見出し画像

温故知新(119)皇居 古代都市セリヌス(セリヌンテ) マラケシュ クサール・ヌアイラ 建稲種命 名古屋城 富士山本宮淺間大社 成務天皇 築山古墳 焼津神社 三嶋大社 品陀真若王 作山古墳 大高山神社 入の沢遺跡 景行天皇 日代宮

皇居(江戸城跡)と名古屋城
 皇居は、富士山と鹿島神宮を結ぶレイラインや、安房神社と日光東照宮を結ぶレイラインの近くにあります。また、皇居とオリンポス山を結ぶラインは、須須神社 高座宮の近くを通り皇居とモン・サン・ミシェルを結ぶラインは、デーノタメ遺跡や埼玉古墳群などの近くを通ります岡山城に第8代孝元天皇(倭建命と推定)の宮があり、大阪城に五十瓊敷入彦命の城があり、名古屋城に建稲種命の城があったとすると、皇居(江戸城跡)には、第13代成務天皇(倭建命と推定)の行宮があったのではないかと思われます。

 皇居(江戸城跡)と名古屋城を結ぶラインは、富士山本宮淺間大社奥宮とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインの近くには、縄文時代の栃原岩陰遺跡(長野県南佐久郡北相木村)があります(図1)。

図1 富士山本宮淺間大社奥宮、皇居、名古屋城を結ぶ三角形のライン、富士山本宮淺間大社奥宮とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインと栃原岩陰遺跡

皇居と焼津神社
 皇居と日本武尊(成務天皇と推定)を祀る焼津神社を結ぶラインを引くと、三嶋大社(静岡県三島市大宮町)とクサール・ヌアイラを結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは富士山本宮淺間大社奥宮のある富士山を通ります(図2)。

図2 三嶋大社、皇居、焼津神社を結ぶ三角形のライン、三嶋大社とクサール・ヌアイラを結ぶラインと富士山本宮淺間大社奥宮

皇居と築山古墳
 皇居と成務天皇の陵墓と推定される築山古墳(岡山県瀬戸内市長船町)を結ぶラインは名古屋城の近くを通ります(図3)。このラインは、焼津神社とヴェストラホルン山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは大己貴命(孝元天皇倭建命と推定)、事代主命(少彦名命)をはじめとする9柱を祀る信濃国二之宮 矢彦神社(長野県上伊那郡辰野町)の近くを通ります(図3)。また、築山古墳と焼津神社を結ぶラインの近くには「竺紫の日向の高千穂」と推定される摩耶山があります(図3)。

図3 焼津神社、皇居、築山古墳を結ぶ三角形のラインと名古屋城、摩耶山、焼津神社とヴェストラホルン山を結ぶラインと矢彦神社

皇居と大高山神社、築山古墳
 品陀真若王(出雲建、倭建命と推定)の行宮があったと推定される大高山神社(宮城県柴田郡大河原町)と築山古墳(瀬戸内市長船町)を結ぶラインは、皇居とアトランティスの都市があったと推定されるマラケシュを結ぶラインとほぼ直角に交差し、大高山神社と名古屋城を結ぶラインは、皇居と神皇産霊尊と関係があると推定されるシチリア島の古代都市セリヌス(セリヌンテ)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図4)。これらのラインは、皇居に、第13代成務天皇(倭建命と推定)の行宮があったと推定されることと整合します。

図4 皇居、大高山神社、築山古墳(瀬戸内市長船町)を結ぶ三角形のライン、皇居とマラケシュを結ぶライン、セリヌンテと皇居、名古屋城、大高山神社を結ぶライン

皇居と入の沢遺跡、作山古墳
 皇居と品陀真若王(出雲建、倭建命)の城があったと推定される入の沢遺跡(宮城県栗原市)を結ぶラインは、大高山神社の近くを通ります(図5)。また、入の沢遺跡と品陀真若王(出雲建、倭建命と推定)の墓と推定される作山古墳(岡山県総社市)を結ぶラインは、皇居と高天原やアトランティスの都市があったと推定されるクサール・ヌアイラを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。このラインは、入の沢遺跡に品陀真若王の城があったと推定されることと整合します。

図5 皇居、入の沢遺跡、作山古墳を結ぶ三角形のラインと大高山神社、名古屋城、皇居とクサール・ヌアイラを結ぶライン

皇居と日代宮、富士山本宮浅間大社
 九州には、景行天皇(倭建命と推定)の行宮日代宮があったと推定されます。大高山神社と日代宮があったと推定される大分県津久見市四浦深良津にある天満神社を結ぶラインは、皇居とアトランティスの都市があったと推定されるクサール・ヌアイラを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図6)。天満神社(津久見市四浦深良津)と皇居を結ぶラインの近くには前者のラインは、富士山本宮浅間大社奥宮があります(図6)。

図6 皇居、大高山神社、天満神社(津久見市四浦深良津)を結ぶ三角形のラインと富士山本宮浅間大社奥宮、皇居とクサール・ヌアイラを結ぶライン

倭建命と邪馬台国
 倭建命は、邪馬台国(やまとのくに)の建国に関わった大王と推定され、品陀真若王(出雲建、倭建命と推定)の頃には、縄文人と弥生人の混血氏族の国と推定される「やまとのくに」は、九州北部から東北南部まで、ほぼ統一していたのではないかと思われます。