伊勢外宮 豊受大神社
 鯉喰神社遺跡と元伊勢外宮 豊受大神社(京都府福知山市)を結ぶラインは、日前神宮・國懸神宮(和歌山市)とベルベル語で「神の国」を意味するモロッコのマラケシュを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図7)。日前神宮・國懸神宮とマラケシュを結ぶラインの近くには、多賀八幡神社(伊勢神社)(兵庫県姫路市)、賣沼神社(鳥取市)、白兎神社(鳥取市)があります(図7)。

図7 日前神宮・國懸神宮、宮山墳墓群、元伊勢 籠神社を結ぶ三角形のラインと鯉喰神社遺跡、元伊勢外宮 豊受大神社、摩耶山天上寺、日前神宮・國懸神宮とマラケシュを結ぶラインと多賀八幡神社(伊勢神社)、賣沼神社、白兎神社

 これらのラインは、須佐之男命と天照大神、豊受大神、大国主命との関係を示していると推定され、吉備(高天原)に須佐之男命の墓があるとすると、須佐之男命が高天原を追放された話は、史実ではなく創作されたものと推定されます。

鯉喰神社遺跡とホケノ山古墳、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
 鯉喰神社遺跡とホケノ山古墳を結ぶラインは、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を通ります(図8)。このラインは、鯉喰神社遺跡が孝霊天皇の陵墓で、ホケノ山古墳が孝霊天皇の母である押媛命の弟の和邇日子押人命の墓と推定されることと整合します。

図8 鯉喰神社遺跡とホケノ山古墳を結ぶラインと大仙陵古墳(仁徳天皇陵)

鯉喰神社遺跡と備前車塚古墳、高良大社
 孝元天皇の陵墓と推定される備前車塚古墳(岡山市中区)と高良玉垂命(倭迹迹日百襲姫命と推定)を祀っている高良大社を結ぶラインは、豊玉姫命を祀っている玉比咩神社(岡山県玉野市)と聖ミカエルの山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは、鯉喰神社遺跡の近くを通ります(図9)。このラインは、孝霊天皇と倭迹迹日百襲姫命や孝元天皇との関係を示していると推定されます。

図9 玉比咩神社、備前車塚古墳、高良大社を結ぶ三角形のライン、玉比咩神社と聖ミカエルの山を結ぶラインと鯉喰神社遺跡

宮山墳墓群と由加神社本宮、大山祇神社
 由加神社本宮とモン・サン・ミシェルを結ぶラインは、宮山墳墓群(総社市三輪)や備中松山城の近くを通り、このラインは、鯉喰神社遺跡と大山津見神(須佐之男命と推定)を祀る伊予国一宮 大山祇神社(愛媛県今治市)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図10)。このラインは、宮山墳墓群の被葬者と豊受姫命や須佐之男命を関係付けていると推定されます。

図10 由加神社 本宮、鯉喰神社遺跡、大山祇神社を結ぶ三角形のライン、由加神社 本宮とモン・サン・ミシェルを結ぶラインと宮山墳墓群、備中松山城

宮山墳墓群と元伊勢籠神社、箸墓古墳 
 宮山墳墓群と箸墓古墳を結ぶラインの近くには、豊玉姫命と関係があると推定される西大寺観音院(岡山市東区)があり、百舌鳥古墳群(大阪府堺市)を通ります(図11)。宮山墳墓群と豊受大神を祀る元伊勢 籠神社を結ぶラインは、箸墓古墳と高天原と関係があると推定されるモロッコのクサール・ヌアイラを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図11)。図4、10、11のラインから、宮山墳墓群には、豊受姫命(豊受大神 宇迦之御魂神)が葬られていると推定されます。

図11 橋は箸墓古墳、宮山墳墓群、元伊勢 籠神社を結ぶ三角形のラインと百舌鳥古墳群、西大寺観音院、箸墓古墳とクサール・ヌアイラを結ぶライン

楯築遺跡と大麻比古神社、加茂岩倉遺跡、荒神谷遺跡、オリンポス山
 天太玉命を祀る阿波一宮 大麻比古神社とオリンポス山を結ぶライン上の近くに、楯築遺跡(岡山県倉敷市)や鯉喰神社遺跡があります(図12)。これは、伊弉諾尊(孝安天皇)と須佐之男命(孝霊天皇)や神大市比売(倭国香媛)との関係を示していると推定されます。このラインの近くには、備中松山城三国山(岡山県新見市)、加茂岩倉遺跡、荒神谷遺跡があり、このラインは大山祇神社(愛媛県今治市)と賣沼神社(鳥取市河原町)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図12)。

図12 大麻比古神社、大山祇神社、賣沼神社を結ぶ三角形のライン、大麻比古神社とオリンポス山を結ぶラインと楯築遺跡、鯉喰神社遺跡、備中松山城、三国山、加茂岩倉遺跡、荒神谷遺跡

 倉敷市の楯築遺跡(写真6)のご神体となっている弧帯文石(写真7)には、人の顔が描かれていますが1)、発掘調査を行った岡山大学の宇垣 匡雅氏は、集団が共通して崇めた神の顔だと評価しています。もしかすると、包帯で巻かれているようにも見えることから、オシリスを表しているのかもしれません。

楯築遺跡
写真6 楯築弥生墳丘墓
写真7 御神体の「弧帯文石」

  弧帯文石の包帯の一部は、S字状になっています。ダブルスパイラル(S字文)は、楯築遺跡などの吉備の祭祀で用いられた特殊器台縄文土器隼人の楯にも見られますが2)、安田氏によると、もともとは2匹の蛇がとぐろを巻いた姿であり、蛇の脱皮は命の生まれかわりのシンボルで、ダブルスパイラル(S字文)の連続文様は、この宇宙は生命の誕生と死を永劫にくりかえす世界であることを物語っていると言われています3)。「渦巻文様」は、クレタ島のクノッソス宮殿の王妃の間の壁画や、マルタ島やアイルランド島の先史時代の遺跡にも見られ、南米アンデス高原の神殿跡からも見つかっています。

 御神体の「弧帯文石」の他に、楯築遺跡からは、焼かれて断片になった小振りの「弧帯文石」が見つかっています。これは、バラバラになったオシリスを再生させる儀式に使われたのかもしれません。エジプトでは、セド祭と呼ばれる最も起源が古いとされる神事があり、王の肉体的・魔術的力の復活を祈願する儀式で、「形式的な王の死」という王殺しを備えた神事だったたようです。『古事記』の五穀の起原で記されている大気津比売神(おほげつひめのかかみ)は、豊受大神(保食神(うけもちのかみ))と推定され、須佐之男命(書紀の一書では月夜見尊)に殺されたとされていますが、プルタルコスは『モラリア』4)の中で、エジプト人が神の話をするときに、例えば神々が放浪したとか、八つ裂きにされたというのは、本当にそういうことがあったと信じてはいけないと述べています。

楯築遺跡とクノッソス宮殿
 縄文土器にもみられる唐草文様の起原は古代エジプトの睡蓮の文様にあるといわれ、古代エジプトの柱頭には、やしの葉、蓮、パピルスのつぼみなどをデザイン化したものが見られます。クノッソス宮殿の王妃の間のベランダの柱をみると、柱頭にふくらみがあり、特殊器台に特殊壺を載せた状態に似ています。特殊壺の底には穴が開いているので、木の棒を通して柱を固定したのかもしれません。古代ギリシャでは、女神像が柱になっていますが、日本では、神様を数えるときに「」を使うことと関係があるかもしれません。

 楯築遺跡からは、大量の水銀朱の中から、鉄剣一口の他に、三連の玉類と小ぶりな歯の一部が見つかっていることや1)、クノッソス宮殿の王妃の間の装飾との類似性から、楯築遺跡の被葬者は、須佐之男命の后である神大市比売(かむおおいちひめ)で、天照大神(あまてらすおおみかみ)、別名大日孁貴(おおひるめのむち)と思われます。クノッソス宮殿のグリフィンに左右を守られた玉座に座っていたのは女王・女神官だったとする説も有力のようです。クノッソス宮殿は、北緯35度17分にあり、出雲大社(北緯35度24分)、氣比神宮(北緯35度39分)、鹿島神宮(北緯35度58分)とほぼ同緯度にあります(図13)。

図13 クノッソス宮殿(赤印)、出雲大社、氣比神宮、鹿島神宮の位置関係

 出雲大社と氣比神宮と鹿島神宮はほぼ直線状に並んでいて、このラインは、北に5度ほど傾いています(図13)。出雲大社と鹿島神宮を結ぶラインは、沖の白石と氣比神宮を結ぶラインとほぼ直角に交差し、沖の白石と氣比神宮を結ぶラインは、氣比神宮の参道の向きと一致しています(図14、15)。このことから、これらは関係付けられていると推定されます。

図14 沖の白石、出雲大社、鹿島神宮を結ぶ三角形ライン、沖の白石と氣比神宮を結ぶライン
図15 沖の白石と氣比神宮を結ぶライン

王墓山とサーペント・マウンド
 王墓山には磐座があり、吉備の中山にも、吉備津彦神社元宮磐座があります。総社市にある神明神社の神使は、天岩戸で天照大神を誘い出したことで知られる鶏(長鳴鳥)です。真宮神社には、環状列石(スト―ン・サークル)があります。松木武彦氏の日本とイギリスの古代遺跡を比較した本がありますが、イギリスのオークニー諸島には、紀元前2000年~2500年頃とされるストーン・サークルがあります5)。平津豊氏のブログ「岡山の磐座と古墳」に、足守川から真宮神社まで全長約800メートルの王墓山自体がサーペント・マウンド(Serpent Mound、オハイオ州)のような蛇を模った遺構だったのではないかと書いています。木村鷹太郎氏によると、おのころ島はアポローンの生まれたデロス島と合致するとされ、瀬戸内海を地中海と見なすと、吉備国は、位置的には、ギリシャに当たるように思われます。

楯築遺跡と賀志波比売神社、天石門別八倉比売神社、上一宮大粟神
 神大市比売は、孝霊天皇の妃の倭国香媛(意富夜麻登玖邇阿礼比売命)と推定されます。倭国香媛は、『古事記』では第3代安寧天皇の曾孫で淡路島出身とされています。楯築遺跡と日前神宮・國懸神宮を結ぶラインの近くに、淡路島にある天照大神が隠れた天岩戸とも伝わる巨石を御神体とする岩戸神社(兵庫県洲本市上内膳)があります(図16)。日前神宮の祭神である日前大神は天照大神の別名なので、楯築遺跡の被葬者は、天照大神(神大市比売 倭国香媛)と推定されます。

図16 楯築遺跡と日前神宮・國懸神宮を結ぶラインと岩戸神社

 徳島県阿南市に天照大御神の生誕地とされる賀志波比売神社(かしはひめじんじゃ)がありますが、賀志波比売神社とオリンポス山を結ぶラインの近くに大日靈女命を祀る天石門別八倉比売神社(徳島市国府町)、瑜伽山、八束水臣津野命をまつる長浜神社(島根県出雲市)があり、メンフィス博物館と天石門別八倉比売神社を結ぶラインの近くに須佐之男命を祀る須佐神社(広島県三次市)があります(図17)。

図17 賀志波比売神社(徳島県阿南市)とオリンポス山を結ぶラインと天石門別八倉比売神社(徳島市国府町)、瑜伽山、長浜神社、メンフィス博物館と天石門別八倉比売神社を結ぶラインと須佐神社(広島県三次市)

 津峯神社(徳島県阿南市)は、賀志波比賣大神を祀っていますが、津峯神社とローマを結ぶラインは、天石門別八倉比売神社、楯築遺跡、石見神社(鳥取県日野郡日南町)、内神社(高野宮)(松江市)の近くを通り、このラインは、剣山と岩上神社(兵庫県淡路市柳澤)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図18)。剣山と岩上神社を結ぶラインの近くには藤井寺(徳島県吉野川市)があります(図18)。内神社は、もともと、霊亀元年(715年)、高野山の頂きに光輪が出現し、神垣を結んだことに始まるとされます。賀志波比売神社は、地元では太陽の女神を祀るともいわれ、日御碕神社の小野氏は家紋を「柏」としているようです(四季歩のつれづれ 賀志波比賣命/日本の神々の話)。賀志波比売命が天照大神(大日孁貴)とすると、楯築遺跡が天照大神(大日孁貴)の墓と推定されることと整合します。天石門別八倉比売神社の社伝には天照大神の葬儀の様子が記されているようで、神社にある円墳の上に作られている五角形の石積みの祭壇は、一説には卑弥呼の墓といわれますが、もしかすると、楯築遺跡に葬られる前の天照大神(大日孁貴)の墓かもしれません。これらのレイラインからも、阿波と吉備と出雲は、密接な関係があったと推定されます。

図18 津峯神社、剣山、岩上神社を結ぶ三角形のラインと藤井寺、津峯神社とローマを結ぶラインと天石門別八倉比売神社、楯築遺跡、石見神社(日南町)、内神社(高野宮)

 図16のラインは、賀志波比売神社とハドソン湾を結ぶラインとほぼ直角に交差し、このラインの近くには、安乎岩戸信龍神社(あいがいわどしんりゅうじんじゃ)(兵庫県洲本市)があります(図19)。

図19 賀志波比売神社、楯築遺跡、日前神宮・國懸神宮を結ぶ三角形のラインと天石門別八倉比売神社、岩戸神社、賀志波比売神社とハドソン湾を結ぶラインと安乎岩戸信龍神社

 天石門別八倉比売神社とハドソン湾を結ぶラインは、図15のラインとほぼ直角に交差し、三岳山 金光寺(京都府福知山市)、浦嶋神社(宇良神社)(京都府与謝郡伊根町)の近くを通ります(図20)。天石門別八倉比売神社と楯築遺跡を結ぶラインは、気延山を通り(図21)、倭迹々日百襲姫命を祀る水主神社(香川県東かがわ市)や志度寺(香川県さぬき市)の近くを通ります(図20)。八倉比売神社は、元は気延山の山頂にありました。楯築遺跡と日前神宮・國懸神宮を結ぶラインの近くには、小豆島の寒霞渓があります(図20)。これらのラインは、楯築遺跡が倭国香媛(天照大神)の墓と推定されることと整合します。

図20 天石門別八倉比売神社、楯築遺跡、日前神宮・國懸神宮を結ぶ三角形のラインと水主神社、志度寺、寒霞渓、天石門別八倉比売神社とハドソン湾を結ぶラインと三岳山 金光寺、浦嶋神社(宇良神社)
図21 図20のラインと天石門別八倉比売神社、気延山

 徳島県名西郡神山町にある上一宮 大粟神社神籬石(ひもろぎいし)のある岩上神社(淡路市)を結ぶラインは、賀志波比売神社とオリンポス山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、これらのラインの交点付近に気延山があります(図22)。鯉喰神社遺跡(図4)や楯築遺跡(図12)は、オリンポス山とレイラインでつながり、賀志波比売神社とオリンポス山を結ぶラインは、由加神社本宮の近くを通るので、吉備の高天原は、オリンポス山と関係付けられていると推定されます。

図22 賀志波比売神社、上一宮 大粟神社、岩上神社を結ぶ三角形のラインと気延山、賀志波比売神社とオリンポス山を結ぶラインと天石門別八倉比売神社、気延山、由加神社本宮

文献
1)福本 明 2007 「シリーズ「遺跡を学ぶ」034 吉備の弥生大首長墓・楯築弥生墳丘墓」 新泉社
2)上田正昭 2012 「私の日本古代史(上)」新潮選書
3)安田喜憲 2001 「龍の文明 太陽の文明」 PHP新書
4)プルタルコス著 柳沼重剛訳 1996 「エジプト神イシスとオシリスの伝説について」 岩波文庫
5)松木武彦 2017 「縄文とケルト」 ちくま新書