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温故知新(86)大津皇子 二上山墓 大伯皇女 斎宮 築山古墳 石上麻呂 二里頭遺跡 太白山 白居易(白楽天) 李白 空海 イナンナ 天照大神 八芒星 八咫鏡 菊理媛神 アルテミス 近江神宮 伊吹山 ミツバウツギ 中宮寺 倭迹迹日百襲姫命 アレクサンドリア

 岡山県邑久郡には、古代に大伯国と称された太伯村(たいはくそん)がありました。魏略逸文、『晋書』東夷伝、『梁書』東夷伝では、倭について「自謂太伯之後」(自ら太伯の後と謂う)とあります。太伯は周の太王古公の長子で春秋時代の呉(句呉)の始祖でした。『新撰姓氏録』では、松野連は呉王夫差の後とあります。高倉山の南東にある岡山市北区牟佐の牟佐大塚古墳は、6世紀末の築造と推定される円墳ですが、『新撰姓氏録』「左京諸蕃」には「牟佐村主(むさすぐり)」は三国時代の呉の孫権の子孫であるという記述があります。

 若狭哲六氏の著書に熊山遺跡の出土品として掲載されていますが1)、岡山市北区にある蓮昌寺には、「太伯」(大白?)の銘文が刻された「爵(しゃく)」があります。「」は、中国殷などで用いられた祭器で、三つ足は「天・地・神」を表しています。

 大伯皇女(おおくのひめみこ・大来皇女)は、天武天皇の皇女で、母は天智天皇皇女の大田皇女(おおたのひめみこ)です。斉明天皇7年(661年)に、百済救援のための天智天皇の船団が大伯海(邑久郡付近の海)にさしかかったとき誕生したといわれています。大伯皇女は、673年に伊勢の斎宮に定められ、翌年伊勢国に下向し、686年の同母弟の大津皇子の刑死後に帰京しています。『万葉集』に「我が背子(せこ)を大和(やまと)へ遣(や)るとさ夜ふけて暁露(あかときつゆ)に我が立ち濡れし」など大津皇子に対する愛情を歌い込めた短歌6首が残っています。

 奈良県桜井市にある彦坐王(日子坐王)の墓と推定される桜井茶臼山古墳(外山茶臼山古墳)と長山稲荷神社(奈良県橿原市)を結ぶラインの近くに大伯皇女の弟の大津皇子大津皇子之歌碑(磐余の池跡)があり、このラインは、建稲種命(狭穂彦王と推定)の墓と推定されるメスリ山古墳(桜井市)とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図1)。このラインから、大津皇子と大伯皇女は、尾張氏(和珥氏)の系統と推定されます。

図1 メスリ山古墳、桜井茶臼山古墳、長山稲荷社を結ぶ三角形のラインと大津皇子之歌碑・磐余の池跡、メスリ山古墳とスカラ・ブレイを結ぶライン

 『懐風藻』には、大津皇子は「太子の骨法これ人臣の相にあらず」と記されています。「太子」とは、皇位を継ぐべき皇子(皇太子)のことです。

大津皇子
母の大田皇女は、天智天皇の皇女で鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の姉にあたり、順当にいけば皇后になりえたが、大津が4歳頃の時に薨去し、姉の大来皇女(大伯皇女)も斎宮とされたため、大津には後ろ盾が乏しかった。そのため、異母兄の草壁皇子が681年(天武天皇10年)に皇太子となった。

出典:Wikipedia 大津皇子

 奈良県高市郡明日香村にある飛鳥池遺跡からは、持統朝の頃投棄され埋められたと考えられる、天武朝の頃の「天皇」木簡が見つかっていますが、飛鳥京跡からは「皇子」「大津皇」「津皇」などと書かれた木簡や大量の木簡削屑が見つかっています2)。

 天智天皇の皇后は倭姫王(やまとひめのおおきみ)で、皇子女はなかったことになっています。倭国香媛(天照大神、大日孁貴と推定)の墓は吉備の楯築遺跡と推定され、記紀によると大物主神の子孫に大田田根子がいるので、大伯皇女の母の大田皇女は、倭姫王の皇女で、黒媛と同じく吉備海部直(尾張氏(伊福部氏)と推定)の本拠地の大伯国の出身だったと推定されます。

 倭建命の一人と推定される第13代成務天皇を祀っていると推定される安仁神社(岡山市東区西大寺)の近くに、令和3年に閉校となった太伯小学校(岡山市東区神崎町)がありました(図2)。新しい学校(山南学園)も岡山市立なので統合で「太伯」の名前がなくなったようです。

図2 安仁神社の案内板

 下記の文献にある切妻家形陶棺(須恵質切妻小形陶棺)の見つかった岡山県備前市佐山(かつては邑久郡鶴山村)にある惣田奥古墳群の惣田奥4号墳は、7世紀代の墓で、古墳形態の墓から、次の形態の墓に移る過渡期の墓とされています。

 備前市佐山と旧太伯小学校を結ぶラインの近くに、成務天皇の陵墓と推定される築山古墳(瀬戸内市長船町)があり、このラインは牛窓神社(瀬戸内市牛窓町)とクサール・ヌアイラを結ぶラインとほぼ直角に交差します。後者のラインの近くには甲山(瀬戸内市邑久町上笠加・長船町土師)にある立石大師があります(図3)。旧太伯小学校には、成務天皇の宮があったのかもしれません。

図3 牛窓神社、佐山(備前市)、旧太伯小学校を結ぶ三角形のライン、牛窓神社とクサール・ヌアイラを結ぶラインと立石大師

 築山古墳と旧太伯小学校を結ぶラインは、安仁神社とクサール・ヌアイラを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図4)。このラインは、旧太伯小学校に成務天皇の宮があったと推定されることと整合します。これらのラインの近くには、幸地山神社(岡山市東区邑久郷)や豊原南島神社(東区長沼)や砥石城跡などの山城跡があります(図4)。

図4 安仁神社、築山古墳、旧太伯小学校を結ぶ三角形のラインと作州山城趾、高山城跡、砥石城跡、高取山城跡、幸地山神社、安仁神社とクサール・ヌアイラを結ぶラインと豊原南島神社

 旧太伯小学校と奈良県桜井市吉備にある大津皇子万葉歌碑(吉備池畔)を結ぶラインの近くに、大田皇女の子で大伯皇女の弟の大津皇子の歌碑(磐余の池跡)があります(図5)。このラインは、大津皇子と吉備の太伯との関係を示していると推定され、大田皇女が吉備の太伯の出身と推定されることと整合します。

図5 太伯小学校と大津皇子万葉歌碑(吉備池畔)を結ぶラインと大津皇子の歌碑(磐余の池跡)

 下記のブログによると、祇園天王磐座や「日本三大龍穴」のひとつである備前龍穴ともされる湯次神社の「りゅうごん様」(写真トップ)のある瀬戸内市長船町磯上は、『和名抄』の石上郷の比定地で、『竹取物語』の「かぐや姫」の五番目の公家・中納言石上麻呂足の故郷ではないかともいわれています。かぐや姫は、中納言石上麻呂足に「燕の子安貝」が欲しいと要望していますが、古代中国の「燕」は、吉備海部直と関係があると推定されるので、「燕の子安貝」は燕国の貝貨のことかもしれません。

 須佐之男命(孝霊天皇と推定)と関係があると推定される熊山遺跡(赤磐市)と旧太伯小学校を結ぶラインは、祇園天王磐座と須佐之男命(孝霊天皇と推定)と関係があると推定されるスサを結ぶラインの近くにあり、交点付近に崇神天皇社のある靭負神社(瀬戸内市長船町)があります(図6)。

図6 祇園天王磐座、熊山遺跡、旧太伯小学校を結ぶ三角形のラインと靭負神社、祇園天王磐座とスサを結ぶライン

 図5の祇園天王磐座と熊山遺跡を結ぶラインは、祇園天王磐座とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ重なり、このラインの近くに、湯次神社の「りゅうごん様」や熊山遺跡(赤磐市)があります(図7)。また、このラインは、天津神社(備前市)と崇神天皇の陵墓と推定される浦間茶臼山古墳(岡山市東区)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図7)。湯次神社は、家高山中腹にありましたが、1441 年に現在地に移転しています。

図7 祇園天王磐座(長船町磯上)、天津神社(備前市)、浦間茶臼山古墳を結ぶ三角形のラインとストーンサークル、祇園天王磐座とスカラ・ブレイを結ぶラインと湯次神社、りゅうごん様、熊山遺跡

  祇園天王磐座(日向石神社跡)の近くには、ストーンサークルがあり(写真1)、ストーンサークルとヴェストラホルン山(Vestrahorn)を結ぶラインは、邑久北巡り八十八箇所霊場第18番札所(長船町磯上)や、熊山油瀧神社上之宮(備前市大内)の近くを通ります(図8)。

写真1 ストーンサークル
図8 ストーンサークルとヴェストラホルン山(Vestrahorn)を結ぶラインと邑久北巡り八十八箇所霊場第18番札所(長船町磯上)、熊山油瀧神社上之宮(備前市大内)

 石上郷の比定地の長船町磯上と築山古墳を結ぶラインは、惣田奥4号墳のある備前市佐山と二里頭遺跡を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは長船町福岡を通ります(図9)。また、備前市佐山と長船町磯上を結ぶラインは、築山古墳とサギノー湾を結ぶラインとほぼ直角に交差することから(図10)、これらには、密接な関係があると推定され、石上郷が第13代成務天皇の陵墓とつながっているのは、物部氏(石上氏)が第8代孝元天皇と同族と推定されることと整合します(物部氏から石上氏へ)。

図9 備前市佐山、長船町磯上、築山古墳を結ぶ三角形のライン、佐山と二里頭遺跡を結ぶラインと長船町福岡
図10 築山古墳、佐山、長船町磯上を結ぶ三角形のライン、築山古墳とサギノー湾を結ぶライン

 父の使っていた硯箱に「石上・・」(写真2)とあったので、Googleで画像検索したところ、白居易(白楽天)の詩『王十八の山に帰るを送り、仙遊寺に寄題す』の中の一句とわかりました。「石上題詩掃緑苔」の意味は、石上に詩を題して緑苔(りょくたい)を掃(はら)ふ(石の上に、緑の苔を掃って詩を書いた)ですが、最初の句は「曾於太白峯前住」、曽(かっ)て太白(たいはく)峰前(ほうぜん)に住し(かつて太白峰の麓に住み)です(今日の四字熟語・故事成語)。

写真2 黒漆器 螺鈿細工 石上顕詩掃緑苔 硯箱

 「太白峰」は、中国の長安の西に位置する道教の聖地だったようです。

 倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼と推定)と関係があると推定される武当山(中華人民共和国)とアテナを祀るパルテノン神殿を結ぶラインは、太白山(中華人民共和国)を通ることから(図11)、太白山は、倭迹迹日百襲姫命と関係があると推定されます。

図11 武当山(Wudang Mountain、中華人民共和国)とパルテノン神殿を結ぶラインと太白山(中華人民共和国)

 「太白」の字(あざな)を持つ李白(701年~762年)は『登太白峰』(太白峰に登る)という漢詩を残しています。白居易(白楽天)は772年~846年で、石上麻呂は640年~717年なので、白居易(白楽天)の詩と「石上」の名前は、直接は関係なさそうですが、李白と石上麻呂は、生存した年が重なっています。Googleで「李白」と「石上」を合わせて検索すると、AIが下記のような回答(一部改変)をしました。もしかすると、「石上」の名前は、李白と関係があるかもしれません。特に『春日独酌』では、「月」も出てきます。

 李白の詩《浣紗石上女(かんしゃせきじょうじょ)》や、《登峨眉山》などの作品で使われる表現で、「石の上で遊ぶ」「石上の情景」を描写し、詩仙・李白のロマンチックで自由な世界観、仙境への憧れ、あるいは民俗風景への関心を示すキーワードです。特に《浣紗石上女》では、石の上で洗濯する女性の姿が鮮やかに描かれ、また《登峨眉山》では「石上弄宝瑟(石の上で宝の琴を奏でる)」のように仙境の情景として登場します。《春日独酌》には 「石上の月を仰ぎ詩を吟じて 花の香りに酔い痴れるのだ。」(石の上で月の光を仰ぎ詩を詠み、花の香りに酔いしれるのだ)とあり、月と花と詩という李白らしい情景を描写しています。

出典:Google検索(GoogleAI)「李白、石上」

 旧太伯小学校と中華人民共和国 宝鶏市 太白県の太白山を結ぶラインは、式内社で、獅子舞・角力・針供養の三つの特殊神事が知られている櫛代賀姫神社(島根県益田市)の近くを通ります(図12)。

図12 旧太伯小学校と太白山(中華人民共和国)を結ぶラインと櫛代賀姫神社

 図12のラインの近くには、天ノ岩座神宮(安芸高田市甲田町)や毛利元就および一族の墓(広島県安芸高田市吉田町)があります(図13)。

図13 図12のラインと天ノ岩座神宮、毛利元就および一族の墓、櫛代賀姫神社

 宮城県仙台市太白区にある太白山と太白山(中華人民共和国)を結ぶラインは、饒速日命を祀る石船神社(新潟県村上市岩船三日市)の近くを通ります(図14)。仙台市の太白山は、「太白星(金星)が落ちて出来た山」という伝承に由来するようです。

図14 太白山(宮城県仙台市太白区)と太白山(中華人民共和国 宝鶏市 太白県)を結ぶラインと石船神社(新潟県村上市)

 空海(弘法大師)は、高知県室戸岬の御厨人窟(みくろど)で修行中に、金星(明星)が口に入ってくるという神秘的な体験をし、悟りを開いたと伝えられています。御厨人窟・神明窟(高知県室戸市)と太白山(中華人民共和国)を結ぶラインは、大分県宇佐市の大元神社(宇佐神宮 奥宮)の近くを通ります(図15)。

図15 御厨人窟・神明窟と太白山(中華人民共和国)を結ぶラインと大元神社(宇佐神宮 奥宮)

 図15のラインの近くには、高知県高岡郡中土佐町久礼にある久礼八幡宮、天然記念物の長沢大杉白皇神社(しらおうじんじゃ)があります(図16)。長沢大杉は、土地の氏神である熊野神社の神木として崇められ、権現様の大杉として信仰されてきました。高知県西部には多くの白皇神社があり、祭神のほとんどは大巳貴命のようです。

図16 図15のラインと久礼八幡宮、長沢大杉、白皇神社(高知県高岡郡中土佐町久礼)

 御厨人窟・神明窟と太白山(仙台市)を結ぶラインは、丹生都比売神社檜原神社椿大神社奥宮御嶽神社 王滝里宮、牛伏寺(長野県松本市)の近くを通り、このラインは久能山東照宮(静岡市)とローマを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図17)。太白山と久能山東照宮を結ぶラインは、富士山本宮浅間大社奥宮のある富士山を通ります(図17)。図15と図17のレイラインから、弘法大師空海と太白山は、金星(太白星)で関係付けられていると推定されます。

図17 久能山東照宮、御厨人窟・神明窟、太白山(仙台市)を結ぶ三角形のラインと丹生都比売神社、檜原神社、椿大神社奥宮、御嶽神社 王滝里宮、牛伏寺、富士山、久能山東照宮とローマを結ぶライン

 旧太伯小学校と太白山(仙台市)を結ぶラインは、白毫寺(兵庫県丹波市)や戸隠神社 奥社(長野市)の近くを通り、このラインは久能山東照宮とマラケシュを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図18)。久能山東照宮とマラケシュを結ぶラインの近くには、空木岳(長野県駒ヶ根市)や、戸隠神社 奥社とレイラインでつながる雨の宮古墳群があります。図12と図18のレイラインから、「太伯」も金星(太白星)を表していると推定されます。イシュタル(イナンナ)は、愛、戦争、豊穣を司る古代メソポタミアの女神で、この語は元来は金星を意味するようなので、「太伯」はイナンナを表していると推定されます。

図18 久能山東照宮、旧太伯小学校、太白山(仙台市)を結ぶ三角形のラインと白毫寺、戸隠神社奥社、久能山東照宮とマラケシュを結ぶラインと空木岳、雨の宮古墳群

 天照大御神を祀る大御神社(宮崎県日向市)と高天原があったと推定されるクサール・ヌアイラを結ぶラインの近くには、阿蘇神社(熊本県阿蘇市)やシュメール文字のペトログラフが見つかっている押戸石の丘の近くを通ります(図19)。このラインから、天照大御神もイナンナと関係があると推定されます。神功皇后も、彦島八幡宮のシュメール文字のペトログラフと関係付けられていることから、イナンナと関係があると推定されます。

図19 大御神社とクサール・ヌアイラを結ぶラインと阿蘇神社、押戸石の丘

 八芒星は、イナンナの最も一般的なシンボルです。イナンナは、元々はプレアデス星団(すばる)と関係付けられていたと推定されますが、古バビロニア時代(紀元前1830年~1531年頃)までには、特にイシュタルの星とされた金星と関係付けられるようになったようです。三種の神器の八咫鏡が、大型内行花文鏡だったとすると、8個の内行花文は、八芒星(イナンナ)を表しているように思われます。

 シュメール人の宗教制度では、天の神「アヌ」、地球の神「エンリル」、水の神「エンキ」の3人を特にあがめたとされ、それぞれ、『古事記』に記された、高天の原を治めた「アマテラス」、夜之食国を治めた「ツクヨミ」、海原を治めた「スサノオ」の三貴子と類似しています。シュメールでは、都市国家の王と「天の女王」とされる女神イナンナの女祭司との間で行われる「神聖な結婚」(ヒエロス・ガモス)という儀式がありました。邪馬台国の時代にも「神聖な結婚」があったとすると、魏志倭人伝に「卑弥呼は夫婿がなく、弟が国を輔佐している」と記述されている理由がわかります。

 大伯皇女は、673年に初代斎王(斎宮)となり、翌年、伊勢国に下向しています。斎宮跡(三重県多気郡明和町)と太白山(中華人民共和国)を結ぶラインは、旧太伯小学校の近くを通ります(図20)。

図20 斎宮跡と太白山(中華人民共和国)を結ぶラインと旧太伯小学校

 図20のラインの近くには、沖田神社・道通宮(岡山市中区)や多祁伊奈太伎佐耶布都神社(広島県福山市山野町)があります(図21)。このラインは、大伯皇女や大津皇子を生んだ大田皇女が、吉備の太伯出身と推定されることと整合します。

図21 図20のラインと旧太伯小学校、沖田神社・道通宮、多祁伊奈太伎佐耶布都神社

 太白山(仙台市)と斎宮跡を結ぶラインは、皇居オリンポス山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、皇居とオリンポス山を結ぶラインは、孝霊天皇(須佐之男命と推定)を祀っていると推定される須須神社 高座宮(石川県珠洲市)の近くを通ります(図22)。

図22 皇居、太白山(仙台市)、斎宮跡を結ぶ三角形のライン、皇居とオリンポス山を結ぶラインと須須神社 高座宮

 これらのレイラインから、斎王(斎宮)は、菊理媛神(イナンナ)と推定されます。そうすると、倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼と推定)が菊理媛神とみなされた理由がわかります。意祁都比売命(台与と推定)が同一視されたイシスや、オリンポス12神の1柱のアテナも菊理媛神(イナンナ)だったと思われます。倭迹迹日百襲姫命の墓である箸墓古墳がアレクサンドリアとつながっているのは、イシスと同一視して描かれることもあるクレオパトラ7世も菊理媛神(イナンナ)だったためではないかと思われます。

 斎宮跡とアルテミス神殿を結ぶラインは、近江神宮(滋賀県大津市)の近くを通り、大伯皇女は月の女神のアルテミスとも関係付けられていると推定されます(図23)。

図23 斎宮跡とアルテミス神殿を結ぶラインと近江神宮

 大津皇子二上山墓(奈良県葛城市染野)と厳島神社(香芝市五ヶ所)を結ぶラインは、天智天皇の勅願によって創建された石光寺(葛城市染野)とクサール・ヌアイラを結ぶラインとほぼ直角に交差し、交点付近に大津皇子の霊を慰めるために建立したと文献にある掃守寺(かもりでら)があった加守廃寺跡があります(図24)。石光寺とクサール・ヌアイラを結ぶラインの近くには、鐸比古鐸比賣神社(大阪府柏原市)があります(図24)。偶然かもしれませんが、白居易(白楽天)の詩には、掃守寺の「掃」もあります。

図24 石光寺、厳島神社(香芝市)、大津皇子二上山墓を結ぶ三角形のライン、石光寺とクサール・ヌアイラを結ぶラインと加守廃寺跡、鐸比古鐸比賣神社

 大津皇子二上山墓伊吹山を結ぶラインは、斎宮跡とセリヌス(Selinus Ancient City)を結ぶラインとほぼ直角に交差し、斎宮跡とセリヌスを結ぶラインは、大津皇子・粟津王之供養塔(京都市山科区音羽森廻り町)の近くを通ります(図25)。供養塔は、天智天皇が八幡宮を勧進したと伝承される若宮八幡宮にあります。このラインは、大伯皇女と弟の大津皇子を結び付けていると推定されます。

図25 斎宮跡、大津皇子二上山墓、伊吹山を結ぶ三角形のラインと大津皇子万葉歌碑(吉備池畔)、斎宮跡とセリヌス(Selinus Ancient City)を結ぶラインと大津皇子・粟津王之供養塔

 伊吹山にはミツバウツギが生育しています。伊吹山と三つ葉の植物が描かれている天寿国曼荼羅繍帳のある中宮寺(奈良県生駒郡斑鳩町)を結ぶと、三重県亀山市の能褒野神社三つ葉のセロリと関係があるセリヌス(Selinus Ancient City)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図26)。伊吹山と中宮寺を結ぶラインの近くには、湖南三山の1つの常楽寺(滋賀県湖南市)があり、能褒野神社とセリヌスを結ぶラインの近くには眞名井神社(京都府宮津市)があります(図26)。

図26 能褒野神社、伊吹山、中宮寺を結ぶラインと常楽寺、能褒野神社とセリヌスを結ぶラインと眞名井神社、大津皇子二上山墓

 中宮寺はレイラインで箸墓古墳やオリンポス山とつながっていますが、中宮寺と大津皇子二上山墓を結ぶラインは、箸墓古墳とアレクサンドリアを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図27)。これらのレイラインは、大津皇子とミツバウツギに象徴されていると推定される倭迹迹日百襲姫命を結び付けていると推定されます。

図27 箸墓古墳とオリンポス山を結ぶラインと中宮寺、アレクサンドリアと箸墓古墳を結ぶライン、箸墓古墳と大津皇子二上山墓、中宮寺を結ぶライン

文献
1)若狭哲六 1991 「女王国 邪馬台国の謎に迫る」 吉備先史古代研究会文献
2)大山誠一(編) 2003 「聖徳太子の真実」 平凡社