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温故知新(70)旧石器時代 香坂山遺跡 冠遺跡群 七日市遺跡 スカラ・ブレイ 岩宿遺跡 白滝遺跡群 オリンポス山 クーパーズ・フェリー遺跡 井出丸山遺跡 矢出川遺跡 神津島 フェロー諸島 田名向原遺跡 ヴェストラホルン山 アルメンドレスのクロムレック 金取遺跡 根堅遺跡 ギョベクリ・テペ 港川遺跡 港川人 サキタリ洞遺跡 ジェベル・イルード遺跡 波上宮 ニライカナイ 白保竿根田原洞穴遺跡 山下町第一洞穴遺跡 クスコ 夜見ヶ浜人 サーペント・マウンド

 日本列島の旧石器時代は、人類が日本列島へ初めて流入した時期にあたり、その始まりの年代については多くの議論が行われています。5万年前あるいは8-9万年前に遡るとされる岩手県遠野市の金取遺跡出土石器や、2009年に同志社大学等により発掘調査された島根県出雲市の砂原遺跡出土石器の分析結果から、12万年前に遡るとする松藤和人(同志社大学教授)らの見解もあります。

 日本列島へ移住した現生人類のうちで旧石器時代に絶滅しなかったものが、縄文文化・新石器時代を始めた縄文人の祖先となったと考えられていまう。香坂山遺跡(長野県佐久市)は、約3万7千年前の列島最古級の遺跡の一つです。香坂山遺跡からは、ユーラシア大陸初期後期旧石器時代と共通する石器群が発見されています1)。香坂山遺跡と同様な大型石刃が島県廿日市にある後期旧石器時代の冠遺跡群からも見つかっています1)。約4万2千年前の冠遺跡の石器群の制作技術は、香坂山遺跡の石器群と異なり、南回りルートの系譜と推定されています(朝日新聞2026年1月27日)。

 香坂山遺跡と冠遺跡群を結ぶラインは、3万年前の複合遺跡で、石器などが見つかっている七日市遺跡(兵庫県丹波市)とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図1)。スカラ・ブレイは、旧石器時代からレイラインの指標となっていたと考えられ、香坂山遺跡と冠遺跡群は関係があったと推定されます。

図1 七日市遺跡、香坂山遺跡、冠遺跡群を結ぶ三角形のライン、七日市遺跡とスカラ・ブレイを結ぶライン、摩耶山

 岩宿遺跡(群馬県みどり市)は、最初に発見された旧石器時代の遺跡で、2.5万年以上前にさかのぼると考えられています。北海道紋別郡遠軽町の白滝遺跡群は、日本最大級の黒曜石原産地・赤石山の山麓に位置する遺跡で、出土品は、旧石器時代の資料としては初の国宝となっています。白滝遺跡群と冠遺跡群を結ぶラインは、岩宿遺跡とオリンポス山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2)。オリンポス山も旧石器時代からレイラインの指標となっていたと考えられ、これらの遺跡も関係があったと推定されます。

図2 岩宿遺跡、白滝遺跡群、冠遺跡群を結ぶ三角形のライン、岩宿遺跡とオリンポス山を結ぶライン

 北米のアイダホ州にあるクーパーズ・フェリー(Cooper’s Ferry)遺跡から出土した石器(約1.6万年前)と、遠軽町の奥白滝1号遺跡などから出土した石器(約2万年前)を比較し、石器技術に高い共通点が認められることから、最初にアメリカ大陸にたどりついたホモ・サピエンスは、北海道・サハリン・千島列島地域が起源であるとする説を、日米の研究チームが提唱しています(朝日新聞20260210)。冠遺跡群とクーパーズ・フェリー(Cooper’s Ferry)遺跡を結ぶラインの近くに白滝遺跡群があります(図3)。

図3 冠遺跡群とクーパーズ・フェリー(Cooper’s Ferry)遺跡を結ぶラインと白滝遺跡群

 静岡県沼津市にある、約3万8千年前の井出丸山遺跡からは神津島産の黒曜石の石器が見つかっていますが、長野県南佐久郡南牧村にある後期旧石器時代の矢出川遺跡からも、神津島産の黒曜石の石器が多数見つかっています。神津島とフェロー諸島を結ぶラインの近くに井出丸山遺跡、富士山本宮淺間大社奥宮、矢出川遺跡があります(図4、5)。フェロー諸島には、アイルランドの修道士が最初に発見し修道院を築いたとされ、その後、9世紀頃ノルウェー西部からノルマン人(ヴァイキング)が入植しています。神津島の黒曜石は、旧石器時代から富士山の信仰と関係があったのかもしれません。

図4 神津島とフェロー諸島を結ぶラインと矢出川遺跡
図5 図4のラインと井出丸山遺跡、富士山本宮淺間大社奥宮、矢出川遺跡

 田名向原遺跡(神奈川県相模原市)は、後期旧石器時代末(約20,000年前-18,000年前)から縄文時代・古墳時代にかけての複合遺跡です。岩宿遺跡と香坂山遺跡を結ぶラインは、田名向原遺跡とアイスランドのヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図6)。

図6 田名向原遺跡、岩宿遺跡、香坂山遺跡を結ぶ三角形のライン、田名向原遺跡とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶライン

 アトランティスの都市があったと推定されるクサール・ヌアイラとヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインは、ポルトガルのアルメンドレスのクロムレックの近くを通り、ヴェストラホルン山とアトランティスの都市があったと推定されているサントリーニ島の古代ティラ遺跡を結ぶラインはフェロー諸島を通ります(図7)。このラインから、ヴェストラホルン山やフェロー諸島は、アトランティスと関係があると推定されます。

図7 クサール・ヌアイラとヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとアルメンドレスのクロムレック、ヴェストラホルン山とサントリーニ島の古代ティラ遺跡を結ぶラインとフェロー諸島

 縄文時代中期から後期のデーノタメ遺跡とアルメンドレスのクロムレックを結ぶラインの近くには、旧石器時代の岩宿遺跡や約5,000年前の縄文時代中期に造られた火焔型土器(国宝)が出土している笹山遺跡(新潟県十日町市)があります(図8)。このラインは、旧石器時代人と縄文時代人はつながっていたと推定されることと整合します。

図8 デーノタメ遺跡とアルメンドレスのクロムレックを結ぶラインと岩宿遺跡、笹山遺跡

 岩手県遠野市宮守町の金取遺跡(かねどりいせき)は、4万年前以前に遡る可能性がある石器が見つかっている中期旧石器時代に属するとされる遺跡です。静岡県浜松市の根堅遺跡(ねがたいせき)からは、約1万4000年前と1万8000年前と判定された旧石器時代の化石人骨(浜北人)が見つかっています。金取遺跡と根堅遺跡を結ぶラインは、デーノタメ遺跡とギョベクリ・テペを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図9、10)。デーノタメ遺跡とギョベクリ・テペを結ぶラインの近くには、縄文晩期の環状木柱列が見つかっている真脇遺跡があります(図9、10)。デーノタメ遺跡と関係があると推定される猿田彦命Y染色体ハプログループは、港川人と同じC系統のC1a1(C-M8)ともいわれています。

図9 デーノタメ遺跡、金取遺跡、根堅遺跡を結ぶ三角形のライン、デーノタメ遺跡とギョベクリ・テペを結ぶラインと真脇遺跡
図10 デーノタメ遺跡、金取遺跡、根堅遺跡を結ぶ三角形のライン、デーノタメ遺跡とギョベクリ・テペを結ぶラインと真脇遺跡

 沖縄県島尻郡八重瀬町にある約2万2000年前の港川遺跡からは、旧石器時代の人骨(港川人)が発見されています。港川遺跡の約1.5km北にはサキタリ洞遺跡(沖縄県南城市)があり、那覇市には、日本最古とされる約3万2000年前の山下洞人の人骨や旧石器が出土した山下町第一洞穴遺跡があります。港川遺跡と31万5000年前のホモ・サピエンスと見られる人骨が見つかったジェベル・イルード遺跡(Jebel Irhoud、Grotte ighoud, P2327, モロッコ)を結ぶライン上にサキタリ洞遺跡があります(図11)。サキタリ洞における人為活動は3万5000年前頃までさかのぼると考えられています。港川遺跡は、ジェベル・イルード遺跡とつながっていることから、港川人はアトランティスと関係があるかもしれません。このラインの近くには、波上宮(なみのうえぐう)があり(図11)、由緒によると、この地は、海神の国(ニライカナイ)の神々への祈りの聖地の一つとされています。

図11 港川遺跡とジェベル・イルード遺跡を結ぶラインとサキタリ洞遺跡、波上宮

 約2万7千年前の人骨が発見され、国内で初めての旧石器時代の墓域が確認された沖縄県石垣市にある白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)と南米ペルーのクスコを結ぶラインは、山下町第一洞穴遺跡の近くを通ります(図12、13)。港川人や山下洞人の系統の民族(Y染色体ハプログループC系統)が、太平洋を経由して南アメリカ大陸に渡ったのではないかと思われます。

図12 白保竿根田原洞穴遺跡(石垣市)とクスコを結ぶラインと山下町第一洞穴遺跡(那覇市)
図13 図12のラインと山下町第一洞穴遺跡、港川遺跡(島尻郡八重瀬町)

 港川人は、ミトコンドリアDNA(母方)の系統で見ると、港川人の子孫は現代日本列島人には見当たらず、直接の祖先ではないという結論が出ています。

 2024年5月に、行方不明になっていた旧石器時代の女性の顎の骨(夜見ヶ浜人)が見つかったという報道がありました。

 と山下町第一洞穴遺跡とサーペント・マウンド(Serpent Mound)を結ぶラインは、上野原遺跡(鹿児島県霧島市)や55年前に「夜見ヶ浜人」が見つかった境港市の近くを通ります(図14)。「山下洞人」と「夜見ヶ浜人」は、関係があるかもしれません。

図14 山下町第一洞穴遺跡とサーペント・マウンドを結ぶラインと上野原遺跡、境港市

 旧石器時代の根堅遺跡とサーペント・マウンドを結ぶラインは、金取遺跡の近くを通ります(図15、16)。旧石器時代に「山下洞人」や「浜北人」は、ベーリング海に沿って北アメリカ大陸に渡ったのではないかと思われます。

図15 根堅遺跡とサーペント・マウンドを結ぶラインと金取遺跡
図16 図15のラインと金取遺跡

 Y染色体ハプログループC1a1は、日本列島ではおおむね5%の頻度で見られます。ハプログループCの拡散経路を見ると、北アメリカ大陸に渡ったグループも見られますが、アメリカ先住民の Y 染色体ハプログループのほとんどはQ系統で、他にはC2、R1 などがわずかに見られる程度です。12,800年前のヤンガードリアス彗星の破片の衝突により、北アメリカの住民はほぼ絶滅したのかもしれません。

文献
1)国武 貞克 佐藤 宏之 2025 「南回り、北回りの遭遇、列島のホモ・サピエンス―新・日本旧石器文化の成立」 朝日新聞出版