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耳あり芳一【第三話】白い手⑤

盲目の芳一と声を出せないミヨが白い手に挑む


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第五章 祈りと決意




夜の帳が村を包むころ、芳一とミヨは静かに村の小径を歩いていた。
草木のざわめきも、虫の音すら聞こえぬ、不自然な静けさ。
空には月がなく、黒々とした雲の間にわずかな星が滲むばかりだった。

芳一の足はたしかに進んでいたが、彼の前を行くのはミヨだった。
錫杖が「シャリン……」と、わずかに鳴るたび、芳一の顔に静かな緊張が走る。

やがて村はずれ、竹藪の近くでその空気が変わった。

「た、たすけてくれえっ……!」

どこかで何かが弾けたような声。
藪の影から、ぼろぼろの人影が転がるように飛び出してきた。

「平八……?」

芳一の声にミヨが立ち止まり、足音を殺す。

平八は虚ろな目でふらつきながら現れた。髪は寝癖のまま、着物も乱れ、どこか遠くを見ていた。
「し、白い手が……おかみが……!」


支離滅裂な言葉を繰り返しながら、平八はふたりの方へよろよろと歩み寄る。
その背後──。

「ズル……」

湿った音とともに、藪の奥から白く伸びる一本の腕。
女の手のような、滑らかで美しい指先。

それが、平八の肩をつかんだ。

「うわっ、や──!」

叫びも途中で、平八の体は後ろへ引きずり込まれ、闇の中へと消えた。
その一瞬を、ミヨの目は逃さなかった。

彼女はすぐに芳一の手を取り、その掌に指で書いた。

「しろい てに ひとが つかまった」

芳一は小さくうなずいた。

「……行きましょう。平八の家に。」



その家は村のはずれにあり、囲炉裏も灯っておらず、奥は暗く静まり返っていた。
戸を開けると、ぬるりとした臭いが鼻をついた。海の腐ったような、そして血と土が混ざったような匂い。

奥の間に、ひとり横たわる女──平八の妻がいた。

ミヨが近づき、芳一の手に書いた。

「うごいてる」

芳一は膝をつき、そっと琵琶を脇に置いた。

平八の妻は目を閉じていたが、その腹部が異様に膨れていた。
皮膚の下で、何かが生きているように蠢いている。

やがて、唇が微かに動いた。

「平......は...ち...」

最後の力で夫の名を呼んだその声は、わずかに震えて、かすれた音になった。

そして──
ごぽり、と腹の皮膚が一瞬、内側から押されるように盛り上がった。

芳一は顔をしかめた。

「……これは……牙の毒でしょうか」

ミヨは答えず、芳一の手に指を這わせるように書いた。

「うらみ を のこしてる」

その筆致は少し震えていた。

芳一はそっと琵琶の弦に指を置いた。

「せめて、魂が安らぎますように……」

低く、柔らかな音が闇に溶ける。
ミヨもまた、錫杖を両手で掲げ、額に添えて目を閉じた。

「シャリン……シャリン……」

その音だけが、夜の空気をかすかに震わせた。



しばらくして、平八の妻の胸が静かに上下を止めた。
そして膨らんでいた腹も、次第に沈み、痕跡だけを残して動きを止めた。

芳一は、祈るように手を合わせた。

「……もう、何も……産まれたりはしない」

ミヨは、芳一の手にもう一度だけこう記した。

「こんや いこう」

芳一はうなずいた。

「……舟隠し岩、ですね」

外に出たとき、夜風が吹き始めていた。
月はまだなく、空は重く、風の音に交じって、かすかに波の音が遠くから聞こえた。

ふたりの影が、夜の中に溶けていった。
その先に、鬼蛇が待つとも知らずに──いや、知ったうえで向かうのだった。



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