見出し画像

温故知新(129)菟道稚郎子命(宇治天皇) 心合寺山古墳 八田皇女 宇治丸山古墳 古代都市セリヌス(セリヌンテ) 宇治上神社 宇治神社 御野懸主神社 法隆寺 全興寺 春日大社 白兎神社 小野神社 日吉大社 石山寺 小野篁 紫式部

菟道稚郎子と菟道宮
 京都盆地の東南部に宇治市があり、宇治上神社では、左殿に菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)命、中殿に応神天皇、右殿に仁徳天皇を祀っています。『古事記』では「宇遅之和紀郎子」と表記されます。『日本書紀』では、応神天皇の皇太子でありながら異母兄の大鷦鷯尊(後の仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したとされる菟道稚郎子を、『播磨国風土記』は「宇治天皇」と表記しています1)。菟道稚郎子の母は和珥氏の矢河枝姫(やかわえひめ)です。後の雄略天皇に殺された履中天皇皇子の市辺押磐皇子も「市辺天皇」と表記していることから、菟道稚郎子も「宇治天皇」になっていたのかもしれません。

 『山城国風土記』(逸文)では、応神天皇皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が、この地に宮「菟道宮(うじのみや)」を構えたことが地名の起源となったとする説話がありますが、『日本書紀』の垂仁天皇の段などに「莵道河」(現・宇治川)の記載があることから、「菟道」の地名が元からあったとする見方があります。「宇治」は、孝元天皇(菟道彦 宇遅比命)に由来すると推定されます。宇治上神社や宇治神社は、山城国(山背国)にあり、垂仁天皇を祀る珠城神社の東にあるので、垂仁天皇の時代には、珠城宮の東側に孝元天皇(菟道彦)を祀る神社があったのではないかと思われます。久世郡宇治町離宮社(宇治郷)(宇治上神社付近)には応神天皇の離宮(支城)があったようです。

 宇治上神社とシチリア島の古代都市セリヌス(セリヌンテ)を結ぶラインの近くには、京都府亀岡市の天照皇大神社高倉神社(京都府綾部市)、元伊勢内宮皇大神社八幡神社(大成八幡神社)(京都府京丹後市)があります(図1)。このラインは、菟道稚郎子と天照大神(倭国香媛、神大市比売と推定)の関係を示していると推定されます。

図1 宇治上神社とセリヌンテを結ぶラインと天照皇大神社、高倉神社、元伊勢内宮皇大神社、八幡神社(大成八幡神社)

 大阪府八尾市にある心合寺山古墳(しおんじやまこふん)は、5世紀初頭の中河内地域を代表する大規模な前方後円墳です。

 応神朝大臣(おおおみ)の尾綱根命(尻綱根)と妹の金田屋野姫命(神功皇后と推定)の墓と推定される4世紀後半の富雄丸山古墳と心合寺山古墳を結ぶラインは、崇神天皇(聖徳太子と推定)にゆかりがあると推定される法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町)とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2)。これらのラインから、心合寺山古墳の被葬者は、崇神天皇、尾綱根命、神功皇后と関係があると推定されます。

図2 法隆寺、富雄丸山古墳、心合寺山古墳を結ぶ三角形のライン、法隆寺とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶライン

 富雄丸山古墳と仁徳天皇陵を結ぶラインは、応神天皇陵神武天皇社などとつながっている聖ミカエルの山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、心合寺山古墳と仁徳天皇陵を結ぶラインは、クサール・ヌアイラや、モン・サン・ミシェルと応神天皇陵を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図3)。これらのラインから、心合寺山古墳の被葬者は、仁徳天皇や応神天皇と関係があり、天皇に相当する人物だったと推定されます。

図3 応神天皇陵、富雄丸山古墳、仁徳天皇陵を結ぶ三角形のライン、応神天皇陵と聖ミカエルの山を結ぶライン、モン・サン・ミシェルと応神天皇陵を結ぶライン、応神天皇陵、心合寺山古墳、仁徳天皇陵を結ぶライン

 心合寺山古墳と聖徳太子ゆかりの全興寺(大阪市平野区平野本町)を結ぶラインは、天王の社とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインの近くには、御野懸主神社(大阪府八尾市上之島町)があります(図4)。

図4 天王の社、心合寺山古墳、全興寺を結ぶ三角形のライン、天王の社とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインと御野懸主神社、恩智神社

 三野縣主氏は、古代天皇家の直轄地であった「三野県」を管掌していた有力な氏族で、河内国若江郡(現在の大阪府八尾市の一部)に本拠を置き、難波(現在の大阪市の一部)にも勢力を持っていました。雄略天皇(倭武、昆支王と推定)の時代には、星川皇子の乱に関連して『日本書紀』に星川皇子に味方した三野県主小根が登場します。

 御野懸主神社は、かつてこの地一帯を支配していた豪族・美努連(みぬのむらじ)(角凝魂命(つぬごりたまのみこと)四世の孫の天湯川田奈命(天湯河板挙)の後)である三野縣主一族の祖神を祀っています。誉津別皇子(景行天皇と推定)の伝承から、天湯川田奈命(天湯河板挙)は、垂仁天皇の皇子の五十瓊敷入彦命ではないかと思われます。そうすると、角凝魂命は、孝元天皇の義理の父の賀茂建角身命(孝霊天皇と推定)と推定されます。角凝魂命の後裔に、河内国委文宿禰(しとりのすくね)がいて、倭迹迹日百襲姫命は倭文神と推定されるので整合します。

 大阪府八尾市にある恩智神社(図4)の社伝(「恩智大明神縁起」)によると、神功皇后の三韓征伐の際に住吉神・恩智神が現れて皇后を守護したので、恩智神は高安の七郷を賜ったとされます。現鎮座地に遷座するまでは西方の天王の杜(現在の御旅所)(図4)に鎮座したといわれ、同地は弥生時代中期を中心とする遺跡(恩智遺跡)として知られていて、恩智神社の創祀との関連性が指摘されています。

 御野懸主神社と五十瓊敷入彦命の陵墓と推定される和泉黄金塚古墳(大阪府和泉市)を結ぶラインは、天王の杜とクサール・ヌアイラを結ぶラインとほぼ直角に交差し、心合寺山古墳と和泉黄金塚古墳を結ぶラインは、天王の杜とモン・サン・ミシェルクサール・ヌアイラとつながっているローマを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。心合寺山古墳の被葬者は、第11代垂仁天皇の皇子の五十瓊敷入彦命や御野懸主と関係があると推定されます。

図5 天王の社、御野懸主神社、和泉黄金塚古墳を結ぶ三角形のライン、天王の社とクサール・ヌアイラを結ぶライン、ローマと天王の杜、心合寺山古墳、和泉黄金塚古墳を結ぶライン

 和泉黄金塚古墳と出雲大社などとつながるアグアダ・フェニックス遺跡を結ぶラインは、心合寺山古墳の近くを通ります(図6)。

図6 和泉黄金塚古墳とアグアダ・フェニックス遺跡を結ぶラインと心合寺山古墳

 心合寺山古墳の被葬者は、図3から、応神天皇や仁徳天皇と関係する天皇に相当する人物と推定されることから、第15代応神天皇と和珥氏の祖の日触使主(ひふれのおみ)の娘との間に生まれた、第16代仁徳天皇の異母弟の菟道稚郎子命(宇治天皇)と思われます。

 菟道稚郎子命、応神天皇、仁徳天皇を祀る宇治上神社(京都府宇治市)と心合寺山古墳を結ぶラインは、菟道稚郎子命を祀る宇治神社を通り、朱智神社(京都府京田辺市天王高ケ峰)の近くを通ります(図7、8)。宇治神社には、菟道稚郎子命が、河内の国からこの地に向かわれている途中道に迷われた際、一羽の兎が現れ、振り返り、振り返り、この地に道案内をしたという「みかえり兎」の故事が伝わっています。宇治上神社と心合寺山古墳を結ぶラインは、白兎神(大国主命、孝元天皇と推定)を祀る白兎神社(鳥取市)の近くを通る、春日大社(奈良市春日野町)と豊玉姫命(倭迹迹日百襲姫命と推定)と関係付けられているアレクサンドリアを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図7)。このラインは、菟道稚郎子命が孝元天皇とも血縁関係があることを示していると推定されます。

図7 春日大社、宇治上神社、心合寺山古墳を結ぶ三角形のラインと朱智神社、春日大社とアレクサンドリアを結ぶラインと白兎神社
図8 図7のラインと宇治上神社、宇治神社

 心合寺山古墳と豊玉姫命(倭迹迹日百襲姫命と推定)と関係があると推定される八大龍王とつながるミシガン州のサギノー湾を結ぶラインは、古くから牛頭天王(孝霊天皇と推定)を祀っていたと考えられている朱智神社や宇治上神社の近くを通ります(図9)。菟道稚郎子命は、孝霊天皇や倭迹迹日百襲姫命とも血縁関係があると推定されます。

図9 心合寺山古墳とサギノー湾を結ぶラインと朱智神社、宇治上神社

 春日大娘皇女の陵墓と推定される4世紀末の巣山古墳(奈良県北葛城郡広陵町)とパレルモを結ぶラインの近くに心合寺山古墳があり、富雄丸山古墳と巣山古墳を結ぶラインは、春日和珥童女君の陵墓と推定される4世紀後半の東大寺山古墳(奈良県天理市)と心合寺山古墳を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図10)。これらのラインは、菟道稚郎子命と春日和珥童女君や春日大娘皇女との血縁関係を示していると推定されます。

図10 巣山古墳とパレルモを結ぶラインと心合寺山古墳、パレルモと富雄丸山古墳、巣山古墳、東大寺山古墳、心合寺山古墳を結ぶライン

 国宝の十一面観音立像を祀る大御堂観音寺(普賢寺)(京都府京田辺市普賢寺下大門)と仁徳天皇陵を結ぶラインは、図10の心合寺山古墳の近くを通る巣山古墳とパレルモを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図11)。また、巣山古墳と観音寺(田辺市)を結ぶラインの近くに富雄丸山古墳があります(図11)。

図11 巣山古墳、観音寺(京田辺市)、仁徳天皇陵を結ぶ三角形のラインと富雄丸山古墳、巣山古墳とパレルモを結ぶラインと心合寺山古墳

 心合寺山古墳の被葬者が菟道稚郎子命とすると、応神天皇に嫁いだ菟道稚郎子命の母の矢河枝比売(宮主宅媛)は、葛城襲津彦と春日和珥童女君の娘で巣山古墳の被葬者と推定される春日大娘皇女と推定されます(図12)。そうすると、菟道稚郎子命は、崇神天皇の曾孫と推定される葛城襲津彦の孫になるので、孝元天皇や孝霊天皇ともつながります。

図12 第15代応神天皇から第19代允恭天皇までの系図(葛城襲津彦の后を春日和珥童女君と推定、応神天皇の后を春日大娘皇女と推定)

 『日本書紀』では、莵道稚郎子命は「莵道の山の上」に葬られたと記載され、宮内庁は明治22年に宇治丸山古墳(宇治市菟道丸山)を宇治墓に治定しています。宇治上神社と古代都市セリヌス(セリヌンテ)を結ぶラインは宇治丸山古墳の近くを通り、ローマと宇治神社を結ぶラインは城南宮(京都市伏見区中島鳥羽離宮町)の近くを通ります(図13)。宇治丸山古墳の被葬者は、莵道稚郎子命と関係があると推定され、宇治丸山古墳の場所には元は円墳があったようなので、仁徳天皇の后となった莵道稚郎子命の妹の八田皇女かもしれません。八田皇女は、 仁徳天皇の最初の皇后・磐之媛の崩御後、正式に皇后に立てられましたが、天皇との間に子供は授からなかったとされています。

図13 宇治上神社とセリヌンテを結ぶラインと宇治丸山古墳、ローマと宇治神社を結ぶラインと  城南宮

 宇治丸山古墳と仁徳天皇陵を結ぶラインは、春日大娘皇女の陵墓と推定される巣山古墳と、富士山棚畑遺跡などとつながるパルテノン神殿を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図14)。このラインは、宇治丸山古墳の被葬者が、春日大娘皇女の娘で、仁徳天皇の后の八田皇女と推定されることと整合します。

図14 巣山古墳、宇治丸山古墳、仁徳天皇陵を結ぶ三角形のライン、巣山古墳とパルテノン神殿を結ぶライン

 宇治丸山古墳の近くには、浮舟宮という古社が祀られていたといわれます。「浮舟(うきふね)」は、源氏物語の「宇治十帖」に登場する光源氏の弟である宇治八の宮の三女で、「宇治十帖」には、小野の妹尼(おののいもうとあま)も登場します。和珥氏(小野氏)の墓と推定される雨の宮古墳群(石川県鹿島郡中能登町)と宇治丸山古墳を結ぶラインは、音羽古墳群の近くにある音羽古墳公園( 滋賀県高島市)や小野神社(大津市小野)や和邇今宿(大津市)の近くを通ります(図15)。このラインは、宇治丸山古墳が和珥氏の八田皇女の陵墓と推定されることと整合します。

図15 雨の宮古墳群と宇治丸山古墳を結ぶラインと音羽古墳公園、小野神社(大津市小野)、和邇今宿

 紫式部の墓と伝えられる古蹟が京都市北区紫野西御所田町に遺されていて、小野篁の墓とされるものに隣接して建てられています。小野神社(大津市小野)と小野篁卿墓・紫式部墓所を結ぶラインは、日吉大社(滋賀県大津市坂本)とアルジェを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図16)。紫式部は、小野氏(和珥氏)と関係があったのではないかと思われます。

図16 日吉大社、小野神社(大津市小野)、小野篁卿墓・紫式部墓所を結ぶ三角形のライン、日吉大社とアルジェを結ぶライン

 下記のブログによると、紫式部は、和珥氏(小野氏)の血を引いているようです。

 紫式部が「打ち出でて 三上の山を 詠れば 雪こそなけれ 富士のあけぼの」と詠んだ三上山(滋賀県野洲市)と宇治丸山古墳を結ぶラインは、紫式部が源氏物語を書き始めた石山寺(大津市)とアルジェを結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは大津市園城寺町にある園城寺(三井寺)の近くを通ります(図17)。紫式部は、宇治丸山古墳が八田皇女の陵墓であることを知っていたと思われます。

図17 石山寺、三上山、宇治丸山古墳を結ぶ三角形のライン、石山寺とアルジェ
結ぶラインと園城寺(三井寺)

 中宮寺(奈良県生駒郡斑鳩町)と17,000~12,000年前に、北極があったともいわれるハドソン湾を結ぶラインは、石山寺や雨の宮古墳群の近くを通り、ハドソン湾と丹生都比売神社を結ぶラインは、音羽古墳公園や宇治上神社の近くを通ります(図18)。

図18 中宮寺とハドソン湾を結ぶラインと石山寺、雨の宮古墳群、ハドソン湾と丹生都比売神社を結ぶラインと音羽古墳公園、宇治上神社

 『日本書紀』や『古事記』にある八田皇女の妹の雌鳥皇女(めとりのひめみこ)と隼別皇子の話は、他の複数の創作と推定される反乱伝承と似ているので、同様に創作されたものと思われます。

文献
1)新古代史の会(編) 2025 「歩いて学ぶ日本古代史1 邪馬台国から大化の改新まで」 吉川弘文館