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温故知新(39)スンダランド グヌン・パダン 大湯環状列石 亀ヶ岡石器時代遺跡 磐境神明神社 普天満宮 彦崎貝塚 三内丸山遺跡 上野原遺跡 熊山遺跡 アンコール・ワット シヌグ堂遺跡 高雄関帝廟 与那国島海底地形 神津島 アレクサンドリア モヘンジョダロ パレルモ ムンバイ メンフィス マラケシュ マチュ・ピチュ ナスカ クスコ イースター島 チチェン・イッツァ ラス・ダシャン山 ポヴァティ・ポイント サーペント・マウンド ストーンヘンジ エルサレム

 縄文系のC1a1系統は、旧石器時代に、東南アジアからスンダランドを北上して、日本列島に初めてやって来た人々であるともいわれ、大穴牟遅神(大国主神)が登場する因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)の説話にある、ワニをだます話は、マレー半島やインドネシアなどにも類話があるようです1)。一方で、この物語は動物神を語り手とするアイヌのカムイ・ユカラ(神謡)に似ているともいわれます2)。

 スンダランドは、大スンダ列島の付近にあったタイの中央を流れるチャオプラヤー川が氷期に形成した広大な沖積平野の呼称で、紀元前12,000年頃から紀元前4,000年にかけての海面上昇により海底に没したといわれています。かつての瀬戸内海は平野で、瑜伽山のある倉敷市の下津井沖の備讃瀬戸海底からは、 日本に約250,000~16,000年前に生息していたナウマンゾウなどの化石が産出しています。

 古モンゴロイドとされる縄文人は、新モンゴロイド優性の東アジアの他集団と異なり、「スンダランド型」の歯列を持つものが多いという特徴があるようです。要石の信仰は、大陸経由の渡来人ではなく、海中に没した場所から渡来した民族の信仰だったと思われます。

 インドネシアのジャワ島で見つかったグヌン・パダン遺跡(Gunung Padang)は、インドネシアの地質学者ダニー・ヒルマン・ナタウィジャヤによると、9,000年から20,000年前に巨大なピラミッドとして建設されたとしています。グヌン・パダンとは現地の言葉で「悟りの山」 を意味しています。北海道斜里郡斜里町にある斜里朱円周堤墓群は、土堤が円環状にめぐる縄文時代後期の遺跡ですが、斜里朱円周堤墓群とグヌン・パダン遺跡を結ぶラインは、大湯環状列石(秋田県鹿角市)の近くを通り、徳島県阿波市沖縄県沖縄市を通ります(図1)。

図1 斜里朱円周堤墓群とグヌン・パダン遺跡(Gunung Padang)を結ぶラインと亀ヶ岡石器時代遺跡、大湯環状列石、阿波市、沖縄市

 図1のラインの大湯環状列石の近くには、奥入瀬渓流(青森県十和田市)、十和田神社(十和田市)、月夜見神社(秋田県大館市)があります(図2)。

図2 図1のラインと奥入瀬渓流、十和田神社、月夜見神社、大湯環状列石

 図1のラインの徳島県阿波市の近くには、伊勢神社(阿波市)、磐境神明神社(徳島県美馬市)や蔵王大権現(徳島県美馬郡つるぎ町)があります(図3)。磐境神明神社は、白人神社の奥宮で、古神道の磐境と呼ばれ、超古代文明の史跡ともいわれています。

図3 図1のラインと阿波市、伊勢神社、磐境神明神社、蔵王大権現

 図1のラインの沖縄市の近くには、琉球古神道神と熊野権現とを祀る普天満宮(沖縄県宜野湾市)や首里城(那覇市)があります(図4)。

図4 図1のラインと沖縄市、普天満宮、首里城

 図1の亀ヶ岡式土器は、遮光器土偶が出土した亀ヶ岡遺跡(青森県つがる市)の土器を基準とする縄文時代晩期の東北地方、南北海道の土器の総称ですが、2017年には亀ヶ岡遺跡から約2,000km離れた沖縄市に近い沖縄県北谷町の平安山原B遺跡からも出土しています。また、亀ヶ岡石器時代遺跡からは、土器についた炭化米が発見されていますが、縄文時代前期とされる岡山県朝寝鼻貝塚彦崎貝塚の約6000年前の地層からは稲のプラントオパールが見つかっています。亀ヶ岡石器時代遺跡とグヌン・パダン遺跡(Gunung Padang)を結ぶラインは、朝寝鼻貝塚、彦崎貝塚、平安山原遺跡の近くを通ります(図5)。

図5 亀ヶ岡石器時代遺跡とグヌン・パダン遺跡(Gunung Padang)を結ぶラインと朝寝鼻貝塚、彦崎貝塚、平安山原遺跡

 プラントオパール分析の第一人者の総合地球環境学研究所教授の佐藤洋一郎氏は、縄文時代にすでに東南アジアや台湾から伝わったと考えられる熱帯ジャポニカ種が焼畑で栽培されており、それが縄文晩期に水田稲作へと移行したと主張しています3)。東南アジアから東アジアにかけての、現在の熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカの分布図4)をみると、グヌン・パダン付近には両方のジャポニカが見られ、インドネシアやフィリピンで栽培されているイネ在来種には、あまり選抜を受けていない品種が多くある4)ので、日本の温帯ジャポニカの原種はグヌン・パダンに由来するのかもしれません。

 福島県二本松市にある宗像三女神を祀る木幡山隠津島神社(おきつしまじんじゃ)とカンボジアのアンコール・ワットを結ぶラインの近くには、氣比神宮由加神社熊山遺跡大山祇神社報恩寺(大分県国東市)、宝八幡宮(大分県玖珠郡九重町)、岩戸神社(長崎県雲仙市)、香港などがあります(図6、7)。香港は天然の深い港湾を抱え、九龍半島を含みます。九龍は、九頭龍や八岐大蛇と関係があるかもしれません。

図6 隠津島神社とアンコール・ワットを結ぶラインと、氣比神宮、熊山遺跡、岩戸神社
図7 図6のラインと気比神宮、気比の松原、由加神社、熊山遺跡、大山祇神社、報恩寺、宝八幡宮、岩戸神社

 アンコール・ワットは、12世紀前半に即位したスーリヤヴァルマン2世が、それまでの都城に代わり、隣接地に新王宮を建設した際、その南隣に国家鎮護のため建設したヒンドゥー教ヴィシュヌ派の寺院です。9世紀初頭に成立したクメール帝国(アンコール朝)はシヴァ派が主流でした。シヴァ神の偶像に描かれる姿や神話に語られる特徴は、ギリシャやヨーロッパの神々の持つ特徴と類似していることが知られています。

 宮城島シヌグ堂遺跡とアンコール・ワットを結ぶライン上に、台湾最大の港の高雄港があり、高雄市には、高雄関帝廟や海神の庇護に感謝するために建てられた「海神廟」があります(図8)。

図8 アンコールワットとシヌグ堂遺跡を結ぶラインと高雄関帝廟(高雄市)

 1986年に八重山諸島の与那国島(沖縄県八重山郡与那国町)南部の新川鼻沖の海底から、巨大な階段構造の海底地形が発見され、与那国島海底地形は、人工の構造物(海底遺跡)とする説もあります。琉球大学教授の木村正昭氏の潜水調査記録5)によると、海底遺跡からは「+」や「v」の形をした線刻石板や「牛」のレリーフと推定される円石などが見つかっています。地質学者でボストン大学准教授のロバート・ショック氏は、崇拝の対象とされ、人によって加工された可能性はあるとの説を唱えています。沖縄市の西にある北谷(チャタン)町上勢頭平安山伊森原出土の「線刻石版」には、青谷上寺地遺跡出土の朱塗りの盾と同じような渦巻文様が見られます。北谷沖の海底からは階段状ピラミッドが見つかっているようです(日本古代史ミステリーコミュの沖縄海底ピラミッドとフェニキア人)。台湾の高雄関帝廟と黒曜石の産地の神津島にある月待塔(秩父山)を結ぶライン上に与那国島があります(図9)。

図9 高雄関帝廟(台湾高雄市)と月待塔(秩父山)(神津島)を結ぶラインと与那国島海底地形

 アレクサンドリアとアンコール・ワットを結ぶラインの近くに、紀元前2500年から紀元前1800年にかけ繁栄したインダス文明のモヘンジョダロがあります(図10)。

図10 アレクサンドリアとアンコール・ワットを結ぶラインとモヘンジョダロ

 フェニキア人によって基礎が築かれたとされるパレルモとグヌン・パダンを結ぶラインは、ロドス島やインド西海岸のムンバイの近くを通ります(図11)。天然の良港に恵まれたムンバイの歴史は古く紀元前までさかのぼり、スンダランドがあった東南アジアは、インドを経由してエーゲ文明とつながっていたと推定されます。

図11 パレルモとグヌン・パダンを結ぶラインとロドス島、ムンバイ

 モヘンジョダロとマチュ・ピチュを結ぶラインの近くにメンフィスがあり、マチュ・ピチュとアンコール・ワットを結ぶラインの近くに、古くから栄えたインドの西海岸の港湾都市であるマンガルールがあります(図12)。また、グヌン・パダン遺跡と先住民族の言葉で「神の国」を意味するモロッコのマラケシュを結ぶラインの近くにマンガルールやメンフィスがあります(図12)。

図12 モヘンジョダロとマチュ・ピチュを結ぶラインとメンフィス、マチュ・ピチュとアンコールワットを結ぶラインとマンガルール、グヌン・パダンとマラケシュを結ぶラインとマンガルール、メンフィス

 ホモ・サピエンスが、南北アメリカ大陸に到達したのは、13,000年前ころとされ、アメリカ大陸の古代文明については、グラハム・ハンコックの著書があります6)。実松克義氏のボリビア・アマゾンにおける古代文明(モホス文明)に関する著書によると、南米の遺跡から日本の縄文土器に酷似した土器がみつかり、S字と逆S字状の文様を交差させたようなペトログリフなどが見つかっています7)。アマゾン熱帯雨林では、12,000年前の氷河時代の巨大動物など数千点の壁画も見つかっていて、ボリビア・モホス大平原にあるトリニダード周辺では、多数のロマ(土で盛り土をした場所)が発見されています。南米アマゾンにおける古代文明(モホス文明)では、紀元前4,000年ころにはトウモロコシの栽培が行なわれ、おそらくは、紀元前8,000年ころには根菜類を中心とする農業が成立していたとされています。

 メンフィスと地上絵で知られるナスカを結ぶラインの近くにクスコ、マチュピチュがあり、ナスカとマンガルールを結ぶラインの近くにトリニダードがあります(図13)。インカ帝国の前身となるクスコ王国は13世紀に成立しました。

図13 メンフィスとナスカを結ぶラインとクスコ、マチュ・ピチュ、ナスカとマンガルールを結ぶラインとトリニダード

 クスコは、インカ帝国の首都で文化の中心でした。パレルモとクスコを結ぶライン上にマラケシュがあります(図14)。 

図14 パレルモとクスコを結ぶラインとマラケシュ

 デルポイに世界の中心(へそ)があることから、オリンポス山を聖なる山とするオリエント発祥の民族が世界に広がったと思われます。アメリカ大陸へ移動する前は、ギョベクリ・テペが世界の中心(へそ)で、アララト山を聖なる山としていたのかもしれません。ギョベクリ・テペやオリンポス山とつながりがあり、九州の「へそ」にある15,000年の歴史を持つとされる幣立神宮が、世界平和を祈念していることと関係があるかもしれません。「クスコ」は、ケチュア語で「へそ」という意味なので、「へそ」は、地理的な「中心」の意味の他に、「レイラインの指標となる地点」を意味したのかもしれません。「クスコ」は、アイマラ語では山の神の化身でもある「フクロウ」を意味するようです。

 およそ2,000年前に描かれたナスカの地上絵を調査したシカゴのアドラー天文台のフィリップス・ピルガー博士は、巨大なクモはオリオン座のモデルとして描かれていること、そのまわりにある何本かの直線は、オリオン座のベルトにある星を追跡するためにつくられていることを示しました6)。ナスカ近郊の手を加えられた石や古代の道について、年老いたインディオたちの話として、インカ人が彼らを支配する以前に、灌漑水路を造り、農業や家畜の飼い方なども教えてくれたビラコチャと呼ぶ人々のためにつくったという話が残っています9)。青山和夫氏は、人工衛星、飛行機、ドローンから撮影された画像解析や現地調査によって、地上絵の種類が、神殿(ピラミッド)や山や居住地を結ぶルート(ネットワーク)と関係があることを示しています10)。モアイのあるイースター島もレイライン上にあるとする説があり、メンフィスとイースター島を結ぶラインは、ナスカやクスコの近くを通ります(図15)。

図15 メンフィスとイースター島を結ぶラインとクスコ、ナスカ

 紀元前1,000年頃から、スペインに侵略・破壊される16世紀まで、2,500年以上栄えたのがマヤ文明です。マヤ文明を代表するピラミッドが、チチェン・イッツァ遺跡のエル・カスティージョ(ククルカン神殿)です8)。メンフィスとチチェン・イツァを結ぶラインの近くにシラクサがあり、チチェン・イッツァとラス・ダシャン山を結ぶラインの近くにマラケシュがあります(図16)。チチェン・イッツァは、後古典期マヤ(900年~1100年頃)最大の遺跡とされていますが、エル・カスティージョは繰り返し増築されていて、少なくとも三重構造になっていることがわかっています(世界遺産NEWS 16/11/22:チチェン・イッツァで新たなピラミッド発見)。エーゲ文明と古代アメリカ文明は古くから交流があったと推定されますが、ドネリーは、エジプトのピラミッドとマヤのピラミッドは、共通の起源であるアトランティスに遡るとしています。

図16 メンフィスとチチェン・イッツァ遺跡を結ぶラインとシラクサ、チチェン・イッツァ遺跡とラス・ダシャン山を結ぶラインとマラケシュ

 2,020年に『ネイチャー』に発表された巨大基壇のあるアグアダ・フェニックス遺跡は、ほぼギョベクリ・テペとチチェン・イッツァを結ぶラインの延長線上にあり、このラインはスケリッグ・マイケルの近くを通ります(図17、18)。放射性炭素年代測定により、アグアダ・フェニックス遺跡の巨大基壇は、紀元前1,100年頃から建造され、紀元前750年頃まで増改築され続けたことがわかっています。巨大基壇は、人工的に整形された「神聖な山」で、その上には神殿ピラミッドや公共広場が配置されていました9)。形は異なりますが、ギョベクリ・テペと用途は似ているように思われます。

図17 アグアダ・フェニックス遺跡とギョベクリ・テペを結ぶラインとチチェン・イッツァ、スケリッグ・マイケル
図18 ギョベクリ・テペとアグアダ・フェニックス遺跡を結ぶラインとチチェン・イッツァ

 普天満宮とチチェン・イッツァを結ぶラインは、熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町)、皇大神宮別宮 瀧原宮上野國総鎮守 総社神社(群馬県前橋市)、日光東照宮(栃木県日光市)の近くを通ります(図19、20)。

図19 普天満宮とチチェン・イッツァを結ぶラインと熊野本宮大社、日光東照宮
図20 図19のラインと熊野本宮大社、皇大神宮別宮 瀧原宮、上野國総鎮守 総社神社、日光東照宮

 メキシコのテオティワカンの遺跡には、南北を縦断する「死者の道」と呼ばれる大通りがありますが、この道を延長するとハドソン湾に達することが知られています11)。約10,600年前からの遺跡がある上野原遺跡上野原縄文の森)とテオティワカンの太陽のピラミッドを結ぶラインは、剣山おのころ島神社石清水八幡宮(京都府八幡市)、南宮大社岩代国一之宮 伊佐須美神社(福島県大沼郡会津美里町)の近くを通ります(図21、22)。

図21 上野原縄文の森とテオティワカンの太陽のピラミッドを結ぶラインとおのころ島神社、岩代国一之宮 伊佐須美神社
図22 図21のラインと上野原縄文の森、剣山、おのころ島神社、石清水八幡宮、南宮大社、伊佐須美神社

 アメリカルイジアナ州の世界遺産となっているポヴァティ・ポイント・ワールド・ヘリテイジ・サイト(Poverty Point World Heritage Site)は、紀元前 1,700 年から 1,100 年の間、ルイジアナ州のこの一角に住んでいた猟採集民族による居住地で、これらは儀式の場としても使用されていたとされています。普天満宮とポヴァティ・ポイント・ワールド・ヘリテイジ・サイトを結ぶラインは、おのころ島神社や三戸大神宮の近くを通ります(図23)。

図23 普天満宮とポヴァティ・ポイント・ワールド・ヘリテイジ・サイトを結ぶラインとおのころ島神社、三戸大神宮

 ルイジアナ大学の教授だった考古学者のソンダーズは、1997年にルイジアナのマウンド群は5,400年前から5,000年前に建造されたと『サイエンス』に報告しています12)。ハドソン湾とポヴァティ・ポイント(ルイジアナ州)を結ぶラインの近くにポヴァティ・ポイント(アーカンソー州)があり、ポヴァティ・ポイント(ルイジアナ州)とサギノー湾を結ぶラインの近くにポヴァティ・ポイント(ミシシッピ州)があります(図24)。これらもストーンヘンジなどと同様に、ヤンガードリアス彗星の破片の衝突14)と関係があると思われます。

図24 ハドソン湾とポヴァティ・ポイント・ワールド・ヘリテイジ・サイト(ルイジアナ州)を結ぶラインとポヴァティ・ポイント(アーカンソー州)、ポヴァティ・ポイント(ルイジアナ州)とサギノー湾を結ぶラインとポヴァティ・ポイント(ミシシッピ州)

 ポヴァティ・ポイント・ワールド・ヘリテイジ・サイト(ルイジアナ州)とエルサレムを結ぶラインはサーペント・マウンド(オハイオ州)や、ストーンヘンジの近くを通ります(図25)。

図25 ポヴァティ・ポイント・ワールド・ヘリテイジ・サイト(ルイジアナ州)とエルサレムを結ぶラインとサーペント・マウンド、ストーンヘンジ

 サーペント・マウンドは、天体衝突によると考えられているクレーター跡の上に造られています13)。ポヴァティ・ポイント(ルイジアナ州)からは、ヴィーナスと思われる像も見つかっています。北米大陸に人類が住み始めたのは、13万年前かもしれないとされ12)、シリアとイスラエルの間にあるゴラン高原で発見されたベレハットラムのビーナスは、紀元前23万年~70万年頃のものとされています。古代エジプト人と同様に、アメリカ先住民も死後の旅ではオリオン座が関係しています12)。エジプトのルクソール神殿の壁画には精子が描かれていますが、サーペント・マウンドの形は、蛇というよりもヒトの精子の形によく似ています。もしかすると、彗星を精子と見立てたのかもしれません。

 NPO法人国際縄文学協会の佐治 芳彦氏によると、環太平洋学会では、日本のピラミッドと同じ様式の遺跡が、韓国やインドネシア、太平洋諸島、さらに中南米に散在していることから、古代の環太平洋文明の存在の可能性を主張しています。ランド・フレマスの「アトランティス・ブループリント理論」11)は、かつての世界規模の海洋文明においてアトランティス人が中心的な役割を果たし、世界の聖なる遺跡は、各地で独立して造られたものではなく、全地球的な壮大なる設計図により配置されていたとしています。

 宝来 聰氏は、共に縄文系といわれるアイヌと琉球人のDNAの分析から、現在のアイヌと琉球人は、少なくとも12,000年間は互いに分離していたと述べています14)。逆に、12,800年前のヤンガードリアス彗星の衝突以前は、アイヌと琉球人は同じ民族だったと推定されます。古代オリエント、エーゲ文明、古代アメリカ文明などの遺跡と日本の神社や遺跡との直線的な(最短距離での)つながりは、かつて地球レベルのネットワークがあったことを示していると考えられます。

文献
1)門田眞知子(編) 2008 「因幡の白兎神話の謎」 今井出版
2)三浦佑之 2016  「古事記・再発見 神話に隠された神々の痕跡」 株式会社KADOKAWA
3)河合 敦 2019 「世界一受けたい 日本史の授業」 二見レインボー文庫
4)長浜浩明 2021 「日本人の祖先は縄文人だった!」 展転社
5)木村正昭(編著) 2000 「与那国島海底遺跡・潜水調査記録」 ザ・マサダ
6)グラハム・ハンコック 大地舜・榊原美奈子/訳 2020 「人類前史(上)失われた文明の鍵はアメリカ大陸にあった」 双葉社
7)実松克義 2004 「衝撃の古代アマゾン文明」 講談社 
8)志村史夫 2023 「古代世界の超技術」 改訂新版 講談社
9)コリン・ウィルソン 川瀬 勝(訳) 1997 「アトランティスの遺産」 角川春樹事務所
10)青山和夫(編) 2023 「古代アメリカ文明」 講談社現代新書
11)コリン・ウィルソン、ランド・フレマス 松田和也(訳) 2002 「アトランティス・ブループリント」 学習研究社
12)グラハム・ハンコック 大地舜/榊原美奈子(訳) 2020 「人類前史 下」 双葉社
13)グラハム・ハンコック 大地舜/榊原美奈子(訳) 2020 「人類前史 上」 双葉社
14)宝来 聰  1997 「DNA人類進化学」 岩波書店