温故知新(100)古代都市セリヌス (セリヌンテ) 日前神宮・國懸神宮 古代フェニキア人
氷川神社 ローマ クサール・ヌアイラ モン・サン・ミシェル アルジェ サルデーニャ島 マラケシュ 古代ティラ遺跡 アルテミス神殿 アルゴス スサ ミタンニ ミノア ブラウロン遺跡 水窪遺跡 音羽古墳群 セリヌンテ 安房神社 御座山 生島足島神社 白馬岳 岩井戸神社 サムハラ神社 奥の宮 ロータル遺跡
氷川神社と「石の宝殿」、ローマ
武蔵一宮 氷川神社、居多神社、生石神社にある「石の宝殿」を結ぶラインは直角になるというデータがあるので、「石の宝殿」(兵庫県高砂市)と居多神社(新潟県上越市)を結ぶラインを引き、氷川神社と結んで直角になるようにラインを延長するとローマが見つかりました。石の宝殿と居多神社を結ぶラインを延長すると八王子の大白藤(新潟県燕市)が見つかり、八王子の大白藤と氷川神社を結ぶラインの近くには、氷川諏訪神社(埼玉県桶川市)がありました。また、氷川神社と石の宝殿を結ぶラインの近くには、恵那山や近江神宮(滋賀県大津市)がありました(図1)。

氷川神社とクサール・ヌアイラ
「アトランティス」の都市があったと推定されるクサール・ヌアイラと武蔵一宮 氷川神社(さいたま市)を結ぶラインは、みなかみ三峯神社(群馬県利根郡みなかみ町)、赤城神社(三夜沢)(群馬県前橋市)、冠稲荷神社(群馬県太田市)、鴻神社(埼玉県鴻巣市)の近くを通ります(図2)。

図2のクサール・ヌアイラと氷川神社を結ぶラインは、ローマとモン・サン・ミシェルを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図3)。クサール・ヌアイラとローマを結ぶラインの近くには、大國魂神社とレイラインでつながっているアルジェがあり、モン・サン・ミシェルとクサール・ヌアイラを結ぶラインの近くには、ジブラルタルの岩(ヘラクレスの柱)があります(図3)。アルジェは、紀元前1200年頃にはフェニキアがこの地に植民して交易所を置いていたとされています。ローマがクサール・ヌアイラとつながっているのは、エトルリア文明とアトランティス文明がつながっていると推定されていることと整合します。

王政ローマの王の幾人かは先住民族のエトルリア人であったともいわれ、エトルリア文明はアトランティス文明を受け継いでいるのではないかともいわれています。
クサール・ヌアイラとローマを結ぶラインの近くには、アトランティス説のあるヌラーゲ文明のあったサルデーニャ島があります(図4)。

ローマとアナトリア半島の南部にある古代都市セリヌス(Selinus Ancient City)を結ぶラインの近くにアルテミス神殿があり、セリヌスとマラケシュを結ぶラインの近くにサントリーニ島の古代ティラ遺跡があります(図5)。

クサール・ヌアイラやティラ遺跡のあるサントリーニ島にアトランティスの都市があったとすると、アルジェ、ローマ、セリヌスにもアトランティスの都市があったのかもしれません。
古代都市セリヌス(アナトリア半島)とアルゴス、スサ、ミタンニ、ミノア
アナトリア半島のセリヌス(Selinus Ancient City)は、周辺のギョベクリテペ、クレタ島の古代都市ラト(Ancient City of Lato)、チャタル・ヒュユク、アレクサンドリアなどとレイラインで結ばれ、「南極の顔」とつながっているナブタ・プラヤ(Nabta Playa)とも結ばれています。また、セリヌスは、アルゴナウタイや女王イオで知られる紀元前8世紀に設立された古代ギリシャの都市国家アルゴスの宗教の中心地だったアルゴスのヘライオン(Heraion of Argos)とスサを結ぶラインと、ミタンニ王国の首都ではないかともいわれるテル・エル・ファハリヤ遺跡(Tell Fecheriye)とミノア文明の中心地にあるクレタ島のクノッソス宮殿を結ぶラインの交点付近にあります(図6)。

ブラウロン遺跡、スサと水窪遺跡、音羽古墳群
アルテミスを祀ったブラウロン遺跡(Archaeological Site of Vravron)は、セリヌスとパルテノン神殿を結ぶラインの近くにあります。ブラウロン遺跡(Archaeological Site of Vravron)とレイラインで結ばれている水窪遺跡(静岡県浜松市天竜区水窪町)などには、古代フェニキア文字のペトログリフが遺されています。浜松市水窪民俗資料館(水窪町)とスサ(Shush, フージスターン イラン)を結ぶラインは、音羽古墳群の近くにある音羽古墳公園(滋賀県高島市)と天照皇大神社(石川県加賀市山中温泉真砂町)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図7、8)。


アナトリア半島のセリヌスと音羽古墳公園を結ぶラインの延長線付近には、湍津姫命(多岐都比売命、倭迹迹日百襲姫命と推定)を祀る宇佐神社(滋賀県東近江市)や、伊弉冉尊を祀る女體神社(愛知県田原市村松町)があります(図9)。孝霊天皇皇子の彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)と同様に、孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(須勢理毘売命、卑弥呼と推定)の「勢理(せり)」もセリヌスと関係があるかもしれません。女體神社に祀られている伊弉冉尊は、イナンナやアテナやビーナスとも推定されます。セリヌスと女體神社を結ぶラインは、浦嶋神社(宇良神社)(京都府与謝郡伊根町)の近くも通ります(図9)。

古代都市セリヌス(シチリア島セリヌンテ)と日前神宮・國懸神宮
シチリア島にも古代都市セリヌス(Selinus / 現セリヌンテ)があり、ここで発行された古代ギリシャ銀貨(ディドラクマやリトラ)には、「セリノン(Selinon)」と呼ばれる野生のパセリ(セロリ)の三枚葉が描かれています(写真1)。シチリア島のセリヌスの東側の境界にあるハリカス川(現在のプラティニ川)の河口にはセリヌスの植民都市ミノア(後にヘラクレア(ヘラクレイア))と呼ばれることになる)が建設されていました。

シチリア島の古代都市セリヌス(セリヌンテ)と、「南極ピラミッド」などとつながる安房神社を結ぶラインは、豊受大神宮(外宮)とつながる岩井戸神社、白馬岳、生島足島神社の近くを通り、チチェン・イッツァとつながる御座山の近くを通ります(図10)。「アトランティス」人は、デルフィ(デルポイ)を世界の中心(へそ)としたと推定されるので、日本の中央にある神社とされる生島足島神社を日本のへそとしたのかもしれません。

アナトリア半島のセリヌスとシチリア島のセリヌス(Selinus)は、直接的な歴史的な結びつきは確認されていませんが、同様にセロリに由来する名前と思われます。アナトリア半島のセリヌスは、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)を祀っていると推定される伊太祁曽神社ともレイラインでつながっているので、彦五十狭芹彦命の名前の「セリ」と関係があると思われます。山幸彦と推定される宇志比古尊を祀る宇志比古神社や豊玉姫命を祀る豊玉姫神社もセリヌスとつながっています。また、台与(姥津媛と推定)の墓と推定される西殿塚古墳、熊野那智大社、おのころ島神社、崇神天皇の陵墓と推定される浦間茶臼山古墳、加茂岩倉遺跡、荒神谷遺跡、豊受大神宮(伊勢神宮 外宮)や京都御所などもセリヌスとつながっています。
シチリア島のパレルモと日前神宮・國懸神宮を結ぶラインは、サムハラ神社 奥の宮の近くを通るとしていましたが、シチリア島のセリヌス(セリヌンテ)と日前神宮・國懸神宮を結ぶラインの方が、よりサムハラ神社 奥の宮の近くを通るので(図11、12、13)、この場合は、パレルモではなくセリヌス(セリヌンテ)を指標としている可能性があります。



古代都市セリヌスと古代天皇
シチリア島のセリヌスの植民都市の「ミノア」はロータル(Lothal)遺跡、「三つ葉」はモヘンジョダロと関係があると思われ、これらのインダス文明の遺跡は、須佐之男命(孝霊天皇)と関係があると推定される二里頭遺跡(夏王朝)とレイラインでつながっています。
セリヌンテとロータル遺跡を結ぶラインはセリヌス(Selinus Ancient City)の近くを通るので、これらは関係があると推定されます(図14)。

シチリア島のセリヌスは、ギリシャ人に支配され、アナトリア半島に移動したのかもしれません。シチリア島のセリヌスの建設時期は、トゥキディデスによれば紀元前628年頃、ディオドロスはそれより早い紀元前650年、ヒエロニムスは紀元前654年とし、フェニキア人によって設立されたと推定されています。神武天皇の即位年は、セリヌスの建設時期に近い紀元前660年とされているので、音羽古墳群に葬られていると推定される神皇産霊尊は、古代都市セリヌスの王族の末裔かもしれません。そうすると、古代天皇がアルテミスと関係付けられていることと整合します。
地中海周辺の人々のDNAに、古代フェニキア人のDNAが受け継がれていることが分かったという記事がありました。古代フェニキア人は、「アトランティス」と関係があると推定されるので、日本人のDNAにも古代フェニキア人のDNAが遺っているかもしれません。
