温故知新(102)日子刺肩別命(穂高見命) 西求女塚古墳 テル・エル・ファハリヤ遺跡 セリヌス アンタルヤ ハニア スサ ロータル遺跡 安曇氏
西求女塚古墳と日子刺肩別命(穂高見命)
神戸市灘区にある西求女塚古墳(北緯34度42分)は、孝元天皇(大国主命と推定)の陵墓と推定される備前車塚古墳(北緯34度42分)と同緯度にあり(図1)、前方後方墳で、西暦250年すぎ(3世紀中葉)には造営されていた可能性が高いとされています。三角縁神獣鏡(開化天皇の陵墓と推定される椿井大塚山古墳などの出土鏡と同笵)などが出土し、石室の石材は、阿波や紀伊などからも運ばれており、出土した土師器は山陰系の特徴をもつことなどから、瀬戸内海や大阪湾など水上交通に影響をもつ首長の墳墓であったとも考えられています。
西求女塚古墳と多祁伊奈太伎佐耶布都神社(広島県福山市山野町)を結ぶラインは、吉備津彦命の墓と推定される中山茶臼山古墳の近くを通ります(図1)。多祁伊奈太伎佐耶布都神社は、下道国兄彦命を祀っていますが、素盞嗚尊・奇稲田姫・宮簀姫も祀り、伊奈太氏(稲田氏)の剣を祀った神社なので、西求女塚古墳の被葬者は、孝霊天皇(須佐之男命と推定)や吉備津彦命と近い関係にあると推定されます。

大国主命と高志国の沼河比売の子が建御名方神ですが、『古事記』によると、孝霊天皇(須佐之男命 八束水臣津野命)と倭国香媛(神大市比売)の子に、大吉備津日子命(吉備津彦命)と兄弟の日子刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)がいて、高志之利波臣の祖とされているので、沼河比売は、日子刺肩別命の娘と思われます。
西求女塚古墳と徳島県徳島市にある日子刺肩別命を祀る天佐自能和氣神社(あまさしのわけのじんじゃ)を結ぶラインは、丹生都比売神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)とパレルモを結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは瓊瓊杵尊と丹生都比売命の墓があると推定される天王山古墳群(兵庫県神戸市)の近くを通ります(図2)。西求女塚古墳は、天佐自能和氣神社と結ばれているので、西求女塚古墳の被葬者は、日子刺肩別命と推定されます。

日子刺肩別命は、須佐之男命(刺国大神)の子で、長野県安曇野市穂高にある穂高神社の祭神で、安曇氏の祖とされる穂高見命ではないかと思われます。西求女塚古墳の被葬者は、水上交通に影響をもつ首長の墳墓と考えられているので、安曇氏の祖であれば整合します。
穂高神社と徳島県徳島市にある日子刺肩別命を祀る天佐自能和氣神社(あまさしのわけのじんじゃ)を結ぶラインの近くには乗鞍大権現(岐阜県高山市奥飛騨温泉郷平湯)、那比新宮神社(郡上市八幡町那比)、荒神山神社(滋賀県彦根市清崎町)、勧修寺(京都市山科区勧修寺仁王堂町)、石清水八幡宮(京都府八幡市)、垂水神社(大阪府吹田市)、金剛寺(兵庫県南あわじ市)があります(図3)。このラインは、日子刺肩別命が穂高見命と推定されることと整合します。

日子刺肩別命とミタンニ王国
日子刺肩別命(穂高見命)の墓と推定される西求女塚古墳(神戸市灘区)とテル・エル・ファハリヤ遺跡(Tell Fecheriye)を結ぶライン(図4)は、大歳神社(加西市琵琶甲町)、那岐神社(鳥取県八頭郡智頭町)、伯耆稲荷神社(鳥取県東伯郡琴浦町)の近くを通ります(図4)。

ミタンニ王国、セリヌス、ミノア文明
テル・エル・ファハリヤ遺跡(Tell Fecheriye)は、紀元前2千年紀初期から西暦800年頃まで継続的に都市が存在し、ミタンニ王国の首都ワシュカンニではないかとされています。テル・エル・ファハリヤ遺跡は、クサール・ヌアイラともレイラインでつながっていますが、このラインは、アンタルヤやハッラーンの近くを通ります(図5)。アンタルヤは、ブラウロン遺跡とスサを結ぶラインの近くにあり、4万年前から人が住んでいたとされています。テル・エル・ファハリヤ遺跡とセリヌス(Selinus Ancient City)を結ぶラインを延長すると、楯築遺跡と似ていると思われるクノッソス宮殿のあるクレタ島のハニアの近くに到達します(図5)。ハニアにあるカステリの丘は、かつて古代都市シドニアの中心部があった所で、ミノア文明の定住地のあった場所です。

シラクサと、ミノア人と関係があると推定されるロータル遺跡(ロータル博物館)を結ぶラインは、サントリーニ島のティラ遺跡やセリヌス(Selinus Ancient City)の近くを通り、孝霊天皇(須佐之男命と推定)と関係付けられているスサ(Shush)の近くを通ります(図6)。

セリヌスを建てた人々は、ミノア文明、ミタンニ王国とつながっていると思われます。
