温故知新(14)加具土命(大物主神 天忍穂耳命 天穂日命 金山彦命 大山咋神 武甕槌神 経津主神 火結命 天津摩羅 天目一箇神 建比良鳥命 鬼刀禰命 月読命) 西谷墳墓群3号墳 中山神社 金山神社 山方比古神社 神谷神社 金刀比羅宮 南宮大社 天目一神社
加具土命(かぐつちのみこと)は、記紀神話における火の神で、『古事記』では、火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)・火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)と表記され、『日本書紀』では、軻遇突智(かぐつち)、火産霊(ほむすび)と表記されます。火之炫毘古神(ひのかかびこのかみ)の「炫(かが)」は、きらきらと輝くことを意味します。『古事記』の垂仁天皇の段に、妃の一人として迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)が記され、かぐや姫は、光り輝く女性として描かれているので、加具土命は、光り輝く土(金属を含む)を表すと推定されます。多坐彌志理都比古神社の「おおにいますみしりつひこ」は、「おおいぬ座にあるシリウス」を表しているとも考えられ、「シリウス」のギリシャ語「セイリオス」には「輝くもの」の意味があるので、加具土命はシリウス信仰と関係があるかもしれません。
大国主命は、葦原中国の国造りの際に、海を照らして輝く幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)と出会っていますが、この神は、三輪山(三諸山)に鎮座する大三輪(おおみわ)の神(大物主(おおものぬし))です。大神神社(おおみわじんじゃ)は、三輪山を神体山として直接拝し、主祭神を大物主大神 (おおものぬしのおおかみ、倭大物主櫛甕玉命(おおものぬしくしみかたまのみこと))、配祀神を大己貴神 (おおなむちのかみ 大国主命)と少彦名神 (すくなひこなのかみ)としています。
大神神社と古代エジプト人がクシュと呼んだ地方の中心地だったスーダン北部のドンゴラを結ぶラインは、廣峯神社(兵庫県姫路市)、美作國一之宮 中山神社(岡山県津山市)、出雲国一之宮 熊野大社(島根県松江市八雲町)、来待神社の近くを通ります(図1)。廣峯神社は、素戔嗚尊・五十猛命を主祭神として祀り、左殿に奇稲田姫尊・足摩乳命・手摩乳命、右殿に宗像三女神・天忍穂耳命・天穂日命ほかを祀っています。天忍穂耳命は、天の安河で、素戔嗚尊と天照大神が誓約を行なった際生まれた神で、瓊瓊杵尊の父神(正哉吾勝勝速日天忍穂耳命)なので、加具土命と推定されます。中山神社の主祭神は、鏡作神(かがみつくりのかみ)で、金山彦命とする説もあります。来待神社(島根県松江市宍道町)では、崇神天皇の頃、大和国三輪より勧請したと伝えられる大物主櫛甕玉命を祀っています。

出雲大社と豊受大神宮(伊勢神宮 外宮)を結ぶラインの近くに中山神社があります(図2)。出雲大社の摂末社には、素戔嗚尊を祀る素鵞社(そがのやしろ)や、宇迦之魂神を祀る釜社(かまのやしろ)などがあります。このラインは、金山彦命と須佐之男命や豊受大神や大国主命との関係を示していると推定されます(図2)。

真弓常忠氏は、三輪山西南麓にある金谷遺跡などから、三輪山が古代の鉄生産に関わる山であり、この山を神体山とする倭大物主櫛甕玉命が産鉄製鉄に関わる神であることは実証できるとしています1)。香川県には、山王神社が多く分布していますが、滋賀県の比叡山にある山王総本宮日吉大社を勧請して建立された神社で、「日吉」「日枝」「山王」と付く神社が日本全国に約3800社あるようです。大山咋神(おおやまくいのかみ)は『古事記』では別名を山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)と伝え、「大きな山の所有者の神」を意味し、「山の地主神」すなわち「山王」として崇拝されていたそうです。
『古事記』の神々の生成では、伊邪那美命は、加具土命を生んだ後、鉱山の神である金山毘古神と金山媛比売神を生んでいます。徳島県徳島市に金山神社(山方比古神社)があり、金山毘古神(かなやまひこのかみ)と金山姫神(かなやまひめのかみ)を祀っています(図3)。金山神社は、香川県に多くありますが、さぬき市にある金山神社は、昔は山王権現(図3)と呼ばれたようです。金山神社(山方比古神社)とギョベクリ・テペを結ぶラインの近くには、金山神社(高松市香南町、坂出市)、岩倉山巨石群(広島県三次市)、天照大神を祀る山辺八代姫命神社(島根県大田市)、恵比須神社(大田市)があり、オリンポス山と金山神社(山方比古神社)を結ぶラインの近くには、須佐之男命と推定される八束水臣津野命を主祭神とする長浜神社(島根県出雲市)、金山神社(高松市栗林町)があります(図3)。これは、金山彦神と天照大神や須佐之男命の関係を示していると推定されます。

香川県坂出市に火結命 (火之迦具土神)を祀る神谷神社があります。本殿は国宝で、神社の裏には古代に行われた磐座もあり、弥生土器なども発見されています。創建は嵯峨天皇弘仁3年(812年)とされ、空海の叔父にあたるる阿刀大足(あとのおおたり)が造営したとされています。金山神社(高松市香南町)とマラケシュを結ぶラインの近くに神谷神社があり、このラインは、金山神社(高松市栗林町)と金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図4)。このラインから、金山神社の祭神は加具土命と推定されます。

図2のラインと出雲大社と彌彦神社を結ぶライン、越後一宮 彌彦神社(新潟県西蒲原郡弥彦村)と豊受大神宮(伊勢神宮 外宮)を結ぶラインで三角形を描くと、出雲大社と彌彦神社を結ぶラインは、豊受大神宮とイギリスの「聖ミカエルライン(セント・マイケルズ・ライン)」で知られる聖ミカエルの山(セント・マイケルズ・マウント)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。彌彦神社と豊受大神宮を結ぶラインの近くには御嶽神社 里宮(長野県木曽郡王滝村)があり、豊受大神宮と聖ミカエルの山を結ぶラインの近くには日本武尊を祀る能褒野神社(三重県亀山市)があります(図5)。

岐阜県不破郡垂井町にある美濃国一宮 南宮大社は、金山彦命を主祭神とし、彦火火出見命と見野命を配祀しています。大国主命の墓と推定される備前車塚古墳がレイラインでつながっているアルテミス神殿と南宮大社を結ぶラインは、気比の松原や越前国一之宮 氣比神宮(福井県敦賀市)の近くを通ります(図6、7)。加具土命も山の神のアルテミスと見なされたのではないかと思われます。南宮大社と熊野那智大社とレイラインでつながっているトルコ南部の古代都市セリヌス(Selinus Ancient City)を結ぶラインは、美濃国二宮 伊富岐神社(岐阜県不破郡垂井町)、伊吹山、金山彦神社(福井県敦賀市)の近くを通ります(図6、7)。


伊富岐神社の主祭神は、多多美彦命(たたみひこのみこと)(夷服岳神、気吹男神、伊富岐神ともいう 伊吹山の神)で、尾張連と同祖の伊福部氏が祖神を祀っているとされ、伊福部氏は吉備から移り住んだと推定されます。伊福部氏の祖神は「たたら」と関係があると推定され、金山彦命(加具土命)と推定されます。島根県安来市にある金屋子神社(図8)は、島根県東部に多く分布する金屋子神社の総本宮で、祭神は金山彦命・金山姫命です。金屋子神は、高天原から播磨国に天下った後、白鷺に乗って出雲国比田村の桂の木に飛来し、発見した安部正重らに製鉄技術を教えた「鉄作りの祖」といわれています。
『古事記』祀る天照大御神と須佐之男命の誓約の段で、天之菩卑能命(天穂日命)の子が建比良鳥命であり、出雲国造・无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・津島県直・遠江国造等の祖神であると記されています。松江市大庭町の神魂神社(かもすじんじゃ)(図8)は、現存する日本最古の大社造りで国宝になっていますが、社伝では、出雲国造の祖であるアメノホヒが高天原より大庭釜ケ谷に鉄釜に乗って降りて来たと伝えられ、神釜が祀られています。また、天穂日命の子孫が出雲国造として25代まで神魂神社に奉仕したとされています。
磐船神社(島根県安来市)とモン・サン・ミシェルを結ぶラインは、金屋子神社(安来市)、須我神社(雲南市)の近くを通り、美保神社(島根県出雲市野尻町)と神魂神社を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図8)。

兵庫県西脇市に天目一神社(あめのまひとつじんじゃ)があります。金属の精錬の神で、製鉄・鍛冶の神である天目一箇神の別名が天之御蔭命(あめのみかげのみこと)で、出雲国造家の始祖とされています。武夷鳥命(たけひなどりのみこと)、建比良鳥命(たけひらとりのみこと)、天夷鳥命とも記され、「高天原から 夷(鄙・ひな=出雲国)へ飛び下った鳥」の意味とされ、建比良鳥命と同一の神格と考えられています。
三輪山とギョベクリ・テペを結ぶラインは、天目一(あめのまひとつ)神社(兵庫県西脇市)や青谷上寺地遺跡の近くを通り、このラインは、大窪寺(香川県さぬき市)と元伊勢籠神社を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図9)。三輪山と大窪寺を結ぶラインの近くには、おのころ島神社があります(図9)。これは、大物主と天目一箇神や豊受大神を関係付けていると推定されます。

徳島市多家良町にある立岩神社は、山方比古神社(金山神社)の末社で、祭神の天津摩羅(あまつまら)は鍛冶の神様です。川崎市の金山神社に、かなまら様の俗称があるのは、祭神の金山比古神が天津摩羅であるためと推定されます。古事記によると、八咫鏡は「…天の金山の鉄を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて伊斯許理度売命に科せて鏡を作らしめ…」とあり、この地で八咫鏡を製作されたものと推定されています。天津摩羅は、全国の氏族の系図を集めた『諸系譜』では天目一箇神の別名とされているようです。したがって、天目一箇神(建比良鳥命、天津摩羅)も加具土命と推定されます。
東京都府中市にある大國魂神社(図10)は、大国主神と同神の大國魂大神を祀っていますが、出雲の後裔が初めて武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)に任ぜられ、大國魂神社に奉仕してから、代々の国造が奉仕しているといわれています。かなまら様の俗称がある金山神社(川崎市)とギョベクリ・テペを結ぶラインと、金山神社(当麻谷原)と中山神社(中氷川神社)(さいたま市)を結ぶラインの交点付近に大國魂神社があります(図10)。金山神社(川崎市)と金山神社(当麻谷原)を結ぶラインの近くに金山神社(竹ノ内)があります(図10)。金山神社は、関東では武蔵国とその周辺に多く分布していますが、金山彦神は、加具土命(天穂日命、天津摩羅)と推定されます(図10)。

記紀において、ツクヨミは伊弉諾命によって生み出されたとされ、長女天照大御神の弟神にあたり、建速須佐之男命の兄神にあたります。『古事記』は月読命、『日本書紀』は月読尊と表記し、一般的にツクヨミと言われています。『古事記』の三貴子の分治のところで、伊弉諾命は、月読命に夜の食国(をすくに)を治めるようにいいます。夜の食国は、昼すなわち太陽の国である山陽地方に対して、山陰地方を表すと推定されます。伊弉諾命の子は、神大市比売神、加具土命、須佐之男命なので、神大市比売神が天照大神で、加具土命が月読命と考えられます。宮崎県西臼杵郡高千穂町にある天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)は、岩戸川を挟んで東本宮と西本宮があり、東本宮では、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、西本宮では、大日孁尊(おおひるめのみこと)を祀っています。天照皇大神は天押帯日子命で、大日孁尊(大日孁貴)は、「日孁」が「日の女神」を表すので、神大市比売と推定されます。
剣山は、金刀比羅宮とつながるレイラインの指標となっていますが、剣山とマラケシュを結ぶラインの近くに金刀比羅宮、神代神社(島根県雲南市)、韓竈神社(出雲市唐川町)があます(図11)。このラインは、剣山とレイラインで結ばれている石鎚山と兵庫県高砂市の「石の宝殿」を神体とする生石神社(おうしこじんじゃ)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図11)。

富士山を通る多くのレイラインが知られていますが(富士山を巡る不思議なパワー)、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)と剣山を結ぶラインは、富士山や日前神宮・國懸神宮(和歌山市)の近くを通ります(図12)。このラインは、箱根山とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差し、箱根山とスカラ・ブレイを結ぶラインは、高天原山を通ります(図12)。

香取神宮(千葉県香取市)とオリンポス山を結ぶラインは、筑波山や日光白根山、八海山の近くを通り、このラインは富士山と三株山(福島県石川郡古殿町)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図13)。このレイラインは、経津主神が金山彦命(大物主、山王)であるためと思われます。香取神宮の祭祀氏族は、経津主の子の苗益命(なえますのみこと、天苗加命)を始祖とし、敏達天皇年間に子孫の豊佐登が「香取連」を称し、文武天皇年間(697年-707年)から香取社を奉斎し始めたといわれています。

川崎市にある稲毛神社(いなげじんじゃ)は、旧称が山王権現、武甕槌神社であることから、武甕槌神は、加具土命(金山毘古神、山王)と推定されます。したがって、武甕槌神は、倭大物主櫛甕玉命(大物主)と推定されます。加具土命は、神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神で、『古事記』によれば、加具土命の血から、甕速日神(みかはやひのかみ)、樋速日神(ひはやひのかみ)、建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)別名、建布都神(たけふつのかみ)、豊布都神(とよふつのかみ)などの神々が生まれています。建御雷之男神は鹿嶋神宮の武甕槌大神と同一神で、建布都神と豊布都神の「建」と「豊」は、敬称なので千葉県香取市の香取神宮(かとりじんぐう)の経津主神と同一神と考えられます。
甕速日神や武甕槌大神の「甕(みか)」は、水や酒を貯えたりするのに用いた「かめ」で、「水瓶/水甕」は、 辞書には、飲用水や工業・農業用水となる、湖やダムなどの貯水池や水源のたとえとあります。さいたま市大宮区にある武蔵一宮氷川神社の摂社に「門客人神社」があり、足摩乳命、手摩乳命が祀られています。元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたもので、アラハバキ神が「客人神」として祀られ、氷川神社の地主神とされています。菊地栄吾氏は、「アラハバキ」はシュメール語で、天は AN、土地は KI で、「貯める」という意味の単語にHUBがあり、天と地、その間に貯めるものは、水や空気(風)で、AN・HUB・KI、(アン・ハブ・キ)が日本に渡り、アラハバキになったと推定しています。「アラハバキ」がシュメール語の「AN・HUB・KI、(アン・ハブ・キ)」とすると、「HUB」に貯めるという意味があるので「甕」と似ています。また、樋速日神の「樋(ひ)」は、池水や河水を放出・流下させる水門の意味があるので、治水を行ない農地を開拓した神と推定されます。加具土命は、縄文の神の「アラハバキ」と見なされたのかもしれません。スサノオが出雲国のヤマタノオロチを退治した時に用いた神剣の「天羽々斬(あめのはばきり)」の名前は、加具土命の作った刀であるからかもしれません。
偽書とされる『東日流外三郡誌』には、縄文の神「アラハバキ」を「荒羽吐」または「荒覇吐」として書かれ、遮光器土偶が載せられています。遮光器土偶が見つかった青森県つがる市にある縄文時代晩期の亀ヶ岡遺跡(かめがおかいせき)の名前は、「甕が出土する丘」に由来するともいわれます。遮光器土偶がアラハバキ神とすると、アラハバキ神の手足の形は、縄文式甕形土器を模っているのかもしれません。埋甕(うめがめ)という縄文時代の深鉢形土器を土中に埋納する風習があるので、甕の神(アラハバキ神)を埋めたのかもしれません。亀の甲羅を使った占いは、殷王朝時代に行われ、皇室にも残っていますが、遮光器のような目は、「亀ヶ岡」という地名からウミガメの目を表しているのかもしれません。
亀ヶ岡の土偶の製造方法は、天然アスファルトを粘土に混入して焼くという方法で、シュメール文明でも見られるようです2)。川崎真治氏の説では、シュメール文明で造られた女神像が遮光器土偶像に似ていることに注目し、日本の土偶は、シュメール文明の影響を受けた可能性があるとしています2)。遮光器土偶の用途は不明ですが、人形として穢れを落とすため、壊して埋めたという説などがあります。ウルで発見された「子供をあやすトカゲ頭の裸婦」(紀元前4,500年から4,000年)の頭や顔は、遮光器土偶のものと類似性が見られます。遮光器土偶の顔がウミガメを模っているとすると、シュメールの像も同様と推定され、目の位置は、シュメールの像の方がよりウミガメに近いと思われます。この像は考古学者によると儀式的なものではないとされていますが、日本西アジア考古学会の前田徹氏の『シュメール語文字史料から見た動物』によると、シュメールでは「カメ」は争い好きとされていたようで、神聖視はされていなかったようです。アイヌの人々は、漁運を祈願するために、亀の頭を神(ecinke-sapa エチンケサパ)として祀ります(文化遺産オンライン)。亀の頭は、木材の一部を薄く削ったもので装飾していますが、もしかすると、遮光器土偶の頭にある髪を結んだ様子やかんざしを表したと考えられている「王冠状突起」と関係があるかもしれません。
古代豪族の土師氏が関係していると推定される能楽の代表的な能面の一つに般若の面がありますが、これは女性の激しい嫉妬や怒りを表現したもので、本来の「般若」(仏の智慧)とは逆のものです。般若と同じ女の怨霊の面で、より激しい怒りの様子を表したのが蛇や真蛇で、面によっては耳がないなど、人間よりも蛇に近い顔つきをしています。能面に関する最古の史料である『申楽談儀』(1430年)には、「般若」の名は見られないものの、般若のような蛇系の鬼女面が使用されていた可能性もあるようです。シュメールのトカゲ頭の像や遮光器土偶は肩を怒らせていて、下記にあるように、遮光器土偶は元は赤く塗られてたようなので、真っ赤になって怒っている人を表しているのかもしれません。
眼の誇大な表現をはじめ、頭頂部・顔面部の彫りや肩・手の怒り方表現および体部の文様など、粘土を充分に吟味し磨きをかけ、焼成後に丹あるいは朱を塗るなど祭祀的な匂いの感じられる遺物である。
アポロン神殿にある古代ギリシアの格言に似ている徳川家康の家訓に「怒りは敵と思え」とあることからも、シュメールの像や遮光器土偶には怒りを戒める意味があり、縄文時代には争いが少なかったとされることと関係があるかもしれません。怒った表情をしている不動明王のように、悪を断ち切って煩悩を消し去る御利益があったのかもしれません。あるいは、壊して埋めることによって、大地の怒りを鎮める意味があったのかもしれません。
丹生氏系図から、久志多麻命(くしたまのみこと)が饒速日命(瓊瓊杵命と推定)とすると、加具土命が、鬼刀禰命(きとねのみこと)と推定されます。石川県加賀市の愛宕神社や、福井県の愛宕神社などでは、加具土命を祀っていて、加具土命は加賀国と関係がありそうです。また、石川県鳳珠郡穴水町の白雉神社(はくちじんじゃ)や、福井県の秋葉神社でも加具土命が祀られています。丹生氏系図によると比古麻命の子である「鬼刀禰命」の「鬼」は、大和政権などの体制に従わない人々をいい、「刀禰」は、地域を治める代表者につけられた称号なので、「鬼刀禰命」は、大和政権に従わない地域を治めた長(つかさ)をいうのかもしれません。
『古事記』には、八千矛神(大国主命)が高志の沼河比売(ぬなかわひめ)のもとに妻問いに行った神話が記されています。『先代旧事本紀』では建御名方神(たけみなかたのかみ)は沼河比売(高志沼河姫)の子となっています。高志国は、ヤマタノオロチ(八俣遠呂智:八岐大蛇)の出身地ですが、九頭竜川があり、ヤマタノオロチは、俣が8つあるので、頭が9つの九頭竜だったのかもしれません。九頭竜川には、治水神の禹王の碑があり、「禹」には「龍」の意味があり、「九」も龍を表すようです1)。韓国の「禹」姓一族のルーツは禹玄とされ、高句麗期に朝鮮半島中部の丹陽に移住して官職についたようです3)。高志国は、中国最初の王朝「夏」の禹王と関係があるのかもしれません。
島根県出雲市の西谷墳墓群にある3号墳は、突出部を含むと長辺約50メートルの大規模な四隅突出型墳丘墓で、墳頂部に並列する木槨墓(もっかくぼ)があり、岡山県倉敷市の楯築墳丘墓の木槨墓と類似し、吉備地方の特殊壺形・特殊器台形土器がみられます4)。楯築墳丘墓が神大市比売神の陵墓とすると、西谷3号墳には、加具土命(月読命)が葬られているのかもしれません。木槨墓は、中国では殷代にすでにみられ、周・漢代の墳墓の基調をなし、韓国慶尚南道金海市にある金官加耶の大成洞遺跡でも3世紀後半から5世紀前半の大型木槨墓が見つかっています5)。
プルタルコスによると、エジプト人はナイル川だけでなく、およそ水に関わるものをオシリスと呼び、この神を祀る祭礼の行列では、常に水瓶(みずがめ)が先頭を行くそうです5)。クノッソス宮殿の壁画にも、水瓶を捧げて並んだ女性のフレスコ画が描かれています。また、水というのは万物の始原、万物が生まれる元で、自分自身から最初の三元、地と気と火を作り出したとされていたようです6)。プラトンは、後期の著作『ティマイオス』で、世界の物質は、火・空気(もしくは風)・水・土の4つの元素から構成されるとする概念(四元素説)を受け継いでいます。
神社の神紋や、丹生氏、西園寺家などの家紋の巴紋は、水に関する模様なので、これを表しているのかもしれません。また、三元から作られる土器や刀剣を神聖なものとするのは、このためかもしれません。籠神社や丹生都比売神社の神紋は「左三つ巴」です。西園寺家の巴紋は、平安後期に西園寺実季がこれを自家の車の文様に定めたといわれ、西園寺嫡流は「左三つ巴」を用いたのに対し、その庶流家は「右三つ巴」を使用しています。丹生氏が「右三つ巴」を使用しているのは、菟道彦(山幸彦)が庶流家だったためかもしれません。
新羅の慶州鶏林路14号墳出土の5世紀の「装飾宝剣」(写真1)には、「三つ巴」に似た装飾が見られますが、カザフスタン出土品のガーネット(ザクロ石)を使った宝剣と同じものだそうです7)。「古代韓国の外来系文物」 KBS WORLDによると、新羅の「装飾宝剣」は、インドで産出するガーネットが使われ、銅の成分からクリミア半島で加工された可能性があるようです。ギリシャのオリンポス山と淡路島にあるおのころ島神社を結ぶラインは、クリミヤ半島北部や朝鮮半島北部を通り、おのころ島神社とトルコのギョベクリ・テぺを結ぶラインは、韓国東部やカザフスタンを通ります(図14)。


クリミア半島の東、黒海とアゾフ海を結ぶケルチ海峡に面した古代ギリシアの都市ケルチ(図12)は、紀元前7世紀後期から紀元前6世紀初期にかけて、アナトリア半島西海岸にあるギリシア人植民市のミレトス人が、パンティカパイオンという都市国家を建設した時から始まったとされますが、紀元前17世紀〜紀元前15世紀には既に人が居住していたようです。ミレトスが建設される以前の後期青銅器時代にはこの地にミノア人やミュケナイ系ギリシャ人が居住していた痕跡があるようです。
クリミア半島は、古代には「タウリカ」と呼ばれていました。タウリカの地の由来であるタウロイ人は、スキタイ系民族で、ギリシア神話において、タウリカは父王アガメムノンによって生贄に捧げられたミケーネの王女イピゲネイアが、女神アルテミスに救い出されてから送り込まれた地として登場します。タウリカの最初の住人は、ヘロドトスの『歴史』などによると、紀元前9世紀頃に南ウクライナで勢力をふるった遊牧騎馬民族のキンメリア人です。クリミアは、クリムと呼ぶこともあり、語源は確かではありませんが、古テュルク語で「丘」、「尾根」、「山の頂」などを意味する言葉に当てる説や、黒海北岸の古代地名である「キンメリア」と関係があるとする説などがあります。
キンメリア人の遺物の骨角器装身具(写真2)には、「渦巻模様」で「丸に十字」を形作った模様が見られ、紀元前1000 年頃の青銅器(写真3)には、「ハルパー」(アダマスの鎌)の剣ような形の武器や、元伊勢籠神社に伝わる「息津鏡」(内行花文鏡)(写真4)の模様に似た円形の馬具があります。伝承によれば、「息津鏡」と「辺津鏡」は、天照大御神から尾張氏の祖先の「火明の命」に与えられたものといわれています。



スキタイ時代(紀元前8世紀~紀元前3世紀)が始まる前、南ロシア草原には地下横穴墓(カタコンブナヤ)文化と、木槨墓(スルブナヤ)文化があったようです。北カフカスや黒海北岸で出土した先スキタイ時代の武器や馬具とそっくりなものが、アナトリア中部と東部の遺跡で発見されていて、中でもイミルレル遺跡はキンメリア人が移住したとされるスィノプから南へ120キロほどの距離にあるようです。
ペルセウスは、メドゥーサ討伐に、鍛冶神ヘーパイストスが鍛造した鎌のように湾曲した形状をしているアダマントのハルパー(アダマスの鎌)を使用しています。エジプトにもケペシュと言われる鎌形の剣があり、壁画などから多くのファラオがケペシュを使用していたことがわかり、儀式用の可能性が高いとされています。2022年は、ツタンカーメンの墓の発見から100年になりますが、3,300年前のツタンカーメンの王墓からは、2本のケペシュと、若きファラオがケペシュでライオンを打ち倒している場面が描かれた儀式用の盾が副葬品として見つかっています。戦車の模様は、クノッソス宮殿の王妃の間の天井と同様なダブルスパイラル(S字文)の連続文様があります。他にシュメールの王の紋である青銅器製菊花紋なども出土しています。
和珥氏の本拠地である天理市の東大寺山古墳で「中平紀年銘刀」が見つかっています。「中平」は後漢末の霊帝の年号(184~189年)で、倭国大乱の時期に当たると考えられ、環頭は日本製で4世紀の制作であり、刀身は純金の象嵌があることから渡来物とされていますが、刀身は逆そり(内反り)で中国では見られないことから「舶載品」とすることには疑問も出されています8)。武蔵七党の丹党の時基が、備前長船の景光に造らせた「謙信景光」も内反りの剣です。三種の神器の草薙剣(くさなぎのつるぎ)も、草を刈る鎌の形と「草薙」の名前から想像すると、内反りの剣ではないかと思われます。都牟刈の大刀(つむがりのたち)とも呼ばれるのは、「都牟」は「頭(つむ)」でメドゥーサの首を刎ねたハルパーと関係があるかもしれません。
三種の神器は、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と草薙剣ですが、古代信仰の中では八が神聖数として取り扱われていたと考えられているので、草薙剣にも「八」が付いていたと考えられます。熱田神宮の天叢雲剣(本体)は、一般には公開されていませんが、江戸時代の書物に長さは約85cmとあります。1874年に石上神宮の禁足地から発掘された布都御魂剣は、内反りの鉄刀で、柄頭に環頭が付いており、全長は記録によると約85cmです。柄の長さは約13cmと推定され、刀身の長さを8で割ると9cmとなります。これは、握り拳の幅と同程度なので、これらは「八握(拳)剣(やつかのつるぎ)」と考えられます。したがって、石上神宮の布都御魂剣が草薙剣ではないかと思われます。戸谷学氏も、「渡来の銅剣」である熱田の剣はもともとの草薙剣ではなく、天叢雲剣は硬度が高い日本式に鍛造された内反りの鉄剣で、「叢雲」の刃紋があったと推定しています9)。
後漢が滅亡した220年から西晋による統一の280年までの三国時代の魏尺は24.2cmです。日本刀の「柄(つか)」の標準的な長さは、柄八寸といわれ1尺30cm×0.8=24cmですが、魏尺が使われていた時代の「柄」は、魏尺24.2cmの八寸の19.36㎝と推定されます。「柄」は両手で持つので、従来の片手で持つ剣の「握(つか)」の2倍の長さとなったと考えられます。魏尺で作られた「八尺剣」の刀身は24.2cm×8=193.6cmで、「十柄剣」の19.36cm×10=193.6cmと同じ長さなので、「十柄剣(とつかつるぎ)」は、魏尺が使われていた時代の「八尺剣(やさかのつるぎ)」と推定されます。須佐之男命は、初めは「八束(やつか)」で、東遷後に「八尺(やじゃく)」に変わったと推定され、新井宏氏の「古韓尺で作られた纏向大型建物群」の論文によると、魏尺は、卑弥呼が帯方郡に使者を送った西暦238年頃に使われ始めたと見るべきとしています。したがって、「とつかつるぎ」は、伊弉諾命の時代にはなかったと考えられ、伊弉諾命が、「とつかつるぎ」で加具土命を斬ったという説話は史実ではないと考えられます。
文献
1)真弓常忠 2018 「古代の鉄と神々」 ちくま学芸文庫
2)朝比奈宏幸 2012 「古事記とアトランティス王国の真実」 ブックコム
3)王 敏 2014 「禹王と日本人」 NHKブックス
4)白石太一郎 2013 「古墳からみた倭国の形成と展開」 敬文舎
5)白石太一郎 2016 「前方後円墳の出現と日本国家の起原」 KADOKAWA
6)プルタルコス著 柳沼重剛訳 1996 「エジプト神イシスとオシリスの伝説について」 岩波文庫
7)朴 天秀 2016 4基調報告「古代韓日交渉史の新たな展望と課題」 発見・検証 日本の古代Ⅱ「騎馬文化と古代のイノベーション」 角川文化振興財団
8)宝賀寿男 2012 「古代氏族の研究① 和珥氏」 青垣出版
9)戸矢 学 2021 「神々の子孫 「新撰姓氏録」から解き明かす日本人の血脈」 方丈社
