京都|宇治上神社|最古の神社建築
現存する最古の神社建築である宇治上神社に詣でました。
1.最古の神社建築
神社の古い建築様式のひとつとして、伊勢神宮に見られる掘立柱の様式があります。しかし式年遷宮ごとに建て替えられますので最古の神社建築とはいえません。
岡田莊司 小林宣彦編『日本神道史』によれば、神社神殿は律令期以降の創建が増えたと推定されているといいます。
それ以前は社殿を持たず、山や滝そのものや、磐座や神籬を設けて神域とした社殿を持たない信仰であったものが多かったと考えられています。
仏教が入って来て、寺院建築の影響を受けたことで、神社にも拝殿や社殿が増えていったと推定されるわけです。
宇治上神社の本殿と拝殿は国宝に指定されています。
本殿は平安時代中期(11世紀後半)、拝殿は鎌倉時代前期(13世紀)のものとされています。
本殿の外から見える建物は覆堂(覆屋)で、本殿そのものは覆堂の中に三棟の流造の内殿が鎮座しています。内殿に使われている木材が康平3年(1060)頃のものとされています。
ちなみに、同じ時期に建立されたのが宇治川を挟んで相対する位置に建っている平等院鳳凰堂です。鳳凰堂の建立は永承7年(1052)なので、宇治上神社本殿とはほぼ同時期の建立となります。
このとき宇治上神社は平等院の鎮守社となったとされています。
宇治上神社がそれ以前、いつ頃の時代の創建であったかは判っていません。
2.国宝の本殿と拝殿について
二棟の国宝建築の特徴は次のようになります。
1)宇治上神社本殿(国宝・平安時代)



便利堂『国宝事典 【第四版】』には次のように書かれています。
宇治上神社本殿 一棟 京都府 宇治上神社
桁行五間、梁間三間、一重、流造、檜皮葺、内殿三社、
各一間社流造
平安時代
宇治上神社の創立及び本殿の建立年代については明らかでない。本殿は一間社流造の内殿三社を並立させ、これに覆屋をかけた形式で、両脇殿の妻は覆屋の側面と一体になっている。内殿の三社は蟇股、組物、格子戸間の高欄及び擬宝珠柱そのほかの細部手法をみると、よく平安時代の特徴が表れている。
この本殿は流造としてのみならず、神社本殿として最古のものに属し、かつ細部までよく残っていて貴重な遺構である。

斜面の地形に沿って建てられています

2)宇治上神社拝殿(国宝・鎌倉時代)



次の、拝殿の内容も『国宝事典』からの引用です
宇治上神社拝殿 一棟 京都府 宇治上神社
桁行六間、梁間三間、一重、切妻造、両妻一間通り庇付、
向拝一間、檜皮葺
鎌倉時代
宇治上神社拝殿の建立年代は明らかでなく、宇治離宮の建物を移したという説もあるが、確証はない。現在の拝殿は様式からみると、鎌倉時代に属すると考えられる。桁行五間、梁間三間の母屋(右側面には小間一間がのびている)の両側に各一間通りの庇をつけた形態をし
ている。屋根は切妻造で、両側に庇が縋破風造となっている。細い木割、反りの強い疎垂木、緩い屋根勾配などは、寝殿造風の住宅建築を思わせるものがある。前面には一間の向拝をつけるが、向拝は全体に鎌倉時代末期頃の様式を示しており、またこの部分は垂木が繁垂木となっているなどの変化がある。
なお正面及び背面の板扉は明治時代に取り替えたもので、もとは桟唐戸であった。この戸は今も保存されているが、室町時代初期頃のものと思われる。また別に保存されている蟇股は鎌倉時代後期頃とみられる。
これら、建物の様式を確認しながら、建物を見ると理解が深くなります。
(しばらくすると忘れてしまうので、このように記録しています。)




手水舎ということですが、明らかに禊場ではないでしょうか

藤原氏との関係性が判ります


3.御祭神は菟道稚郎子
左殿菟道稚郎子
中殿応神天皇(父)
右殿仁徳天皇(兄)
宇治神社の御祭神は宇治上神社と同じ菟道稚郎子ですが、|菟道稚郎子命《うじのわきいらつこのみこと》と表されます。菟道稚郎子命の宮居跡であると伝わり、宇治の氏神様とされ崇敬されています。
御祭神について、宇治上神社縁起には次のようにあります。
応神天皇の末の皇子であった菟道稚郎子は幼い頃から博識聡明だった。そのため父君の応神天皇が大切に手をかけて育まれ、皇太子となった。
しかし、応神天皇が亡くなられ、菟道稚郎子は兄である仁徳天皇に天皇の位を譲り、現在の宇治の地に離宮を建てて、一切の政をしなくなった。しかし、仁徳天皇も「菟道稚郎子が、皇位を継ぐことは、応神天皇が定められたことなので、変えることはできない」と言い、3年間もの間、皇位を譲り合った。
国民は戸惑い、世の中も乱れ始め、菟道稚郎子は自身の行いで、このあり様をご覧になり、悲しまれ、心を痛まれて、「このまま私が生きていれば、世の中が乱れるばかりだ」と、自ら命を絶った。
これを知った仁徳天皇は、難波から急遽、宇治へお越しになり、驚きと悲しみの中、菟道稚郎子を手厚く葬られた。
これが、後々になって当社の創建のいわれとなる。
こちらは、宇治川の対岸にある「国宝 平等院鳳凰堂」です。
天喜元年(1053)に関白藤原頼道(道長の長男)により建てられました。



4.最後にうさぎについて
神社にはうさぎのモチーフがよく見られます。
御祭神の菟道稚郎子 の菟道(うじ)は、兎の道と読まれ、御祭神が河内国からこの地に向かう途中で道に迷った時に、一羽の兎が現れ出て、振り返り振り返りしながら一行を先導して、この地まで道案内をしたという伝説から、正しい道へと導く「神使のみかえり兎」として崇めらたそうです。
