温故知新(66)柿本人麻呂(猿丸大夫 小野猿丸) 龍穴 貴船神社奥宮 室生龍穴神社 猿丸神社 瀧神社 スカラ・ブレイ 瓢ケ嶽 小野神社 マラケシュ 近江神宮 柿本神社
龍穴と猿丸神社
「日本三大龍穴」は、貴船の龍穴(京都府の貴船神社奥宮)、吉祥龍穴(奈良県の室生龍穴神社奥宮)、備前の龍穴(岡山県の湯次神社)とされています。室生龍穴神社 奥宮(奈良県宇陀市)とスカラ・ブレイを結ぶラインは猿丸神社(京都府綴喜郡宇治田原町)、貴船神社 奥宮(京都市左京区鞍馬貴船町)の近くを通り、このラインは、瀬織津比売命、罔象女神を祀る瀧神社(岐阜県美濃市)と備前の龍穴(りゅうごん様)がある湯次神社(岡山県瀬戸内市長船町磯上)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図1)。

猿丸大夫と柿本人麻呂
瀧神社の参道途中には「猿丸大夫之碑」があり、猿丸太夫の生誕の地と伝えられています。猿丸大夫は、三十六歌仙の一人で、8世紀から9世紀頃の人物と考えられていて、『百人一首』5番 「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」の歌は、出典の『古今和歌集』では「読み人知らず」とされていますが、『百人一首』では猿丸大夫が詠んだと記されています。猿丸大夫は、第43代元明天皇(在位:707年-715年)の時代、又は元慶年間(877年ー885年)頃の人物ともいわれ、その出自については諸説ありますが、梅原猛は、著書『水底の歌-柿本人麻呂論』で柿本人麻呂(660年頃 -724年)と猿丸大夫は同一人物との仮説を示しています。柿本臣は、孝昭天皇後裔を称する春日臣(和珥氏族)の庶流に当たります。民間伝承では、下野国都賀郡日光二荒山神社の神職であった小野氏はこの「猿丸」を祖とするとも伝わっています。
瀧神社の付近には、瓢ケ嶽の妖魔を退治した平安時代中期の貴族・歌人で、藤原北家の藤原高光(939年頃ー994年)の伝説が残っています。妖魔退治伝説には、天暦年中(947年ー957年)のものの他に、霊亀二年(716年)のものがあり、これは、鬼神が住み村民を悩ませたので、藤原広光が八幡菩薩・虚空蔵菩薩の加護を得て退治したというものです。辛亥の変の年の531年に、北魏僧の善正と関係のあった藤原恒雄という人物がいたので、中臣鎌足が天智天皇から「藤原」の姓を賜ったとされる以前から、中臣氏は藤原姓を名乗っていたのかもしれません。
瓢ケ嶽と弘法大師ゆかりの三光寺(岐阜県山県市)を結ぶラインの近くに瀧神社があり、このラインは、建速須佐之男命と天若日子命を祀る大矢田神社(岐阜県美濃市)とシラクサを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2)。

小野神社と猿丸太夫(小野猿丸)
下野国一之宮 日光二荒山神社(栃木県日光市)と猿丸神社を結ぶラインは、諏訪善光寺(諏訪市)の近くを通り、武蔵国一宮 小野神社(多摩市)とマラケシュを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図3)。小野神社とマラケシュを結ぶラインは、寳登山神社(埼玉県秩父郡長瀞町)、烏帽子岳、水島磯部神社(新潟県上越市)の近くを通ります(図3)。日光二荒山神社と小野神社を結ぶラインの近くには、鴻神社(埼玉県鴻巣市)があります(図3)。これらのラインから、猿丸太夫は「小野猿丸」と推定されます。

柿本人麻呂と猿丸太夫(小野猿丸)
柿本人麻呂は、近江朝にも出仕していたとする見解もあり、鴨長明の歌論書『無名抄』には、猿丸太夫の墓は、滋賀県大津市にあると記されているので、柿本人麻呂と小野猿丸は同一人物かもしれません。古知谷 阿弥陀寺(京都府京都市左京区)と猿丸神社を結ぶラインの近くには、三千院、延暦寺(滋賀県大津市)、近江神宮(近江大津宮跡)があります(図4)。

神武天皇陵と音羽古墳群を結ぶラインの近くに、東大寺(奈良市雑司町)や猿丸神社があります。イシスを祀るフィラエ神殿は神武天皇社とレイラインでつながっていますが、神武天皇陵とフィラエ神殿を結ぶラインは、允恭天皇の陵墓と推定される岡ミサンザイ古墳や廣峯神社の近くを通り、和珥氏と関係があると推定される音羽古墳群と丹生都比売神社を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。音羽古墳群と丹生都比売神社を結ぶラインの近くには小野神社(大津市)や観音寺(普賢寺)があります(図5)。フィラエ神殿は、台与(和珥氏の姥津媛と推定)の墓と推定される西殿塚古墳ともレイラインでつながっているので、猿丸神社に祀られている猿丸大夫も和珥氏と関係があると推定されます。

丹生都比売神社とピラミッド型の烏帽子岳(長野県大町市)を結ぶラインの近くに、柿本人麻呂を祀る柿本神社(奈良県葛城市)、柿本神社(天理市)、瀧神社(岐阜県美濃市)があります(図6)。烏帽子岳と柿本神社(島根県益田市)を結ぶラインは、丹生都比売神社とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図6)。図3の小野神社と同様に、柿本神社も瀧神社とレイラインで関係付けられていることから、柿本人麻呂は、猿丸大夫(小野猿丸)と推定されます。

