耳あり芳一【序章】①
芳一と有能な和尚、鎌倉ホラースペクタクル!!
あらすじ
壇ノ浦に沈んだ平家の怨霊が、この世に満ち始めた――。
盲目の琵琶法師・芳一は、有能な和尚と共に、各地に現れる「鬼」と化した者たちを祓い歩く。彼らの背後には、未練と呪いに引き寄せられた無数の怨霊の存在があった。
人の罪に乗じて憑依し、人を喰らい、心を蝕む怨霊たち。芳一の琵琶が語りを響かせるとき、霊と鬼と人の哀しき運命が交錯する。
古典怪談の名作「耳なし芳一」を原案に、まったく新たな物語として紡ぐ本作。
美しくも凄絶な怨霊譚が、今、現代に。
『耳あり芳一』序章 第一部
鎌倉幕府が成立しておよそ半世紀、戦乱の爪痕はまだ消えず、都も地方もどこか荒んでいた。平家の滅亡からはすでに数十年が経っていたが、壇ノ浦の海で散った者たちの無念は、なおこの世に漂い、時折、か細い声となって風の中に混じった。
筑前国・赤間ヶ関。関門海峡に面したこの港町には、いつの頃からか「夜、波が鳴く」と言われていた。月のない晩には浜辺に白い影が集い、ひとつの声で泣き叫ぶという。人々はそれを「平家の亡霊」と呼び、むやみに浜に近づかぬよう、互いに言い聞かせていた。
その町外れの阿弥陀寺に、ひとりの盲目の琵琶法師がいた。名を芳一という。
芳一は幼くして視力を失ったが、音には鋭く、ことに琵琶の腕は絶品であった。指のすべるような動きと、語るような撥音は、聴く者すべての胸を震わせた。目の見えぬ芳一の奏では、まるで彼自身が音の世界を見ているかのようだった。
ある晩のこと──。寺の和尚が遠出をして留守となり、芳一はひとり、本堂で琵琶の練習をしていた。蝋燭の揺れる灯り。外では虫が鳴き、時折、波の音が低く唸った。
そのときであった。
「……芳一殿」
誰かが呼んだ。静まり返った夜の空気を破るように、背後から、深く、湿った声が落ちてきた。
芳一は驚きながらも、ゆっくりと頭を下げた。
「どなたでしょう……?」
返事はない。だが、次の瞬間、空気が変わった。まるで周囲の温度が一気に下がったかのように、背筋がひやりと冷たくなる。
「お見事な琵琶の音。今宵、我が御主が御聴きたがっておられる。どうかお供を願いたい」
その声は、静かだが逆らいがたく、どこか人間離れした威圧感を帯びていた。
芳一はその異様さに気づきながらも、目の見えぬ不安からか、素直に頷いた。
「……はい」
まるで夢遊病者のように、芳一は音もなく立ち上がり、声の主に導かれて、夜の闇の中へと消えていった。
『耳あり芳一』序章 第二部
芳一は、誰に手を引かれるともなく、夜の町を歩いていた。
土の道には草が茂り、時折、ぬかるみに足が沈む。どこかで風が唸り、柿の実が地面に落ちる音が、やけに大きく耳に響いた。
しかし芳一の顔に、不安はなかった。むしろどこか陶酔したように微笑んでいる。彼にとって、音こそが世界の輪郭であり、波の音すら、この不思議な誘いを演出する楽の音に聞こえていた。
やがて、踏みしめる地面の感触が変わった。石畳。そして、風の音がぴたりとやんだ。
「……ここは……?」
「御主がお待ちである。御前にて、平家物語を奏でてほしい」
それは、あの湿った声だった。芳一は素直に頭を下げ、持ってきた琵琶を抱えた。
見えぬ目を伏せ、膝をつく。そこに何者がいるかはわからぬ。だが、背筋を正した芳一の表情は、誇り高い芸人のそれだった。
静寂の中──琵琶の音が鳴った。
「──祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……」
べん……。
最初の一音が、闇を割った。
空気が震え、どこか遠くで波が引くような、そんな気配がした。
「……沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす……」
芳一の声は澄んでいた。深い、よどみのない声。それは、幾たびも語り継がれた無常の響きであり、滅びの美学を讃える死者への鎮魂歌であった。
べん、べん、べん……
琵琶の撥が走るたび、空間がねじれるような気配がした。冷気が足元から這い上がり、空気は張り詰めている。
芳一には見えない。だが、彼の語りに吸い寄せられるように、武者たちの気配が集まっていた。
白装束の武者、女官、幼子の影──声なき声で泣き叫ぶもの、虚空を睨むもの、舌を噛み切ってうずくまるもの──。
それらすべてが、芳一の琵琶と声に引かれて、闇からにじみ出ていた。
「……その時、安徳天皇、御年わずか八歳……」
その言葉に、ざわり、と何かが波打った。空気が一瞬、凍りついたかのように感じられる。
芳一の語りは止まらない。彼には、そこが墓場であることも、集っているのが人ではないことも、わからない。
彼はただ、誠実に、真摯に、語る。
「……波の下にも都の候ぞと……」
その瞬間、琵琶の音に呼応するかのように、あたりから嗚咽が漏れた。

それは死者たちの声だった。芳一の琵琶は、彼らに“生前”を思い出させていた。
芳一が語るごとに、誰かの影が立ち、誰かが崩れ、また誰かが泣き始めた。
「もう一度、あの声を……」「もう一度、生を……」
怨霊たちは、芳一の語りに“憑かれて”いた。
『耳あり芳一』序章 第三部
──べん、べん、べん……。
芳一の琵琶が続くたびに、武者たちの影がより濃く、より近くなっていた。
彼らは並んで座っているわけではない。中には四つん這いで近寄る者、宙に浮かぶ者、髪を振り乱して地面に爪を立てる者もいた。首のない影が、芳一の背後でゆらゆらと揺れ、刀を抱えた甲冑の男が、琵琶の音を全身で浴びるようにして座っていた。
そして誰も、声を出さなかった。だが、その無音の空間に充ちていたのは、異様な「飢え」だった。
──もっと語れ。
──語れ、もっと、もっとだ。
──それを聴いていれば、生きていた日の痛みを忘れられる。
芳一は、ひとときも疑うことなく、語る。彼にとって、それは演奏でも、供養でもなかった。そこに座する「誰か」が、聞こうとしてくれている限り、自分には語る務めがある──それだけだった。
「──海底に沈みし御門の御姿を、波の光が柔らかく照らし……」
その瞬間、ひときわ大きな呻きが響いた。
芳一には、それが感嘆の声に聞こえた。が、現実は違った。影の中の一人が、異形へと変わっていた。
顔が歪み、頭頂から黒く曲がった角が一本、音もなく突き出ていた。瞳は白く濁り、牙のような歯が並ぶ口がゆっくりと開かれる。
「……あの男を喰らえば、記憶を取り戻せる……」
それは、怨霊のなれの果て──「鬼」だった。
◇
ひとり、またひとり、鬼が増えていく。人のかたちをしていたものが、徐々に禍々しい姿に変わっていく。足が地につかず、衣が濡れてもいないのに滴を垂らす。影だけが地に染みついて離れない。
芳一は気づかない。だが、琵琶の撥を持つ手が震えている。
(……あれ、冷たい……)
見えぬ目の奥に、かすかな違和感が灯った。琵琶の音が空へと昇らず、沈みゆく水底に吸い込まれているような奇妙な感覚。
そこへ──。
ポク……ポク……。
かすかに、遠くで木魚の音がした。
ポク……ポク……。
はじめは、誰かの記憶かと思った。だが、芳一の胸がふと軽くなった。
空気が、動いた。
──何者かが近づいてくる。
「……おや……」
芳一の口から、言葉が漏れる。
「この香は……檜の……木魚の香り……?」
ポク……ポク……。
怨霊たちがざわついた。鬼となりかけていた影が、耳を塞ぎ、震えはじめる。まるで、その音を恐れているかのようだった。
すると、その気配の中に、ひとつの影がすうっと入り込んできた。
笠を被り、墨染めの衣をまとった僧。手には木魚、口には経文。
──和尚が、現れた。
だが、芳一にはまだその姿は見えない。彼はただ、夜の闇の中に聞こえてくる木魚の音に、懐かしさのようなものを覚えていた。
ポク……ポク……ポク……。
◇
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序章① https://note.com/kitaminamiya/n/ncee39084d3e4
序章② https://note.com/kitaminamiya/n/n5e191edd5a70
第一話① https://note.com/kitaminamiya/n/n714f6cb3d235
第一話② https://note.com/kitaminamiya/n/nebb074b31477
第一話③ https://note.com/kitaminamiya/n/n04307a65df15
第二話① https://note.com/kitaminamiya/n/n762c0d1719ee
第二話② https://note.com/kitaminamiya/n/nbca60c457739
第二話③ https://note.com/kitaminamiya/n/n310aa18e3d8c
第二話④ https://note.com/kitaminamiya/n/na85a27ee057e
第二話⑤ https://note.com/kitaminamiya/n/naa1256c7fdc7
第三話① https://note.com/kitaminamiya/n/n4b94f94afcdb
第三話② https://note.com/kitaminamiya/n/n925a09ee526d
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第三話④ https://note.com/kitaminamiya/n/n0f275c9b06ad
第三話⑤ https://note.com/kitaminamiya/n/n42960df06c6e
第三話⑥ https://note.com/kitaminamiya/n/n74a922a46161
第三話⑦ https://note.com/kitaminamiya/n/na8db3c7860c7
第三話⑧ https://note.com/kitaminamiya/n/n435d1b515b2a
第四話① https://note.com/kitaminamiya/n/n4f8940730549
第四話② https://note.com/kitaminamiya/n/nfb432d8f9f6d
第四話③ https://note.com/kitaminamiya/n/n274ad4464689
第四話④ https://note.com/kitaminamiya/n/n04a7df829e6c
第四話⑤ https://note.com/kitaminamiya/n/n0b18b34942ab
第四話⑥ https://note.com/kitaminamiya/n/nae2324446334
第五話① https://note.com/kitaminamiya/n/nf6c6a76307ab
第五話② https://note.com/kitaminamiya/n/n8e2205a814c3
第五話③ https://note.com/kitaminamiya/n/nb9e6765f7e9a
第五話④ https://note.com/kitaminamiya/n/n8886ad3a4edd
第五話⑤ https://note.com/kitaminamiya/n/nd62110439769
第五話⑥ https://note.com/kitaminamiya/n/n867a05dba280
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